Bodies
鉄 志
階段を登りきったその先に広がっていた光景は、この世界にあるような『制御室』からは程遠いものだった。
天井までの高さは一般的な二階建ての家屋が収まってしまうほどにはある。先ほどまで私たちがいた家屋など簡単に収まってしまうほどに。その床、壁、そして天井までもが漆塗を思わせるような光沢を放っており、靴を履いていない足の裏からはひんやりとした感触が伝わってくる。
左右を見渡してみると、端から端まではざっと50メートル程度。
後ろを振り返って見ると、私と燈和が出てきたところの他にも5つ、正方形の穴があり、その先には下層へと続く階段があるのが見えた。これらの階段は、私と燈和が入り込んだあの家屋と同じような施設へと繋がっているのだろうか。入って確かめたいところではあるが、今はその時ではない。
改めて前を向き、室内の様子をもう一度念入りに観察してみると、その床、壁、天井には網目状の溝が見受けられる。異様なのは、私たちがたどってきたその煙は床だけでなく天井や壁の溝をも流れているということ。全ての溝は私たちがいる少し前のところで集約されており、そこから五つの分岐に別れ、それぞれ後ろの、階段へと続く出入口につながっていた。
この煙の流れ…。この空間では、前世の私が持っていたような、いわゆる私が今生きる世界では考えられない不可思議な『力』が働いているのだろう。
窓や照明などは見当たらない。しかし、私の持つ『力』を使わなくても中の様子がうっすらと分かるのは、暗闇に目が慣れたのではない。薄暗くはあるものの、周りと色を変えているわけでもない、壁や天井の溝が見える程度にははっきりしている。ここにもまた、何かしらの仕掛けが施されているのだろう。
だが薄暗いことには変わりなく、この部屋はさらに奥へと繋がっているが、その先には何があるのかはここからでは見えない。
既に不可解なものばかりを見てきたせいかそこまで驚きはしなかったが、このような空間を作り出すほどの高度な力を持った種族がいるということに改めて感心してしまう。
この先の奥には一体、何があるのか。恐らくはこの煙の出どころだろうが、私の中の目的がこの空間からの脱出というより、この空間について知るという方向へ段々と変わっていくな。
「これはまた変なところへと出てしまいましたねぇ。」
「あぁ。だがいよいよ核心に迫っているって感じがするな。」
「なんか鉄志君にしては曖昧な言い方ですねぇ。もっとこう、確信をもっているものだと。」
「何今の。かけたの?」
「…鉄志君?」
「…悪かったからそんな目で見るなよ。まぁ、その、なんだ。燈和、俺は前世で長くを生きたが全てを知っているわけじゃない。それにこの世界に関してはまだ生まれて17年だ。知らないことの方が圧倒的に多いさ。」
「いや、まぁそれはそうなんですけれども…。なんかこう、これまでの態度だと、ここの正体のおおよその検討が付いているというか、そういうものだと…。」
「想像だってできやしねぇよ。この空間がそもそも予想外なわけだしな。そう言うわけだ。燈和、どうする?」
「へぇっ!?どうするって…何がですか?」
「目の前を見てみろ。」
ある程度の明るさはあるものの、私たちがいるここからはこの部屋の最奥までは分からない。そこに何が待ち受けているかは。怪物が出るか。あるいは…。
「も、もう!!鉄志君は意地悪ですね!そんなの、ついていくに決まってるじゃあないですか!こんなところに置き去りにされてしまっては、私は寂しくて死んでしまいますよ!!」
「うさぎかお前は。ていうか寂しいとかそう言う問題かよ…。ま、いいか。じゃあ離れずついてきてくれな。」
「はい♪」
そうして私たちは室内を歩き続けた。同じような光景がしばらく続いたが、やがて天井、壁、床の網目状の溝は床の両脇に集合し始め、幅1メートル程の太いもののみを残すだけとなった。溝の中を覗き込んでみると、煙は変わらず、私たちの向かう方とは逆へと流れて行っているのが分った。やはりこの先に、煙の出どころ、装置の動力源があるのだろう。
さらに奥へと進んでいくとぼんやりと両側の溝から、一定の間隔で立っている何かが見えた。その何かはうっすらと光を放っているが…。
「あれは、灯篭…ですかね?」
私よりも先に燈和が声を出した。姿かたちを見る限り、それで間違いない。左右それぞれに、一定の間隔で5つずつ、計10個の灯篭が置かれている。そして、それらを間近で見て、私はその異様さにすぐに気が付いた。
まずはその材質。この部屋と同じく光沢を放っていることから石材ではないことはうかがえる。しかし触れてみたところ、金属のような触感でもない。少し押してみると指が少しめり込み、次の瞬間にはぐっと押し返されてしまった。かといってゴムのような感触とも言えない、独特の触感がある。例えるなら、動物の筋肉のような動きをしたような…。
そして、それらの中に火がついているが、それらは赤、青、燈、紫、緑とそれぞれが違う色を放っている。そしてこの部屋の溝を漂う煙はそこから出されているが、溝とは反対方向の、この部屋のさらに奥へも床を伝って流れているのが確認できた。これが、あの屋敷に施されている仕掛けの動力源の正体なのか。
「…何かの金属が燃えているんでしょうか?確か化学の授業で学んだ記憶が…。」
「そんな現実的なもんじゃあないだろうな。見てみろよ。」
「えっ!?」
近づいて灯篭の中を覗き込んでみると、その炎は宙に浮いてひとりでに燃えているのが分かる。
「これは一体…」
「この炎から下に向かって煙が出ている。この炎が装置の動力源だろうな」
「!!じゃあこの炎を何とかすれば!!!」
「あぁ、術は解かれるだろう。」
この炎も私のいる世界のものとは違うだろうが、試してみるしかない。
体内の水分を右手に集め、右手の平に穴をあけ、そこから炎に向かって放出。が、水は音も無く炎をすり抜け、反対側へと落ちていった。
「やっぱり普通の炎ではないみたいですね。」
「そうだな。燈和、下がってくれ」
「えっ?は、はい」
今度は再び体内でピクリン酸を合成して取り出し、それを灯篭の内の一つに向かって放り投げた。
ごああぁぁぁぁん!!!!
轟音とともに爆発が起こった。が、先ほどの囲炉裏とは違い灯篭には傷一つついていない。どうやらこの灯篭については恐ろしく耐久性の高い物資で作られているようだ。物理化学的な力は通じないか。
「…傷一つ、ついていないですね」
「よっぽど丈夫な材質らしい。壊せるのは、製作者だけか…」
「でもなぜ…。さっきの家の警備装置?は簡単に壊れましたのに」
これについては私にも理由ははっきりとは分からないが、恐らくこの炎はよっぽど大事なもので、それを守るために先ほどの警備システムよりももっと高度なもので守られているといったところだろう。そしてその高度なものを作るには希少な材料が必要であった…といったところか。
「…ん?あれ…」
「なんだ?」
「あの灯篭だけ…」
燈和の指さしたほうを見てみると。左側の一番奥の灯篭にだけ炎が見られない。さらによく見てみると。灯篭の上部の屋根の部分、その一部に穴が空いているのが分った。
「壊れちゃったんですかねぇ?鉄志君が頑張っても壊れなかったのに。」
「見た感じはそうだが…しかしなぁ…」
「なんです?」
「いや、なんというか、この壊れ方だが…」
その灯篭の穴の断面は外側に広がっており、まるで花が咲いているような見た目である。見る限り、内側から破裂した、あるいはうち破られたような印象を受ける。
「内部から壊したようにしか思えないが…。」
「なんか爆発でもしちゃったんですかね?もちろん、普通のではない、なんかこう、特別な…。」
「その可能性が高いが、だとすると一部分だけにこんな穴が空いていることに納得できないが…」
この灯篭、この炎…。そしてこの壊れ方。まるで何か意思を持ったものが、内部から突き出て脱出したような…。
その瞬間、私の中に、言いようのない戦慄のようなものが走った。
この炎は…!?…この穴は!!!まさか。まさか…!!!
この世界に生まれてきてから、感じたことのない、しびれにも似た感覚が体中に広がり、私の体は硬直し、意志とは無関係に動悸が起こり、冷や汗が大量に噴き出した。こんなことは初めてだ。それほど、私の頭の中に降り立った『ある憶測』が私自身を動揺させたのだった。
「…どうしました?鉄志君」
燈和の声で我に返った。そうだ。今はこんなことで動揺している時ではない。燈和とともに、元の世界へと帰るのを急がねば。
「…いや、なんでもない。とにかく、この動力源を今はどうにかするのはできないようだ。先に進もう。」
「というより、もうこれが最深部じゃないんですか?」
「えっ?」
燈和の指さす方を見てみると少し離れた目の前は行き止まりになっている。こんなことにすらも気づかないとは、私は余程動揺していたようだな。
燈和が指さすその最奥、そこには異質なものがあった。
両端には真っ黒な円錐が1つずつ、大きな円柱形の台の上に置かれている。そしてそれらの間には祠の形をしたものが3つ、等間隔で並んでいた。3つの祠は全て扉が開いており、円柱の下部と祠の中へ、灯篭の炎から出ている煙が吸い込まれているのが見えた。祠の中からは明かりが漏れ出ており、中で何かが動いているのがうっすら見えるが、距離が開いているのと煙のせいでここからではそれが何なのかはっきりとは見えない。
「これが術の発生装置…ということになるんですかねぇ…」
「どうだろう。まぁ、なんにせよ、調べてみないことには分からんな…。」
と、私達が一歩踏み出して、祠に近づいた瞬間。
ごとんごとん…。ごろ…ごろごろ…ごろ…。
両脇の円錐が同時に床に落ち、鈍い音を立てながらこちらに向かって転がってきた。そして、その動きに私は違和感を覚えた。
本来、円錐はまっすぐに転がっていくことはない。頂点を中心とした円を描くようにその場を回り続けるだけだ。そのことから、私は一つのことが分った。
この円錐は自動能を持っている。
そしてその動きは明らかにこちらに向かっている。言い方を変えれば、私たちを狙っている。恐らくこれは、目の前の祠を守るための防衛兵器なのだろう。逆に言えば、これでこの祠が大層大事なものだということがよく分かった。
「燈和、俺の後ろへ…」
「は、はい…。」
2つの円錐は私たちの手前2メートルほどのところまで来ると、底面をお互いに向い合せ、やがてそれらを合わせ、一つの物体となった。
しゅぃぃぃぃぃぃぃぃ…んん…
「!?」
「なんだぁ…?」
一つとなったその物体は奇妙な駆動音のようなものを上げると、それぞれの頂点が上下に来るようにして宙に浮かび上がった。
ひゅうぅぅ…うぅ…うぅぅぅぅぅ…
その物体からはファンが回るような音が聞こえ始めた。そして、後方から紫の光が私の横を通り抜けていったかと思うと、その物体の下方の頂点に吸い込まれていった。
振り向いてみると、先ほど見た祠のうちの一つの炎から光が出ていた。そしてそれが物体に吸い込まれているのだ。そして次の瞬間、上部の頂点に紫の丸い光が現れた。そして。
びぃぃぃぃぃぃぃ!!!
鼓膜を突き刺すようなその物体の上方の先端から細い紫の光が発せられ、私に向かった。瞬時に、私はその光がどこを狙っているのかは分かった。
ずしゅう…!!!
「ぬぉっ!?」
「きゃあっ!?」
紫の光は私の左の鎖骨の付近に当たるとそのまま消えた。光の当たった箇所に手を当ててみると、新鮮な血液が付着していた。念のため痛覚は予め遮断させていたためすぐには分からなかったが、光は私の体を貫通したのだ。
このような兵器は過去の世界においても見たことはない。原理は不明。だが一つ言えることは、恐ろしく殺傷能力が高いということ。そして、直前でその矛先を予測したため避けることができたが、正確に私の心臓を狙ってきたのだ。確実に仕留めにきている。いやしかし、燈和に矛先が向かなかったのは不幸中の幸いか。
…いや、これは私だけを狙っている。ま、理由は大体わかるがな。
ひゅうぅぅ…うぅ…うぅぅぅぅぅ…
またもや異音を発し始め、今度は青の炎が吸収されていった。その後。
ひゅいん…ひゅいんひゅいん…ひゅいんひゅいんひゅいんひゅいん!!!
先ほどとは別の異音を発し始めると、今度は上の頂点に青色の丸い光が現れた。またしても攻撃か。それも先ほどとは違うパターンの。
「くっ!!!」
急いで足を趾行性へと変え、左の壁に向かって大きく跳躍。
その直後、物体の青い光は大きな球状に変化して放たれ、その光の球は先ほどまで私のいた地点に当たった。
ずしゅぅうん…!!!
「ふぅ…」
間一髪で避け、両手足に形成したかぎ爪を使って壁へと張り付いた。先ほどまで私のいた場所を見てみると、そこには大きなクレーター状の穴が空いていた。
「鉄志君!!大丈夫ですか!?」
「俺は大丈夫だ!だから燈和、そのまま俺から離れていてくれ!」
「えぇ、でも…それでは!!」
「心配いらん!俺も燈和も大丈夫なんだ!むしろ、一緒にいてはだめだ!頼む!!今は説明している暇がない!!」
「わ、私も大丈夫!?鉄志君が言うのなら、間違いはないのでしょうけれども…」
ひゅうぅぅ…。
再び異音が響き渡り始め、今度は赤の炎を吸収し始めた。またもや攻撃を始めるつもりか。やれやれ、休む暇もない。
だが、こちらも分かったことがある。まず一つは、燈和を攻撃しないこと。ここは燈和の先祖が作ったものであり、同族の血が流れる燈和は攻撃対象から外れているのだろう。
そしてもう一つ。この兵器、一回一回の攻撃の前にエネルギーをチャージしている。そのエネルギーはあの灯篭の炎。そのエネルギーチャージの時間に唯一隙ができる。そこを狙えば勝機はある。狙うは、次の攻撃が終わり、その後のチャージ時間だ。
ぴしゅん…ぴしゅんぴしゅんぴしゅんぴしゅんぴしゅん…。
異音とともに、上部の先端に赤い丸い光が出たかと思うと、それが瞬時に無数の針のような光の筋に変化した。そして。
びしゅうううううううううううう!!!!!!
無数の光の筋が私に向かって放たれた。
ずしゅ!ずしゅずしゅずしゅずしゅずしゅぅ!!!!!
「くぅ…!!!」
「鉄志君!!!」
とっさに頭部と心臓は高質化した腕で覆ったため、損傷は免れた。先ほどのものとは違い、貫通性はなかったようだ。だがそれにしても、損傷が多い。
ひゅうぅぅ…うぅ…うぅぅぅぅぅ…
またもや異音を発し、光を吸収を始めた。完全回復している暇はないか…。創傷部付近の細胞をコントロールし出血だけを止めると、左腕に射出装置を形成し、体内成分で弾丸を作成。今度はこちらの番だ。
ぼしゅぅぅぅぅっっっっ…!!!
ずどぉっん!!!
放たれた弾丸は物体の下方に当たり、ふらふらと浮き方に乱れが生じ始めると同時に炎の吸収が終わった。チャージを阻止することができたようだな。
そして当たった部位からは、何かの液体が流れ出始めた。なんだ?燃料か?まぁ今はいい。あとでゆっくり調べれば。今はあれにとどめを刺すのが先だ。
両手にかぎ爪を形成し、一気に距離を詰めようと跳躍した、その瞬間。前の物体も一気に私との距離を詰めた。
「なぁっ!?」
ドゴォ!!!
物体の突進を食らう形にり、私は大きく倒れ込んだ。何だこれは。打撃が非常に重たい。この物体、相当の重量があるようだが、一体何でできている?
「鉄志君!!!」
燈和の声に我に返り、目の前を見てみると、それは先端を下に向け、私の心臓をめがけて勢いよく迫ってきた。
「ぬぉぉお!?」
間一髪で先端を両手でつかみ、何とか心臓を貫かれることは免れた。触れてみて初めて分かったが、表面は鑢のようにザラザラとしている。
ぎゅるるるるるるるるるるるるるっっっっっ!!!!!!!
突如、その物体が回転を始め、私の手の皮はめくれ、肉は削ぎ取られていった。普通の人間であれば激痛が走り、手を離すか、離さなくても力は弱まりこの時点で心臓を貫かれているだろう。痛覚を遮断し、回復能があるとはいえ、このままではまずい。回転が速く、回復が追い付かない。押し通されてしまう!!!
ドゴォっ!!!!
いきなり、横からやってきたものにその物体が叩き飛ばされた。燈和がそれに蹴りを食らわせたことに気づくのに少しだけ時間がかかった。
「鉄志君!!大丈夫ですか!!」
「すまない、助かった。」
目を向けてみると、先ほどよりも大きく揺れながら空中に留まっている。明らかに飛び方が不安定だ。隙ができている。この好機を逃さないわけにはいかん。
右手の爪をさらに伸長させて、合わせて一つにし、硬質化させ、鎌状に変化させると、私はその物体に飛び乗った。そのまま体の方向を180度反転させ、変形させた爪の先端を先ほど私がつけた下部の銃創に突っ込んだ。
ずしゅっ…!!!ずりゅりゅりゅっっっ…!!!
そのまま腕を引くと、驚くほど簡単にその物体は裂けていった。
しゅいぃぃぃ…ぃぃ…んん…
段々と駆動音が小さくなっていき、やがて消えてなくなった。どうやら、成功したようだな。
私が飛び降りるのと同時に、それは床に向かって落下を始めた。そして。
どちゃ…。
その物体が落ちると、水分を多く含んだような音が鳴り、私が引き裂いた箇所から部品と思われるものと、燃料と思われる液体が広がっていくのが見えた。
…この物体の動力源はあの煙ではなかったのか?
「鉄志君!!無事ですか!?」
「あぁ、なんとか…」
「手になんかついちゃってますね。これで拭いてください。」
そう言うと燈和は真っ白なハンカチを差し出した。そんなことより、あの祠を…と思ったが、燈和のおかげで助かったわけだ。それに、せっかくの好意を無為にするのは良くないな。
「悪いな。洗って返すよ」
「い、良いですよそんな!そのまま返してくだされば!!」
「いやいや、そういうわけにもいかな…」
ハンカチで拭きとったそれが何か分かった瞬間、私も燈和も動揺し、口を閉じた。
その赤黒い液体は、やけにぬめぬめとしており、生臭いにおいを発している…。
私が拭き取ったものは、人間のそれと同じ、血液だったのだ。
そして改めて、床に転がっているその物体に近づいて見てみると、私が空けた穴から飛び出ていたものには、機械的な部品などではなかった。
これは…臓物ではないか。
なんだこれは。この物体は、生物だというのか?