4話 英雄に湧く都
王都に密入都して数日。
クロとロミは用水路で暮らしていた。
正確には、用水路の出口にかつてロミが作った家にだ。家を作ったと言ってもベッドと机を拾ってきて置いただけのシンプルなものだ。
入ったところとは別の、王都の南西地区の近くにある現在は使われていない用水路。溜まった雨水を王都外に排出するためのものなので、出口がそのまま壁の穴となっている。ここからは王都の外がよく見える。
なぜロミはこんなところに暮らしているのか。地上で家を借りなかったのか。
曰く、
「泊めてくんないから、人間の宿には」
冒険者パーティを追放されてから奴隷になるまでの間、貯金が尽きるまではここで暮らしていたのだという。毎日、何をするわけでもなく、ぼんやりと外を眺めて、夜が来たら眠る。それだけの日々だった。
「まさかここに帰ってくるなんてね」
「悪いことしたな。辛かった場所に戻らせて」
「いや、全然。そんなことないよ。ただなんか変な気持ち。変なの」
これはクロの記憶を取り戻すための旅だ。つまりロミが付いてくる理由なんてない。王都の場所を教えたらそれでサヨナラしてもよかったのだ。
しかしロミはクロに同行している。「私にも目的がないから」というのが本人の説明だ。
「それにしても、情報全ッ然集まんないね。だいたい何なの、あの町の盛り上がり。英雄召喚ってなに」
不貞腐れたロミがベッドにダイブする。少し離れたところにある自分のベッドへとクロも腰を下ろす。王都に来てからというもの、2人はクロの手がかりとなりそうな情報を探していた。だが広場の行方不明者情報にクロらしき少年は掲載されてないし、都民たちはそんなことに関心を持ってる場合ではなかった。
「英雄召喚の情報だけはたくさん集まったんだがな」
「ほんとよ!王国を救う英雄が異世界より召喚された。彼らはいずれ憎き悪を滅ぼすだろう。なんて、ほんとなのかしら」
そう言いながらロミはメモ帳を開く。何か有力な情報はないかと一応用意したのだが、集まったのは英雄召喚に関するものばかりだった。
数日前、王城内において英雄召喚の儀が行われた。宮廷魔術師が総力を結集し、異世界より英雄を召喚するという儀式だ。英雄は人知を超えた力を持つとされ、その力によってこの国に平和と繁栄をもたらすのだという。ただし、前例は神話上にのみあるだけ。しかも結果の記述なし。
「その英雄召喚が成功したっていうから。王都はずっとお祭り騒ぎ。今でもまだ昼も夜もない」
「みんなテンション上がってて話聞こうにも聞けねえしな」
現国王は数百年続く帝国との戦争に終止符を打ちたかった。肖像画でしか顔を見たことのない自分の先祖の尻拭いをなんでせにゃならんのか。疲弊する国と傷つく民をこれ以上みていられないとついに神話の伝説にまで縋り付いた。
「私たちが着いてからずっと。最初下水から出たとき何事かと思ったもの」
「よりにもよって広場に出ちまったもんな。騒ぎの中心だ」
下水道から出てきた黒髪黒目と獣人に、群衆は目もくれず、ひたすら城に向かって英雄英雄と叫び続けていた。クロは空恐ろしさすら感じ、嫌でも耳に入ってくる英雄様についての情報を聞きながらクロたちは急いでロミの隠れ家へと向かったのだった。
「2、3日すれば祭りもおさまるかと思ったんだが」
「おさまるどころか上昇してるわね。どうしようかしら」
「遊ぶしかねえな」
「…えぇ?」
思わずベットから上半身を起こすロミ。真面目な話し合いをしたかったらしく、顔には若干の呆れが浮かんでいる。今日は起きてから何もしていない。なにせここにいても耳をすませば群衆の声が聞こえてくるのだ。もはや聞き取りに挑戦する気力も失われてしまった。どちらも、何かいう訳でもなく、もうすぐ昼になろうかとしている。
「遊ぶって……、まあ何もしないよりましだけど」
「だろ?ここで寝ててもしょうがねえし」
「あっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
用水路は王都中に張り巡らされており、遡って行けば街のどこかに出る。中心街は人があふれているし、2人はメインストリートから外れた地区に顔を出した。
「まだ静かだな」
近くのはしごを登りつつクロが言う。黒髪黒目は忌み嫌われると散々言われていたのに、何も隠していない。ちなみにロミは帽子をしていた。耳が隠れるようにだ。
「ねえ、少しくらい隠した方がいいと思うよ」
「髪か?」
「髪…髪は隠しきれないから、目の方かな。サングラス買ってくるね」
「頼むよ」
「あれ、サングラスは知ってるんだ」
「目にかけて日差しよけるやつだろ」
「うーん、部分的に正解?言われてみればそういう機能もあるかもしれないけど、でもサングラスはおしゃれアイテムだよ?」
そう言ってほほ笑んだロミは、メインストリートの方へと向かう。これだけ店が出てるんだ、サングラスの1つでも売ってるだろう。クロはしばらく路地裏で待機となった。
クロがゴミ箱に腰かけ人の往来をぼんやり眺めていると、
「よっこらっしょ」
隣に誰か座った。
「………………………………、いかついなあんた」
クロの隣にいる男の肉体は引き締まっていた。オールバックの濃紺の髪にやや灰色がかった瞳。背はクロよりも1回り以上大きい。ただ肉体のスマートさより目立つのは羽織ったコートに付けられた勲章の数だった。
「いかついんだよ俺は。そんなことより、ここでなにしてる」
「祭り眺めてるだけだよ」
親し気な口調だが、全体から発せられるオーラはすさまじい。何よりクロは隣に座られるまでおっさんの接近に気が付かなかった。それがクロを警戒させた第一の理由だ。何がしたいのかさっぱりわからんが、下手に刺激するとヤバい。
「初めてか。ここに来るのは」
「ああ。しっかしすごい盛り上がりだな」
「こんなバカ騒ぎは俺も初めてだ。まあ、神話の英雄が召喚されたとくれば当然か。お前1人で来てるのか」
「いや、友達と。今買い物行ってるけど」
通りの往来を見ながらおっさんと会話を交わしていく。フレンドリーな口調だが、クロは警戒を崩さない。ただ、それはおっさんも同じだった。何の意図があって自分に接してきたのかはクロには分からなかった。
「人ごみは嫌いなんだよな」
おっさんがそう呟く。
「人が集まるとなあ、集団はめんどくせえんだよ。こっちは市民に下手に手出しできねえし」
「ふうん?」
「ちっくしょうが。あいつのくじ引きなんか引かなきゃよかったぜ。側近なんて楽なとこ就きやがって」
「なんか、大変だったんだな」
何の話をしているのかはクロにもわからなかったが、おっさんから怒気があふれ始めたので当たり障りのない返事をしておく。
「大変だよ。人は誰も大変なんだよ。お前さんも苦労したろ、そんな外見してると」
「あん?髪と目か?」
「……いやにあっけらかんとしてるな。まあ、それがお前さんに話しかけた理由だから、オープンなのは有難いんだが」
「別にどってことねえよ。痛くもかゆくもねえし」
やはり黒髪黒目は注目を集めてしまうらしい。早くグラサン買ってきてくれ、ロミ。
クロがあまりにも自分の外見を気にしてないことがわかったおっさんは
「お前はよくても、人は人を外見で判断するだろ」
「あー、それなんだが、俺記憶喪失なんですよね」
「あん?」
「自分が誰かの記憶がないんだよ」
路地裏に影が差した。今まで往来を眺めながら喋っていたおっさんがクロの顔を見据えた。
「本当か?」
「ああ」
「……、その服は?」
「服?あんたこの服について何か知ってんのか?これ誰が着る服なんだ?それがわかれば俺が誰かわかるかもしれないんだが」
クロが顔を上げておっさんを見据える。おっさんはまさかそんなリアクションが帰って来るとは思っていなかったのか、少し目の奥に迷いが生じたようだった。
「いや、珍しい服装だったから聞いただけだ。まあその、とにかくだ、お前、あまり目立つ真似はしないほうがいい」
「なんでだよ」
「王都がこんな状況だからだ。英雄が召喚されたことで、民衆が変な気を起こすかもしれん。それに、召喚パレードはここを通りはしないぞ。中央広場の方だ」
つまりどういうことだ、と聞こうとしたところで、
「あー、大将ー!こんなところにいらしたんですか!」
後ろの方から、若い女子の声が聞こえた。振り返ると、邪魔そうなバックを抱えて走ってくる。年はクロと変わらないくらいで、おっさんと同じ制服を着ている。部下だ。
「もう!トイレ行くって、こんなところまで!」
「いやーそれがあの辺のトイレ、全部埋まってたんだよ」
「見え透いた言い訳はやめてください!早く戻りましょう。もうすぐ時間なんですから」
年齢的にみてかなり立場に差があるはずなのだが、どう見てもおっさんのほうが尻に敷かれている。
「はいすいません。しっかり仕事させていただきます。じゃあな少年」
棒読みまるだしのいかついおっさんは、軽く手を振り俺に別れを告げた。
「お待たせー。サングラス、意外に売ってなかったよ。ごめんね、暇だった?」
「いや、おっさんと喋ってた」
「おっさん?もしかしてクロのこと知ってる人?」
「初対面だったけど……、俺よりも俺のこと知ってたのかもな」
「ふーん??この街の人?」
「あ、名前聞いてなかったな」
「ギレルモさん、誰だったんですか。あの変な服の子」
「黒髪黒目は忌み子。コルネットお前、由来知ってるか」
「え…、えっと、わかりません……」
「理由なんか教えられねえもんな。俺たちは親から村長からいつしか刷り込まれるんだ、黒髪黒目を嫌えという常識を」
「そうですね、いつの間にか。云われなんて…」
「あるんだよ、それが。あくまで異端の説だがな」
「え?」
「あー、しまった。あいつの名前聞いてなかったな」