第三十六話 【乱暴騒ぎ】
酒場の異様な空気に、まともな客はテーブルに金貨を置いて早々と逃げ始めていた。
律儀と言えば聞こえは良いが、まるでこうなることを分かっていたかのような手際の良さだ。
立派な白髭に細身の身体でありながら、真剣にこちらを見つめる酒場のマスター。マスターも仲間と分かれば、衛兵を期待するだけ無駄だろう。
ここに残っている者は、全員敵なのだから。
「ディルさん!」
少し離れた位置で槍を構えたミリアが、緊張した面持ちで彼女の名前を叫んだ。
囲んでいた黒服の内二名が振り返り、ミリアを逃がすまいとナイフを構え歩んでいく。
それでも、ディルモットの周りには好青年を含めて六人の敵が睨み付けている。
「レディに多勢に無勢とは失礼じゃないか」
危機的状況にも関わらず、ディルモットはカウンターに背をもたれ、隣に置かれたグラスを持って余裕の表情を見せた。
「……殺るぞ」
好青年の表情が般若のように歪んでいく。
同時に、好青年の横にいた身長二メートルはあるかという巨体の大男が、ヌッと前に出た。
「ぬらっ!!」
大男がハンマーを振り上げ、ディルモットを殴ろうと大きく踏み出す。
しかし、軽い身のこなしで躱すと、ハンマーはカウンターを殴り表面を陥没させる。
「ディルさん遊ばないで下さい!」
ミリアの怒声が響き渡り、ディルモットは肩を竦めてダガーを引き抜いた。
ハンマー、拳銃、ナイフ、拳──様々な武器をもって攻め寄ってくる。
「ふんっ!」
続いて攻めてきたのは、がたいの良い筋肉男だ。メリケンサックを両手に、鋭いパンチを繰り出してくるが、身を捻って避けていく。
「悪いねぇ。アタシが話したいのはそこのお兄さんさ。厳つい奴は好きじゃないんでねぇ!」
筋肉男の懐に踏み込んだディルモットは、勢い良く膝蹴りを繰り出した。
狙うのは腹ではなく、男なら最大の弱点部位だ。
「がっ──!!?」
股に膝蹴りをまともに食らった筋肉男は、自慢の拳を股に当ててひっくり返った。
ガシャン! と、派手にテーブルに置かれた食器類を撒き散らし、ガラスの割れる音が響くと、筋肉男は倒れて痙攣を始める。
「おっとやり過ぎた。使えなくなったら悪いねぇ。正当防衛さ」
「だ、黙れ! お前ら行け! 早く!!」
肩を竦ませるディルモットに対し、好青年が怒り混じりに命令を下す。
「……うりゃ!」
小さな掛け声と共に槍を突き出したヒョロ男の攻撃を避け、ディルモットは距離を詰めようとする。
「させるか!」
ナイフを持ったハゲ男が右から前へ出ると、ディルモットは無理矢理に後退させた。
「おっと、お早い対策で感心だねぇ」
股蹴りが余程怖いのか、敵方の陣形が変わりつつある。
互いにフォローし合える位置に立ち、片方が攻めて片方が守る。素人が出来る動きではない。
「面倒臭い……」
「ディルさん! 後ろです!」
ぼやくディルモットに迫るチビの男に、ミリアが槍を回転させながら叫ぶ。
それさえも分かっていたかのように、ディルモットはわざと後退していく。
「危な──」
ミリアが最後まで言い終える前に、ディルモットの回し蹴りが炸裂していた。
「あぼぎゃ……っ!?」
瞬発的で綺麗な回し蹴りは、チビ男の横顔に食い込み、鼻血や折れた歯が宙に撒かれ、カウンターに突っ伏した。
「ディ、ディルさん……本当に運動神経抜群ですね」
「そこを感心されてもねぇ」
感嘆の息をつきながら、ミリアは襲い掛かってくる黒服を槍で封じていく。
手慣れた様子はミリアも変わらないが、ディルモットは黙っておくことにした。
「な、何なんだお前らは! 只の運び屋じゃないのか!?」
とうとう怒りを爆発させた好青年は、前髪を乱暴に掻き上げ、マスターを一瞥する。
その合図で動き始めるマスターの行く手に、ディルモットは迷うことなく拳銃を抜いて引き金を引いた。
「ひっ!?」
棚に並んだボトルの一本に銃弾が撃ち込まれ、マスターは短い悲鳴を上げてしまった。
中身が棚から滴り、床に溜まってマスターの靴を汚していく。
「どこに行くつもりか、教えてもらおうかな」
固まるマスターに、ディルモットの不敵な笑みが襲う。
「舐めるなよ女が!!」
本性を晒け出す好青年は、短銃を引き抜き銃口を向けた。
「ははっ! オレの勝ちだ! 黙ってそいつを捨てろぉ!!」
圧力と同時に勝者の余裕を醸し出す好青年に、ミリアの動きが止まった。
マスターから銃口を離せないディルモットに、反撃の余地など無いと確信している。
現に、マスターから目を離せば逃げ出して仲間を呼ぶだろう。
息を飲むミリアに対し、ディルモットの視線はマスターのままだ。銃を下ろす気もないように見える。
「聞こえなかったか? 銃を捨てるんだよ! 早くっ!!」
今にも発砲しかねない気迫で追い詰める好青年。
そんな状況で、ディルモットは鼻で笑って見せた。
「笑わせるなよ青二才が。アタシが脅威なのはそこのマスターだけさ。この状況が劣勢だと思うのか」
「虚勢を張れるのは今だけだ。泣いて後悔するのはお前だ」
余裕を見せるディルモットの胸に、好青年が持つ拳銃の銃口が向けられていく。
「撃っても撃たなくても、結果は同じさ」
一瞥くれることもなく、ディルモットは淡々と呟く。まるで他人事のように。
それが好青年の逆鱗に触れた。
「なら撃ってやるよ! 殺してやるよ!」
「だ、駄目です!」
好青年の怒りが爆発し、引き金が引かれようとした時、真っ先に動いたのはマスターであった。
それを待っていたディルモットは、マスターから視線を外し、瞬時に好青年の懐へと飛び込んだ。
「なんっ──!?」
驚き躊躇った指は遅れて引き金を引くが、ディルモットに腕を上げられ、天井の明かりへと発砲された。
外から微かな悲鳴が聞こえたが、お構い無しにディルモットは好青年を締め上げ、後ろ手に両手で押さえ込む。
「な、んてこと……」
マスターはその場にへたり込み、周りの仲間たちも渋い表情で武器を捨て始めた。
「やけに物分かりがいいじゃないか」
諦めが良すぎることに不信感を表すディルモットに、ミリアは槍を構えたまま警戒を続ける。
好青年は舌を打ち、マスターはよろよろと立ち上がって頷いた。
「場所を、変えましょう」
意味深なマスターの一言に、スーツの男共が一斉に動き始めていく。
「外の騒ぎは……?」
「こちらで処理しよう」
ミリアの焦りとは裏腹に、スーツ男は慣れた様子で店の外へ出て行った。
ディルモットはミリアと目を合わせ、仕方なく好青年から手を離し、腰に手を当てて大きく息をついた。




