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新訳・エジルと愉快な仲間  作者: ロッシ
第四章【創世記】
82/84

創世記

「すまない、ヨハン。本当にすまない。」


島に到着するや否や、フランツは脇目も触れずに真っ直ぐとヨハンの家へと向かった。

ヨハンは丁度、昼食で家へと戻っている時間だった。

食卓にはヨハンとその家族、そして昼食に招かれたダニーがついていた。

ヨハンに事の顛末を説明すると、フランツは崩れ落ちるようにヨハンの前に跪いた。

当初、ヨハンはすぐに理解が出来なかった様子だった。

しかしフランツの態度を見ているうちに、それが冗談や嘘の類いでは無いことを認めざるを得なくなっていった。

みるみるうちに表情は曇っていき、口に運ぼうとしていたスプーンは手から滑り落ちた。

ヨハンはよろめきながら椅子から立ち上がると、フランツの元へと歩み寄り、同じ様に跪いて、彼の顔をゆっくりと覗き込んだ。

フランツの顔は青を通り越え色を失い、燃え尽きたように真っ白だった。


「ねぇ、嘘だよね?」


ヨハンがフランツの肩を握り締めた。


「すまない。ヨハン、すまない。」


フランツは目を閉じたまま、ヨハンの顔を見ようとはしなかった。

フランツからしてみれば、とてもヨハンの顔を見られる精神状態ではなかったが、ヨハンからしてみれば、フランツが目を開こうとしない事は自分から逃げている事と同意に捉えられた。

そのフランツの態度が、ヨハンの心を奈落へと突き落とした。


「嘘だって言ってよ!」


フランツの肩を大きく揺すりながら、ヨハンは喉が裂ける程の叫び声を張り上げた。

ヨハンは勢い良く立ち上がると、出入り口に向かって駆け出した。

ほとんど錯乱状態のヨハンは木戸に激しくぶつかって背後に転倒するも、両親が駆け寄る間もなく再び立ち上がると、木戸を乱暴にこじ開けて外に飛び出して行った。


「ヨハン!」


急いでリヌスが後を追おうとしたが、ヨハンの姿は既にどこにも無かった。


「私が!」


息子を見失い狼狽するリヌスを尻目に、ダニーがヨハンと同じ様な勢いで飛び出して行った。








ヨハンは海へと続く畦道を走っていた。

村から入り江までは馬を飛ばしても一晩掛かる程に遠く離れている。

子供の足では数日は掛かる距離だ。

ましてや今のヨハンは動転しきっており、体力の調節など出来る状態ではなかった。

村から飛び出し、しばらく駆けた。

頭に血が昇っているだけに、疲れなど感じる事も無くがむしゃらに走り続けたものの、身体自体は彼の意思とは関係なく悲鳴を上げ始めた。

それどころか、まともに身体を動かす事も出来ない程に混乱していた。

それでもヨハンは走る事を止めなかった。

しかしそれも長くは続かなかった。

突如として呼吸が出来なくなり、足がもつれて倒れ込んだ。


「っあ!っあ!うぐっ!っあぁ!!」


ヨハンは苦しさの余りに喉を押さえ、地面を転げ回った。

苦しかった。

このまま死んでしまうのかとも思った。

しかしこの少年はそれでも諦めなかった。

息が出来ないまま、口からは大量の涎を垂れ流し、鼻水も涙も汗も何もかもで顔も服もをぐしゃぐしゃにしながらも、それでもこの少年は前へ進もうともがいた。


「ヨハン!」


そんなヨハンの元に、ダニーが駆け寄って来た。

前方を走るヨハンをずっと追い掛けて来ていたのだ。

ダニーは倒れ込んでもがき苦しむヨハンに抱き付くと、必死でその背中をさすった。


「っあ!っあぁ!っ!っ!っはっ!っは!

っはぁー!っはぁー!っはぁー!」


ダニーの手の動きに合わせるように、次第にヨハンの呼吸は整ってきて、何とか自然に息が出来るまでに回復していった。

頭に血が届かなくなったからだろうか。

ヨハン自身も呼吸と同じ様に次第に落ち着きを取り戻していった。


「ヨハン。」


ダニーがヨハンの顔を両手で包み込んだ。

ヨハンもダニーの事をしっかりと認識した様だった。


「っはぁー、っはぁー。」


ヨハンがダニーの服を掴んだ。


「ルイーダ、ルイーダ。」


その目からは大粒の涙が止めどなく流れた。


「ヨハン。」


ダニーはヨハンを抱き寄せた。


「ルイーダがぁー!ダニぃー!!

ルイーダがぁー!!

ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


ヨハンはダニーの身体を力一杯に抱き締めると、その胸に顔を埋めてむせび泣いた。


「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

ルイーダあぁぁぁぁぁぁぁぁーー!!」






日が傾き始めた。

それでもヨハンの悲しみは収まることはなかった。

泣いて、泣いて、また泣いた。

飽きるほど泣いて、それでもヨハンは泣いた。

ダニーはずっとヨハンを抱き締めて、ヨハンの悲しみを受け止め続けていた。


涙が涸れ、嗚咽の声も涸れた頃、ようやくヨハンはこの悲しみから逃れられない事を悟った。


ダニーもそれを感じ取り、優しくヨハンの名を呼んだ。


「ヨハン。」


「どうして?どうしてルイーダは俺を置いていってしまうの?」


ヨハンの瞼は真っ赤に腫れ上がり、鼻も口も様々な体液で荒れ果てていた。

その可愛らしい顔は見る影もなかった。

ダニーはヨハンの目をしっかり見つめると、その問いに答えた。


「仕方ないよ。」


その言葉はヨハンの心をズタズタに引き裂いた。

ヨハンはうなだれ、ダニーの胸に力無くもたれ掛かった。

ダニーはヨハンの頭を優しく撫でた後、その頭に頬を乗せた。



「ヨハン。私がずっと側にいてあげる。」



ヨハンが顔を上げた。

ダニーはその顔を見つめた。


ヨハンの瞳に炎が見えた。

炎は奥底で揺らめいているだけだったが、次第に大きく燃え盛り、渦を巻いて昇り始めた。

高く高く昇り、そして爆発する様に輝きを解き放つと、それはダニーを包み込んだ。



ダニーの中で、何かが焼き切れるのが分かった。













・・・・・数年後。


ヨハンの村は著しい発展を遂げていた。

次々と人が集まり、村だったその場所は、今や街と言えるほどに大きく膨れあがっていた。


当初、ヨハンの思い描いていたインフラ設備は、この数年でほぼ完備された。

道は全て石畳に舗装され、街中に清らかな水を湛えた上下水道が張り巡らされていた。

水道だけではない。

街が大きくなるにつれて大小の運河も引かれ、人々は小さな船に乗って往来を行き来するようになった。

また、水道を利用した水車による動力源の確保。人々の娯楽の一つにもなった入浴施設や目を楽しませる芸術的な噴水。

水は様々な分野で街に恩恵をもたらした。

いつしかこの街は世界中から、

【水の都】

と呼ばれるようになっていた。



ある旅人が水の都を訪れた。

その日、水の都は街全体が浮き足だっているかの様だった。

家々には炎を模した旗が掲げられ、街中のあらゆる通りに人がごった返していた。

朝からパレードが行われ、色とりどりの山車や華やかに着飾った踊り子や楽団達が街を練り歩いた。

人々は笑顔に満ち溢れ、誰もが今日と言う日を祝っていた。

旅人は正門から街に入ると、パレードについて歩いた。

街の中心に向け放射状に引かれた八つの大通りを、パレードが進んでいく。

その全てが、ある一点だけを目指していた。

旅人はパレードのその先に目を向けた。


そこには、それはそれは巨大な城が鎮座ましましていた。



鐘が鳴った。

何度も何度も。

鐘は今と言う時が来たのを告げていた。

それと同時に、街中のあらゆる人間が、城に向けて跪いた。

この日の為に城は中庭を開放していた。

旅人は中庭に辿り着くと、皆に倣い、城に向かって深々と跪いた。


城の扉が開放された。

広いロビーの奥には、豪奢な階段が見えた。

旅人はその階段の先に思いを馳せた。

階段を昇ると、その先には毛足の長い赤い絨毯が敷かれ、更に進めばそこには人の数倍はあろう巨大な扉。

扉は開け放たれ、中には正装に身を固めた人々が居並ぶ。

人々の視線は、その部屋の最も奥にそびえる白銀の祭壇に注がれていた。


祭壇には痩せ細った男が立っていた。

その男の前に、一人の少年が歩み出た。

少年は男の前に立て膝を付いて跪いた。

男は少年の両肩に順に剣をあてがうと、その剣を水平に持ち直し、少年の手に授けた。

少年は剣を受け取り、深々と頭を垂れた。

その頭の上に、男は白銀の王冠を乗せ、そして今度は男が少年の前に跪いた。


少年はゆっくりと立ち上がると、人々の方へと振り返った。



「ヨハン王の誕生だ!」



祭壇の脇に立ち、大剣を垂直に構えていた灰色の髪の男が声を張り上げた。


それと同時に、人々は一斉に歓声を上げた。

歓声は玉座の間からロビーに伝わり、中庭を通り、城を囲む群衆に伝わった。

歓声を聞いた人々は次々と声を上げた、その声は街中を波の様に伝わっていった。


城は、街は、人々の歓喜の声で震えた。



祭壇が取り払われると、その背後には二つの玉座が現れた。


ヨハンの元に、純白のドレスに身を包んだダニーが歩み寄った。


ヨハンは彼女の手を取り玉座へ進むと、向かって右の小さな玉座にダニーを座らせた。

そして自らが父リヌスから受けたのと同じ様に、白銀に輝くティアラをその頭に静かに乗せた。


またしても、人々から歓声が上がった。


ヨハンは歓声に包まれながら、左の大きな玉座の前に進むと、ゆっくりと腰を落とした。


歓声と同時に、華々しいラッパの音が響き渡り、誰からともなくヨハンを讃える歌を唄い始めた。

歓声と同じ様に歌は街中に広がってゆき、その歌はこの国の王を讃える歌として後世に伝わっていく事となったのだった。




戴冠の儀が終わり、祝宴が行われた。

街全体が踊り、唄い、そして食べて飲んだ。

人々の顔には笑顔が満ち溢れ、ここに住まう全ての人に幸せの時が訪れた。


玉座の間にも大きな円卓が用意され、様々なご馳走が並べられた。

国王夫妻を取り囲み、昔からの仲間達が二人を祝福した。

ヨハンの父、母、兄弟、パオロ、マルコ、ヴァネッサ、ジュリア、アンナマリア、フランチェスカ、ラナ。

そしてフランツ。

ヨハンに尽くしてきた人々は、今や国の中枢を担う人物達だった。

ヨハンは立ち上がり、彼らに労いの言葉を投げ掛けると頭を下げた。

その姿に、皆が感極まって涙した。

そんな功労者達の一人一人の杯にヨハンとダニーは酒を注いで歩き、それぞれと楽しい会話を交わした。

全員の苦労はヨハンの苦労と同じだ。

彼らの働き無くして、あの小さな村がここまで大きな国として大成することはあり得なかった。

ヨハンは王として振る舞わねばならないが、それでも気持ちは昔のままだ。

楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、宴は幕を下ろした。






その日の夜、フランツはヨハンの寝室を訪れた。

扉を叩いたが、部屋に主の姿は無かった。

代わりに出迎えたのはダニーだった。


ダニーは美しく成長した。

子供の頃こそお世辞にも美人とは言い難い少女であったが、と言っても、今でもまだ年齢的には少女ではある。

しかし、この数年で見違える程に美しく成長を遂げたのは確かだ。


「今日はお疲れだったな。」


「フランツも大役お疲れ様!」


この少女の大きな声も、愛嬌に満ち溢れた笑顔も、幼い頃から何も変わっていなかった。

この少女はフランツにとって娘にも等しい存在だ。

二人きりでこの集落に訪れ、村人達の力は借りたとしても、見知らぬ土地で生きていくには二人の絆は無くてはならないものだったのは間違いない。

その娘が、今はこうして一人の男性に嫁ぎ、更にはこの国の王妃にまでなった。

これが感慨深いと言わずに何と言えようか。


「久し振りに、いいか?」


「もっちろん!」


ダニーはちょこちょことした動きでフランツの元にすり寄ると、可愛らしい仕草で首を傾げた。

その頭を、フランツは優しい手付きでゆっくりと撫でた。


「こんなこと、王妃様にはもう二度と出来ないな。」


「いいじゃん!たまには内緒でさ!」


「はっはっはっ。嬉しい事を。」


フランツは栗色の細い髪をくしゃくしゃと揉みしだいた。


「ねぇ、フランツ。ヨハンに会いに来たの?」


ダニーは髪を掻き上げながら、真顔に戻った。


「ああ。」


それに合わせて、フランツの声のトーンも低くなった。


「ヨハンなら、きっといつものところだよ。」


「そうか。あそこか。」


きっとダニー以外の人間なら気付く事はなかっただろう。

フランツの表情がほんの微かに曇るのをダニーは見逃さなかった。


「私も行っていい!?」


そんなフランツの事を気遣い、ダニーはいつにも増して明るく振る舞った。


寝室を出ると、護衛の兵が同行を申し出たが、二人はそれを断ると連れ立って通路を歩いた。

ヨハンの寝室は城の最も高い場所に位置しており、二人は飽きるほど階段を降りてようやく地上に辿り着いた。

ロビーに降りると、階段の裏手へと回り込み、正門とは反対側へと向かった。

階段に隠れた裏口を抜けると、そこには裏庭が広がっていた。


それは国王の城の庭とは思えない程に荒れ果てていた。

否、手入れをしていないと言うべきか。

うっそうと下草が生い茂り、背の高い木々が視界を遮った。

扉を通り抜け、数段の低い階段を降りると、そこはもう森の中だった。

その夜は、月がとても大きい夜だった。

一歩踏み出すと、足元のリンドウの花が淡い光を放った。

もう一歩踏み出すと、また違うリンドウが光を放つ。

フランツとダニーが迷わないように、二人を導いているかの様だった。

畦道を進み木々の間を通り抜けた時、突然視界が開けたかと思うと、目の前には巨大なドーム状の温室が現れた。

ドームの中は外界と打って変わり、色とりどりの光を放つ短い下草だけが繁っていた。

その中央。

月の光に照らされて、静かに佇むのは、みすぼらしい小さな小屋だった。


フランツ達が歩を進める度に、草むらから朧げな光を纏った羽虫達が舞い上がっては消えていく。

フランツとダニーは小屋の前に立つと、小さな木戸を軽く叩いた。


「開いてるよ。」


中から少し低い、鼻に掛かったような声が聞こえた。

フランツはゆっくりと木戸を押し開けた。


小屋の中は手狭ながらも、裏庭に広がる森とは異世界の如く、綺麗に手入れが行き届いた、清潔感溢れる空間だった。

何の匂いかも分からないが、仄かに香る甘い匂いが鼻をくすぐった。


一間しかないその部屋には、小さな釜戸。

一人用のベッド。

オーク材とおぼしき衣装ダンス。

そして、中央には小綺麗なテーブルとイス。

イスは三つ置かれ、一つには少年が腰掛けていた。


それは、以前と何の変わりもない、紛れもなくルイーダの小屋そのものだった。


「やはりここだったか。」


フランツは少年に声を掛けた。

少年は二人に視線を向ける事は無く、ただただテーブルに置かれた蝋燭の火だけを見つめながら口を開いた。


「さぁ、お茶をどうぞ」


少年は二人に席につくよう、仕草で促してから、小慣れた手付きでティーポットからカップにお茶を注いだ。


二人はヨハンを挟むように席についた。


「初めて出会った時、お茶を貰ったんだ。」


ヨハンは高価とは程遠いが、綺麗に絵付けされた陶器のカップを二人に差し出した。


「あとビスケットも。」


テーブルの上のバスケットから、子供の拳程もある大きなビスケットを取り上げると、器用に三つに割って、それをフランツとダニーに手渡した。


「こんな美味しいもの、生まれて初めて食べたんだ。こうやってさ、お茶に浸して食べると本当に美味しくてさ。」


三等分にされたビスケットにお茶を吸わせると、ヨハンはそれをゆっくりと口に運んだ。

フランツもダニーも、何も言わずにビスケットを口に運んだ。


「行こう。」


ヨハンが呟いた。




ここはルイーダの小屋だった。

そう、正確にルイーダの小屋だ。

移設したり、レプリカを造り直したわけでもない。

この城自体が、ルイーダの小屋を中心に、ルイーダの小屋を守る為に建てられたのだ。



「本当に行くの?」


ダニーが静かな口調で尋ねた。

そこには否定も肯定も感じられない。

言葉そのものの意味を持っているように感じ取られた。


「うん。」


ヨハンは椅子の背もたれに身体を預けると、腹の上で手を組んでから、静かに目を閉じた。


「ずっとこの日を待っていたんだ。総てはこの日の為だもの。」


「・・・・そうだね。」


ダニーは呟いた。


「フランツ、状況は?」


「ついさっきだ。一昨日からギルドの街に北方の蛮国が侵攻を開始したという報告が入った。」


「そっか。」


ヨハンは鼻から息を深く吸った。


「ほら。全て予定通りじゃないか。うちの船団は?」


「現段階で百隻。」


「出向準備は?」


「一週間。」


「兵は?」


「二万。」


ヨハンはにっこりと微笑んだ。


「そして今日、俺が王になった事で、この島は正式に国になった。

国家として、中立地帯への侵略は放ってはおけないから軍事介入する。

あっちの大陸に気兼ね無く、軋轢無く兵力を送り込めるし、俺も王として出兵出来る。

最終的にはこの戦乱に乗じてギルドの街を俺の庇護下に収める。


そしたらさ、そしたら。

ルイーダを探せるじゃん。」



その瞳の奥には、真っ黒い炎が燃え上がっていた。

フランツが、この少年が幼い頃より幾度と無く感じ取ってきた威圧感の正体。

それこそがヨハンが生まれながらにして宿した炎だった。


(生まれながらの王、か。)



ヨハンは大きく成長した。

背丈ももはやフランツと肩を並べる程になり、戦士としての鍛練も重ね、華奢だった身体も厚みを増した。

幼き日のあどけない面影は鳴りを潜め、今や大人への入り口に立とうとしている。

しかし、そんなヨハンもこうやってフランツやダニーと話している時だけは子供の頃のままの笑顔で浮かべる。

だからこそ、フランツには恐怖する瞬間があった。


「ヨハン、その事なんだが・・・・。」


「ねぇ、フランツ。

今更、反対なんてしないよね?」


フランツの言葉を遮ったヨハンの瞳の奥の炎が、一際大きく揺らめくのが分かった。


「フランツ。

俺は何年も待ったんだ。フランツの言葉をちゃんと守ったんだ。

今更、反対なんて、しないよね?」



無論、フランツだって忘れはしなかった。

泣きじゃくり、ルイーダを探しに行くと聞かないヨハンを懸命になだめた時の事を。


「ヨハン。君は今やこの集落には無くてはならない人間だ。ルイーダはいつ見付かるかも分からない、君がいつ戻られるのかも分からない。

君がいなくなれば、この集落は指導者を失う。

君が大陸に渡ってルイーダを探してはいけない。

他の人間も送り込んではならない。

それは君や僕の都合であって、他人の生活を犠牲にしていいものではない。

今後、君が大きくなる為には皆の不信感を買ってはならない。

もし、人を送り込むのなら、それには全うな理由が必要だ。

まずは僕達が大きくなるんだ。

そして機を見るんだ。」



その言葉に従い、ヨハンは村を街に、街を都に、この島を国家へと育てあげた。

そして今、多量の兵を大陸に進行させる大義名分を手に入れた。

ヨハンの望みを叶える機が、ようやく訪れたのだ。


「・・・・。」


フランツは何も言う事が出来なかった。

ヨハンの望みはフランツも十二分に理解していた。

しかしながら北の帝国とぶつかり合えば、多数の民に犠牲が出るのは火を見るより明らか。

王の望みの為に、民に戦火の苦しみを強いる事になる。

それが是では無いこともまた、フランツは十二分に理解していた。

それでも、フランツはヨハンに掛ける言葉を失ってしまった。


ヨハンは確かに生まれながらの王だ。

しかし、炎は何を燃やすかによってその色を変える。

ヨハンが明君となるか、暗君となるか。

ここから先の命運は、宰相であるフランツの肩に掛かっている。

フランツはこの時、それを強く自覚した。




「ヨハン。」


ダニーが静かにヨハンの手を握った。


「私はどうしたらいい?」


「お前は残るんだ。」


フランツが口を挟んだ。


「いや。」


しかし、ヨハンがそれを制止した。


「ダニー。側にいて欲しい。」


「ヨハン!」


フランツにとっても、ダニーにとってもその言葉は意外でしかなかった。

何故なら、ヨハンにとってのダニーとは・・・。


「うん。分かった。」 


ダニーは頷いた。










百の戦艦が島を旅立った。


ちっぽけな村の小さな少年と、


ちっぽけな森の魔女の、


ちっぽけな出会い。


その出会いが世界を変えた。



それは今から五百年前。



この世界に歴史が刻まれた創生の物語。





つづく。

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