表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亢龍、悔いあり(バイオ・サイボーグより改題)  作者: 詩歴せちる
Heart Of A Dragon
19/64

Heart Of A Dragon

             鉄         志



「鉄志君!!早く…」

 バタン!!

 燈和がこちらを向くより早く、燈和が言い終わるより早く私は扉を閉めた。

 体内の熱の放出先など別に液体でなくてもいい。固体でも同じことである。

残りの魔力を使って押さえていた体内の熱エネルギーを右手に集中させ一気に放出させると、鉄製の扉の端は溶け、壁との境目は無くなり、さらにこちら側のドアノブも溶かし尽くし、ついでにドアノブが無くなった後に残っていた穴も塞いだ。もはやそこにあるのは扉ではない。一部分のみ材質の違うただの壁である。

 いくら祖先に私の持つ魔力を凌駕する凄まじい力があったとしても、今の燈和にそれはない。ただの人間へと慣れ果てた種族にはもはやこの鉄製の壁を破壊する力すらも無い。

 「鉄志君!?何をしようとしているんですかっ!?鉄志君!?返事をしてください!!お願いします!!鉄志君っ…!!!!!て つ し く ん  っ・ ・ ・ ! ! ! !」

 扉だったものをバンバンと叩く音と同時に燈和の叫び声が向こう側から聞こえてきた。だが、それには私は答えない。 

 扉に背を向け、先程私が作った氷像にもう一度目を向けた。

 ホルボロスの変身能力が解除されるのは致死的なダメージを受けたその瞬間だ。ならば…。

 それに答えるかのように氷像の頭部の一点が割れ、そこから赤黒いゼリー状のホルボロスの本来の姿が出て来はじめた。

 ま、そうなるわな。凍結させていた影響で少しタイムラグが出たようだが。だがそのおかげで鴈舵羅がんだらを起動させるところは見られていない。となれば、まだ鴈舵羅の存在は気付かれていないだろう。

 予め近くに置いておいたGショックを拾い上げて腕に付けるとタイマーを起動させた。

鴈舵羅を起動させてからGショックを拾い上げるまでにかかった時間は体感で約1分半ほど。残り時間は10分から11分といったところか。流石にそのくらいの時間があればこの屋上から奴が脱出するのも容易いことだろう。ならば鴈舵羅が起動するまでの間、奴をここに引き留めてなくてはならないし、現時点でそれができるのは私だけでさらに言うと、燈和がいては失敗に終わる可能性が非常に高い。それに失敗したら燈和を巻き込んで転移してしまうことも考えられる。すなわち、どう考えても私一人で行う必要があるのだ。

 だがこれを行えば当然私も奴と共にこの世界から消え失せることになるが…。



 これでいい…。これで良かったのだ…。



 私が生まれ持ったこの力はこの世界の摂理に反している。言ってしまえばこの世界に絶対に存在するべきではないものだったのだ。また、この世界に私が転生してしまったことで、本来生まれてくるはずだった本物の「村井鉄志」は消えて無くなってしまったということも考えられる。あるいは、私がその魂を食ってしまったとも。

 これらのことを考えれば、私という存在そのものがこの世界には決してあってはならなかったと捉えるのが妥当であるだろう。

 よって私がとるべき行動は一つ。今ここで、奴と共に、元いたあの懐かしの世界へと戻ろう。鴈舵羅の行き先は設置した時点で祖重≪そじゅう≫に設定してある。燈和の祖先が残した書物に書かれていたことが正しければ、これで間違いないはずである。ま、もし間違えがあったとしても私と奴をこの世界から消し去ることができればそれでいいのだがな。

 「鉄志君!?一体何を考えてるんですか!?答えてください!!鉄志君!!!!!」

 燈和の叫び声と扉を叩く音を背に、私は氷像から溢れ出る奴の元へと向かった。出てきた奴の体は一気にその他の部分を飲み込むようにして覆い、またしても形を変え始めた。

 今度は人間の姿ではない。高さは軽く2メートルは越え、頭部は歪曲した角を1対持つ牛のようになり、上半身は人間のものに近いが獣毛を生やしているのが見られる。下半身は大腿部までは人間のそれに近いがそこから下は蹄の付いた馬や牛に近いものとなっている。

 ミノタウルスか…。前世の世界においては力の象徴とされ、魔力を行使できない種族というくくりならば強さの頂点に君臨していた種族だ。

 わざわざこのミノタウルスになるということは、奴は私が魔力を使用するのに制限されていることにもう気付いているのだろうな。

 そして今の私は魔力を使い果たし、普遍的な人間としてしか戦うことができない。

下手したら死ぬ…か。

 ま、目的は奴を倒すことではない。可能な限り時間を稼ぎ、奴をこの世界から放り出すことだ。

 それに、私は既に一度死んでいる。言ってしまえば、今私が持っているのはおまけの命。ここで失ったところで、別に惜しくはない。

 「お前なら、こっちの言葉も理解できるだろう?」

 バル・フラント語か。懐かしい言葉だ。こちらの世界で聞くことができるとはな。

 「あぁ、もちろん分かるさ。何しろ、私はお前のいた世界では何百年もの間生きていたからな。正直、少し長生きしすぎた気もするがね。そしてなんの因果か知らないが、私はもう一度命を得、こうして第二の人生を歩んでいるというわけだよ。」

 会話を続けろ。時間を稼げ。出来るなら、戦闘に持ち込まれる前に奴をこの世界から葬るのだ。

 「何百年も生きていてなぜ人族の雌一匹の命にこだわる?お前よりもはるかに弱い下等生物が死んでいくのは数えきれないほど見てきただろう」

 「だからこそだよ。お前のような下等生物未満の存在には理解できないだろうがな。私は 多くの生物が全力で生き、そして死んでいくのをそれこそ無数に見てきた。野生生物であれ、社会生物であれ、その生きざまは非常に美しい。それを私利私欲のために壊そうとする者が私は単純に嫌いなのだ。ただそれだけのことだよ。」

 「ふんっ。弱い奴は強い奴に利用されて終わる。弱肉強食はここでも向こうでも変わらない。だが俺は違う。それで終わるわけにはいかない。俺は…俺を作った吸血鬼どもよりも強大な力を手に入れ、そして全てを支配してやる。それにはあの雌の持つ力が必要なのだ。そのために俺はこの世界へとやってきたのだ。」

 腕のGショックには目を向けてはいけない。時間を気にする素振りを見せれば、私が何かしらの仕掛けを施していることに奴は必ず気づく。

 「お前の境遇はよく知っているし、同情もする。そしてこの世界のこの国には『下剋上』という言葉も存在する通り、お前の言っていることも決して間違ってはいない。要はお前と私、どちらも正しくはあるが相反しているというだけのことだ。水と油はほとんど混じり合うことはない。戦争というのは常に何処の世界でもどちらも自分が正しいと思っているから生じるのだ。」

 体感では結構な時間が過ぎたようにも思えるが、鴈舵羅が起動する気配は感じられない。

 くそっ。もっとだ。 もっと話を繋げなくては。

 「それともう一つ。私とお前では決定的に違うところがある。」

 「…」

 ホルボロスは何も言わない。まだいけるな。

 「それはな、『情』だよ。作られた生物であるお前には無いもの…いや、前世の私も完全には持ち合わせていなかったものだ。以前の私であれば、自分以外の生物が、例え何かに殺されていったのだとしても、『またか』と少し嫌な気持ちになって少し時間が経てば忘れてしまう。美しいとは言ったものの、あの時のわたしにとっては命とはその程度のものであり、自身の命を張ってでも守るものではなかった。たとえそれが身近な命だったとしてもだ。だが今は違う。この世界で人間に生まれ、共に時間を過ごした燈和を…いや、燈和だけではない。廻を、転を、そして今も私のために戦ってくれる仲間達を失いたくないと思うこの感情だ。それがこの世界で私が彼女のことをお前から守る最大の理由だよ。」

 「そうか。ま、俺にはこの先全く必要の無いものだな。『俺に』というよりも、生物そのものにとって必要ないものだろうけどな。」

 そう言い捨てると、奴は固く握った拳を私に向かって振り下ろした。

 ドガァッ!!!

 すんでのところで回避すると、奴の拳は私が先程までいたところに小さなクレーターを作った。

 奴の攻撃を避けたところで時計のタイマーを一瞬で確認すると、まだ5分半も残っていた。こうなってしまっては、残りの時間、奴の攻撃に耐え続けなければならない。

 「お前の言う通りだよ。この『情』というのは生きていくということだけを考えれば完全に弱点と成りうる必要のないものだ。だが、完全なる生物を目指すならば、この『情』というものは必要不可欠なのだ。故に私は前世においては頂点に立つことは出来たものの、完全生物にはなりきれなかった。一度死んで決して頂点に立つことができない猿に生まれ変わってそれが分かるとは…悔やまれることだ。」

 「ふんっ。完全であれなんであれ、俺にとってどうでもいい。強いなら取り込んで俺の力にする。弱いなら放っておく。そして邪魔をするのであれば殺す。ただそれだけのことだ。」

今度は奴の拳が私の脇腹に直撃した。

 力を込めるのが一瞬遅れ、体内で内臓がブルブルと震えるのを感じる。そして消化器官の内部で何かが逆流し、私の口から出てきた。口に手を当てて見ると、真っ赤な血がベットリと着いていた。どうやらどこかの臓物が破裂してしまったらしい。

 くそっ。図体の割りにスピードが速すぎる。おまけに、今の私は魔力による認識の強化も出来ない。奴の動きを捉えるのすらも困難だ。

 「どうした?さっきまでの威勢は。何百年も生き、頂点に君臨した龍だろう?相応の戦闘をしてみせろ。」

 次は正面からストレートを打ってきた。今度は見えた。腕をクロスさせ、ガードを作り出す。が。

 ボキィッ…

 自分の耳でも分かるくらいの音がなった。前に出していた右腕の骨が思いっきり折れた音だ。こうなってしまっては、もうこの右腕は使い物にはならない。

 元々、魔力を使って痛覚を司る神経は切断してあったため痛みを感じることは無いのが幸いだな。…いや、この場合だと敢えて痛がったり苦しんだりする素振りをした方が時間を稼げるか?

 ゴガぁっ!!

 今度は右の側頭部に強い衝撃が走り、意識が一瞬飛んだ。

 すぐに我に返ったものの、視界はぐるぐると回っている。体全体からはひんやりとした感触を感じるが…そうか、私は今、うつ伏せに倒れている。これは冷えたコンクリートの感触か。

 それに、なんだこれは?顔から何か…ぶら下がって…いる?

 あぁ、そうか…。目玉が片方飛び出してしまったのか。道理で視界が狭くなったと。どちらのが飛び出したんだ?最早それすらも分からない。

 グシャアッ!!!!!

 今度は耳では聞こえなかったものの、下半身から伝わってくる振動でわかった。

 奴は全体重をかけ、私の左足を踏み砕いたのだ。恐らくは、脛の付近を。

 くそっ。立ち上がれない。足もそうだか、それよりもさっきの頭部のダメージが大きすぎる。平衡感覚が完全に失われてしまっているうえ、視界も定まらない。

 魔力を失った今の私など、全盛期の力と比べることすらも許されないレベルの無力さだ。現に、前世においては一瞬にして勝つことが出来たミノタウルスとの戦闘でさえこの有り様だ。こんな状態で、あと5分近くも持ちこたえることができるのか?

 その時、ふと燈和が言っていたことが頭をよぎった。


 『逆に言えば鉄志君は自分から強く攻めすぎなんですよ。少し落ち着いて、相手がどう動  くかを見計らって技を仕掛けに行くこともしないと。その戦い方は危険です。自分にとって不利な戦い方をするような相手では特に…』


 ふっ…。あの話、もっとちゃんと聞いておくべきだったな。

首を力強く握られる感触が走ると同時に、体が宙に浮いた。そして目を怪しく光らせる巨大な牛の頭部がすぐ目の前にまでやってきた。首を掴む力は非常に強く、まともに呼吸すらできない。このままでは息の根が止まる…。

 まだか?まだなのか?このままでは鴈舵羅が起動するより先に私の命が燃え尽きてしまう。

 その時、首を絞める力が弱まり、呼吸ができるまでになった。こいつ、わざと力を緩めたのか。

 「お前の負けは確定した。魔力を自由に使うこともできず、腕も足も折られたお前には最早俺を負かす術は残っていない。だがすぐには殺さん。これから残る全身の骨を一本一本へし折っていき、臓物の全てを引きずり出した後、最後に動けなくなったところで残った片目から愛しの雌が俺に食われるところを焼き付け、その後でとどめをさしてやる。どうだ?悔しいか?最強を誇った龍の末路が、散々見下してきた劣等種に殺されるとはな」

 ならばこちらとしても好都合だ。時間がかかればかかるほどこちらの策が通るわけだからな。

 「お…前に…とっ…て…勝ち…と…は…なん…だ…?」

 タコ殴りにされ潰れかけた声帯から声を絞りだして奴に質問を投げ掛けた。

 「あん?」

 「お…前は、私を死に…至ら…しめ…、自身が…生き残ることが…勝ち…だと…思っている…の…だろう…。そ…れが…殆どの…生物にとって…は…勝負を…判定する…唯一…の…材料…だからな。だが…、ある程度の…知能が…備わってくると…だな…、勝…負の…決着を…つける…材料は…何…も…一つ…だけでは…なくなって…くる…。私…が…死んだところで…、お前…の…勝ち…に…は…ならないん…だよ…。」

 「勝ち負けなんてものは勝って生き残った方が決める。これから死ぬお前に決めることなどできん」

 奴は口を少し開き、私の左の頬骨の辺りを噛むと、そのまま肉を引きちぎった。

 皮膚は頬から口元まで引きちぎられ、その傷からは新鮮な血液がボタボタと零れ落ち、下のコンクリートを赤く染めていった。

 「まずは全身の皮を剥いでやる。覚悟しておけよ。」

 ふっ…。頼むからゆっくりやってくれよ。

 私が死んだ時点で『勝った』と思っていれば、それは私にとっての勝利なのだ。鴈舵羅の起動さえ見届ければな。

 奴が血に濡れた口を再び開けた、その時だった。


 どぉん…


 私が閉じた金属製の扉を内側から叩く音が聞こえた。だが、ただ叩いているのではない。

 先ほど背後から聞いた、燈和が拳で叩いていたのとは明らかに違う。音がかなり重い。相当な力を加えなければあそこまでの音はならないはずだ。

 そして、また。


 どぉん…


 残った目玉を音のした方へと動かすと、2つ、大きく盛り上がった跡があるのが目に入った。

 あんな力、通常の人間が出せるものではない。燈和、その扉の向こうで、一体何をしている?

 そして…


 どおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんんんん!!!!!


 凄まじい轟音とともに鉄製の扉が吹っ飛んだ…。

 ガンッ…。

 外れた扉は私達のすぐ目の前に重たい音を鳴らして落ちてきた。落ちた箇所のコンクリートは少し削れている。ここから向こうの出口までだと、ざっと8メートル程はあるか?

 そして、扉の外れた出入口に立っていたのは、確かに…確かに燈和ではあるが、その外見は…あれはっ!!!

 髪は光沢のある銀色で、薄く光を発しており、それがなびくたびに白い光の粒子を夜の闇に散らしている。肌の色も普段のそれとは違い薄く白みがかった色だ。

また光を発しているのは髪だけではない。その二つの瞳も赤く怪しい光を放っている。

 口の隙間から見えるその前歯は一対の犬歯が異様に長く延びており、口すぐ下にまで達している。

 一番注目すべきはその頭部。眉毛の少し上から、人間が持っているはずのない一対の青白い色をした角が天へと向かって突き出ていた。長さは大体30センチほどと言ったところか?

 そして、額や手の甲などには何やら得体の知れない赤紫色の紋章のような模様が浮き出ている。

 その姿…見覚えがあるぞっ!!!

 私がこの世界に生まれる前、向こうの世界での最後、私の生に終止符を打ったあの種族の姿だ!!

 どうやら私は一つ、勘違いをしていたようだ。先程、ホルボロスに向かい、前世において私が情を備えていれば完全生物になれたと言ったが、それは大きな間違いだ。

 戦って倒した者に敬意を示し、供養するような情を持ち、どの世界の種族も考え付かないような道具や武器を作り出し、前世の私を圧倒する力を持っているあの種族こそが、今私の目の前にいる種族こそが、疑う余地もない、完全生物だったのだ。

 もう一つ、勘違いをしていたことがある。その完全生物は、人間との交配を重ね、その力が失われていったとばかりに思っていたが、違った。失われたのではない。遺伝子の奥深くに封じられ、眠っていたのだ。

 何ということだ。燈和の私に対する思いが、執着が、彼女の奥深くに眠る祖先の血を再び呼び覚ましたのだ。

 燈和は何も言わず、こちらに近づいてくる。音もなく、ゆっくりと、薄ら笑いを浮かべながら。視線は私にしっかりと向いている。何だ?一体、何を考えている?

 「ふんっ、ちょうどいい。順番を変えよう。まずはあの雌を食う。その後であの雌の姿でお前を殺してやろう。」

 そう言い捨てると、奴は私を地面へ思い切り叩きつけた。その衝撃で、ぶら下がっていた目玉が体から離れ、地面へと落ちた。

ぶちんっ…。

 おまけに、私の取れた目玉を踏みつけて行きやがった。本当にやりたい放題だな。全く。

重たい足音が少しずつ遠退いていく。顔を上げ、狭くなり乱れる視界で可能な限り様子を確認した。

 見た目こそ変わっているものの、燈和の体格等には変化は見られない。ミノタウルスに化けているホルボロスとは実に倍近い身長差があった。

 「と…うわ…。相手に…す…るな。がん…だら…に…まきこ…まれ…ちまう…。」

 精一杯頑張ってはみたが、声は囁く程度しか出ず、当然燈和には届かない。

 その間にも、奴と燈和との距離は縮まっていった。

 そして両者の距離が1メートルを切ったところで、奴が燈和に向かって右手を伸ばした。頭部を掴むつもりだ。ミノタウルスの腕はかなり長い。その距離では逆に燈和の手は奴には届かない。燈和、避けろ!!避けるんだ!!

 だがそれと合わせるように、燈和は左手を伸ばした。恐らく、伸ばしてきた手を左手で弾くと同時に右手でその手首を掴むという私がいつも見てきた燈和の捌き方を行うのだろうと思ったが、ここからは少し違った。

 ぐしゃあっ!!!

 燈和の左手は奴の手を弾くことはなく、握り潰してしまったのだ。細かい肉片となった奴の右手は地面へと散らばり、その断面からは赤黒い血が噴水のように吹き出し、燈和の体を汚していった。ミノタウルスの手は完全に広げれば人間の頭部を軽く覆ってしまうくらいはあるのだが…、それをいとも簡単に握り潰すとは。

 「ぐぅぅ…」

 奴は痛みに悶え動きを止めた。そして燈和はそのまま手首から先を失った右腕を掴むと、その巨体を片手でいとも簡単に自分の頭上まで持ち上げ、そのまま軽々と地面へと振り下ろした。

 ドガァッ…!!!

 奴の体が地面へと叩きつけられると、そこを中心にクレーターができた。

 続けて燈和は右足を高々と上げ、そのまま倒れている奴の頭部に向かってその踵を振り下ろした。

 バァァァン…!!!

 燈和の踵が当たると同時に爆発音に似た音が響き渡り、奴の頭部は破裂し、そのまま燈和の踵が地面へと達すると、そこにさらに小さなクレーターを作った。

 頭部を失った奴は変身が解除され、また元の泥状の体へと戻った。

 まずいな…。今の状態で奴が燈和を取り込んでしまえば、そこでお仕舞いだ。燈和は死に、奴は今の燈和が持つ最強の力を手に入れてしまう。

 こんな時に限って、私の体は動かない。動かすことができない。燈和を守ることができない!

 くそっ…!!動け…!!動けよぉ…!!

 ホルボロスの体が盛り上がり、燈和を包み込むかのように広がって覆い被さろうとしている。

 駄目だ…。この距離では間に合わない…。ここで終わるのか…。

 が、私の心配は杞憂に終わった。

 燈和を包み込もうと広がったホルボロスの体は弧を描いたまま動かなくなった。

 必死に燈和を取り込もうとしているのか、全体がぶるぶると震え始めたが、何らかの見えない力に阻まれているのかそれ以上燈和に近づくことはできず、そのままの形でいる。

 そして、少しずつ押し返されるように燈和と奴の間の距離が次第に開いていき、そして。

 バァンッ…!!!

 ホロボロスの体は突如破裂し、その断片が細かく飛び散った。

 燈和は何事もなかったかのように薄ら笑いを浮かべながら私に近づいてくる。

 そして、倒れている私のすぐ目の前にまでくると、私の両頬を手で掴み、そのまま私の体を持ち上げた。

 私の目の前に燈和の顔が現れた。その目は赤く怪しく光り、瞳孔は昼間の猫のように細くなっている。しかしながら、その眼差しは優しさに溢れている。形は違えど、それはいつもの、隣でそっと私を見ているときの眼差しだ。

 「と…うわ…。はや…く…」

 この場から離れろと言おうとした、そのときだった。

 「んむっ!?」

 口を塞がれた。それと同時に唇からは生暖かく湿った感触が伝わってきた。

 生まれて初めての感触。鼻と鼻の側面が僅かに触れ、視界には燈和の閉じられた瞼だけが映し出された。

 普通の人間の口づけと唯一違うところは、私の顎に燈和の口から出た犬歯が当たっているということ。

 「てつしくん…」

 燈和の唇が私から離れると、彼女は優しく微笑みながら言った。

 その笑顔は何の濁りもない純粋過ぎるものであり、この状況下では薄ら気味の悪さまで感じることができる。

 が、そんなことよりももっと重大なことが私に起こっていることに気付かされた。

 感じる…。燈和の中にあった力が、私の中へと流れ込んできたのだ。私の持つ魔力などとは比べものにならないほどの凄まじい力だ。そして分かる…。今、私はこれらの力を自由に使役できるのだと。

 抉れた皮膚を、砕かれた骨を、無くなった目玉を、破裂した内臓を瞬時に再生させた。生物学的な機序ではない。無から有を作り出す、この世界の法則に反する力だ。

 感じる…。私の脳のリミッターが今、解除されているのを。そして分かる…。私の中に、転生により大部分が失われたかと思われていた、前世で持っていた量に匹敵する莫大な魔力が体内に現れているのを。

私の体内で混じり合うこの2種類の莫大なこの力さえあれば、この世界の法則など簡単に打ち破ることができる!!! ならば!!!

 Gショックを確認すると、残り時間はちょうど2分を切ったところだった。

 奴の方へと目を移すと、散らばった断片が集まり元に戻りかけている。私は腕につけてあるGショックを外すと、奴に向かって放り投げ、そして言い放った。燈和にもちゃんと聞こえるように、日本語で。

「やるよ。素晴らしき異世界転移への餞別だ。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ