第五十三話 【共鳴】
大きく飛び上がったディルモットが、ヴェルザの胸元目掛けてダガーの先端を突き立てた。
対してヴェルザは抵抗の意思を見せ、触手を放ち応戦する構えを取る。
「ふんっ……!」
暴走魔法で無理矢理に力を引き出されたディルモットは、怖さや畏れなど感じることはない。
鋭利な姿を変えた触手は凄まじい速さで迎え撃つが、容易くダガーで斬り捨てられる。
「ぬぐぅおっ!?」
落下の重力を利用した一撃は、肥大した顔面を抉り魔臓器へと突き立てられた。
赤黒い液体がヴェルザの顔面から鼓動と共に吹き出し、痛みで目を血走らせる────と思いきや、その表情は喜びに満ちていた。
鋭利な爪が生えた禍々しい指が、しっかりとディルモットの右胸を掴んだのだ。
「くハハッ! 捕まえたゾ!!」
自らの魔臓器を囮にしてまで捕まえたヴェルザの執念に、ディルモットは痛みで顔を歪ませる。
右乳房に爪が食い込んでいるのか、白いシャツに赤いシミが広がっていく。
「ワタしの物ダ」
「ッ!」
ヴェルザは意味深な言葉を吐くと、口が奇形に広がり、毒々しい棘付きの舌がゆっくりとディルモットに向かって伸びていく。
「清らかな水の乙女よ、天の鉄鎚を悪食に浴びせよ!」
危険を悟ったジークフリードが早口で詠唱を唱える。
ディルモットの頭上に現れた無数の水滴。それらは落ちる前に鋭利な針へと変貌すると、勢いよく降り注いだのだ。
「バカ野郎! それじゃあ──」
「黙れ! 清らかな水の乙女よ、今我らに加護を!」
焦りを見せるダジエドを制し、ジークフリードが続けて詠唱を唱えた。
水針がディルモットの背中を貫こうとした瞬間、淡い青色の膜が優しく彼女を包み、水針はヴェルザの顔面へ降り注ぐ。
「ぐぅええおオオッ……!?」
水針が口の中や肥大した顔面、血走った眼を非情にも襲い掛かりヴェルザは庇うことも出来ず悲鳴をあげた。
「……援護するぜっ!」
状況を飲み込んだダジエドは素早く長銃を構え、肩に力を入れる。ブレる標準を定め二発の弾丸をヴェルザの肥大した顔面にぶち込んでいく。
「あ、落ちるよ!」
アールスタインが指を差した。
怒濤の攻撃に堪えたのか、ヴェルザは身体を震わせ白や黄色の液体を染み出すと、腰に吸収されていたリーシェが触手から解放されたのだ。
粘着質な糸を引きながら、リーシェは力無く床へ放り出された。
「リーシェ!」
ダジエドが駆け寄ろうと長銃を捨てる動作に入る前に、ジークフリードが彼の肩を掴み無理矢理に制止させた。
「何しやがる!?」
「彼女が心配なのは分かる! しかし今はあの運び屋が優先だ。あのままでは取り込まれる!」
怒りを露わにするダジエドを後ろへ引っ張り、ジークフリードはさらに魔法の詠唱をしようと剣に力を込める。
しかし、魔力が集中することはなかった。
「魔力が枯渇したか……ッ」
ジークフリードは顔を上へ向けると、先程まで降り注いでいた白い魔力の粒子は止んでいたのだ。
「ふぅ、ふぅっ……!」
既に人の形など保っていないヴェルザは、未だ抵抗を止めようとしなかった。
降り注ぐ魔力の粒子が消えたということは、魔臓器が宿主を吸い付くしたという証拠だろう。
ディルモットのダガーも、ほんの少しずつだが魔臓器へ侵入しつつあった。
「あともう少しなのに……」
「おいおいどうすんだ! 俺はもう弾切れだぜぇ!?」
長銃を抱きかえるだけのダジエドと、彼女を見つめるアールスタイン。
歯軋りをして状況を見守るだけのジークフリード。
そんな状況で、好機と踏んだヴェルザは口だったものを歪めた。嗤っているのだろうか。
「喰らウ。魔臓器……完ゼンに、ナルために」
「この……変態野郎がっ!」
生暖かい吐息と共に首に噛み付こうとしたヴェルザに、ディルモットは強烈なフックをお見舞いした。
すると、顔面はドロリと液体のように溶け、右目がずるりとこぼれ床へと転がっていく。
同時に、頭に吸収されていたアレクも落下し、リーシェの横に着地した。
「アタシは魔臓器を一つ残らず潰す。それがアタシの、せめてもの…罪滅ぼしだから」
「ディルモット……」
化け物の魔臓器にダガーをさらに突き立て、上から柄に全体重を掛ける。
それでも魔臓器は自らに防御壁を施しているのか、刃先にヒビが入り始めた。
「アタシには、無理か……っ!」
歯を食いしばり、ディルモットは口の端から血を流した。その状況で誰が彼女に手を貸せるだろうか。
「……あと一回……」
魔力が枯渇したジークフリードと、弾切れのダジエドに挟まれた少年────アールスタインは、魔法剣に視線を落とした。
「王子いけません! それ以上重ねればあの女は壊れます!」
「ジーク。僕は、僕はディルモットの隣に立ちたい。ディルモットの想いを、叶えたい!」
ジークフリードの制止を無視して、アールスタインは涙目で魔法剣を掲げた。
「死なない。ディルモットは、絶対に“死んだりしない”から」
その言葉は願いか、信用から出たものか。
真っ直ぐな瞳で背中を向けているディルモットに、アールスタインは大きく深呼吸した。
「ディルモット! そいつを殺して!!」
「ッ!!」
力強い願いと共に魔法剣から放たれた赤い雷は、ディルモットの身体に直撃し全身を震わせた。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁあっ!!?」
経験したこともない熱さが血管を膨張させ、狂うほどの寒さが同時に筋肉を萎縮させていく。腐るほどの酒を浴びて命の危険を感じた時のように、世界が奇妙に歪み謎に満たされた感覚。
ぐらりと身体が揺れたかと思えば、光を失った目でディルモットはヴェルザを……魔臓器に視線を落とす。
「や、やメロ……っ!」
驚愕するヴェルザは魔臓器を守ろうと足掻き、残っていた一本の触手をディルモットの左胸に深々と突き刺した。
「ディルモット!!?」
今にも走り出そうとするアールスタインの腕を羽交い締めにし、ジークフリードが後ろへ下がる。
「おいおい、ありゃあ限界越えちまったんじゃねぇのかよ……ッ」
「暴走を越えてしまったか」
ダジエドとジークフリードは顔をしかめる。
「ははハハッ! 勝っダ! ワタしが勝ったノダ……ッ!?」
低く笑い始めたヴェルザはディルモットを自分の方へ引き寄せようとして、胸の違和感に視線を落とした。
魔臓器を見れば、易々と刺さっていたのだ。ヒビが入ったダガーが。徐々に、深く、深くへと。
「は、ガッ、馬鹿ナッ!? があ゛!?」
刺されたダガーに触れようとするヴェルザだが、使える手は全てディルモットに刺さっている。自らを守るものは何もない。
瞬間、左胸に刺さっていた触手がディルモットにより掴まれ、片手で握り潰された。
「……三文芝居は嫌いだった? それは、残念だねぇ」
柔らかく微笑む口許からは赤黒い血が流れ続けていた。滴る血はダガーを握る手に落ち、力が入れにくくなる。
それでも、魔臓器を破壊するために必要な力は十分だ。声にもならない悲鳴をあげ身体を震わせるヴェルザ。
魔臓器の防壁を突破したのか、噴射するが如く血が吹き出し雨のようにディルモットを汚していく。
「アタシは死んだりしない。死ねないのさ。だから、先に逝ってな」
「じにダク、ない! ワタしは……神二なるおどコォォォオオオっ」
軽くダガーを抜くと、ディルモットは大きく振り上げて魔臓器にダガーを振り下ろした。
脆くなった魔臓器を貫いたダガーは背中まで突き刺さり、噴き出す血はやがて枯れていった。ヴェルザは一瞬で石化し、夜風によって灰が空へと舞っていく。
「終わっ……たのか」
呟いたのはジークフリードだ。
同時に、ディルモットの身体は左右に揺れると、力無く地面に倒れ込んでしまった。
「ディルモット!!」
弾かれたようにアールスタインが走り始める。続いてダジエドも追い掛けていく。
「運び屋ディルモット──やはり」
疲れきった表情で額の汗を拭ったジークフリードは、王子と運び屋を遠目に見つめ目を伏せた。
剣を鞘に収め、何かを確信した様子で踵を返すジークフリードは、アールスタインの呼び掛け声を何度も耳にしながらこの場を後にした。




