HOUSE
鉄 志
私達二人は縁側に上がるとガラス戸を引き、屋敷の中へと入った。
縁側の廊下から入ってすぐの部屋は木製の床となっていて、中央には囲炉裏がある。そこを囲むようにして四つ、座布団が敷かれ天井にはいくつかの裸電球が取り付けられていた。
私たちから見て右側に、4枚の襖があり、その中央は少し開いていて、そこからは薄暗いながらも畳の敷いてある部屋が見える。
「巽谷さん一家はあそこに布団を敷き、寝ていましたね。私も幼いころはよく、あの部屋に泊まりましたが…」
私が観察していると、燈和が小さな声でボソッと言った。どうやら、家の中の造りまで同じであるらしい。
囲炉裏を挟んで反対、私たちから見て左側には木製の引き戸。そして正面にも木製の引き戸。恐らく、あの正面の引き戸があそこが玄関につながっているのだろう。
そして私は、ある違和感に気が付いた。囲炉裏には火がかけられており、中央に吊るされている鉄瓶の先端に目を向けると、煙。その煙は天井へと続く。そして天井の裸電球にも明かりが灯っているし、なにより、囲炉裏を囲むようにしておいてある座布団は、どれも真ん中が少しへこんでいる。まるでつい先ほどまで、ここに誰かがいたような印象を受けた。
…いやでも、この違和感は果たして本当にそれだけなのか?人が住んでいるなら、当たり前のことだが…。
「あ、あのぉ…誰かいらっしゃるんですかぁ?巽谷さ~ん!!!」
奥に向かって声を掛けたものの、燈和の声は屋の中に木霊しただけでその誰かからの返事が来ることはない。
「…誰もいないみたいだな。」
「で、でも囲炉裏には火が付いてますし、床にも埃一つもないですし…、なんならワックスがけしたように天井の明かりが反射してますよ!?どう見たって誰かがここに住んでいるとしか思えませんよ!!」
「それは言えてるな。だが、何というか…常にこの状態が維持されているというだけでここに誰かがいるって感じがしないんだよなぁ…」
「と言いますと?」
「う~ん、例えるなら、無人で稼働している工場みたいな…そんな感じか?」
「無人で囲炉裏に火をかける意味とかあるんですか?」
そう。囲炉裏に火をかけるのなんて、客にお茶を出すか飯の用意をする時くらいのものだろう。何かしらの意味を持っているのか。
「ここに誰かがいると見せかける、一種のカモフラージュ…なのか?そうだとすれば、ここが極秘の実験施設だということも納得がいかないこともない…か」
「か、カモフラージュ…。でも、それもやっぱり釈然としませんよ」
「なんでだ?」
「だって、やっぱりこの家の中、巽谷さんの家と同じですよ!最後に訪れたのは1年ほど前ですが、確かにこの囲炉裏もありましたし、扉の位置や、なんならお庭の池やプランターの位置も変わってませんし!」
燈和はこんな状況でつまらない嘘などつかない。また、記憶違いというわけでもないのだろう。だとすれば、考えられるのは…。
「恐らくだが、俺たちのいた世界の実際の巽谷さんの家とこの屋敷はリンクしているんだろうな」
「り、リンク?」
「そう。巽谷さんの家に例えば、何か新しいものが導入されたとするだろ?で、多少のタイムラグはあるだろうが、この家の中は見かけ上はそれと同じ状態になるように作られているんだろう」
「…それじゃあ、実際の巽谷さんの家も何か仕掛けが施されているってことですか?」
「恐らくな。巽谷さんは燈和の遠い親戚なんだろ?それじゃあ共通の祖先をもつということだ。だとすれば…」
「あの変な発明をたくさんしていた私のご先祖様がここを作ったということですか。」
「ここの表札の文字を見る限り、そうとしか考えられない。」
「で、でも一体、何のためにそんな仕掛けを…。」
「さっきも言ったように、一番可能性が高いのは実験施設だろう。が、本当のことはまだ分からない。まぁ、もう少し色々と見て回れば何か分かるかもしれないな。」
「えぇ、そうですね」
そうして私たちは取り敢えず、順番に部屋を見て回ることとした。
初めに左の扉を開けてみると、そこはキッチンとダイニングとなっていた。部屋に置いてあるものは冷蔵庫、食器棚、テーブルとイス。しかも冷蔵庫に至っては駆動音まで出している。
「えぇと、左側はお風呂場と洗面所につながるドアで、右斜め前についている扉は、確か勝手口でしたね」
「ほぉ…。ん?」
「どうしました?」
「あそこのシンク」
キッチンのシンクには水が溜まっているが、見てみると、庭の池と同じように、決して水がなくなることのない渦がそこにはあった。
「…どうやら、この敷地内の水はみんな渦巻いているみたいだな」
「で、でも一体、どうして…」
「この家全体で、何か渦を発生させる、いわばモーターの代わりになる力が働いているのかもしれない。ま、当然、俺らの知っているモーターではないだろうが」
「な、なるほど…。」
次に左側の扉を開け中に入りました、燈和の言った通りそこは洗面所とそこから続く風呂場になっていたが、洗面所にも湯舟にも水が溜まっており、やはり渦を巻いている。が、それ以上は何もなく、私たちはすぐにその場を後にした。
「水以外は特に変わったところはありませんでしたねぇ…」
「まぁ待てよ。まだ調べていないところがあるだろう?」
私が冷蔵庫を指さすと、燈和はあからさまに嫌な顔をした。腐ったものでも入っていると思っているのだろうか。
「…私としてはあまり見たくはないですけど、鉄志君の好奇心は抑えられないと思うので、もう何も言いませんよ。」
「それは助かる。それじゃあ、1、2、3!!!」
勢いよく扉を開けると、私と燈和はそこにいたものに、唖然としてしまった。私でも、これは想像ができなかった。
そこには一匹の犬がいたのだ。大きさからすると、まだ子犬だろう。しかしながら、その口からは立派な犬歯が見えている。
犬は眠っているのか、目を閉じて横になっている。それにしてもこの冷蔵庫、なんというか…。
その時、私たちの気配に気づいたのか、犬はその目を開け、立ち上がると私たちを一瞥した。そして。
「おぉーんん…!!!」
と一回吠えると、その犬は私の股を通り抜け、燈和の横をすり抜けると、どこかへと走っていた。
「な、なんというか、やっとまともな生物に出会えましたねぇ。まぁ、この冷蔵庫の中にいたのは釈然としませんが…」
「いや、そうでもねぇよ。」
「えっ…」
「驚いたな。ありゃあニホンオオカミだ。」
「ニホンオオカミ?日本に狼なんているんですか?」
「かつては存在していたんだよ。明治時代まで。」
「め、明治時代!?えっ、それじゃあもう絶滅してるってことですか!?」
「そういうことになっているが…」
「な、なんでその絶滅したはずの動物がここにいるんですか…。ていうかなんで冷蔵庫に…。」
「そればっかりは分からんが、この冷蔵庫の中には何か時間を捻じ曲げる仕掛けが施してあるということは確かだな。」
「そ、そんなファンタジーやSFの中でしか出てこないようなものがあるなんて…。でもそれだと、さっき言ったことと矛盾していません?巽谷さんの家とリンクしているのであれば、これは現実世界と同じ冷蔵庫ってことじゃないですか」
「そうなんだよなぁ…。冷蔵保存する目的…だったら生きているものを入れる意味などないし。何かしらの『力』で、都合よく構築されるのか…あるいは…」
「なんです?」
「…いや、想像し出したらきりがない。とにかく、この家の情報を知るためにも、他の場所も調べてみないと…」
「えっ!?えぇ、そうですね。今の状態では情報が少なすぎますし…」
燈和は少し不安そうな目をしながら、うつむいてしまった。本当は探索などせず、ここから出ていきたいのだろう。しかし、ここから出て行ったところで状況が変わるわけではない。この空間からの脱出のヒントは、必ずあるはずだ。
「…大丈夫だ。なんとかなる。」
私が声をかけると、私の考えが伝わったのか、燈和は何も言わず、少し笑みを浮かべてこちらに顔を向けた。その笑みには、ぬぐい切れていない不安がある。大丈夫だ、燈和。お前は、私が必ず守る。
その後は囲炉裏の間に入り、今度は玄関へと続く廊下に出て、トイレ、物置と立て続けに見たが、特に目新しいものは見つからなかったが、順番に部屋を見ていくうち、ようやく私は感じていた違和感の正体に気付いた。
「鉄志君、この家、明らかに元の巽谷さんの家より広い…」
同時に、燈和も気づいたようだった。そうだ。この家、外から見るより、明らかに家の方が広いのだ。空間が拡張されている。
今私たちがいるこの廊下からは、玄関ははるか先の方に見える。ゆうに30メートルはあるだろう。
それに、先ほど私たちがこの家に入った時の違和感。私たちが来た入口から、右に見て10メートルほど先、4枚の襖があった。襖の隙間からは薄暗くて分かりにくかった奥の部屋が確かに見えた。奥には押し入れがあったようだが、襖から押し入れまでの距離を考えれば、この家屋は正面の門に触れるか触れないか程度はあると考えるしかない。
そして全ての部屋を見終え、再び囲炉裏の前とやってきた私たちは、先ほど入った時に見た、もう一つの扉、寝室の前へとやってきた。
「最後はここだけだが、巽谷さん、案外この部屋で寝ているだけかもしれねぇな。」
「できればそうであることを祈りますよ。でも、起きた瞬間に自分のそばに見慣れない人間2人がいたら確実に泥棒だと思われそうですよね…」
「その時は弁明、任せたぜ」
「えっ!?ちょっ、私がですが!?」
「俺みたいな人相の悪い奴より燈和が弁明した方がまだ許される確率、高いだろ」
「…それはそうですけれども」
自分で言っておいて何だが、人相が悪いという部分は否定しないんだな。まぁ別にいいのだが。
少し開いた襖の隙間に手を入れ、そのまま横にやると音もなく襖は横に流れた。
「ひっ…」
「…なんだぁ?」
そしてその部屋の中の光景に、私達は再び呆気に取られた。
その部屋は十畳を超える広さがあり、その押し入れは10メートル以上も先にある。
しかし異常なのはそこではなく、その畳の上。そこには野球ボールほどの大きさの真っ黒な球体が円を描くようにしてひとりでに転がっていた。それも一つや二つではない。この部屋の至る所で、この得体の知れない球体が一人でに、音もなく、ぐるぐるとその場を回っているのだ。
「もう…もうっ!!本当に何なんですか!?ここは!?気持ち悪い…気味が悪い…」
呆気に取られていると、燈和が引きつった声を上げた。
それは恐怖によるもの…というよりは、意味不明な現象を目の当たりにしたことによる混乱によるものだろう。前世ではもっと奇妙なものをたくさん見てきた私自身の動揺はそこまで大きくないが、普通の人間からすれば、こんな目の前の光景、悪夢を見ているとしか思えないだろう。
と、視線を前に戻すと、押し入れは少しだけ開いており、中には布団ではない何かがはいいているのに私は気が付いた。
「ん?なんだ。何が入っているんだ…」
「も、もう…私はいいです!!鉄志君一人で見てください!!私は外で待ってます!!!」
「あっ!?おいっ!!」
私の制止も聞かず、燈和は走り出してしまった。
…やってしまった。いくら燈和も普通の人間と異なるとは言え、まだ10代の少女だ。こんなものを見せられてしまっては、私がいるとしても混乱と恐怖に陥ってしまう。それにもっと言えば、自身の『力』を開放していない燈和など少し強い程度の人間に過ぎない。
私は燈和の精神力を過信しすぎてしまったのだ。さすがに、私も無神経が過ぎてしまったな。そしてそんなことすらも想像できなかった自分自身に腹も立つ。
「燈和!!待ってくれ!!少し落ち着いてくれ!!」
後を追うと、燈和はもう既に庭にまで戻ってしまっていた。庭にいるあの生物は一見無害に見えるが、いつ攻撃を仕掛けるようになってもおかしくはない。やはり、今のパニック状態の燈和を一人にしておくのは危険すぎる。
「おい!!燈…」
燈和に続いて庭に出ようとしたところで、私の声は出なくなり、視界は突如、黒い闇に覆われた。