第三十三話 【通行証】
用意してくれたものは、まるで供え物のように部屋の前に置かれていた。
「金貨十枚に銀貨百数枚、食糧と武器……」
ディルモットはボサついた髪を掻いて確認していく。
その中に、やはり言っていた物は用意されていなかった。
ギンムガムへ行くためのチケットは、一般人には手に入らない代物だ。期待するだけ無駄と言うことだろう。
「そ、それより服を、着てもらっていいですか? 目のやり場に困るのですが……」
「ああ、乾いたかねぇ」
上半身裸のディルモットに、ミリアは目をそらして何とも言えない表情をしている。
面倒臭そうに部屋で干していた白いシャツを手に取った。そろそろ武器よりも、替えの衣類を買っていくべきだろうか。
ディルモットが着替えている最中に、ミリアは用意されている武器の中に、ふと見慣れた物を見つけ、何気なく手に取る。
「それでいいのかな?」
髪を束ね、ディルモットはロングコートに腕を通しながらミリアに問い掛けた。
一瞬ビクリと肩を震わせたミリアは、手に持った槍に視線を落とした。
スピアと呼ばれる飾り気のない一本槍だ。
「弾とかナイフはアタシが貰おうかねぇ。薬はそっちに頼む」
藁袋を背負い、弾倉とナイフを腰のホルダーにしまい、部屋から出て行く。
「町の人に、何も言わないのですか?」
「何か言う必要があるなら、アタシは町の出口で待ってるけれど?」
疑問に問い掛けで返したディルモットは、止まることなく階段を下りていく。
途中、女性のすすり泣く声が聞こえたが、泣いて後悔している暇などこちらにはない。
「……わかりました」
ミリアは少し考え込み、首を左右に振って付いていった。
宿の主人と目が合うが、バツが悪そうに目をそらし何かを言うこともなかった。
軽く手を上げ別れを済ませたディルモットは、一息ついて外を出る。
早朝のせいか、町民たちは殆どいない。
「……ふう、足を用意してもらうのを忘れてた」
誰の見送りもなく、馬宿もないこの町では足を借りることは難しいか。
仕方なく、ディルモットは地図を広げてグレアデル国への道を探していく。
「まずはここに向かいませんか?」
覗いたミリアが指差したのは、セルの関所と呼ばれる場所だ。まずはここを通らなければ、グレアデルには着かないらしい。
「魔物の種類も違うでしょうし、気を付けて行きましょう」
「回復も魔法も無ければ、アレクもいないからねぇ。ヘマすれば終わりってか」
不吉なディルモットの言葉に、ミリアのやる気が失せていった。
常に最悪の状況を考える。
騎士にも散々言われていることだが、運び屋である彼女も経験が豊富らしい。
「潮が凄いですね……ベタベタです」
海が近いせいか、潮の香りとべたついた風が髪や頬を撫で、ミリアは顔をしかめる。
特に会話をすることなく道筋を進んでいく。リムドル王国とは違い、グレアデル地方では運び屋や冒険者の姿が見えない。
早朝ということもあるだろうが、それでも昼夜問わない運び屋には関係ないこと。
「……魔物も少ないねぇ。まあ助かるけど」
獣や鳥の形をした魔物が森の方にいるのは見えるが、襲ってくる様子はない。
さらには、魔物のどれもが少しふくよかに見える。
人を襲うほど、食い物には困っていないようだ。
「あっ、あれではないでしょうか?」
メーデ港から約三十分程度。
ミリアが指差したのは、石造りの横に長い壁であった。
壁が終わる頃には、川が流れており不正に出入りすることは難しそうだ。
「これは立派な関所だねぇ。嫌な予感がするが」
目の前まで来たディルモットは、腰に手を当て鉄製の大門を見据えた。
大門前には、大層な鉄鎧に身を包んだ兵士が二人、真面目に立って構えている。
「お疲れ様です!」
ディルモットの腕輪を見て頷いた元気な兵士は、ビシッと敬礼をし身を正した。
「お荷物でしょうか!」
「ああ、一応ね」
兵士の問いに、ディルモットは微妙な面持ちで答える。
感情のない兵士も嫌だが、こうも元気だと調子が狂ってしまいそうになる。
「では、お手数ではありますが通行証の確認をさせて頂きます!」
「つ、通行証ですか?」
露骨にまずい、という表情をしてしまったミリアを、兵士が怪訝そうに見据えてくる。
「運び屋でしたら、メーデ港の詰め所で発行してもらえるはずです。お手数ではありますが、港町までお戻りください」
穏やかな物言いで頭を下げたもう一人の兵士は、柔らかく微笑んで頬を掻く。
どうやらこの二人は、国に毒されていないようで、ミリアは困ったように頭を下げた。
「また戻れと? 勘弁してくれ、片道半刻は掛かるんだが」
「申し訳ございません! こちらも仕事ですから!」
食い下がるディルモットだが、元気の良い兵士は複雑そうな表情で角が出来るほど腰を曲げた。
相手の態度次第では強行突破もやむ得ないと思えるのだが、ここまでされるとディルモットも動けない。
「仕方ないですね。一度戻って通行証を発行してもらいましょう」
不服そうに踵を返したミリアは、ふとこちらに向かってくる荷馬車の存在に目を奪われた。
「はいはーい! ごめんね、道を開けてほしいな!」
焦げ茶色の体格が良い馬に引かせていたのは、元気いっぱいの少女の声であった。
「この声……」
聞き覚えがあったのか、ディルモットはハッとして声の方へ視線を上げた。
二人が道を開け、荷馬車は手綱に引かれ止まった。
薄卵色のベレー帽を持ち上げて挨拶した少女は、短い茶髪を風に揺らしながら荷馬車から降りてくる。
「まさか、リーシェか!」
驚いた口調で少女の名前を呼んだディルモット。
対してリーシェと呼ばれた少女は、最初こそ驚いた表情をして見せたが、徐々にその顔は輝いていく。
「せ、先輩ー!」
リーシェは両手を広げると、凄まじい勢いでディルモットに抱き付いたのであった。