第六話 【砦の波乱】
すっきりした表情のディルモットと、目に隈を作っているアールスタインは、村で軽く朝食を取ってから早くに出発していた。
天気は良好。
風も殆ど吹いていない。
そんな中で、白馬の上で小舟を漕ぐアールスタインに対し、ディルモットは地図を広げて顎を撫でる。
平原ともいえる場所で見晴らしは良いが、次の目的地である砦が見えなかったのだ。
「……着いたはいいが検問を突破出来なきゃ意味がないからねぇ。そもそも、砦はどっちだ?」
「砦は南西だろ。途中にそれっぽいのを見たぞ」
ディルモットの独り言に、アールスタインは目を擦りながら指を差した。
南西……と、呟きディルモットは地図を回す。
戦闘や知識はあれど、どうやら方向音痴の気があるのか、ディルモットは眉をひそませている。
「お前、もしかして道が分からないのか?」
「道は分かるさ。だが、地図がこうも白くちゃあ分かるもんも分からない」
頭を悩ませるディルモットに、アールスタインは気になって地図を覗き込んだ。
ギョッ、と驚くアールスタインは、肩を竦ませて溜め息をついた。
ディルモットが持つ地図は、リムドル王国の近辺のみ記載されており、あとは真っ白だったのだ。
「ちゃんとした地図なんて持ってる奴の方が珍しいもんさ。アタシも、ここ数年はリムドルから出なかったしねぇ」
ディルモットの言い訳に、アールスタインは肩を落とした。
「まあ、どうにかなるもんだ。砦に着けばこれよりいい地図が買えるしねぇ」
「着ければ、でしょ」
呆れるアールスタイン。
だが、ディルモットは地図を畳みながら微笑んだ。
どこからその余裕が出てくるのかは分からないが、心配するだけ損というものか。
「砦の検問さえ突破すれば、勝機はある。リムドルの領土さえ抜ければこっちのもんって訳で」
遠くを見つめるディルモットだが、アールスタインは相変わらず不安げな表情だった。
白馬に揺られながら、怪訝そうに見下ろしてくるアールスタインに対して、ディルモットは鼻で笑い腰に手を当てる。
「まあ、そんな顔をしたくなるのも分かるさ。どうせアタシはお尋ね者だからねぇ」
肩を竦め、ディルモットは他人事のように言い放つ。
危機感に欠けている彼女の言動や態度に、アールスタインは未だに慣れない。
慣れるどころか、正直に言えば疑心が強くなる一方だ。
「一つ、聞いていいか?」
「なんだ、スリーサイズでも聞きたいのか?」
「ばっ!? 茶化すなよ! 真面目な話」
ディルモットの返しに大きく動揺して、アールスタインは咳払いをするとそのまま言葉を続けた。
「お前、どうして僕を運ぶ気になったんだ?」
真剣な表情で問われ、ディルモットは黙り込んだ。アールスタインから目を離し、頭を掻くディルモットに、さらに問い詰めていく。
「僕を運べば追われるのは分かってたはずだろ。父上のことだ、殺しに来るかも知れない。だから、不思議で仕方ないんだ」
アールスタインはそこで言葉を切り、彼女の反応を待つ。
自分で頼んだこととはいえ、あっさりと頷いてくれるとは思っていなかった。だからこそ気になるのだ。
最もらしいことを言うアールスタインに、ディルモットは困ったように微笑んで誤魔化す。
「……気紛れさ。面白そうだから乗った」
「これが関係しているんじゃないのか?」
分かりやすい嘘をつくディルモットに、アールスタインは布に包まれた荷物──魔臓器を取り出そうとして、手を止めた。
同時に、ディルモットが拳銃を抜き、アールスタインに銃口を向けたのだ。
驚き竦むアールスタインは、生唾を飲み込んで魔臓器を鞄にしまいこむ。
「無闇やたらに出すものじゃないよ。王子様」
「……っ」
ディルモットの声音は酷く優しいものだった。諭すような、本当に何も知らない子供に言うかのようで……。
アールスタインは表情を曇らせたが、ディルモットは銃口を下ろし鼻を鳴らした。
魔臓器は、間違いなくディルモットと何らかの関わりを持っている。それだけは分かるが、その理由を知るにはまだまだ先になりそうだと、無理矢理納得させた。
「さあて、そうこうしてたら見えてきたねぇ。リムドル王国が誇る最強の砦が……」
拳銃をホルダーにしまい、ディルモットは白馬の手綱を強く引いた。
先程の殺気やらは嘘のように消え、ディルモットは笑みを見せて顎をしゃくる。
「あれが、ゴリア砦」
白馬に揺られ、アールスタインが目にしたのは、驚くほど巨大な壁であった。
否。
壁は壁でも、それは城壁といっても過言ではない鉄の砦だ。
今まで山肌の一部と思われていたものは高壁であり、二つの見張り台にはしっかりとリムドル兵士が立っている。
王国の旗が靡き、ついに見えた入り口には大勢の者たちが出入りしていた。
「城ぐらい大きいんだな……!」
砦の巨大さに圧巻され、アールスタインは目を輝かせて呟く。
「砦の検問所といっても、ここは一つの街だからねぇ。むしろ城下町と変わらないくらい、全てが揃った場所さ」
ディルモットは苦笑して、砦の入り口を見上げた。
行商人は当たり前で、冒険者、運び屋、傭兵、それぞれが店を構える店主たちが出入りする。
入り口にいるだけで数十は軽く越えており、入るだけでも一苦労だ。
「この入り口は、検問の兵士がいないんだな」
「あくまで向こう側に行くための検問だからねぇ。だからこそ、悪党も集まる場所って訳さ」
アールスタインの疑問にディルモットは目を光らせて、砦の入り口をくぐっていく。
砦の中は、人や物でごった返していた。
人混みが鬱陶しく感じるディルモットには、溜め息しか出ない場所だが、アールスタインは違う。
見るもの全てが新鮮で、様々な人々や物で溢れ返ったこの砦の街は、まさに宝石箱のようなものだ。
「まだ昼前か、先に腹ごしらえ済ませてから、検問所に行くかねぇ。観光はそれからでも……って」
白馬を引いていたディルモットが、アールスタインへと視線を向けた時、すでにもぬけの殻状態であった。
いつの間にか下りて、何か気になる物を見つけて走って行ってしまったのだろう。
砦内は、宿から酒場は勿論のこと、行商人が営むマーケット地区や、旅芸人のテント、鍛冶屋、果ては占い屋まで幅広く展開されており、それだけで広大だ。
人の数も尋常ではない。
こんな所で人混みに紛れれば、見つけるだけで日が暮れるだろう。
「はあ、面倒臭い。急いでるってのは嘘なのかねぇ」
白馬に軽くもたれ掛かり、ディルモットは肩を落として額に手を当てた。
「せめて宿か飯くらいは食わせて欲しかったが……」
頭を掻いて溜め息をつくディルモット。
人混みの中、無闇やたらに探すのは危険かも知れないが、身分のこともあり、聞き出すのはあまりにも愚策だ。
どうしようかと考えていたディルモットの目に映ったのは、行商人の一行であった。
「あいつら、運び屋か……」
黄色い鳥のマークが描かれた行商人の証である帽子を被っている。
だが、その出で立ちは別物だ。
腰に湾刀を下げ、膝当てまで装備されている。
行商人は護衛を雇うことはあっても、大抵は自分で戦う力を持たない。となれば、行商人を装った運び屋か、傭兵か。
「悪党ってのはやだねぇ。早いとこガキを見付けないと」
ディルモットは煙草に火を点けると、大きく煙を吹き出し、例の行商人を見つめる。
万が一にも正体がバレれば、売り飛ばされることは確実だ。魔臓器もセットとなれば、尚更厄介ごとになる。
「すまない。また留守番していてくれ」
白馬を優しく撫で、ディルモットは馬番まで歩いていき、番主に銅貨を払う。
白馬は軽く鼻を鳴らし、すぐに小屋へと入っていった。
「さてと、どこから当たろうかねぇ」