間章 【夢の終わり】
……深い闇が広がっていた。
辺りは暗く、蝋燭や温もりを感じる明かりは一つもない。
それどころか、床はやけに粘着質な液体に背中を犯されていた。
赤く、ぬめりを帯びていて、ゆっくり腕を上げると糸を引くように伸びる。それが気持ち悪く、アタシは思わず吐き気を催す。
手を振って払ったあとに立ち上がると、慣れてきた目が映し出したのは、ゾッとするほどの死体の山であった。
首を裂かれた男。
胸を弾丸で撃ち抉られた女。
右足を削がれた男の子。
眼球の無い赤ん坊。
血肉がこぼれ、赤黒い溜まりが広がっていく。その血生臭さが一気に鼻腔を突き、アタシの気持ち悪さはピークを達した。
「おえぇぇえっ……!」
吐瀉物を足元にぶち撒け、さらに酸味臭さで再び口許を押さえる。
「アタシは、好きで殺した訳じゃ、ないっ!」
死体の山は数十なんて優しいものではない。数百は越える物言わぬ死体の圧力が、ただ追い詰めてくる。
恐怖が、全てが襲い掛かってくる。この感覚は、よく覚えている。この感覚のせいで、アタシは殺して、殺して……。
「貴女に恐怖は似合わない。だから、ね? 撃つのよ」
不意に背中から優しく抱き締められ、女の声音と共に左手に黒い塊を握らされる。それはよく知った物体だ。そう、これを引けば怖い感情など消える。
目の前の命と共に──。
「うるさい。うるさい! アタシは、アタシだ。もう怖くない」
「嘘ね。見て、血を。怖くない? 殺したくならない?」
白い髪が見えた気がした。
目の前には、いつの間にか得物を持った男が二人がかりで襲い掛かってきていた。
「……っ!」
アタシは咄嗟に黒い塊を男に向けて引き金を引いた。躊躇いより早く、恐怖を掻き消すように。
「ね? 貴女は怖がってる。違うわ、怖いのは傷付いた後」
「うおおおおおっ!」
白い髪の女が耳打ちして離れた瞬間、アタシはどこからともなく現れた男に胸を切り裂かれた。
生暖かい血が噴き出し、一気に呼吸が浅くなる。切り裂かれた傷がジクジクと熱を帯びて痛みを脳へ送ってくるのだ。
「うあぁぁああっ!!」
アタシは引き金を三発続けて撃ち、胸を押さえてひざまづく。しかし、痛みより怖いことが身体の中で蠢き始めた。
傷付いた血を吸いとるように内から現れた異形なものが、傷に沿うように這いずり、縫うように蠢くのだ。
「貴女は、貴女じゃない。魔臓器がある限り、私たちは人間になんてなれない」
「うっ、ぐ……」
白い髪の女はクツクツと笑う。
それが耐えられず、アタシは歯を食いしばって素早く銃口を後ろへと向けた。
白い髪の女──フリーデは、両手を広げて何もかも受け止める姿勢でいたのだ。
「あんな王子も、魔臓器も諦めて前のような暮らしに戻りましょう? 私と貴女なら、裕福な暮らしが出来る。煙草も、お酒も、男も女も好きに出来る」
「黙れ」
フラつきながらも立ち上がり、アタシは躊躇いなく発砲する。乾いた音と共に、弾丸はフリーデに直撃した。
するとフリーデの身体は白い粒子となって消えていった。
「ほら、また殺す」
「……っ!」
耳元で囁かれた冷たい言葉に、アタシは発狂した。込み上げてくる吐き気と涙に耐えられず、再び床へと吐くが、今度は胃液だけであった。
「アタシは、アタシは殺し屋でも、魔臓器でもない。アタシは──運び屋ディルモットだ!!」
発狂と同時に自らのこめかみに銃口を向け、力強く引き金を引く。重い衝撃がこめかみから弾丸が突き抜け、アタシは死体の山に倒れた。
穴が開いたこめかみから血が流れていく感覚と、再び異形なものが中から蠢きグチョグチョと気持ち悪い音が耳の中で鳴り響く。
身体が冷たくなることはない。
意識は失っても、死ぬという感覚は全く来ない。どう足掻いても死ぬことは出来ないのだろう。
──だってアタシは、人間じゃないんだからねぇ。