第四十話 【血の臭い】
悲鳴と共に走って逃げようとした幼い少年が、黒衣を纏った白い仮面に捕まり、後ろ首を強打される。
視線を左に向ければ、隠れようとした年端もない少女が、白いワンピースの袖を掴まれ、無理矢理に馬車へと引き摺られていた。
「子供ばかり……っ!」
逃げ惑う子供たちを、白い仮面の連中が片っ端から捕まえている光景は、まさに地獄絵図といえた。
息を飲むミリアは、背中に携えた一本の槍を手に駆け出す。
同時に、こちらへ向かって走ってくる少女を抱き留め、追いかけてくる白い仮面に槍を横薙ぎに振るった。
「出来るだけ遠くに逃げて」
「う、うん……!」
震える少女に優しく微笑み、強く背中を押して逃げることを促す。
それを見ていた白い仮面は、両手に鋭い爪を光らせて右足を前に出した。
「何者だ」
「それはこちらの台詞です! 白昼堂々、子供を追い掛け捕らえるだなんて許せません!」
ミリアの力強い言葉に、白い仮面は次々と集まってきていた。
その数は四人。
しかし、武器は暗器からクロー、短剣に短銃といった、どれも暗殺者が好む武器を持っていた。
兵士や騎士、そこらの盗賊などとは訳が違う。相手は戦闘のプロ集団であることは間違いない。
それでも、ミリアは一歩たりとも退かず、臆さず、槍を構えて悠然と立ち向かおうとしていた。
「答えられぬというならば、私は貴方たちを捕らえさせて頂きます!」
強い眼差しと圧力を放つミリアに、白い仮面共は少しばかり戸惑いを見せ始める。
民衆が影から見守る中で、二人の子供が白い仮面の短剣で逃げられないように脅されていた。
ミリアが勝ちそうになれば、迷わず脅迫材料にするだろう。一人では勝てない。
一人では。
「お困りでしょうかお嬢さん。助太刀は必要かな?」
「ディルさん! 今までどこに……!?」
ミリアの後ろから現れたのは、いつもの格好に戻っていたディルモットであった。
黒のスーツや蝶ネクタイ、眼鏡も外したディルモットの姿に、ミリアは何度もまばたきしている。
「いやあ、悪いね。あの格好だと後々面倒になるだろう?」
「それは、そうですけど。あれ、さらしを取ったということは、ディルさん下着は──」
「さあて! さっさと終わらせようかねぇ!」
とあることに気付いてしまったミリアを置いて、ディルモットは地を蹴った。
「殺せ」
白い仮面は怯むことなく、二人ずつ別れて対峙しようと地を蹴っていく。
正面へ突っ切ろうとしたディルモットは、左へ向かって暗器と短銃を相手にする。
対してミリアは、槍を回転させながらクローと短剣という素早い組み合わせに向かっていく。
「相手は報告にあった奴等だ。気を抜くな」
「アイツ……」
白い仮面の真ん中に黒の一本線が引かれた男が、どこからともなく現れ、再び下がっていった。
「司令塔はアイツか」
「どこを見ている!」
ボーダー仮面の司令塔に目を取られている隙に、ディルモットは正面から放たれた弾丸を、寸でのところで顔を左へ傾けて避ける。
同時に、暗器を持った白い仮面が、ディルモットの懐へ飛び込んで来てしまう。
「死ね」
「ぐっ……!」
腹へ向けられた暗器の攻撃を避けられず、ディルモットの口から小さな呻き声が漏れた。
脇腹を勢いよく裂かれ、宙に舞った鮮血が小雨のように降り落ちる。
その時、何かがディルモットの記憶が過ぎった。
『ディルモット──おまえは、×××』
懐かしいとも思わない。
反吐が出る記憶。
あの声も、呼吸音も、話し方も、全部。
全部全部全部。
アイツが悪いんだ。
「ははっ! いいねぇ、ただ……一撃で殺せないならそいつを持つ資格はない」
「なんだ──っ!?」
痛みで怯むことなく、ディルモットは逃げようとした白い仮面の首を掴んだ。
危機を感じ取った短銃持ちが、連続で弾丸を撃ち始める。
しかし、弾丸が撃ち込んだのは、逃げ遅れた暗器持ちの仲間であった。
「がっ……あ……」
首根を押さえられた暗器持ちの白い仮面は、力無く腕を落とし暗器を地面に転がした。
「な、何なんだ、お前は!?」
短銃持ちの白い仮面が、腹から血を流すディルモットを見て顔を歪めた。
痛みがあるにも関わらず、無表情で白い仮面を横へ放り投げ、気怠く暗器を手に取って感触を確かめているのだ。
その目は怒りでも憐れみでもなく、ただただ敵と認識した相手を殺すだけの、機械のような感覚。
「く、来るなっ!?」
白い仮面は短銃に弾丸を込めて何度も撃ち続ける。
放たれた弾丸を軽いステップで避けたディルモットは、溜め息にも似た息をつき、暗器を構えて一気に距離を詰め寄った。
「いいか。殺すなら一撃だ。一撃でやれないなら振るうな。撃つな。遊ぶなら本気で遊べ」
短銃から弾丸が撃ち続けられるにも関わらず、弾はディルモットの頬や肩を掠っただけで終わった。
同時に、ディルモットの腕が一度高く上げられたと思えば、白い仮面の首から多量の鮮血が宙へ舞い上がる。
「ディルさん!!」
血飛沫を全身に浴びながら、倒れようとした白い仮面から短銃を奪い、全力で腹を蹴り飛ばした。
既に冷たくなりつつあるであろう白い仮面は、首を掻き毟りながら両手を真っ赤に染めて絶命する。
「ああ……駄目だ。私は……」
「ディルモットさん!!」
自分を責めるように呻いたディルモットを、ミリアが大声で彼女の名を呼んだ。
瞬間、ミリアの右肩にクローの先端が食い込み、悲鳴も上げられないまま大きく後ろへ飛び退いた。
「よくも仲間を!」
クローに付着した血を振り払い、白い仮面は怒りを露わにしてミリアへ詰め寄ろうとした。
その光景を呆然と見つめていたディルモットは、ハッと我に返って暗器を投擲する。
「ぬぅっ!?」
クロー持ちの白い仮面が振り上げようとした時、暗器が脇腹に命中し、低い呻き声を漏らした。
その隙を見逃さず、ミリアは苦痛に満ちた表情で槍を横薙ぎに振るう。
仕方なく飛び退いたクロー持ちの白い仮面は、舌を打って脇腹に刺さった暗器を抜き、叩きつけるようにして捨てた。
「舐めた真似を──!」
「おまえはあの女を。致命傷は受けている。殺すぞ」
怒るクロー持ちに、短剣持ちはミリアを顎で示し促していく。
ミリアとディルモットの距離は開いていた。双方、傷は浅くない。走れるとすれば、ディルモットだろうか。
「ディルさん、しっかりして下さい!」
「……ああ、分かってる。ちょっと、疲れてるだけさ」
ミリアの言葉に、ディルモットは嘘をついた。
脇腹に食らった傷は、徐々に修復しつつあった。痛みはあれど、頬や肩を掠った傷は、今や跡形もない。
意識や記憶は飛んでも、こいつは元気らしい。と、ディルモットは舌を打って血塗れの掌に視線を落とす。
「行くぞ」
小声だがしっかりと聞こえた白い仮面の呟きに、ミリアは槍を構え直した。
しかし、右肩の傷が疼き、まともに槍を持つことが出来ないミリアは、生唾を飲み込んで歯を食いしばる。
「間に合わない……」
ディルモットは地面に落ちていたいくつかの小石を手に、駆け出しながら投擲していた。
一瞬でも怯ませることが出来るならと。
そう願って、小石を投擲した瞬間、噴水広場全体に広がるほどの鐘の音が、凄まじい大きさで響き渡った。
「そこまでっ!!」
続けて聞こえてきたのは、しゃがれた爺さんの叫び声と、金属が擦れ合うような音が幾重にも轟く。
そのおかげか、二人の白い仮面は制止し、ディルモットの背中がミリアを庇うことに成功した。
「この声は──くそ、退け!!」
司令塔であるボーダー仮面の男が、大声で叫ぶと、二人の白い仮面もすぐさま散ろうと駆け出していく。
「た、助かった……?」
緊張の糸が解けたミリアは、右肩を押さえてぺたりとその場に座り込んでしまった──。