第三十七話 【裏の顔】
マスターに通されたのは、酒場の奥であった。外での騒ぎや衛兵には劇の演習だとか言って、無理矢理に鎮圧させたらしい。
それで納得してしまう民衆と衛兵は、慣れているから大丈夫だと言う。
「どうぞ。少し長くなりますから、何か淹れさせましょう」
マスターは白髭を撫で、黒服に目で指示を出す。
倉庫ではなく客間として扱われているようで、白のソファが囲む透明の長テーブルに、温かい紅茶が三つ置かれていく。
高価な壷や船のボトルが飾られた黒塗りの棚。それを隠すように、紅茶を用意した大柄の黒服が後ろ手に組んで立った。
「お構いなく」
ディルモットは大きなソファに腰掛け、ミリアもそれに習う。
マスターは確認して、対面するように大きなソファに腰を下ろした。
「さて、どこから説明しましょうか」
好青年も中に入って来たところで、マスターは小さく頷く。
「アンタらはアタシらを知っていたけど、例の白い仮面とは違うのかな?」
足を組みタバコを取り出したディルモットに、マスターは眉をひそめて首を横に振った。
理由を話せない、ではなく、タバコが駄目ということらしい。仕方なくディルモットはタバコを懐にしまい込み、マスターを真っ直ぐ見据えた。
「……白の仮面は、ヴェルザ=モルザという男が従える部下です」
マスターから出た名前に、ミリアがあっ、とした表情をして見せる。
だが、口に出すことはなく温かい紅茶が淹れられたティーカップを手に、少しずつ冷ましながら啜っていく。
つい先日、食事に毒を盛られていたにも関わらず、何とも警戒心は薄いものだ。
そんなミリアの図太さを垣間見たところで、マスターは続けた。
「ヴェルザの目的はオークションを開催し、裏で金を動かすこと。そのために、毎日違ったオークションを開いているのですよ」
「それは捕まえた奴に聞いたさ。今知りたいのは、アンタらが何者かってことさ」
呆れ半分でディルモットは胸の下で腕を組む。
「せっかちなお嬢さんだ。まずは順序立てて説明させてくれ」
呑気に紅茶を飲み、マスターは一息ついた。
「貴女のお仲間がヴェルザの部下共に連れ去られたのは既に存じています。今夜開催される、子供オークションに商品として出品するのでしょう」
「しょ、商品っ!?」
マスターの衝撃的な言葉に、ミリアは顔を青ざめて息を飲んだ。
「今日なのか」
「はい。助け出すなら今夜が勝負です」
少し眉をひそませるディルモットに対して、マスターは余裕の表情だ。
「ですが、我々は訳あってオークション会場に入ることが出来ません」
「大体言いたいことは分かった。が、アンタらの事情とアタシらの事情に何の関係がある?」
いつもの気怠い態度ではない。
ディルモットは表情を厳しいものに変えてマスターを睨み付けた。
ミリアはそわそわしながら二人の顔を交互に見てから、何も言えずに出されたクッキーを摘まむ。
「関係ならある。我々の大事な跡取りがあいつらに誘拐されたんだよ」
口を挟んだのは好青年だった。
「我々はね、俗に言う裏組織なのです。この国を影で支えているのですよ」
マスターはにっこりと笑って紅茶を啜る。深いことは聞くな、という雰囲気がありありと出ているために、ミリアは苦笑して頷いた。
「顔が割れている我々では、救出は困難でしょう。そこで貴女です」
マスターのにこやかな表情が一変した。
顔もそうだが、目や、纏う空気そのものを変える程の圧力を晒したのだ。
「ディール、ディアムット、ディルモット。名前を変えても、その容姿は変わりませんね」
「…………」
知り合いではないはずだが、マスターの口調はまるで旧友と再会したようなものだ。
ディルモットもこれには流石に黙り込んでしまう。
「言ったでしょう。私はこれでもこの組織の頭をしております。情報はお手のものでして」
マスターの顔はいつの間にか元の優しいものに戻っていた。
「……ディルさん?」
殺気を押し殺していたディルモットは、ミリアの呼び掛けによりハッ、と我に返った。
いつの間にか触れていた拳銃のホルダーから手を離し、ディルモットはぎこちない笑みをミリアに返す。
その唇は、微かに震えているようにも見えた。
「我々に手を貸して頂けますかな? よろずの運び屋ディルモット」
最後に締めたマスターの問い掛けは、半ば脅しのようなものだった。
ディルモットは顔を歪めて舌を打つ。
過去を、知っているのだろうか。
少なくとも、マスターの口から出た名前を知っているということは、こちらの正体を掴んでいる可能性は高い。
「……手は貸す。だが、それ以上のことはしない。アンタらのガキなんてアタシにはどうでもいい」
「お前っ!?」
ディルモットの答えに、好青年は怒りを露わにして拳を握り締めた。
それを、マスターは軽く手を上げて制止させた。
「今はそれで十分ですよ。では、改めてよろしくお願いします」
ソファから立ち上がったマスターは、深々と頭を下げた。それに驚きながらも、黒服たちも頭を下げていく。
しかし、ディルモットは鼻を鳴らして顔を背ける。
「こ、こちらこそ! よろしくお願い致します!」
少し遅れてミリアも立ち上がり、負けじと深々と頭を下げた。
おかげで毒気は抜かれたが、ディルモットは呆れた様子で前屈みに肘を膝につき、頬杖をついた。
「では、気が変わらない内に作戦を話しましょう」
マスターは部下に目配せして、さらに奥の部屋を開けさせた。
「その前に、アンタの名前を教えてもらおうか」
気怠く立ち上がったディルモットは、マスターを一瞥して腰に手を当てた。
「……ベルガン=S=バーディ。気軽にベルくんと、お呼び下さい」
「はい、ベルくん!」
マスターことベルガンの茶目っ気を真っ直ぐ受け止めたミリアは、屈託のない笑顔で頷いた。
「ああ、本当にアンタを連れて来たことを後悔するよ」
「?」
頭を痛めるディルモットに対して、ミリアは首を傾げるだけであった。
「ああ、それと。アンタなら用意してもらえるかな」
「弾薬や装備の心配なら大丈夫ですよ」
「いや、それは有り難いが別の物でねぇ」
ディルモットの言葉に、ベルガルは怪訝そうに振り返る。
「ギンムガムへの列車チケット。アンタなら用意出来るかい? 金なら積ませてもらう」
「……ギンムガムへですか」
好き好んで行くような場所ではないことは、そこら辺の犬でも分かることだ。ベルガルが渋い表情をするのも無理はない。
だが、何かを察してくれたようで、ベルガルは顎髭を撫でながら何度か頷くと、一息ついて目を合わせた。
「善処しましょう」
「助かる」
二人の会話に付いていけないミリアはさらに首を横に傾けたが、結局分からないまま奥へと入って行った──。