第五十七話 【五分五分】
悪態を吐いたディルモットは、ダガーを捨て飛び退いた。着地の際にほんの少し右足が疼く。
傷の具合は浅いようだが、すぐに塞がるほどまだまだ化け物でもないようだ。
「アタシの仕事は無事に王子を送り届けること。他人にとやかく言われたくはないねぇ」
「君がそれで死ぬとしてもかい?」
肩を竦めて銃口を向けたディルモットは、黒衣の青年の言葉に眉をひそめた。
「アタシが死ぬって?」
不快感から呆れに変わったディルモットだが、あちらの表情は真剣そのものだ。茶化すことも躊躇うほどに。
「あの列車に乗れば、いくら君でも間違いなく死ぬ」
体勢を整えた黒衣の青年は一度言葉を切ると、息をついて蛇腹剣を元に戻し、ディルモットのダガーを後方へ蹴り飛ばす。
「あの女の目的は__ッ!」
黒衣の青年が言い終える前に、銃声がそれをかき消した。
「一度アタシに刃を向けたんだ。話すよりこっちの方が早い」
拳銃を構え、ディルモットは微笑んだ。しかし、表情とは裏腹に殺意は異様だ。
「……元より説得じゃ無理だと分かっていたサ」
黒衣の青年は頭上に蛇腹剣を構え、綺麗な姿勢で迎え撃とうとする。
一触即発の状態。
橋の上で日が落ちていく。
赤い夕日が完全に消えようとした瞬間、先に動いたのはディルモットだった。
力強く地を蹴り上げ、地面と水平に飛んでいくディルモットは、まず二発の弾丸を黒衣の青年に撃ち込んだ。
「何が狙いかな……!」
当然、安直に放たれた弾丸など黒衣の青年は蛇腹剣で弾き落とす。
ディルモットは答えなかった。
あえて視線は黒衣の青年に向けたまま、蛇腹剣が当たるギリギリの距離まで攻めていく。
「無謀だネ」
「そうでもないさ」
蛇腹剣を横凪ぎに振るった黒衣の青年に対して、ディルモットは飛んだ。
青年の頭上を飛躍し身体を捻らせながら、銃口の引き金を引く。こちらも勿論、威嚇射撃だ。
分かっていても、黒衣の青年は弾丸を蛇腹剣で弾く以外に選択肢はない。
「よっと……」
その隙にディルモットは着地と同時に、黒衣の青年に捨てられたダガーを取り返すことに成功した。
「流石にこれがないとまともに戦う気は起きないねぇ」
舌を打つ黒衣の青年に、ディルモットは息をついて左手にダガーを構える。
悠長にマガジンを入れ替え、薄暗い景色を見据える。闇に溶け込めば、黒衣の青年は有利かも知れない。
しかし、有利なのはこちらも変わらない。五分の戦いだ。
「悪いけど、アタシは死にたいんでね。もし殺してくれるなら本望さ」
「……」
ディルモットの笑みに、黒衣の青年は顔を歪めた。唇を噛み締め、蛇腹剣を一振して一気に距離を詰める。
蛇腹剣とダガーが何度もぶつかり、静かな橋の上で金属音が哀しく鳴り響く。
お互いまだよく知らぬ身でありながら、師が同じであるかのように動きを重ねる。
上からなら上でたたき落とし、下からすくい上げる攻撃には下がりながら横振りで応戦する。武器は違えど、戦いは完全に五分。
__あとはどちらが身を削るかに掛っていた。
「ん……っ!?」
素早く首を狙ったディルモットの攻撃は、蛇腹剣ではなく左腕によって防がれた。
布を裂き、筋肉にめり込んだダガーは簡単に抜くことは出来ず、ディルモットは一瞬怯む。
同時に蛇腹剣が下からすくい上げるように振られ、ディルモットは寸でのところで身を翻す。
頬に赤い一線が走り、彼女の白い肌に一筋の血が流れていく。
「ハハッ、痛いね。やっぱり身体は張るものじゃない」
左腕から滴り落ちる血を尻目に、黒衣の青年は再びディルモットのダガーを奪い取った。今度は拾われぬようにと、力強く橋の下へと放り捨てる。
「ボクも君と同じ人種なんだ。深手を負うくらいなら、軽いものを犠牲にする」
「あいつからの教えかい? 悪趣味なだねぇ」
ディルモットは頬を拭い、血を払い捨てる。結局、頼れるのは一丁の愛用銃のみらしい。
流石に橋下に捨てられたダガーを拾いには行けない。
相手は左腕を負傷しているが、痛がる素振りはない。
「面倒だねぇ……」
困ったように肩を竦め、ディルモットはお手上げといった様子で頬を掻く。
「ボクは本気さ。君の足を切断してでも止めてみせる」
黒衣の青年は蛇腹剣を構える。
ディルモットは逡巡した。
ここで負けたらどうなるのか?
列車に乗れば死ねるのだろうか?
王子は__残されたアールスタインはどう思うだろうか。
「……アタシはまだ、何もしていない」
ディルモットは吐き捨てるように呟き、拳銃を構えた。ほんの少しだけ、心臓が痛んだ気がした。




