仕事はじめ
「わぁ!すごい!」
ヨハンは全身を目一杯に伸ばして思い切り万歳をした。
ヨハンが目を覚ますと、そこにはルイーダと、見たことのない少女がいて、美味しそうな匂いがすぐに鼻をくすぐった。
それだけでヨハンは事が進んでいることを理解した。
寝巻きのまま外に出ると村へと続く道にはたくさんの荷馬車。
馬が旨そうに草を食んでいた。
その光景に歓声を上げたのだった。
「いよぉ。早いな。」
一番先頭の馬車の座席に寝転がっていた男が、ヨロヨロと起き上がった。
「フランツ!」
ヨハンは男の元へ駆け寄った。
「すごいすごい!ありがとう!」
「言ったろう?お安いご用だってな。」
フランツが親指を立てた。
「?」
ヨハンも真似をして親指を立てて見せた。
するとフランツは意地悪そうな表情で首を振り、ヨハンの親指を立てた拳に自分の拳を当てた後、手を開かせるとグッと握り合わせた。
「ご飯にするよ。」
背後からルイーダの声がした。
小さな庭にどこから持ち出したのか、大きなテーブルを転がして来るのが見えた。
フランツの仲間はテーブルを受け取り庭の真ん中に設置した後、ルイーダの指示で人数分の椅子を運んできた。
小屋の中からはルイーダの料理の香りが漂ってくる。
ヨハンもフランツも他の男達全員も、胃袋が一斉に歓喜の声を上げた。
ヨハンが着替えを済ませている間に、ダニーと共に、ルイーダは手早く料理をテーブルに並べていった。
ルイーダの一番の得意料理である野菜たっぷりスープに、木の実のパン。
仕上げにフランツから受け取った干し肉のローストがテーブルを飾った。
小屋を背にする位置にヨハンが腰を下ろした。
その左にダニー。
ダニーを挟み、フランツが。
ヨハンの右にルイーダが。
そして四人を囲むようにフランツの九人の仲間達が腰を落ち着けた。
当初の予定では、食料が到着次第、村の住民をルイーダの小屋に集める手筈になっていた。
しかし、ヨハンは自分の手配した食料の量がよく分かっていなかった。
とてもルイーダの小屋には、住民と食料をまとめて集めることは出来そうにないと、フランツの一団を見てやっと理解した。
予定を変更して、村に荷馬車を移動することにした。
それに伴い、先立ってフランツが愛馬に乗り、予定の変更をリヌスに伝えた。
フランツの一報を聞いた住民は色めきだった。
未だかつて見たこともない量の食料が運ばれてくる。
実現するとは思っていなかったことがひとつ、現実のものとなった。
住民のひとり残らずが、フランツの先道の元、村の広場に集まると、今や遅しと食料の到着を待ち受けていた。
「あ!何か来るよ!」
父親に肩車をされていた一人の男児が声を上げた。
その指の先には、ヨハンを先頭に村を目指して連なってやって来る荷馬車の一団。
どこからともなく、大歓声が上がった。
それはまるで火山の噴火でも起きたかのような、熱く滾る感情の渦だった。
広場に荷馬車がずらりと停車すると、ヨハンは一番先頭の馬車によじ登り、群衆の前に立った。
「皆!見ての通り、約束は守った!」
とても子供とは思えない。
張りがあり、突き刺すような声。
「この食料は、先の通り俺に力を貸してくれる人の物となる!
まずは十人!
と言いたいところだけど、遅れが出ている。
十五人、募りたい!
十五人とその家族の生活を十日間保証する!
我こそはと思う者は前に出てくれ!」
群衆は静まり返った。
互いに互いの顔色を伺っているのが分かった。
事実、目の前には宣言通りの品が並んではいるが、いざ目の当たりにしても戸惑いは隠せなかった。
それはヨハンの予想通りだった。
そう簡単に踏ん切りはつかないだろう。
「誰もいないか!?」
ヨハンの視線は、ある一人に向かっていた。
その言葉はその一人に向けてのものだった。
「もし誰ひとり名乗りでなければ、パオロを見ろ。
奴なら必ず協力する。」
ヨハンはリヌスの言葉を思い出していた。
(なんだよ。お見通しか。)
パオロはその実、背筋がぞくぞくしていた。
昨日、リヌスから聞いたヨハンの計画は、彼にとって興味以外の何物でもなかったからだ。
(面白いガキだ。)
癪に障る部分も少なからずある。
しかし、それ以上に自分の欲求に抗えそうにない。
この子供がその背中を後押しするならば、
乗ってやるのが男ってもんだ。
パオロは決意した。
「俺がやろう!」
住民の視線が一斉にパオロに集まった。
そしてヨハンの強く力に満ちた視線も。
「こんな訳のわからねぇ仕事、出来る奴なんざ俺くらいのもんだ。」
住民の前に歩み出ると、ヨハンを背に仁王立ちでこう叫んだ。
「おめぇら全員玉無しか!?
こんなくそ小せぇガキが気合い入れてんだ!
受けて立ってやろうってぇ野郎はいねぇのか!?」
(まったく、どうなってんだ。とんでもない子供だな。)
フランツはその光景に身震いした。
何もかもヨハンの描く青写真通りじゃないか。
フランツの目の前で、更にもうひとりの男が大きく手を振りかざした。
住民の中でも一際身体の大きな、見るからに体力に自信があるといった男は、力強い足取りで人の群れから抜け出した。
「はっはっ!
よーし、そうだ!マルコ!そうこねぇとな!」
「ったくよぉ。
何をやるのかは知らねぇが、この俺様の力が必要なんだろ?
素直に頼めって。」
「他にはいねぇのか!?
さっさと出てこい!」
それに呼応するかのように、次、また次と、男達が名乗りを上げた。
力自慢のマルコ。
その腰巾着のジョルジョ、アンドレア、レオナルドの三人組。
木工細工の得意なフィリポとシモーネ兄弟。
漁の名手で川を知り尽くすジャンルイジ。
あっと言う間に十五人の男達が、ヨハンの前に並び立ったのだった。
「皆、ありがとう。
心から感謝します。
これから九日間。
死ぬほど苦しい仕事をしないといけないけれど、この十五人ならきっとやり遂げてくれると信じてます。」
「おい!ヨハン!
死ぬほど苦しいって、聞いてないぞ!」
マルコが大声でがなり立てた。
「え?言ってなかったっけ?
まぁマルコさんなら一、二回くらい死んでも飯食べたら治るでしょ。」
「治るか!俺は化け物か!?」
そのやりとりに、住民のほとんどが声を上げて笑った。
張り詰めた空気は一変して穏やかなものとなり、既に村中がヨハンのペースに引き込まれていた。
つい先程まで誰ひとりとして口を開く者もなかったが、今では皆が口々に言葉を交わし、普段の生活と全く変わり無い落ち着きを取り戻した。
仕事に携わる者には不安もあったろうが、その家族はしばらくの間は生活に困ることはない。
人々の話題の中心はそのことに移っていた。
フランツの仲間の一人が手を挙げ、仕事に従事する者を集め始めた。
ヨハンとフランツは事前に取り決めをしていた。
食料は事前に配給すること。
一人当たりの配給量を定め、その家族の人数分を配給すること。
従事者とその家族の名簿を作成し、記録を残し正確に配給すること。
まずは名簿を作成し、その後、他の仲間達が均等に食料を手渡し始めた。
遂に念願の食料を手に入れた住民の歓喜の声が広場に満ち溢れた。
(さて、次に行くか。)
その喧騒を余所に、フランツはヨハンから渡された紙に目を落とした。
そこには五名の人間の名前が記されていた。
ヴァネッサ、ジュリア、アンナマリア、フランチェスカ、ラナ
(名前だけ書かれてもなぁ。)
フランツは頭を掻いた。
(どうしたものか。)
若干困りながらも、広場の人々を見渡した。
「きっとすぐ分かるよ。」
ヨハンの言葉を思い出していた。
(すぐ分かるって、どんな根拠があってだ。)
しかし、見渡してすぐに根拠が分かった。
食料を手に入れ、喜びに溢れる人々。
挙手しなかったことを後悔するような人々。
そしてその中に、
(なるほど。)
明らかに浮かない表情をしている女がいるのが目についた。
人の群れに紛れて、一人、二人、三人、四人、五人。
ポツリポツリと散らばってはいるが、明らかに不穏な空気を纏った、異質な女達だ。
嫉妬と憎しみを湛えた瞳をしている。
(ヨハン。お前って奴は、本当にとんでもないよ。)
フランツは一番近くの女の元へ近寄ると、名簿を見ながら話しかけた。
まだ歩き始めて間もない程度の小さな子供を連れていた。
「あなたは、ヴァネッサ?それともジュリア?」
「いいえ、フランチェスカよ。」
「おっと失礼。
ちょっと来てくれないか。
それと、ヴァネッサとジュリアとアンナマリアとラナを教えて欲しい。」
「どうして?」
「あなた達五人にヨハンが用があるんだ。」
「ヨハンが?」
フランチェスカは訝しげな顔でフランツの持つ紙を覗き込んだ。
フランツは知らないが、フランチェスカは字など読めない。
それでも覗き込んだのは、自分は簡単には騙せないという彼女なりの牽制だったのだろう。
「そんなに警戒するなよ。
あなた達五人にも、ヨハンが仕事を頼みたいんだそうだ。」
「仕事!?」
女の顔が一瞬で華やいだ。
「それって、私達も食べ物を貰えるの!?」
「そういうこと。
さぁ分かったら他の人を教えてくれよ。」
「今呼んでくるわ!」
フランチェスカは小さな子供を抱き上げると、一目散に駆けていった。
程なくして、フランツが目星を付けていた通りの女が五人、集まってきた。
それぞれが、人数は異なるが小さな子供や赤ん坊を抱えていた。
フランツは女子供を伴って広場から離れると、森へと続く道を望む入り口に場所を移した。
女達は未亡人だった。
この村にはまだ離縁という概念はなかった。
そして、夫を失った女が再び所帯を持てるほど、人の数も多くなかった。
夫を失った女が子供を育てながら生活していく苦労は想像に難くない。
それでもこの村の生活水準では、そんな彼女達に手を差し伸べる余裕も無いのが現実だった。
「私達にも仕事があるって本当なの?」
「えーと、あなたは・・・・。」
「ジュリアよ。」
「あぁ、あなたがジュリアか。
そうだ。ヨハンがあなた達に頼みたい仕事があると言うんでね。それで集まってもらったんだが。」
「どんな仕事なの?」
「そうだな。ちょっとばかり覚悟がいるかな。慣れるまでは怖いと思うかもしれない。」
「・・・・まさか、力仕事してる男供を慰めろってんじゃないだろうね?」
「ん?あぁ、そんな手もあったか。
考え付きもしなかった。」
「笑い事じゃないだろ!」
「すまんすまん。
僕が伝えてるのはヨハンが考えたことだよ。
あの子供がそんなこと考え付くと思うかい?
なんだったら赤ん坊がどこから来るのかも知らないんじゃないか?」
「じゃ、じゃあなんだって言うのさ。」
「うーん。そうだな。
すまないけど、先に決めて欲しい。
やるか、やらないか。
変な仕事じゃないことは約束する。」
女達は互いに顔を見合わせた。
視線だけで膨大な量の意思交換を図っているかのが見てとれた。
しばらくの沈黙が続いたが、フランチェスカが口を開いた。
「あっちの男達が貰った食料と同じ量が貰えるのね?」
「あぁ、そうだよ。」
「分かった。やるわ。
本当に変な仕事じゃないでしょうね!?」
「安心しなよ。変な仕事じゃない。
他の皆はどうだい?」
フランツの問い掛けに、女達の全員が首を縦に振った。
「よし、決まりだ。
では皆の名前と、家族構成を教えてくれ。
人数分の食料を配給するからね。」
それぞれの情報を記し終え、フランツは名簿を懐にしまった。
「よし、広場はまだ混みあってるから、あなた達は先に仕事場に行こう。」
「ちょっと!
後回しにされて、食料が無くなってしまいました、なんて洒落にならないわよ!」
「大丈夫だよ。
早い者勝ちにならないよう均等に配給する為に、皆の家族構成を集計してるんだから。
と言うより、あなた達の分は始めから別に用意されてるって言うべきかな。」
「どういう意味よ?」
「あなた達はヨハンの指名だからね。」
「え?」
「さ、行こう。」
フランツに伴われ、女達は森へと続く道を歩いた。
たった一度の往復だが、畦道は荷馬車に踏み固められて、いつの間にかとても歩きやすくなっていた。
森に入りしばらくすると、ルイーダの小屋が見えてきた。
庭からは煙が上がっていた。
「さぁ、皆。覚悟はいいかい?」
「か、覚悟?」
「そう。あなた達は、森の魔女と一緒に働くんだからね。」
「え!?」
「ちょっと!」
「そんな!」
「聞いてない!」
「嘘でしょ!?」
小屋を目の前にして、女達は一斉に立ち止まった。
「だから、先に決めるよう言ったんだぜ。」
「そんなの聞いてたら!」
「首を縦に振らなかったって?」
「そうよ!」
「だろうね。
まぁ、騙し討ちみたいな真似をしたのはすまなかった。
それは謝るよ。
だけどね、この仕事だけはどうあっても手伝って貰いたかったんだ。
すまない。」
「どういう意味よ?」
「まず結論から言うと、これは砂糖を生産する仕事だ。
今後、継続的に外部から食料や物資を調達するために最も大切な仕事になる。
出来ればこの仕事のことは他に漏らしたくない。
だから、最も信用できる人にお願いしたい。」
「な、なんでいきなりそんな大事なことを。」
「これはお互いの利害の一致があるからこそ成り立つ契約なんだ。
足元を見るつもりはない。だけど、あなた達が食料がどうしても必要なのは間違いないだろう?」
「そ、それは・・・・。」
「だからこそ、他の誰よりも一生懸命に仕事をしてくれると思ったし、秘密も守ってくれると思った。
これが僕の打算。」
「僕の?」
「あなた達を選んだのはヨハンだ。
あなた達が誰よりも苦労してるのを知っていて、どうしてもあなた達に仕事をお願いしたいってね。
それで僕があなた達にこの仕事をお願いしようと決めた。」
これは嘘だった。
ヨハンは始めから、この不幸な境遇の女性達に最も大切な仕事を与えるつもりだったに違いない。
理由もフランツが述べたものと同じだろう。
故に当初より、二十人とその家族、という人数を指定したのだ。
しかし、こんな卑劣な判断をヨハンが下したことを知られたくなかった。
だからこそ今、フランツはヨハンの汚名を被った。
これはフランツの意思だ。
フランツの気持ちがそうさせた。
フランツの魂がヨハンの魂の元に下った瞬間だった。
「あんた、正直なのね。
そんなこと、わざわざ言わなくても良いことなのに。」
「言っただろう?
これは最も信用が必要な仕事だって。
嘘をついてあなた達を納得させるのは簡単だが、それではあなた達に僕達を信用して貰うことは出来ない。」
「分かったわ。
ここでやらなきゃ女が廃るってもんよ。」
「私もやるわ!」
「私も!」
「そんな大事なことを任されるなんて、私だって応えたい!」
「皆でヨハンと一緒に村を豊かにしましょう!」
女達は口々に勝鬨の声を上げた。
フランツのついた嘘は、彼女達の信用を裏切るものなのだろうか。
しかし、結果として皆が納得してくれるなら、結果として良い方に向かうなら、それもまた正しい道なのかもしれない。
ヨハンには、それが必要だ。
フランツはそう信じた。
「よし、じゃあ行こう。
もうひとつ先に言っておくが、」
「な、なによ?
まだ何か隠してるの?」
「森の魔女は取っ付きにくいだけですごく良い奴だ。
出来れば敵視せずに入って欲しい。」
「なによ、惚れてるの?」
「そ、そんなんじゃない!」
「あっはっはっ!
いいわ。あんたが惚れるような人が悪いわけないもんね。」
「だからそんなんじゃないって!」
小さな庭の真ん中では、湯気を上げる大きな鍋をダニーが汗だくになってかき混ぜていた。
その脇で、石臼で砂糖の草の茎を搾る、汗まみれのルイーダの姿。
そして二人の背後にうず高く積まれた、搾られるのを待つ砂糖の草の山。
途方もない量の仕事を、たった二人で全身全霊を尽くしてこなそうとしていた。
「あれはあんたが惚れるのもしょうがないわ。」
「だ、か、ら!」
「あんな姿見せられたら、私達ですら一瞬で惚れちまうよ。」
女達は一斉に二人の仕事を手伝い始めた。
つづく。




