密林の国②
今から10年くらい前。
俺が10歳かそこらだったあの日。
孤児院で暮らし始めていた俺は、周囲の連中に馴染めず、いつもできるだけ院の外で過ごすようにしていた。
院に戻るのは夜、食事の時間と寝るときだけ。
それ以外は常に外をフラフラとしていた。
だから、自然と院の外に悪い仲間が増えていった。
盗みやカツアゲに喧嘩、子供がやるような悪いことは全部やった。
その仲間達と一緒にいる時だけが、自分が生きていると感じられた。
そこが俺の居場所だった。
ある時、俺達は町の外に出て遊んでた。
大人からやってはいけないと言われていることをやるのが楽しくて仕方がなかった。
まぁ、そんなことばっかりしてれば、手痛いしっぺ返しがくるのも頷けるよな。
俺達は島で最も凶悪な、ゴブリンって人型の魔物と出くわしてしまった。
すぐ逃げ出したが、俺は運悪く転倒して足を挫いてしまった。
仲間達に助けを求めたが、連中は俺には目もくれず、蜘蛛の子を散らすようにして逃げていった。
大声で喚いたが、俺を助けようとする奴は誰ひとりいなかった。
ゴブリンが俺のことをこん棒で殴ろうとした時だった。
たまたま通りかかった旅人が俺の上に覆い被さったんだ。
こん棒を背で受けた旅人はそれでもゴブリンを振り払うと、怯むことなくそいつに挑みかかった。
あの光景は今でも鮮明に覚えている。
まるで燕が空を自由に飛ぶように宙に舞い上がると、ゴブリンの首を太ももで挟み込み、体を捻りながらそいつを巻き上げたんだ。
ゴブリンはそのまま、地面から飛び出していた岩に頭から叩きつけられ、ぐったりと動かなくなった。
旅人は俺の元へと歩み寄ってきた。
俺は恐怖のあまりに動けず、その場にへたり込んでいるだけだった。
真っ黒い外套のフードを頭からすっぽりと被ったその旅人に、俺は恐怖した。
顔も見えない。
魔物を一撃で倒したその旅人は、無言で俺の前に背を向けてしゃがんで見せた。
乗れ。
という合図なのだろう。
俺は首を横に振った。
何故なら、この人は、背中に大きな傷を負っていたから。
外套が切り裂かれ、下に見えた服がどす黒い赤に染まっていたからだ。
旅人は俺に振り返ると、俺の頬を優しく撫でた。
結局俺は旅人に背負われた。
旅人の首筋から、甘く、優しい薫りがした。
町に着き、孤児院まで送ってもらうと、俺は玄関の前に下ろされた。
旅人は俺の前に膝をつき、もう一度、俺の頬を撫でた。
フードの隙間から顔が覗いた。
美しい女性だった。
「エジル。」
旅人が俺の名を口にした。
何故、俺の名を?
俺は不思議に思った。
「誰?」
俺の問いかけに、旅人はフードを上げて見せた。
艶やかな黒髪。
透き通るような肌。
異国の人なのか、やや平面的な造りながら、鼻筋が通り、薄い唇には微笑みが湛えられている。
目があった。
俺は、この人の名を知っていた。
「ルイーダ。」
俺は目を開いた。
始めに見えたのは、木の天井だった。
俺は視線だけで周囲を見渡した。
壁があり、扉があり、窓があり、窓にはカーテンがかけられている。
どうやら俺は部屋の中にいるらしい。
寝ている。
感触は伝わってこない。
何も感じない。
だけど、視界の端に捉えたのは多分布団みたいな物。
俺はベッドの上に寝かされている。
そこまで把握した頃、俺は起き上がろうと体に力を入れた。
全身を激痛が走った。
「う・・・。」
ほとんど声も出なかった。
「エジル?」
誰かが俺の名を呼んだ。
低い、男の声だった。
「気が付いたのか?」
そう言って俺の顔を覗き込んでくる奴が見えた。
「気が付いたのか!?エジル!分かるか!?俺だ、アルシャビンでさぁ!!」
男が俺の手を握ったのが見えた。
「ああ、良かった!お頭!お頭ぁ!!エジルが、エジルが目覚めたんでさぁ!こっちに来てくだせぇ!!」
その声を聞きつけると、部屋の扉が勢いよく開き、男達がなだれ込んできた。
「エジル!★」
「エジル!」
「エジル!」
「エジルゥー!」
口々に俺の名を呼びながら、ベッドの周りに群がって、我先にと俺の元へと走り寄ってきた。
「本当だ!♪本当に目が覚めたんだな!?♥️」
先頭の男が俺の首元に抱きついた。
「うぅ・・・。」
その力が強すぎて、体に再び激痛が走り、俺は苦悶の声を漏らしたが、それが精一杯だった。
「お頭!急に動かしたらダメでさぁ!」
アルシャビンがロシツキーを諌める声が聞こえてきた。
「そ、そうだな♣️なんせ、1年間も意識が無かったんだからな♦️」
い、1年!?
それを聞いた途端、俺は発作的に飛び上がりそうになったが、体は痙攣しただけでピクリとも持ち上がらなかった。
「お頭。驚かせんでくだせぇや。ずっと寝たきりで、体が言うことを聞きやせんから。」
「す、すまねぇ♠️」
そうこうしているうちに、レーマンが部屋に入って来るのが見えた。
俺の瞳孔やら舌の色やら、心臓とか肺の音やらを丹念に診察すると、皆の方に振り向いた。
「大丈夫。少しリハビリに時間は掛かるかもしれんが、元気になるだろ。」
それを聞くや、部屋にいた全員が歓声をあげて喜んでいた。
目に涙を浮かべて。
何がなんだか俺にもさっぱりだが、何となく状況が分かってきた。
顔の筋肉も動かせねぇけど、俺も心の中で同じように喜んでいた。
「いやぁ、あの時は本当に驚いたぜ★魔族をぶっ倒したかと思ったら、全身から血を吹き出して倒れちまうんだもんな♪」
「ほんとでさぁ。死んじまったかと思いやしたぜ。」
「だよな♥️しかもよ、それよりも更に驚いたのは、そんな血を吹き出してんのに死ななかったことだぜ♣️」
「いや、あん時ゃあマジで気持ち悪かったでさぁ。全身の血管が飛び出して、何ならドクドク血が流れ出てんのに、眠ったみたいに息をしてんですもん。」
「包帯でぐるぐる巻きにしてよ、寝かしといたらほんの数日で傷が治ってたしよ♦️気色悪いったらねぇぜ♠️」
「代わりに、眠ったまま起きることもなかったんですがね。このまんま一生起きねぇんじゃねえかと思ってましたわ。」
ずっと寝たきりだったらしい俺の体は完全に固まりきっていて、満足に動けねぇし、声も出せない。
もちろん飯なんかも食えないから、体が馴染むまでは点滴を打たれたまま過ごしていた。
そんな俺の枕元で、ロシツキーとアルシャビンは笑いながら話していた。
笑い事じゃねぇぞ。
俺は心中で毒づいたが、まだ言葉にすることも叶わない。
そのうち喋れるようになったら説教だ。
「だがな、お前には礼を言わないとならない★俺の、いや、俺達の国を救ってくれて、本当にありがとう♪」
「感謝してもし足りないくらいでさぁ。」
そういやぁだ。
1年も経ってるってことは、この国はどうなったんだ?
「見たいか?♥️」
俺の気持ちを察したみたいだった。
ロシツキーは立ち上がると、カーテンに手をかけた。
「眩しいぞ♣️」
ゆっくりとカーテンを開け放った。
刺すような日射しが俺に降り注いだ。
言われた通りに眩しい。
俺は目を瞑った。
しばらくして、目が明るさに慣れてきて、俺は再び目を開けた。
窓の外には、人が行き交っていた。
たくさんの人が。
皆、顔に笑みを浮かべている。
その奥には青い空。
そして、あの時、皆で乗り込んだ、あの城の姿が見えた。
「見ろよ、エジル♦️この国は元通り、昔の姿を取り戻したよ♠️お前のお陰だ★」
城の周りを白い鳥が群れをなして羽ばたいていた。
それから数日が経ち、俺の体は段々と自由を取り戻しつつあった。
少なくとも、少しだけ体を動かしたり、話したりはできるようになったし、流動食みたいな緩い物なら食えるようにもなってきた。
そんな頃、ひとりの男が俺の元へと訪れた。
扉が開き、現れたのは、
「エジルさん。」
ロシツキーだった。
「いや、俺はこっちだぞ♪」
扉を開けた男の背後からロシツキーが顔を覗かせた。
「エジルさん。私です。」
それは、ロシツキーに見えるけど本人じゃなく、よく似た別の男。
「あぁ、魔族か。」
俺は渇れたような声を絞り出した。
「違ぇから!♥️俺の弟だから!♣️ブラックジョークが過ぎるぞ、バカ!♦️」
そうだ。
ロシツキーの弟だった。
「兄上!この国を救ってくれた英雄に向かってバカなどと、失礼じゃありませんか!」
「なんだと!?♠️俺はお前がバカにされたから庇ってやっただけだぞ!★」
「バカにされても仕方ないのです。私はそれだけの過ちを犯したのですから。」
「おいおい、トマシュよ♪お前は体を乗っ取られただけだって、何回言ったら分かるんだ♥️自分を責めるな♣️」
「しかし兄上!私は、私は!」
「なぁ。」
ふたりが熱くなりそうだったから、俺はその前に割って入ることにした。
このまま放っとくと長くなりそうだしな。
ふたりは俺の枕元に近寄ってきた。
「無事で良かったな。」
トマシュの目から涙が零れた。
「あなたのお陰です。本当に。」
「お前があの時、こいつを生かしてくれたから、全てが丸く収まったんだぞ♦️この国の王は生き残った♠️だからすんなりと元の姿を取り戻すことができたんだ★」
「その通り。あなたには感謝しかありません。」
「いや、生かしたわけじゃねぇ。本当はぶっ殺すつもりだったんだが、しくじっただけだ。」
その言葉に、トマシュは目をまん丸くしてひきつったような表情を浮かべた。
「だから、バカ!♪冗談ばっか言ってんじゃねぇって!♥️こいつは真面目なんだから、本気にしちまうだろうが!♣️」
思わず俺は吹き出した。
腹筋が痛ぇわ。
それを見てか、トマシュも笑みを浮かべた。
「俺はなんもしてねぇから。礼なら兄貴にするんだな。こいつがこの国を助けるって言わなければ、俺はここへは来なかったんだから。」
「ええ。よく分かってます。分かってますとも。」
実は、俺は事前にアルシャビンから聞かされていた。
魔族を倒し、国が解放されてから、国民を集めてロシツキーは演説をした。
全ての元凶は自分の過ちであったと。
国民の前で告白したんだ。
だから、国王は魔族に体を乗っ取られ、国は変わったと。
けれど魔族は退治され、国王は元に戻った。
罪は全て自分が償う。
だから国王を、再び国王として迎えて欲しい。
ってな。
ロシツキーは死を覚悟して告白したんだろうな。
話を聞いて、少なくとも俺はそう感じた。
しかし、国民はそれを受け入れた。
過ちを認め、堂々と謝罪した国王の兄を。
それから新生トマシュ王の元で、この国は立て直されていったんだとさ。
すげぇ話じゃねぇか。
ロシツキーも、国民もよ。
そう簡単にできることじゃねぇよ。
「なぁ、俺の体がもう少し動くようになったら、もう一度来てくれないか?行きたい場所があるんだ。一緒に行こうぜ。」
「はい。もちろんです。」
更に月日が経ち、俺はどんどんと動けるようになっていった。
ひとりで立ち上がり、歩く練習もした。
歩いたら次は体を鍛えなくちゃならねぇ。
筋肉なんて痩せちまって、とても戦いなんてできる状態じゃなかったからな。
元通りになるには、寝ていた時間の3倍はかかるって言うらしいが、そんな時間は費やせない。
俺は暇を見ては体をいじめることを始めた。
最初はロシツキー達も止めていたが、そんなん聞くわけないのも分かってきたらしく、途中からは一緒になって鍛練に励むようになっていた。
俺が元の体を取り戻したのは、目覚めてから1年が経った頃だった。
ある朝、日も登らないうちに、俺は部屋の中で旅の支度を整えた。
元々着ていた服は、自分の血でグチャグチャになっちまったから、アルシャビンが新しいのを仕立ててくれた。
ま、デザインは同じだけどな。
青を基調にしたジャケットに、同じ色のゆとりのあるパンツ。
編み上げの茶色いブーツも新品だ。
革製のグローブをはめ、同じ革の肩掛け鞄も。革のいい匂いがする。
腰のベルトに剣を差し、最後にゴーグル付きの耳付き帽子を被ったら完成だ。
1年間過ごした部屋を去るのは少し名残惜しい気もしたが、ベッドに向かって頭を下げると、踵を返してドアノブを捻った。
「待ってたぜ♦️」
部屋の外は、広いリビングルーム。
そこには、見慣れた顔が俺を待ち構えていた。
ロシツキーにアルシャビン。
そして、トマシュも。
俺が向かったのは城下町の北側に作られた、大規模な墓地だった。
魔族の犠牲になった人々が埋葬された共同墓地。
墓地の中心に、大きな石碑が立てられていた。
俺はその前に跪くと、目を閉じて祈った。
もう2度と、この国をこんな悲劇が襲いませんように。
そして、亡くなった人々が安らかに眠れますように。
祈りを捧げた。
「王様。」
祈りながら、同じく隣で跪くトマシュに向かって声をかけた。
「皆を幸せにしてくれよな。」
「ええ。この身を削ってでも。」
「それじゃダメだ。あんたも幸せにならねぇとさ。」
トマシュが俺を見たのが分かったけど、俺は顔を上げなかった。
だから何度も言わせんなよ。
そーゆーのは苦手なんだって。
俺はトマシュの肩にポンと手を置いてから、その場を後にした。
「エジルさん!国民があなたを待っています!是非、お顔をお見せ下さい!」
背後からトマシュが叫ぶのが聞こえた。
だ、か、ら!
苦手なんだよ!
俺は振り向かずに手だけ振って見せた。
「また、その内な。」
日が登り始めた。
俺は、誰にも見付からないようにしながら馬車に乗り込むと、城下町を旅立った。
城下町から馬車に揺られること5日。
同じ道を通ったのはもう2年も前のことだなんて信じられないな。
モストボイの樹の壁を降り、山脈に見送られながら、港町に辿り着いた。
馬車から飛び下りると、俺は振り返った。
「ありがとうな、ふたりとも。もうここでいいよ。」
座席に座るロシツキーとアルシャビンに声をかけた。
「ここからは適当な船に乗せて貰って行くよ。北側の大陸に着ければ、後は歩いてでも行けるだろうしな。
せっかく故郷を取り戻せたんだ。あんた達も安心して暮らせるだろ。
船長は、おっと、もう船長じゃねぇな。王様の兄上だもんな。
王様を助けてやらねぇとならないし、アルシャビンもまた近衛兵に戻れるんだろ?
ほんと、良かったな。
ふたりとも、元気で暮らせよ。」
早口でまくし立てた。
早口で言わねぇとよ、もう、ダメなんだ。
なんか、なんか知らねぇけど、感情が爆発しそうなんだよ。
ダメだダメだ!
だから、こういうのは苦手なんだって、本当にダメなんだよ!
俺は俯くと、港へと向かった。
足早に。できる限り早く、それでいて、焦っては見えないように。
「あーあ、聞いたか!?♠️アルシャビン!★」
「ええ!確かに!」
二人の声が大きく響いた。
「なんか好き勝手言ってる野郎がいるなぁ!?♪」
「いやぁ、マジで勝手ですぜ!下っ端のくせに、勝手に船長と副船長の今後を決めてくれやがってまさぁ!」
その声に合わせて、港に船が入って来るのが見えた。
真っ黒い船体に、真っ黒い帆を張っている。
「どー思う!?♥️野郎共ぉー!!♣️」
ロシツキーの雄叫びを受け、甲板の上に男達が姿を現した。
「下っ端のくせに生意気だぞ!」
「てめぇ、勝手に海賊抜けられると思うなよ!」
「おめぇの掃除がなきゃ、この船はすーぐ汚くなっちまうんだからな!」
「そうだそうだ!」
「おい!エジル!」
メルテザッカーが船首に立った。
「おでは、まだおめぇに恩返ししてねぇんだど!!」
その手には、海賊旗が握られていた。
ドクロマークの背後に、二挺の大砲が描かれた、漆黒の海賊旗が。
俺の左肩に誰かが手を乗せた。
「俺はな、海賊だ♦️」
今度は右肩に誰かが手を乗せた。
「城暮らしなんて飽き飽きでさぁ。」
俺は思い切り顔を擦った。
「行こうぜ?♠️ルイーダのところによ★」
何度も何度も擦って、なんとか絞り出した。
「頼む。連れてってくれ。」
ロシツキーが大きくて拳を突き上げた。
「野郎共!♪出航だぁー!!♥️」
つづく。




