第四十二話 【銀髪の女】
「どうして散歩に出掛けただけで、そのように血だらけになるのでしょう?」
ヴェルザと別れた二人は、ベルガルの元へと戻っていた。
血塗れの二人を見て開口一番に出た言葉は、当然といえば当然だろう。
ミリアは治療のため急いで奥の部屋へと連れて行かれた。
残されたディルモットは肩を竦めて、頬に付着していた乾いた血を爪で掻き落剥がす。
「全く、元気なお嬢さん方だ」
こちらも呆れ気味に肩を竦めたベルガルは、そばにいた部下に指示を出していた。
「まさか本人に会ってしまうとは」
「こっちの情報は筒抜けらしい。仲間にスパイでも居るんじゃないかい?」
「……疑いたくはないが、そうだろう」
ディルモットの怪訝げな目に、ベルガルは厳めしい表情で溜め息を漏らした。
この場にいる黒服たちの表情が張り詰め、空気に緊張が走る。
「必要な物は用意出来ているんだろうねぇ」
「手筈通りに。だが、このままだと内紛にまで発展しそうだ。作戦を練り直す必要があるかも知れない」
「どうでもいいが、アタシは何があろうと突っ込ませてもらうさ」
血だらけの白いシャツをパタパタと扇ぎ、ディルモットは腰に手を当てて苦笑した。
「ああそれと」
ふと、ディルモットは思い出したかのように口を開いた。
「特別、用意してもらいたい物がある」
ディルモットの表情は厳しいものだった。
何かを察したベルガルも、眉間にしわを寄せ「何でしょう」と、呟いた。
♪
一方で。
アールスタインは金髪の少女を守りながら、目の前の脅威に生唾を飲み込んでいた。
「なんだ、面倒臭え。殴れば言うこと聞くか?」
「舐めるなよ。僕だって男だ」
「その格好で言われてもなあ。笑かしてくれるじゃねえか」
白い仮面に細い身体。
見た目ならば弱そうに見える相手は、ケラケラと笑って何度も素早いジャブを繰り返した。
突然現れたと思えば、無抵抗の少女を殴り飛ばしたのだ。
ストレス発散だとか、ガキは教育が必要だとか、意味の分からないことを理由に殴り続けようとした奴に、アールスタインがすぐさま割って入り、この状況となる。
「顔は殴るなよ。ヴェルザ様に首跳ねられるぜ」
閉められた扉の向こう側から仲間と思わしき声が聞こえ、白い仮面は「わーってるよ」と、軽く答えて拳を握り締める。
どうやらこの行為は黙認されているらしい。
「こ、わい……っ」
「大丈夫。僕が守る。だから、そこに隠れて」
泣きじゃくる少女の頬を撫で、アールスタインはベッドの下へと促した。
ベッドの下で丸くなっていれば、少女に危害を加えることは難しくなるはずだ。
少女は震えた手足で這うように床を歩くと、ベッドの下で丸くなり頭を抱える姿となった。
「おう、賢いじゃない。で? おまえは?」
「僕は構わない。でも、黙って殴られるつもりもない」
「言うねえ。じゃあ、精々逃げてくれよッ!」
うさ晴らしにしては素早いステップで詰め寄ってくる白い仮面に、アールスタインはドレスの裾を高く舞い上げた。
視界を奪われそうになった白い仮面は、しかし怯むことなく真っ直ぐ突っ込んでくる。
「子供騙しもそこまでかッ!」
「ぐっ……!」
視界を遮ったおかげか、白い仮面の拳は脇腹に掠っただけで済んだ。
それでもプロの戦闘集団であることは間違いない奴の攻撃は、アールスタインの顔を曇らせる。
「おらおらッ! やり返してみろよッ!」
右へ転がり逃げるアールスタインを執拗に追い掛ける白い仮面。
狭い部屋の中で戦うなど無謀。
武器も無ければ盾も無い。
テーブルの下へ転がったアールスタインに、白い仮面はドレスの裾を掴んで引きずり出そうとした。
「あ?」
だが、白い仮面が引きずり出したのはドレスだけであった。
「うわああっ!」
「なっ!?」
上半身裸となったアールスタインは、テーブルの上に置いていたフォークを手に白い仮面へと向かっていた。
不意の攻撃は、白い仮面の膝に突き刺さり、馬鹿みたいな悲鳴を上げることに成功する。
同時に、凄まじい怒りまでも引き出してしまうことになった。
「こんのクソガキがッ!!」
「っ!!」
テーブルを足で蹴り飛ばし、アールスタインは急いで後ろへ逃げる。
しかし、怒りで我を失っている白い仮面は、容赦なくアールスタインの首を捕まえ、軽々と宙へ浮かせた。
「あっ、がっ……」
ギリギリと首を締める音が聞こえ、次第に意識が朦朧としていくのを感じる。
顔だけが熱く、手足に感覚が伝わらなくなり、皮膚に違和感が走っていく。
命の危険を身体中に伝達していく脳は、しかし抗うという力を与えてくれない。
「はっはっ、おれに傷付けようなんざ百万年早えんだよクソガキ」
「あ……」
白い仮面の声はノイズが走ったように聞こえづらく、アールスタインも呻き声すら出せなくなっていく。
だが、その後に聞こえた声は、やけに鮮明にアールスタインの耳に届いた。
「良い趣味ね。私も参加していいかしら?」
「あ? 誰──」
透き通るような綺麗な声が聞こえ、白い仮面は面倒臭そうに振り返ろうとして、頭を床に転がした。
同時に、アールスタインは解放され崩れ落ち、大きく咳き込んで深呼吸をする。
「な、にが……!?」
状況が分からず、朦朧とした意識を起こし目を開いたアールスタインは、目の前の惨状に息を詰まらせた。
白い仮面の身体は倒れ、首が床に転がり、血飛沫が辺り一面に広がっていたのだ。
赤い絨毯をドス黒く汚す血溜まりが、切断された首から永遠と流れ出ており、アールスタインは胃から上がってくるものを一気に吐き出してしまう。
「あら、こういうのは苦手だったかしら。ごめんなさいね、王子様」
上から降り注がれた声は、やはり綺麗で、さらに聞き覚えがあった。
ある程度吐き終えてから、アールスタインはゆっくりと視線を上に向け、再び目を見開く。
「お前……城にいた……っ!」
「ええ。お久しぶりと言うべきかしら。それともまた会ったわね、と言うべきかしらね」
アールスタインの前でにっこりと微笑んだのは、銀髪の女性であった。
血飛沫を浴びた姿は狂気的だが、ストレートの短い銀髪に、白い肌、切れ長の目がきつい印象だが、それよりも美しく女性らしい顔立ちは、数多くの男を落としてきただろう。
常に微笑んだ表情は、アールスタインを安堵させるには十分だったが、手に持った中途半端の長さであるダガーからは、ゆっくりと血が滴り落ちている。
「僕を助けに来てくれたのか?」
「ええ。王子様の身に何かあっては、お父上様もさぞお困りになるでしょうし」
「父上って……お前は僕の味方じゃないのか!」
銀髪の女性から出た言葉に、アールスタインはふらつきながらも立ち上がり身構えた。
「父上を止める手助けをしてくれるって、そう言っただろう?!」
「ええ、言ったわね。おかげさまで、ディルモットは動いてくれたわ」
アールスタインの鋭い視線に、銀髪の女性は微笑んだままダガーを一振りする。
ディルモットの存在を教え、魔臓器の危険性と父である王が戦争を引き起こそうとしていること。
その全貌を教えてくれた張本人。
だが、味方であるはずの銀髪の女性は、口元を緩めて転がる死体に視線を落とした。
「ねえ王子様。ディルモットが本気で貴方を守る理由……何故か分かるかしら」
「どういう、意味だ」
「そのままの意味よ」
眉間にしわを寄せるアールスタインを横目に、銀髪の女性はベッドに腰掛けた。
「ディルモットは、貴方を利用しているのよ。魔臓器のために──自分のために」
銀髪の女性は柔らかく微笑んだ。
腰のベルトホルダーに手を掛け、拳銃を取り出し、意味深にダガーと並べて見せる。
そこでようやく、アールスタインは違和感に気付いた。
白のロングコートに黒いシャツ。
灰色のパンツと黒ロングブーツ。
中途半端な長さのダガーと拳銃。
色が違うだけで見覚えがあったのだ。
俗に言う、既視感というものか。
「ディルモットと……反対?」
アールスタインの呟きに、銀髪の女性は満足げに笑った。
ディルモットが黒だとすれば、彼女は白。背は高いが髪は短く、胸も小さい。全くの対比となる存在のようだった。
「何者なんだ……」
アールスタインの疑問に、銀髪の女性は出会って初めて眉をひそめた。
「フリーデ。そう、あの人に名付けて貰ったわ」
銀髪の女性──フリーデは悲しげに、それでも笑みを絶やすことなく頷いたのだった。




