迷い
「おい、エジル、こっち来いよ!」
あれは俺が勇者を志してからしばらくした頃だったかな。
スラムの悪い仲間と手を切った俺は、日がな1日、ひとりで剣とか体術の修行に明け暮れる日々を送っていた。
そんな時に出会ったのが、少し歳上のあの人だった。
孤児院の庭で遊んでるのか真面目なのか分からないことを毎日繰り返していた俺に興味が湧いたのか、いつの頃か俺のひとり修行を眺めるようになっていて、気が付いたら隣で剣を振っていた。
別に俺は仲間が欲しかったわけではないから、特に気にも留めずに修行に励んでいたんだけど、その人は次第に俺のことを気にかけてくれるようになった。
「今朝はなに食ったんだ?」
「今日は別の場所で修行しないか?」
「お前、すごく上達してきたな!」
そうやって話しかけてくるその人に、俺も次第に心を許していった。
その人は伝説の勇者にとても憧れていて、そういう本をいっぱい持ってきては俺に見せてくれた。
「ほら、これが不死鳥の騎士団って言うんだぜ。かっこいいよな、お揃いの白銀の鎧。12人の団員がいて、ミュラー団長を中心に固い絆で結ばれていたんだぜ。それぞれがすごい力を持っていて、この大参謀のロイスって人は稀代の大魔術師だったんだってよ。世界中のどんな精霊術でも使えて、頭もすごくいい!俺の憧れなんだ。でもな、魔王をあと一歩のところまで追い詰めたのに、卑劣な罠にかかって負けてしまったんだって。残念だよな。俺もいつかは不死鳥の騎士団みたいなすごい騎士団を作って、魔王をやっつける旅に出たいんだよ。」
目をキラキラとさせてそう俺に語ったこの人だったけど、アカデミーには入らずに、結婚して城の兵士になった。
家庭の事情ってやつだよな。
誰もが家族を置いて旅に出られるわけじゃないもんな。
「エジル。俺の分も、世界中の人達を助ける偉大な勇者になってくれよ!」
アカデミーに入る前にそう言ってくれた。
思えば、俺にとっての初めての親友と言える友人だったのかもしれない。
その人は城の仕事が忙しくなり、俺もアカデミーに通っていたからそれ以来会っていない。
最後に会った時、こう教えてくれた。
「エジル。
俺、今度、兵長になるんだ。
もうこんな砕けた話し方は出来なくなるな!」
そう笑っていた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
目の前でゾンビ化を見たのは初めてだった。
迫り来る親友のゾンビ。
だが、動きが鈍すぎる。
抜刀すると宙に放り投げた。
「マリオネット!」
空中で剣を操ると、ゾンビを押さえつけた。
整備員を始めに、カタパルトにいた全員が一斉にその場を後にしようと駆け出す。
その時だった。
「クリスティアーノ殿!」
出口に殺到する人の群れと逆行して、数名の兵士がカタパルトに駆け込んで来るのが見えた。
「クリスティアーノ殿!大変です!!」
「見て分からないか!?今取り込み中だ!!」
「こ、ここにもゾンビが!?」
兵士達は驚愕の声を上げた。
「ここにも、だって?」
「は!
今朝、ゾンビ退治を行った兵士の中に、ゾンビに噛まれた者がいた模様で、城内にてゾンビ化が!!」
「マジかよ。」
俺は溜め息をついた。
「おいマッスル。ここは俺に任せて行け。
ミュラー、ロイス!ルイーダを連れて、すぐに船を動かせ!」
「エジル。」
ミュラーが俺の名を呼んだ。
「ここがどこだか分かってるわね?」
「ああ。」
俺はミュラーに一瞥もくれずに返事を返した。
それを聞き届けると、3人は船へと乗り込んだ。
俺は、甘いのだろうか。
今ここで、仕留めなくてはならない。
それは分かっている。
分かっていてこの場を引き受けた。
しかし、心のどこかでまだ迷っている。
この人を殺していいのか?
この人に家族がいるのも知ってる。
この人が元に戻り、帰ってくるのを待っていないのか?
それに、今の俺があるのは、やっぱりこの人のお陰だ。
この人を、俺は殺していいのか?
親友のゾンビの顔が、先程よりも更に膨れ、どんどん形が崩れていく。
「お゛、おでも、
ぜか、い、を、ずぐう、んだ!
お゛お゛お゛おでもぉぉぉ!!!!」
呻き声の中に、もはや片言になった言葉が混じっている。
ほんのさっきまで国を守る兵士の長だったのだ。
この人は、城を、国を、国民の平和を守ることに誇りを持っていたんだ。
志しを持っていたんだ。
「ぐ、ぐやじぃ!
エジル!
おでを、おでを、
おでを
ごろじでぐれぇ!!」
身体中の血液が逆流するようだった。
熱く沸き上がり、全身の毛が逆立つ。
俺は、この人を・・・・
そしてフッと空気が抜けるように全身が冷たくなり、力が抜けると同時に、宙に浮かんだ剣が軽い音を立てて床に転げ落ちた。
「え゛ぇじぃるぅぅぅぅ!!
なぜだぁ!
なぜなんだぁぁぁぁ!!!!」
兵長ゾンビが俺を鷲掴みにする。
大きく口を開くと、あまりの力で自身の口角が引き裂かれ、傷口から吹き出した体液が俺に降り注ぐ。
「ぐりゅあぁぁぁぁ!!!
え゛し゛る゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!」
ブチン!
張りつめた糸が切れるような音が響いた。
次に見たとき、俺に食らい付かんと口を広げていた兵長の顔があったはずの場所からは、勢いよく体液が噴き上がっているだけだった。
「ルイーダ。」
俺を鷲掴みにしたままの兵長の身体の先に、脱力し、ただただ佇んでいるだけだった。
手には兵長だった人の首をぶら下げて。
「私が・・・エジルを・・・守る・・・。
だから・・・・エジルも・・・・私を・・・・守って。」
「エジル!
発進準備完了よ!
ゲートを開けて!!」
ミュラーの声がカタパルトに響いた。
飛空挺の外部スピーカーだ。
その声に俺は我を取り戻した。
ゲートの開閉スイッチまでは走って数十秒はかかる距離。
「早く船に戻るんだ。」
俺はルイーダの手から兵長の首を取り上げると、倒れ込んだ身体の脇にそっと置きながら、彼女に声を掛けた。
その声にルイーダも反応し、ゆっくりと船へと戻っていく。
それを確認すると、俺はスイッチ目掛けて飛ぶように走った。
スイッチのボタンを押した途端だった。
飛空挺の真上の天井が無機質な音を立ててゆっくり左右に開いていく。
日の光が差し込み、青い空が顔を出す。
まるで金属の額縁の中に描かれた空の絵画のようだった。
俺はその光景につい見とれていた。
ドサリ!
何かが絵からこぼれた。
「早く船に乗るのよ!!
地上からゾンビが降ってくるわ!!」
言っている間に、次、また次にとゾンビがこぼれ落ちてくる。
ゾンビの雨を掻い潜りながら、俺は走った。
たったの数十秒の世界が、何時間にも長く感じた。
こぼれ落ちたゾンビがよろよろと立ち上がるのが視界に入った。
既に辺りは降り注ぐゾンビ達で埋め尽くされようとしている。
「急ぐのよ!!」
飛空挺が浮上を始める。
船のハッチからはルイーダが顔を覗かせている。
俺は走った。
船が少しずつ高度を上げていく。
ルイーダが手を伸ばした。
俺はその手を、強く握りしめた。
つづく。




