魔女
「まったく、勝手に決めちまいやがって。どうするんだよ?」
フランツは皿に乗った大きな海老をナイフで切り刻みながら言った。
「勝手にじゃないじゃん。ちゃんと全部の企画書を見た上で決めたんでしょーよ。」
ルイーダが小粒のジャガイモをフォークで刺して口に運んだ。
「いやそうじゃなくて、他にももっと条件の良い企画書があったのに、あそこに決めちまったことを言ってるんだよ。」
「条件はいいでしょ?コスト面ではけっこう浮いたと思いますけどぉー?」
「コストはそうだが、日程だよ!日程!あの業者、人が少なすぎだろ!他の業者の倍以上掛かるじゃないか!その間の航海はどうするんだよ!」
「いいじゃん。ギルドで船を借りれば。」
「そしたら船を造るコストは抑えられても、別のコストが掛かるじゃないか。結局は時間だけ掛かって費用は同じだろう。
ヨハンはどう思うかな!?」
二人は宿の近くにある街の食堂で食事を摂りながら、そんな会話を交わしていた。
「そーですけどぉー。でもよく考えてごらんよ。世界最速の船だよぉー。そんなもん、世界中のどこを探してもヨハンの村しか持ってないんだよぉ。そんなんヨハンだってきっと大喜びでしょ。」
「大体だな、実際はキャラベルくらいでいいんだよ。なんでいきなりガレオンなんだよ!そんな大きな船、今の村にはまだ必要ないと思うけどな。」
「ん?誰もガレオン造るなんて言ってないじゃん。もちろんキャラベルか大きくてもキャラックだよ。」
「は?あの設計図のガレオンを造るんじゃないのか?」
「そんなわけないでしょー。でもあの発想が出来る職人なら、小型船でも相当に尖ったやつを造ると思うんだよねぇ。おねーさんはねぇ、あのセンスを買ったんだよ。」
「そういうことか。なら納得だ。キャラベルなら見積りの半分の日程で済むだろうから、コスト的にも大満足だな。」
「だしょ?だしょぉー?私だってこう見えてもちゃんと考えてるんだよねぇ。意外でしょ?」
ルイーダはコロコロと笑った。
口からキャベツの炒め物を飛ばしながら。
「まぁ、君の事を信用してるのはしてるんだが、そのなんだ、やっぱり言葉足らずと言うかな。今いち分かりにくいのは確かなのは認めるよ。」
「それヨハンにも言われたぁ。」
「自覚症状ありかよ。」
「ごめん!めんどくさくって。」
「真顔で言うことじゃないんですが。」
ルイーダが他人と関わる事を避けていた要因のひとつがここにある。
ルイーダは飛び抜けて賢い存在だ。
遥か先までの見通しが出来ている分、言葉が省略されがちになる。
だからこそ他人と会話が成立しない面が非常に多いのだ。
言いたい事の半分も伝わらず、だからこそ人は彼女に恐怖心を抱く。
常に説明をしなければならない彼女は次第に話す事が億劫になる。
そんな負の循環の積み重ねによって、彼女の孤立は生まれていった。
人々が彼女の水準に追い付き始め、ヨハンのように彼女を理解しようとする人間が現れた事が彼女にとっての何よりの救いになった。
でなければ、このルイーダという女性は感情も記憶も全て失った生きる屍と化していただろう。
そういう意味ではヨハンがルイーダを求めたと同様に、ルイーダもヨハンを求めていたのだろう。
フォークに刺さった添え物のピクルスを眺めながら、ルイーダはヨハンの顔を思い出していた。
「さて、じゃあ船の話しはここまでにしてだ。」
「をっ!またトレード場でお買い物かな?」
「買い物はするがキンキラとかフサフサじゃないからな。さっき言ってたが、まぁ船はギルドで借りるとして、クルーをどうするかってとこだね。流石に積み荷を乗せた船を二人では操りきれないからね。人を雇いたいところだけど、造船でかなりの予算を使ってるし、正直そっちにはあまり手が回らないんだ。」
「あー、それねぇ。」
ルイーダは皿に目を落としたままニヤついた笑みを浮かべた。
「また何か考えがあるのかい?」
「んー、ある。」
「勿体ぶらずに教えてくれよ。」
「簡単に言うとねぇ、人を雇わなければいいのよねぇ。」
「人を雇わない。・・・・いやそれ全然簡単じゃないな。むしろ難しい。どういう意味だい?」
「人手は欲しいけど予算を割きたくなければ、コストの掛かる人を雇わなければいいじゃん!って事よ。分かる?」
「コストの掛からない人なんているわけないだろう!」
「いるよぉ。利害が一致すればいいんだもん。」
「利害の一致?僕達以外に島に渡りたい人を船に乗せるって事かい?」
「をー、来たね来たねぇ。その通り。」
「いや、そんな人はそうそういないだろ。第一、いたとして、そいつが船を操れるとは限らないし、素人に船を扱わせて万一が起きたらどうするんだよ。」
「教えればいいじゃん。」
「教えるって、ただ島に渡りたいだけの奴に教えたって、覚えようとしないだろ、」
「覚える気のある人を探すの。」
「途方もないな!」
「んもー、理解遅いなぁ。
つまりね、船の扱いを覚えてですら島に渡りたい人を探せばいいんでしょ?そんでもって更に報酬も要らない人。何なら島に渡る事自体が報酬に当たる人。そんなの移住したい人に決まってんでしょぉー。」
「あ、なるほど。しかしなぁ、あの島に移住したいなんて酔狂な人間がそういるかな?」
「その為に、わざと羽振りが良いところ見せたんでしょぉー。あんだけ派手に木札持ち歩いてたら嫌でも目に付くし、なんか裕福そうに見えるから、そこにあやかりたいって人はいくらでもいると思うよぉ。」
「そういう事か。流石だね。」
「ふっふっふっ。もっとしょーじんしたまえよぉ。」
「君がもっと簡単に話してくれればより早く理解出来るんだけどな!
まぁでも話しは決まりだ。明日から早速そっちにも取り掛かろう。」
「船をキャラベルとして、どんくらい人が必要なん?」
「まぁ十五人ってところだろうね。」
「オッケー。ねぇ、おばちゃん。ここに貼り紙していい?」
「いくらくれるんだい?」
二人は翌日から人集めに奔走し始めた。
ギルドや宿屋、酒場など、人が集まる場所を探しては、移住者募集の張り紙を貼って回った。
ルイーダの見込み通り、目標の人数はあっと言う間に定員を迎えた。
むしろ定員を遥かに超える応募があった程だ。
逆に言えば二人は村に必要な人員を吟味出来るチャンスすら得た事になった。
二人はギルドに面接用の小さな部屋を借り、日々、移住者の選定に勤しんだ。
「やっぱりまずは船乗り優先だよな。」
「そぉねぇ。とりあえず船を扱える人が五人くらいは欲しいよねぇ。」
「そうだな。それからそれに上乗せして、僕の補佐が出来る商人とか、君の補佐が出来る医者とか学者とか必要かな?」
「補佐って言うか、その人がメインで構わないんだけどねぇ。それと、鍛冶職人とかも欲しいな。島には金属加工出来る人いないし。」
「そりゃあいいな。探してみよう。」
それから七日が過ぎた。
造船の方も着々と進行していた。
業者の二人はてっきりガレオンを造れると思い込んでいた為に、キャラベル船の依頼に始めこそ難色を示していたが、ルイーダの「センスを買った」発言を聞いて考えを改めたらしく、意気揚々と着工した。
船の完成まではおよそ六十日。
一度島に帰り、再びこの街に戻って来る頃には完成していることだろう。
ルイーダとフランツの遠征は非常に実りの多いものとなった。
七日間の滞在で、ギルド周辺の地理にも大分慣れてきて、後半には二人とも別行動を取ることも増えてきた。
その日の昼下がり。
ルイーダは、実益を兼ねた自らの趣味の一つでもある、薬草を扱う店を探す為に街を散策していた。
もちろんトレード場にもそういった店はあるが、彼女のお眼鏡に叶う程の珍しい物を扱う店は無く、ルイーダは時間の合間を縫っては生活市場などを見て回るようになっていたのだ。
常に短い時間しか取れない中で目ぼしい店を見付けては、こうやってまとめて時間の取れる時に訪れるのが密かな楽しみだった。
生活市場から少し路地裏に入った場所にある、小汚ない店がこの日のお目当てだった。
奥まった袋小路に小さな間口を開いたその店は、普通にしていれば気付くことは不可能だろう。
トレード場でその店の噂を耳にしなければ、彼女もその存在自体に気が付かなかったはずだ。
ルイーダは店の前で足を止めた。
それは店とは名ばかりで、ただの民家にしか見えなかった。
他の街並みと同様、白亜の石壁に木戸が取り付けられたのみで、とても客を取る為の造りには思えない。
流石のルイーダですら面食らった程ではあるが、とりあえずは木戸に手を掛けた。
戸が開くと共に、頭上から埃が舞い落ちてきた。
(本当にお店なん?)
半信半疑ながら、ルイーダは店内に首を突っ込んでみた。
「こんにちはー。」
最低でも室内には明かりが灯っていた。
人がいるのは確かだ。
蒸し暑く、籠った空気が部屋中を満たしていた。
籠ってはいるが不快ではない。
部屋は広くはなく、ちょうどルイーダの小屋と同じ程度の広さだったように思える。
壁を埋め尽くすように棚が並べられており、部屋の中央にも背の高い棚が背中合わせに置かれていた。
一番奥にカウンターの様なものがあり、ルイーダの位置からは見えないが、人の気配を感じた。
「お邪魔しますよぉー。」
ゆっくりと足を踏み入れてみた。
まずルイーダの目に飛び込んできたのは、中央の棚に並べられた、瓶詰めにされた蜥蜴の死骸だった。
その隣には違う種類の見たことのない爬虫類の瓶詰め。
またその隣にも違う動物が瓶詰めにされていた。
背後にある壁際の棚に目を移すと、そちらには何かの薬草を乾燥させたと思われる瓶が所狭しと並べられていた。
部屋の棚と言う棚は、そういった何か得たいの知れない瓶に占拠されていた。
この様子からして、とりあえずここが薬品を扱う店であることに間違いはないだろう。
ルイーダが乾燥植物の瓶に指先を触れさせた時だった。
「いらっしゃい。」
店の奥から嗄れた女の声が聞こえてきた。
そちらに首を向けると、カウンターからルイーダを覗き込むように身体を傾けた老婆と目が合った。
頭からすっぽりと黒い頭巾付きのローブを被っているが、顔付きが明らかに女性のものなのが分かった。
「こんちは。」
ルイーダは軽く会釈をした。
老婆は微動だにせず、ルイーダを見詰めるだけだった。
「ここ、薬草屋さん?」
「草だけじゃないよ。」
言って老婆は中央の棚を指差した。
ルイーダはそちらには目を向けなかった。
「蛇はお嫌いかい?」
「好きじゃない。」
森で暮らしているだけに、ここで瓶詰めにされている様な動物達は日常でもよく目にするが、ルイーダにも言葉通りに苦手なものはあった。
「ここ、すごいね。見たことない薬草ばっかり。」
「ファファファ。そうだろう?」
老婆は嬉しそうに笑った。
「何をお探しだい?」
ゆっくりと立ち上がると、たどたどしい足取りでカウンターから這い出して来た。
近くで見ると、思った程には年老いてはいなかった。
背はルイーダよりかなり小さいが、背中は曲がってはいない。
元々の背が高くないのだろう。
ルイーダの側まで歩み寄ってきた老婆の顔に、燭台の光が当たった。
厚い唇。すっきりと通った鼻筋。
シワだらけで肉も落ち、一目では分からないが、若い頃はさぞや美人だった事が見てとれた。
「特に探し物はないなぁ。珍しいのがあれば欲しいけど。」
「そうかい。なら、これなんてどうだい?」
老婆は言いながら棚の下の方から一つの瓶を手に取った。
「男を惚れさせる薬さね。よぉーく効くよ。」
「うーん。そういうのじゃないかなぁ。」
「ならこれはどうだい?」
そう言って取り出したのは、何かを煮詰めたような液体の瓶だった。
「これは取っておきだよ。魔女の秘薬さ。」
「魔女の秘薬?」
ルイーダは老婆からその瓶を受け取った。
「お嬢さん、魔女は知ってるかい?」
「知らない。」
「ファファ。そうかい。」
瓶の中身は燭台の光に照らされて、紫色の濁った輝きを放っていた。
「魔女って言うのはね、人智を超えた力を持つ女の事を言うのさ。古の時代から伝わる力をね。普通にしていればそこらの人間とそうは変わらないんだがね、月に一度、とんでもなく狂暴になるのさ。自分では抑えきれなくなるほどに。その時に使うのがこの薬でね、一口飲めばたちまち鎮まるんだそうだ。だから、人に紛れる魔女にはこの薬は無くてはならないものなんだよ。」
「ふぅーん。その魔女ってのはどこにいるの?」
「そりゃあどこにでもいるさ。」
「例えば貴女とか?」
「ファファファ。」
老婆は笑った。
瓶を振ると、中から音がするのが分かった。瓶の中身は少し減っているようだった。
「そうだったら良かったねぇ。」
「なりたいの?」
「そりゃあそうさ。魔女ってやつは、とんでもない知識だけじゃなく、五感もそりゃあ優れてると言うよ。暗闇で遥か遠くが見えたり、微かな臭いも嗅ぎ分けられたりするらしいからねぇ。
それにね、魔女は男を魅了するのさ。
心の奥底からね。」
「ふぅーん。そうなんだ。」
「ただ、ひとつだけ弱点がある。知りたいかい?」
言いながら、老婆はルイーダに手招きをした。
それに応え、ルイーダが老婆の方へと耳を近付ると、小さな声で耳打ちをした。
ルイーダに秘密を伝え終えると、老婆は満足そうに笑みを浮かべた。
老婆の笑顔はとても愛嬌に溢れていた。
「これ、どうやって作るの?」
「そりゃあ内緒だよ。なんせ秘薬だからねぇ。」
「ちょっと舐めてもいい?」
老婆は笑顔のまま頷いた。
ルイーダは瓶の蓋を開けると、薬指を液体に浸した。
粘度の高い、ヌルッとした感触が伝わってきた。
見た目と違って臭いはさほど無かった。
彼女は躊躇いもせずにそれに舌を付けた。
「んー。
百年百合の根、怪鳥芥子の実、コーネリア麻の種子、それとコウザン芦の葉。全部鎮静作用のある種類だけど、中毒性も高い植物だらけだね。そりゃあ気分も鎮まるだろうけど、代わりに違うものも見えちゃうんじゃない?」
ルイーダの分析に老婆が目を細めた。
「あんた、本当に魔女じゃないのかい?」
「違うよ。至って普通。」
「味をみただけで中身を当てた人は初めてさね。」
「魔女じゃなくても薬草に詳しければ分かるって。ねぇおばぁちゃん。これ、いくら?」
「買うのかい?魔女じゃないなら必要ないだろうに。」
「珍しいからねぇ。」
「小分けの小瓶で一本このくらいだね。」
老婆は指を二本立てた。
「たっか。じゃあ一本ちょーだい。」
木札を手渡すと、ルイーダは大切そうに瓶を鞄にしまった。
それからしばらく店内を見て回った。
高価な薬を売り終え満足したのか、老婆はそれ以来再びカウンターの奥に引っ込んだきりだった。
秘薬とは別に更に二つ三つほど、鎮静作用の高そうな薬を購入すると、ルイーダはその店を後にした。
ルイーダが帰ったのを見届けると、カウンターの奥にある戸が開き、中から男が一人現れた。
「どうじゃった?」
老婆に話し掛けながらカウンターを乗り越えて店内に出ると、魔女の秘薬の瓶を手に取った。
男は日に焼けた肌を持ち、その顔には年相応の年輪が刻まれていた。
灰色の髪は前頭部が禿げ上がったものの、残った髪は綺麗に整えられており、みすぼらしさは感じられなかった。
「何とも言えないねぇ。食えない女だって事は確かだがね。」
「お前が見ても分からないのなら、あれは魔女では無いということか?」
「女は皆、魔性さ。」
「そういうことを聞いてるんじゃないんじゃがの。」
「そうさなぁ。魔女とはまた別の何か、とでも言っておこうかの。」
「魔女とは別か。」
男は秘薬を眺めながら顎に指を当てた。
「御するのは?」
「難しいだろうね。少なくともその薬は効かないよ。」
「そうか。」
秘薬を棚に戻すと、男は無言で出口を目指した。
「ヨッギや。」
老婆の声にヨッギは立ち止まり、背後を振り返った。
「あの子は幸せかい?」
その問い掛けにも、やはり無言でヨッギは店を出ていった。
つづく。




