第五十二話 【血の味】
ディルモットは隼の如き疾走で魔臓器に駆け出すと、左から右へとダガーを振るった。
「ナニを……ッ!?」
ヴェルザの顔がさらに歪む。
当然だ。彼女が攻撃したのは、今にも腐敗し取れ掛けたヴェルザの右腕なのだ。
すぱんっ、と音を立てて粘着質な液体を伸ばしながら右腕が宙へと吹っ飛ぶ。
「ぬおっ!?」
右腕から放たれていた火球は、一気に爆発すると水の盾を破壊した。
凄まじい花火のようにも見える爆発により、ジークフリードは後方へ飛ばされたが、剣を床に突き立て、火花を散らしながら制止した。
「私ごと殺す気か!」
「死ななかったんだ。誉めてほしいもんだねぇ」
怒りを露わにするジークフリードに対して、ディルモットは後ろへ大きく飛び退いて鼻を鳴らす。
右腕を失ったヴェルザは、顔中の血管を蠢かせ左目を大きく開いた。
「オのれ、もう少シダト言うノニ!!」
「この人、自我があるの……?」
悔しがるヴェルザの言葉に、アールスタインは数歩後退りする。
口から血反吐を撒き散らし、赤黒い触手が何本も蠢き、ヴェルザは充血した両目でしっかりとディルモットを睨み付けた。
「おいおい、勘弁してくれよ。あいつは化け物に支配されてんだろぉ?!」
フラフラになりながらも長銃を構えるダジエドだが、その表情は恐怖におののいている。
「舐メルなよ虫ケラがっ! 我ハ全てヲ超越するノダ! 我コソガ! 選ばレし者なのだ!!!」
「世迷い言を……」
ヴェルザの叫びに、ジークフリードの額に青筋が浮かび上がった。
殺気を放つ騎士団長に対して、しかしヴェルザは引くなどということはしなかった。
「世迷イ言だト? ならば、コレでドウだっ!!」
顔を歪ませ、背中からさらに三本の触手を生やしたヴェルザは、ディルモットに向けて左手をかざした。
「ソノ魔臓器をヨコセぇぇ!!!」
化け物じみた声音と共に触手の先端が鋭く尖ると、ディルモットの胸に向かって真っ直ぐ突っ込んでくる。
「ぐっ……!」
力だけで押し通そうとする攻撃を辛うじてダガーで去なすと、ディルモットは歯を食い縛って攻撃を避けていく。
隣にいるダジエドやアールスタインには目もくれず、触手はディルモットを執拗に狙い続ける。
「背中の魔臓器を狙ってるの……っ!?」
「おいおい! ボサッすんな! 逃げるぞ!!」
彼女が背負うわら袋の中には魔臓器が入れられている。それと結合しようものなら、ヴェルザは本物の超越した神となるかも知れない。
しかし、どうすることも出来ないアールスタインは、ダジエドに腕を引かれ大きく後ろへと下がる。
代わりに前へ出たのは、ジークフリードだ。
「そうはさせない!」
ディルモットが去なした触手を剣で両断し叩き切ると、ジークフリードは容赦なく踏み潰す。
ぐちゃりと、嫌な音を立てて血を広げる触手の残骸を蹴り、ジークフリードがさらに前へ出る。
剣聖と呼ばれる男の剣さばきは凄まじいものであった。左右からの同時攻撃を、たった一度一閃し、正面から来る触手を斜め下から切り上げる。
血飛沫が噴水のように溢れたが、ジークフリードは気にせず前へ進み続けた。
「流石、騎士団長様はお強い」
「茶化す前に手を動かしたらどうだ」
ディルモットの感心を皮肉と受け取ったジークフリードは、一度も振り向くことなく剣を振り回す。
一閃一閃が美しく、それでいて無駄のない動きは完璧な騎士と言えよう。
しかし、見惚れている場合ではなかった。
「ディルモット! 下!」
「っ!」
アールスタインの言葉により、ディルモットは後方へ飛んだ。
ジークフリードの足元をすり抜けた触手が、彼女の心臓目掛けて鋭い突きを繰り出す。
「くっ……!?」
着地と同時に触手の攻撃が膝に掠ったのか、少量の血が床に飛び散る。
その血を舐めるように触手が掬うと、ヴェルザは歓喜して見せた。
「コノ味!! 間違いナイ! ワタシが追い求メテいたモノだ!!」
「な、なに言ってやがんだぁ? 気持ち悪ぃ」
ヴェルザの恍惚とした表情はさに、ダジエドは顔を歪ませ眉間にしわを寄せた。
しかし、言われた当の本人は気持ち悪いという感情ではなく、憤怒を露わにしていた。
「……アタシは、アンタとは違う」
吐き捨てるように呟いたディルモットは、怒りに溢れた表情で奴を睨み付ける。
「……アンタは絶対に殺す」
冷たく言い放ったディルモットは、ダガーを逆手に持つと全力で地を蹴りあげた。
「お、おいおいっ!?」
「運び屋──何を!?」
「ダメだよディルモット! 罠だ!」
三人の男たちが声を荒げたが、時既に遅し。
「さア!! 来いッ!!」
歓喜の表情で左腕を上げたヴェルザに、ディルモットは無言で飛び上がった。




