第四十五話 【憎い記憶】
睨み合うディルモットとジークフリード。
暑いはずの場が一気に凍り付こうとした時、集まり出す魔物共が一斉に雄叫びを上げた。
「い、今は魔物の暴走を止めるべきです! 騎士団長!」
二人の間に割って入り、ミリアは両者よ視線を集める。
しかし、ジークフリードは構わず口を開いた。
「アールスタイン様はどこにいる?」
直球の問いに、ディルモットは肩を竦めた。
「王子は城の中さ。ヴェルザから聞いているんだろう? 早く助けに行ってあげたらどうかな?」
ゴーガの群れが歩んでくる方向に視線を向け、ディルモットは愉快に眉を上げて見せる。
焦るミリアの姿を挟んでいるからだろうか。
ジークフリードは剣を胸の前で構えると、勢いよく刃から水流を溢れさせた。
「き、騎士団長! 彼女は王子の味方です!」
「それを考えるのも決めるのも私だ」
驚くミリアをよそに、ジークフリードは大きな水球を掌に作り出すと、躊躇い無く放つ動作へと移る。
対して、ディルモットは顔をしかめてゴーガ共が群がる方向へと駆け出したのだ。
「ちょ、ディルさん!?」
ジークフリードとディルモットを交互に見つつ、どうするか判断を下したミリア。
結果、遅れてミリアはゴーガ共の方向へと駆け出し、上司の表情を歪めさせた。
ディルモットが駆けて行くのは、城の裏口──もとい、ゴーガ共の群れの中心だ。
「……報告通り、賢い女だ」
素直に感心したジークフリードは、右手を大きく突き出し大きな水球をゴーガ共に放った。
「ミリア! 急げ、飲み込まれるぞ!」
ゴーガやゴブリンもどきの攻撃など無視して、股下をくぐり抜けたディルモットは、息を止めて走り抜ける。
同時に、水球はゴーガ共の真上に到達すると、再び秋声の歌声が響き渡る。
「清らかな水の乙女よ。悪の穢れを打ち砕かん──!」
詠唱らしい文言を呟いたジークフリード。
刹那、水球はゴーガ共の真上から滝のように降り注ぎ、魔物共を纏めて飲み込んでいく。
「ウコゴゴッ!?」
「グギャ、ボゴゴッ──」
盾も無ければ溶かす身体しか持ち得ない魔物共は、降り注がれる清らかな滝に飲み込まれ、一瞬で光の粒子と化していく。
「手を伸ばせっ!」
「は、ふぁい……っ!」
降り注ぐ滝流に一瞬飲まれたミリアだが、伸ばした手をディルモットに引っ張られ、間一髪で転がり抜け出した。
「げほっ、ごほっ」
倒れながらも胸を押さえ、ミリアは飲み込んだ水を吐き出そうと何度も咳き込む。
その背後で、あれだけの数を一瞬にして浄化したジークフリードの力に、ディルモットは感心しながらも表情を歪める。
「どうやら壁は無くなったらしい。城の中に入るならば好都合。さあ、どうする」
ゆっくりと歩み寄ってくるジークフリードは、濡れた髪をさらに後ろへ撫でつけた。
サルヴァンが力だとすれば、ジークフリードは魔力だろうか。
力も魔力もないディルモットにとっては、どちらも持ち合わせているジークフリードが厄介過ぎた。
「王子が待っているのはアタシか、アンタか。賭けてみるかい?」
「賭け事は禁止されている」
「つまらない男だ」
ジークフリードの言葉に肩を竦めたディルモットは、立ち上がってコートを翻し城の裏口へと後退りで近寄っていく。
「……置いていくつもりか」
未だ荒い呼吸を続けているミリアを一瞥したジークフリード。
「アンタは仲間を殺すのかい?」
それだけを言い残し、ディルモットは城の裏口へと駆け出し中へと入って行った。
残されたミリアはようやく起き上がり、仏頂面のジークフリードを恐る恐る見上げる。
「……君が謀反をしてまで彼女に付いていく理由は何だ。王に背くまでの根拠は?」
目の前で質問責めをしてくるジークフリードは、怒りを露わにしていた。
仲間を敵の目の前に置いていくような奴に、何故付いていくのかと。
しかし、その問い掛けによってミリアは不思議と恐れが薄まった。
「……アール様が正しいと、そう信じたからです」
凛とした表情で言い切ったミリアに、ジークフリードは特に表情を変えることなく城の方へと視線を向ける。
「私も、王を信じている。しかし、アールスタイン様が何をお考えか、少し理解しているのだ」
秋声にも微かな震えが混じっていた。
ジークフリード自身も迷っているのかも知れない。
「一つ、決めていることはある。ディルモットを捕らえ、王子を助け出し、魔臓器を奪還する。それが私の任務」
剣を一振りし、毛皮の外套を靡かせて城へと走り出していった。
その背中を見送りながら、ミリアは唇を噛み締め、地面に落ちた槍を強く握り締める。
「……私も決めたんです。アール様に付いていくと」
ゆっくりと立ち上がり、ミリアは擦りむいた傷を気にすることなく、城の方へと駆け出した。
その二人の姿は、既に二階にいたディルモットから一目瞭然であった。
裏手から入った城の中は、まだ火の手が回ってはいなかった。それでも、黒煙と血生臭さが城の中を満たそうとしており、転がる兵士と魔物共のせいで、景色は地獄絵図だ。
この中からアールスタインを探し出すのは一苦労どころか、見つかる可能性の方が低い。
「……厄介だ。さて」
二階は客室通りなのか、兵士も魔物の影もいない。オークション会場が最上階のVIPルームだと聞いているが、子供たちはどこに入れられているのか?
この炎の中だ。
子供を置いて上層部の奴らは逃げ出しているかも知れない。
そうならば、ベルガルの孫どころかアールスタインまで命の保証がないに等しい。
「すでに逃げてくれていれば有り難いが……」
真っ直ぐの通りをゆっくりと歩みながら、必然的に独り言が増える。
熱のせいか、焦りのせいか。
額や背中にじっとりとした汗が流れていく。
「アールスタイン! 返事をしろ!」
敵も反応してしまうだろうが、アールスタイン本人から返事が返ってくれば問題はない。
「アールスタイン!」
「ディル……トッ!!」
近くから反響してくる小さな声に、ディルモットは驚き足を止めた。
と、唐突に並んだ客室の一つの扉が開き、ディルモットは思わず拳銃を構える。
「ようやく会えたわ。ディルモット」
現れたのは、アールスタインではなかった。
銀の短髪を揺らし、白いコートの裾を靡かせる女性の顔は、見覚えがあった。
「……まさか、忘れた訳じゃないわよね」
爽やかに微笑む彼女に対して、ディルモットは厳しい表情で見つめ返す。
「──ああ。まだ覚えている自分が憎いよ。フリーデ」
銃口を下ろすことなく、ディルモットは小さく息をついた。
「ディルモット……」
後から現れたのは、アールスタインと金髪の少女メグだ。
どうやら二人は合流していたらしいが、何故フリーデと共にいるのかは分からない。
ディルモットは気にせず銃口をフリーデへと向けた。
「私を撃つの?」
「アンタの手が王子から離れなければ、ねぇ」
ディルモットの指摘に、フリーデは困ったように眉をひそめた。
指摘通り、アールスタインの後ろ首には見えにくいがフリーデの持つダガーが当てられているのだ。
「邪魔をするなら容赦なく殺す」
「あなたに私を殺せるの?」
「殺すさ。絶対に」
殺意に満ちたディルモットの言葉は、脅しではなく本気のものだ。
息を飲んで状況を見守るアールスタインは、うっすらと切られた皮膚から血が流れ始めていた。
「お願いだ、フリーデを撃たないで。フリーデのおかげで、僕はここにいるんだ。ギンムガムに行くための──」
「黙れ」
アールスタインの必死な説得も虚しく、ディルモットは引き金に指を当てた。
睨み合う両者に、メグも恐怖のためか泣き声すら上げない。
「その女を守るなら、アタシはアンタも撃つ」
「ディルモット!?」
フリーデから銃口を外し、標的としたのはアールスタインだった。
流石に驚き焦りを見せたフリーデだが、口元が少し緩んで見えるのは気のせいではない。
むしろ、ディルモットの行動に喜んでさえいるように見えた。
「やはり王子の敵か。運び屋ディルモット!」
階段を上がり追い付いてきたジークフリードは、この状況に怒りを露わにさせた。
剣と魔法を構えるジークフリードに、ディルモットは溜め息を漏らして銃口を下ろそうとする。
「悪いが、アタシは目的のためなら手段は選ばない主義でねぇ」
そう言うと、下げようとした拳銃を構え直し迷わずアールスタインに向けて引き金を引いた。
乾いた銃声が鳴り響き、城全体に重い静けさが広がった──。