茶番劇
フランツがヨハンの村から離れた日。
ヨハンは村人たちを広場に集めた。
ここが正念場だった。
ヨハンが始めに提示したのは、
十日間の拘束と食料の保証だ。
その期限が切れた後は砂糖を報酬として渡すと宣言していたものの、
肝心の【砂糖と交換出来る物】が届かなくては、そんなものただの甘いだけの砂だ。
フランツが戻るまでの間、住民達を納得させなければならない。
単純に考えれば、工事を一時中断すればいいだけの話だ。
しかし、住民達は十日の間、自分達の生活を止めて作業に時間を費やしている。
その間の農作業や狩りは誰が行っているのか。
住民達は保証の期限が切れた瞬間に、生活が立ち行かなくなるのだ。
「今日は皆に提案があって集まって貰った!
少し話を聞いて欲しい!」
広場の中央には、水道工事で使う資材が積まれていた。
ヨハンはその上に立ち、住民達に呼び掛けた。
「今、俺達に食料を運んでくれたフランツは、次の食料を調達する為に出掛けていった。
フランツが食料を確保して戻ってくれば、俺が皆に約束した、砂糖の報酬で、皆が好きな物と交換出来るようになる。」
「いよ!待ってました!」
先頭で話を聞いていたマルコが囃し立てた。
その声に呼応するように、人々は歓声を上げたり、手を叩いたりと思い思いに喜びを表現していた。
ヨハンは一拍だけ間を置いて、大きく息を吸い込んだ。
「ただ、それにはひとつ問題があるんだ。
次の食料が届くまでには少なくとも三十日の
時間が必要なんだ。」
ヨハンのよく通る声は、この時もよく通った。
そして、そのよく通る声は一瞬で人々を沈黙させた。
それは明らかな困惑だった。
思い描いていた通りの模範的な反応と言っていい。
「三十日って、ヨハンよ。
それじゃあ話が違うぜ。
お前さんの話じゃあよ、その砂糖ってのと物々交換出来るからって言うから、畑も狩りも放っておいてお前の手伝いをしてたんじゃねぇか。」
パオロが人々の群れの中から声を張り上げた。
これもまた予測の通りだった。
ヨハンは頷いた。
「その通りだ。
俺の見込みが間違っていた。
ごめんなさい。」
その言葉に、群衆は徐々にざわめき始めた。
誰かひとりが言葉を発する毎にそれは波紋の如く人々の間を伝わって、その場は次第に不穏な空気に包まれていった。
「俺達を騙したのか!?」
「とんでもねぇガキだ!」
「ぬか喜びさせやがって!」
人々の怒声が広場を埋め尽くすのに、そう時間は掛からなかった。
まるで今にもヨハンに襲いかからんばかりの殺気が渦巻き始めた。
「おい!ヨハン!聞いてるのか!」
「ちょっとそこから下りてこい!」
「その根性を叩き直してやる!」
(さて、そろそろ来てくれないとまずそうなんだけどな。)
ヨハンは資材の上で背伸びをしながら、入り口へと伸びる通りを見やった。
「村の人達に狩りの仕方を教えて欲しいんだ。
ルイーダなら、今の狩りよりももっと獲物を捕まえられる方法を知ってるでしょ?
作物を育てるのは時間が掛かるけど、狩りならすぐ食料を獲れるし、工事をしてない人達が皆で狩りをすれば、村中の人達に分けられるくらいは獲れるよね?」
「ん?まぁね。
そんなに得意じゃないけどねぇ。
それでも村の人達よりはまともに獲れるかなぁ。」
「さっすがルイーダ!
じゃあ、まずは誰に覚えてもらおうか?」
「どぅっへっへぇ。
そりゃー決まってるよ。
村で一番、狩りが下手くそな人だよぉ。」
「みんな!
ちょっと待ってくれ!!」
入り口の方から大声が響いてきた。
しかし、残念なことにその声はヨハンの声とは違い、全くもって通りがよくなかった。
だから群衆のほとんどはその声に気付くことがなかった。
「ちょっとパパさん!
もっとちゃんと声出して!
ヨハンがぶっ飛ばされるよ!」
続いてルイーダが声を張り上げた。
むしろこっちの声の方がずっとよく通り、群衆はそれで彼らの存在に気付いたほどだった。
「あれは、リヌスか!?」
パオロが言った名の通りだった。
群衆の注目を集めたその先には、ヨハンの父であるリヌス。
そしてルイーダにダニー、砂糖作りに従事している女衆とその子供達の姿があった。
「なんだ?あいつら、何を引っ張って来たんだ?」
リヌス達はどうやら荷車を引いているようだった。
何かを山積みした荷車だ。
それを全員で重たそうに運んで来るのだ。
「ちょっと待ってくれ!
これを!これを見てくれ!!」
リヌスがもう一度声を張り上げた。
しかし、群衆の視線は既に荷車に集まっていた。
「パパさん!
もうみんな見てるから!
何か違うこと言って!」
またもやルイーダに叱られた。
「ぶふっ!」
その余りの滑稽さに、我慢しきれずに吹き出した者がいた。
誰からともなく起こった笑いは先程までの殺伐とした空気を一気に溶かして、周囲は見違える程に朗らかな笑いに包まれていった。
「ぜっ!ぜっ!」
広場に辿り着いた頃には、リヌスの息は上がりきっており、まともに言葉も発っせない程だった。
が、
「大丈夫?パパさん、体力無さすぎ。」
それはリヌスだけだった。
ルイーダに背中を擦られながら、大きく深呼吸をしていた。
「ぶははっ!」
遂に人々は堪えきれなくなり、朗らかな笑いは爆発的な笑いに変わった。
(あー、なんか全然思ってたのと違うんだけど、まぁいいか。)
その光景を見下ろしながら、ヨハンは一人で頭を掻いていた。
「と、とにかくだ!ゼッ!ゼェ!
これを見てくれ!!」
ようやくリヌスは呼吸を整えると、荷馬車を指差して言った。
そこには、数頭の草食動物が積まれていた。
「こ、こりゃたまげた!
大人のシノニムじゃねぇか!」
シノニムと呼ばれる動物は、島で一番のご馳走だった。
最も体の大きい牛科の動物だが、走るのも速く、万全の状態の成体であれば住民が捕らえるのはほぼ不可能な、高嶺の花とも言える獲物なのだ。
「おい、リヌス。
こいつはどうしたんだ?
まさか、どっかで死んでたか?」
「バカ言え!
俺が獲ってきたんだ!」
その瞬間、皆に見えないように足元をルイーダに小突かれたのが、ヨハンにだけは見てとれた。
「いや、違う!
俺だけじゃないぞ!そうだ!
俺とこの愉快な仲間達で獲ってきたんだ!
このルイーダに教わってな!」
そう言うってリヌスはルイーダの手を取ると、高々と振り上げさせた。
また足元で小突かれた。
「なんだよ!」
「恥ずかしいから!」
「脇汗くらい誰でもかくから気にするな!」
「誰もそんなこと言ってないでしょおーがぁー!!!」
ルイーダの怒りの飛び蹴りがリヌスの尻をまともに捕らえた。
再び爆笑の渦が人々を飲み込んだ。
これには流石のヨハンも笑わざるを得なかった。
まさかこの二人がこれ程までに相性が良いとは思わなかった。
考えてみれば、ヨハンの父である。
ルイーダとの相性が良いのは血筋的にも決してあり得ない話ではないのだが、当人達はそんなこと思いもしなかっただろう。
「ちょっとあんた!」
そこへ出てきたのはとある女だった。
「うちの人に何するんだい!?」
そう言ってルイーダの前に立ちはだかった。
「ふっふっふ。」
それを見たルイーダが低く笑った。
「遂に現れたな、ヨハンママ。
同性が相手なら心置きなく暴れられるというものだぁ!」
「ひえぇー!!」
その展開に、更にドッと笑いが巻き起こった。
この茶番は決して用意されていたものではなかった。
ヨハンからしてみれば完全なる想定外で、ルイーダとヨハンの両親が狙って行ったのかもヨハンは知らない。
しかし、その喜劇が先程までの殺気立った住民達の毒気を抜ききったのは確かだった。
「あー、なんだ。」
追いかけっこをするルイーダとヨハンの母を背にして、リヌスが群衆に向かって手を広げた。
「とにかくだ、このシノニムは俺達が獲ってきた獲物なんだが、それもこれもルイーダのお陰なわけだ。
まぁ言ってみたら俺はこの村で一番狩りが下手な部類に入る男なわけで、その俺がだなぁ、」
「下手な部類じゃなくて一番下手くそだろ!」
リヌスの演説に、パオロの野次が飛んだ。
またしても笑い。
「うるせぇ!」
更に笑い。
「ああそうだよ!
俺が一番下手くそだよ!
言いたいことはそういうことじゃねぇ!
一番下手くそな俺でも、ルイーダに教わればこうやって大猟の狩りが出来たって言いたいんだ!」
「なんだよ、なげぇ説明だったなぁ!
そんなん見りゃ分かるわ!」
「おめぇが茶々入れるからだろうが!パオロのバカタレ!」
そしてまた笑い。
ヨハンは頭を抱えた。
彼のイメージでは、殺気立った住民がヨハンに襲いかからんとする間際、リヌス達が颯爽と現れて、捕らえてきた獲物を披露して、そしてそれを見て皆が驚いたところを説得するような流れだったのだ。
(まぁいいや。結果的には皆が落ち着いたわけだし、とりあえず説得に移ろうかな。)
再度、頭を掻いたヨハンは気を取り直すかのように大きく息を吸った。
「はい!というわけで、皆に提案がある!
今度は一斉に住民がヨハンへと振り返った。
その顔は皆が皆、次はどんな面白いことを言うんだ?
といった期待に満ち溢れているのが一目で見て取れた。
(やばい。そういう流れか。)
ヨハンの全身から一気に汗が吹き出した。
(ええと、ええと、ええと、ええと!)
ヨハンの人生でここまで追い詰められたのは初めてだった。
あの日、洞窟で魔獣に襲われた時ですらここまでの焦燥感には駈られなかった。
(いや、ダメだ!ヨハン!空気に流されるな!今はそんな場合じゃない!大体俺が面白いことを言う理由がどこにある?俺はそんな面白いことなんて言えないし、なんだったら思い付かない!ダメだ!ヨハン!言え!言うんだ!はっきりと!俺は面白いことなんか言わない!そうはっきりと言うんだ!言え!!ヨハン!!!)
「俺は、俺は、」
住民の視線がヨハンに注がれた。
「俺は面白いことなんて言わないぞぉー!!」
全力で叫び声を上げた。
その瞬間だった。
ベチャ!
ヨハンの頭を鳥の落とし物が直撃した。
どわっ!!!
その場にいた全員がひっくり返って笑い転げた。
この日一番の笑いは、見事にヨハンの物となったのだった。
「うぅ、うっ、うぅ。」
ヨハンは泣きながら、母とルイーダに頭の糞を拭き取って貰っていた。
村の皆はそれを取り囲むように地面に腰を下ろすと、もはや先程までの食料問題などは忘れてしまったかのように、互いに談笑し合っていた。
「あー、笑った笑った!
こんなに笑ったのは久し振り、いや初めてか!?」
パオロが本当に楽しそうな声を上げながらヨハンの背中を叩いた。
「うぐっ。うっ。うぐっ。」
「だーっはっはっはっ!
まだ泣いてんのか!?鳥の糞くらいでメソメソすんなって!」
「ちょっと、パオロ!うちの子をからかうのはやめなさいよ!」
母親がヨハンを庇うように抱き締めた。
「あー、ヨハンったらママに抱っこされちゃってぇ。赤ちゃんだなぁ。」
今度はそれを見たルイーダがヨハンにちょっかいを出した。
流石にそれは頭にきたのか、ヨハンは母の腕を振り払うとルイーダに殴りかかった。
と言っても、いかにも子供といった感じで腕をぐるぐると振り回して、だが。
ルイーダはヨハンの頭を腕だけで押さえ付けた。
ヨハンの腕の長さでは、どんなに振り回してもルイーダに拳は届かなかった。
「もうあんたまで!いい加減にしなさいよ!」
「あー!もうやめろ!やめろ!
面白すぎて腹が捩れる!
腹が、腹が痛ぇ!苦しい!」
パオロの隣でリヌスですら腹を抱えて笑い転げていた。
(こいつらもうダメだっ!)
ヨハンはルイーダの腕から頭を離すと、パオロに向かって声を荒げた。
「もう!いい加減にして!
笑ってないで、俺の話を聞いてよ!」
「あー、分かった分かった!
お前ら本当に面白い奴らだなぁ!
もういい!もういいわ!
お前らみたいな面白いのに悪いのなんているわけねぇし、どーせ悪い奴らだったとしてもそんなバカなら大したことできねぇだろ!」
「なんだよ!?それ!」
「あー、うるせぇガキだなぁ。
お前のことを信用してやるってことだよ!」
「え?」
パオロは立て膝をついてヨハンを見据えた。
パオロの背後から、村人全員が同じ視線でヨハンを見据えていた。
「全面的に、お前の全てを、な。」
つづく。




