第三話 【初めて見る景色】
暫く全力疾走した後に、白馬は疲れてしまったようで、ゆっくりと街道を歩いていた。
後ろを向けばもう随分と離れたようで、城の姿は微かにしか見えない。
アールスタインは安堵して胸を撫で下ろすと、大きく深呼吸をした。
「ここまで来れば、とりあえずは安心か」
辺りを見回すと、アールスタインは小さく頷いて腕を組む。
街道といえど、行商人や運び屋の姿はまばらで、二人の姿を特に怪しむ者もいない。
「はぁ、ようやく一服出来る」
ディルモットは欠伸を噛み殺しながらコートの懐を探ると、小さなケースを取り出した。
そこから一本の煙草を摘まみ、慣れた様子で口に咥える。
マッチを擦り火を点け煙草の先端を炙り、勢いよく吸い込んで、意気揚々と大きく吐き出す。
紫煙が風に流されていくと、前にいたアールスタインは咳き込んで、キッとディルモットを睨みつけた。
「ごほっ、おまえ……煙草は身体に毒だぞ」
「こんな世の中、健康に気を使って生きるなんてごめんだね」
ディルモットの尤もらしい言い訳に、アールスタインは咳き込みながら眉をひそめる。
「色々聞きたいことはあるが、まぁ、あそこの村に着いたらでいいや」
「村……?」
紫煙を揺らし、ディルモットは少し遠くを見据えた。
同じくアールスタインも見据えると、満開の赤い花々に囲まれた村が微かに見えた。
急ぎたいが村というものを初めて見るアールスタインは、興味津々にディルモットの背中から顔を出して覗き見る。
お互いに沈黙したあと、村の入り口に辿り着いたディルモットたちは、馬小屋に白馬を預ける手続きを済ませていく。
「赤い……花?」
先に村へ向かって歩いていたアールスタインは、怪訝げな表情で気になるものに近付いていた。
村をぐるりと一周囲んでおり、満開に咲き誇る赤い花々は、まるで村を守っているようだ。
アールスタインは吸い込まれるように、赤い花に手を伸ばして――その手を誰かに掴まれた。
「馬鹿か。触るな。枯らせる気か」
ディルモットだ。
珍しく険しい表情で呟いたディルモットに、アールスタインはすぐに手を引っ込めて息を飲む。
「触っただけで枯れるのか!?」
「当たり前だ。【魔除け花】は人肌に弱い人工の植物って、王族はそういうことも教えてくれないのか?」
肩を竦めるディルモットの言い方に、アールスタインは感心しながらも顔をしかめた。
【魔除け花】は年中咲き誇り、人には分からない独特な臭いを放って魔物を寄せ付けない人工花だ。
人肌に弱く、育つまで時間は掛かるが、今の時代に無くてはならないものなのだ。
その重要性は高く、今では誰でも知っていることだが……。
「こりゃあ、相当甘やかされて育った坊ちゃんらしいねぇ」
まともな教養を成されていたのかも怪しい王子様に、ディルモットは呆れつつ村の中へと足を踏み入れた。
「ほらガキ、さっさと入れ」
「ガ、ガキじゃない! って、待てよ!」
先行するディルモットに無駄な反論をしつつ、アールスタインは慌てて彼女の背中を追い掛けていく。
「わあ……すごい。これが村なのか」
アールスタインが感嘆の溜め息を漏らし、村の中を見渡した。
木材で出来ているとは思えないほどの洒落た民家が並んでおり、ガラスの窓が太陽の光を反射している。
果物を実らせた木々が村を囲み、牛や豚といった家畜が、各々の民家に設置された柵の中でのんびりと過ごしていた。
花々が咲き乱れ、その奥は商人の売り場のようだった。
行商人が敷き布の上に果物や薬を並べ、様々な呼び込みをして物の売買をしている。
アールスタインには全てが初めて見る光景であり、それらは城の中よりも煌びやかに感じられた。
そんな王子の感動など露知らず、ディルモットは目的地である酒場の前にいた。
「ここで軽く飯でも食いながら話すか。そうしたら、今日はここで休んで――っておいおい」
煙草を小さな丸い鉄ケースに押し付け、振り返ったディルモットは溜め息をついた。
城から出たことがなかったアールスタインは、様々な物や場所に魅入られ、全く進んでいなかったのだ。
一人の少年として物珍しそうに見入り、感動し、目を輝かせる姿は、可愛らしくもあり呆れるものでもあった。
「……仕方ない。もう一服するかねぇ」
酒場前の木にもたれ掛かり、ディルモットは再び煙草を咥える。
まだ遠くにいるアールスタインの姿を眺めながら、腕を組んで笑みを浮かべた。
しばらく眺めた後、満足したのかアールスタインは小走りでディルモットに向かってきていた。
「ご堪能されましたか? 王子様」
「……すまない。けど、その呼び方は嫌いだ」
茶化すディルモットに、頬を少し赤らめてアールスタインはそっぽを向いてしまう。
やれやれ、とディルモットは煙草を握り潰し、苦笑しながら酒場の方へと歩き始めた。
アールスタインも慌てて背中を追い掛け、開かれた酒場の扉を潜っていく。
狭い村の割に、中はそこそこ活気づいていた。
村人や行商人が、カウンター席と一部のテーブル席を取っており、酒や食事を楽しんでいたのだ。
ディルモットは空いている適当なテーブルに藁袋を置いて、アールスタインに座るように促す。
そこへ近づいて来たのは、酒場で働く配膳娘だ。
「二人分の食事と、酒を一杯頼む。ここで一番の酒がいいな」
「かしこまりました」
グラスに水を注ぐ配膳娘に、ディルモットは慣れた様子で注文を済ますと、軋む木椅子に腰を下ろした。
それに習って、アールスタインも席に座り、騒がしい酒場の中を見回す。
「……思ってたより普通なんだな」
「なんだ、酒場っていってもただの飯屋だぞ。盗賊や悪党が好む場所じゃない」
「こういう場所は悪党の巣窟だって聞いていたから……」
不安げに言うアールスタインに、ディルモットは「ふぅん」と、興味が無いといった様子で足を組んだ。
グラスの中の水を一気に飲み干し、ディルモットは頬杖をついて改めてアールスタインを見据えた。
「さあて料理が来る前に、軽く話を聞いておこうかねぇ」
ニヤリと笑うディルモットの不気味さを感じながら、アールスタインは真剣な表情で頷いた。
「じゃあ早速。どうしてアタシがその【魔臓器】を持ってると知っていた?」
「……銀髪の女が教えてくれたんだ」
「銀髪の女?」
アールスタインの話に、ディルモットの表情が明らかに変わった。
問い返されたことにアールスタインはこくりと頷き、グラスの水を少しだけ飲んだ。
「僕の父がこれを使ってギンムガムに戦争を仕掛けようとしてるって。実際、最近父上は変な奴らと取引してるみたいだし」
「なるほどねぇ。それをわざわざギンムガムに赴いてどうするつもりかな?」
ディルモットの問い掛けに、アールスタインは眉をひそめて口を噤んだ。
「そこまで考えてなかったってか。まぁ、ガキらしいっちゃあそうだな」
「う、うるさい。とにかく僕は早くギンムガムに行かなきゃいけないだ!」
溜め息混じりで鼻で笑いながら、ディルモットは腕を組んだ。
「それに、お前銀髪の女の知り合いなんだろ? 向こうはやけに親しげだったけど」
「……さぁね。それより、ギンムガムに行くためにどういったルートがご所望かな?」
「ルートって、列車じゃないと行けないって聞いたぞ」
「そうか……列車ねぇ」
怪訝そうに眉をひそめたディルモットは、面倒臭そうに頬杖をついて何かを考え込む。
どうやらディルモットは他のルートを考えていたらしいが、王子様がそういうなら仕方ない。
「無理なのか?」
「……考えてみるさ。おっ、それより」
アールスタインの追及を誤魔化したところで、ディルモットは親指後ろに向けて微笑んだ。
配膳娘が丸いトレイの上から、甘い香りを漂わせるコーンスープとパンが入れられた籠、サラダをディルモットたちの前に並べていく。
どれも美味しそうで、待ちに待った麦酒も添えられ、ディルモットは配膳娘に軽く礼を言うと、早速パンを手に取った。
アールスタインは不服そうにパンを取り、ディルモットを覗き見る。
麦酒片手にサラダを食らい、スープを飲み、パンに噛り付く。
それが美味しそうに見え、アールスタインはパンと見つめ合って思い切り噛り付いた。
「美味しい……」
「そう、ならよかったよ」
アールスタインの呟きに、ディルモットは一瞬驚いた顔をした後、ふっと笑みを見せて麦酒をあおった。




