第二十九話 【メーデ港の治安】
港町クレンスからの漁船停泊は、意外にもすんなりと認められた。
というのも、元々交流が深いことも大きいが、何より王国の管轄でないことが原因だろう。
「落ち着いた町だね」
「あぁ、人柄も良いし何より仕事がしやすい! ここならアンタらも心置きなく休めるだろうぜ!」
漁船から降りる際に、アールスタインは漁師の言葉を聞いて胸を撫で下ろした。
「ここまで、本当に助かった。戻ったらどうなるか……アタシにも分からないけど」
「心配ご無用だぁ。オレらのことは何とかする。頑張れよ!」
不安気なディルモットをよそに、捻り鉢巻きの漁師は胸にドンっと拳を当て笑顔を見せる。
王国側に戻れば、下手をすれば犯罪者を助けたことで捕まってしまうかも知れない。それでも尚明るく手を振ってくれるのは、漁師たちの人柄だろうか。
「ようこそ旅の方。ここはメーデ港、良ければ一休みに宿へ向かって下さい」
ディルモットたちが降り立つと同時に、案内人と思わしき中年の女性が、町の奥へと指を差した。
クレンス程の賑わいはないが、小さな噴水と花壇が広がった公園や、レンガ造りの建物が並んでおり、自然を愛する景観だ。
魔物の脅威が薄いおかげか、警備隊の施設はあれど冒険者が集う場所はない。
だが、何故か歩いている人は少ないようでディルモットは不思議そうに首を傾げた。
「おう坊主! これ食うか?」
石畳の地面を歩く道中、屋台の親父が顔を出し、アールスタインを呼び止めた。
差し出してきたのは、串に刺さった焼き魚のようだが、何やら甘い香りが鼻につく。
「これ、美味しいの?」
「甘ダレってやつだねぇ」
横からディルモットが顔を出し、アールスタインの持つ焼き魚を見て感心した。
「アタシは結構好きだけどねぇ」
「ふーん。じゃあ食べて──」
「ダメです!」
気になって頬張ろうと口を開けたアールスタインの手を、遅れてやってきたミリアが止めたのだ。
「宿食ならまだしも、屋台の食べ物は危険です」
ミリアのあからさまな言葉に顔色を変えた屋台の親父だが、先に口出ししたのはディルモットであった。
「アタシより小うるさい保護者なことで」
「うるさくありませんし、私はまだ独身です!!」
皮肉を真に受けて反論するミリアを、ディルモットは小さく息をつく。
「どうでもいいけど、折角外の世界に出たんだ。目の届く範囲なら構わないと思うが?」
「ならばせめて毒味を!」
肩を竦めるディルモットに対して、ミリアが強く言ったところで、場は静まった。
ふとアールスタインを見れば、顔を出したアレクと共に魚の串焼きを頬張っていたのだ。
「うん、美味しい!」
「ガウガウ! クフッ」
少年とドラゴンが一瞬で食べ終え、屋台の親父に串が返される。
ミリアが肩を落とすが、ディルモットは先の言い合いで集まってきた野次馬に眉をひそめた。
「美味いか! そいつは良かった。坊主は貴族ってやつかい?」
「え……っと、多分?」
煮え切らないアールスタインの答えに、屋台の親父は顔をしかめて頬を掻いた。
「ご馳走さん。ほら、さっさと行くぞ」
脱力しているミリアを引きずり、ディルモットが顎をしゃくった。
促されるまま歩み始めるアールスタインは、屋台の親父に軽く手を振って別れを告げる。
この騒ぎのせいか、どこからともなく数十を越える野次馬が集まっており、ディルモットは早々と中央の公園を抜けていく。
「目立って仕方ない」
悪態を吐きつつ、宿屋らしき建物を見つけると、ディルモットたちは好奇の目から逃れるように扉を開いた。
「いらっしゃい旅の方。三名かな?」
「ああ、一部屋でいい。どうにかする」
入るや否や素早くオーダーを済ますディルモット。
宿屋は二階建てらしく、一階は恰幅の良い主人がいるカウンターとくつろぐスペースが一角。
本棚や子供が待てるようにと、ぬいぐるみや玩具まで用意されていた。
「……そちらの子は?」
慣れた様子で受付を進めるディルモットは、宿屋の主人の視線がアールスタインに向けられたことに一瞬躊躇った。
カウンター越しに見つめる視線。
ミリアと共に本棚を見るアールスタインに、一点集中して真っ直ぐ追いかけられている。
「……ただの連れだが、そんなに変かい?」
「いえいえ、運び屋のようですので……失礼致しました。お部屋へご案内致します」
汗を手拭いで拭き取り、宿屋の主人はカウンターを出て二階へ上がり始める。
「疲れましたね」
「うん、僕……ちょっと眠い」
一息ついてミリアが呟き、アールスタインも痛みが生じる身体を動かしながら、階段を上がっていく。
一方、主人を追い掛けて階段を上がるディルモットは、警戒心を高めていた。
他の宿泊客と擦れ違う時には感じないのだが、地元の人々から送られる視線だけが、嫌に気持ち悪い。
その視線を送られていることも気付かないアールスタインは、既に安心しているのか眠たげに目を擦る。
「……厄介事は嫌だねぇ」
「どうかされましたか?」
「いや、独り言さ」
小声で言ったつもりだが、宿屋の主人はクルリと反転して問い掛けてくる。
どうやら宿屋の主人は地獄耳らしい。
クレンスの漁師が口を滑らしたのか。
王国の王子だと誰かが知っていたのなら、誘拐の可能性も高い。
身なりはそれなりだが、それでも先の戦闘でドロドロなのだ。見た目だけで王子や貴族だと分かる者は少ないと思うのだが……。
「こちらになります」
宿屋の主人がそう言って足を止めたのは、二階の最奥である少し広めの部屋であった。
ベッドが二つ、木の円テーブルに椅子が二つ、窓も大きく日当たりの良い部屋だ。
オーダーとは真逆の部屋を目の当たりにし、ディルモットは腰に手を当て首を左右に振った。
「悪いがそんな金は無いんだ」
「お連れ様に子供がいるならば、ゆっくり休まれた方が宜しいかと。値段はお気になさらず」
主人はにっこりと微笑んだ。
普通ならば有り難い話だが、警戒しているディルモットにとっては気持ち悪さしか感じられない。
「わあ! 広い!」
今までろくな部屋で過ごせなかった反動か、部屋を覗いたアールスタインは真っ先にベッドへと駆け出した。
「喜んで貰えて何よりです。お食事が出来ましたらまたお声を掛けますので、それまでゆっくりして下さい」
「ありがとうございます」
主人の粋な計らいに、ミリアは低い腰で何度も頭を下げ、去っていく男の背中を見送った。
「もう、何を突っ立っているんですか?」
「……いや、悪い。少し考え事をねぇ」
ミリアに背中を押され、ディルモットは仕方なく部屋へと足を踏み入れる。
「今日は一日ゆっくり休んで、アール様の目的地へ行くための準備を致しましょう!」
「うん、ありがとうミリア」
ベッドでくつろぐアールスタインは、枕を抱いて力強く頷いた。
すっかり休む気満々の二人だ。
ここでディルモットが反対しても、どうにもならないだろう。
ミリアの加入によりアールスタインを守れることは大きいが、王子一筋のために歯止めが利かない分、前よりも難儀かも知れない。
「……アタシは周辺を見てくる。ちゃんと護衛を頼むよ」
「言われなくとも、お任せ下さい」
釘を刺すディルモットに、ミリアは胸に手を当てて自信満々に頷いた。
今や自慢の回復も大盾も、武器すら無いというのに、その自信はどこからやってくるのやら。
ディルモットは気疲れしながらも、窓から町の様子を見下ろし目を細めた。




