第二十三話 【魔力暴走】
「ガフッ……!」
巨大なブルーウルフは冷たい吐息を漏らし、勢いよく床を凍てつかせていく。
それを大きく旋回して避けるディルモットは、巨大なブルーウルフの後ろ足をダガーで切りつけた。
しかし、切りつけた足から血が滲むこともなく、ディルモットは凄まじい早さで蹴り飛ばされてしまう。
「ぐあっ……!?」
受け身を取って素早く体制を整えたディルモット。すぐさま地を蹴ろうと踏ん張ったが、凍てついた床によって足を滑らせ前のめりにつんのめってしまった。
「ディルモット!?」
彼女がバランスを崩したことに焦ったアールスタインは、足を止めて箱から視線を外す。
「馬鹿、人の心配より自分の心配を──!?」
上手く前転で転倒を回避したところで、ディルモットは息を飲んだ。
眼前に、巨大ブルーウルフが大口を開けて今まさに喰らい尽くさんとしていた瞬間だったのだ。
「ディルさん!!」
ミリアの悲鳴にも似た叫びが響き渡り、同時に地響きが灯台全体を襲った。
不安げに見つめるミリアとアールスタイン。
その心配に応えるように、ディルモットは巨大なブルーウルフから逃れ大きく飛び退いていた。
咄嗟に身をよじり躱したであろうディルモットは、冷たい床に手を着いて体制を整える。
だが、右腕を牙に掠めたのか、コートの裾が破れ血が滴り落ちていた。
「き、傷が……! 今すぐ治療を!」
「使うな!」
ミリアが魔力を大盾に込めようとした時、ディルモットが怒声を上げた。
突然のことに驚くミリアは、先程の言葉を思い出して眉を八の字に曲げる。
「アタシの指示なく勝手に使うな。アタシは大丈夫だ」
「で、ですが! 傷ついているのに放っておけば酷くなっていきます!」
血が止まらない右腕をブラブラ動かすディルモットとは対照的に、ミリアの表情は必死だ。青ざめているとまで言える。
だが、アールスタインは知っている。
だからこそディルモットの考えが分かる。
知らないミリアの反応は当然といえた。それを彼女に伝えようとしたところで、理解してもらえる訳がないのだが。
「こっちは気にせず走れ」
「わ、分かった」
足が止まっているアールスタインに指差し、ディルモットは巨大ブルーウルフと対峙する。
負傷した右手でダガーを構え、左手に拳銃を握り締め次への攻撃に備える。
しかし、巨大ブルーウルフが標的にしたのは、走り出したアールスタインだった。
「グオォウアッ!!」
巨大ブルーウルフが尾を叩き付け、氷の一部を破壊し、鋭い破片が勢いよく飛び散っていく。
「うわっ……!?」
風圧と氷の破片が降り注ぎ、アールスタインは素早く身を丸めた。背中に氷の破片が刺さるが、ロングコートが辛うじてそれを防いだ。
「アンタの相手はアタシだろう……!」
「ウグォッ!?」
巨大ブルーウルフの肩口に発砲したディルモットは、怯んだ隙を見て再び回り込む。
続いて二発の弾丸を右足、右足の付け根に被弾させ、隙だらけの尾にダガーを一閃させる。
「ガァァ、アガッ!」
足を撃たれた巨大ブルーウルフは大きく体制を崩し、滲み出る自らの血に足を滑らせ派手に転んだ。
「取った!」
その間に、アールスタインは氷の床を滑りながら、透明の箱を掴み笑顔を見せた。
その笑顔に安堵したのも束の間、ミリアの表情が一気に青ざめる。
「アール様! 逃げて下さい!!」
「えっ」
不意にミリアの鬼気迫る叫び声が響き渡り、アールスタインは恐る恐る後ろを一瞥した。
「振り向くな! 走れ!!」
「!」
何か異様な、それでいて恐怖を膨らませる何かの存在を確認する前に、ディルモットの怒号が少年の身体を動かした。
恐怖と共に嫌な汗が噴き出し、それでも箱だけは手離すまいと必死に走り始めるが、異様な何かはそれを許さない。
「うあっ!?」
少年の足よりも早い異様な何かは、アールスタインに足払いを掛け妨害した。
透明の箱が宙を舞い、負傷した巨大ブルーウルフの傍に落ちる。
見事に転んだアールスタインが見たものは、触手だ。一本の触手が先端で幾重にも分かれ、花のように開く形は、人に不快感のみしか与えない姿だった。
花のように開いた触手は、アールスタインの顔に近付き食らいつこうと機会を伺うかのように上下左右に動く。
「ミリア! 治療の魔法を──!?」
指示を出したディルモットがすぐさま駆け寄ろうとした時、眉をひそめて言葉を飲み込んだ。
大盾から眩い光が溢れ、氷を摺り削りながら大型ランスを構えたミリアが、猛然と走り抜け、触手を真っ直ぐ見据えていたのだ。
「【清き心を持つ者に、今一度女神の祝福と癒やしをあらんことを──ハイリング!】」
魔法の詠唱と思わしき言葉が紡がれ、アールスタインを柔らかな光が包み込む。
花開く触手はこれに驚いたのか、素早く身を縮ませアールスタインから離れていく。
その好機を逃すまいと、スライディングをしながらアールスタインを抱き寄せ、ミリアは大盾を構える。
「ミ、リア……」
「ご無事で何よりです! 今のうちに、ディルさんの下へ!」
尻餅をついて驚愕するアールスタインの背中に手を添え、ミリアは逃げるように促す。
しかし、アールスタインはハッと何かに気が付くと、辺りを見回して首を左右に振った。
「あれが無いと……!」
ミリアの制止を振り切り、アールスタインは再び立ち上がり地を蹴った。
手を伸ばすミリアだが、少年には届かず、視線はディルモットに向けられる。
「あんのバカ王子!」
舌を打ち弾倉を入れ替えたディルモットは、同じく落ちた箱に向けて走り出した。
「ウガァァァア゛ア゛ア゛ッ!!」
刹那、瀕死状態かと思われた巨大ブルーウルフが、凄まじい雄叫びを上げたのだ。
ゆっくりと負傷した足で立ち上がり、血を滴らせながら尾を真っ直ぐ立たせ毛を逆立てる巨大ブルーウルフ。
「触手が!」
顔面蒼白のミリアは、巨大ブルーウルフの背中を指差し息を飲んだ。
魔臓器から伸びる触手が、巨大ブルーウルフの背中に突き刺さり、何かを送り始めている。
「こいつは、マズい……今すぐその触手を──!」
危険を知らせるディルモット。
しかし、むくりと頭を上げた巨大ブルーウルフに、目の前を駆けていたディルモットは勢いよく頭突きを食らわされた。
「がっ!」
不意の攻撃に対応出来ず、受け身すら取れなかったディルモットは、ダガーを落とし凄まじい速さで吹っ飛ばされた。
「ディルモット!」
「ディルさん!」
ほぼ同時に二人の叫びが響く中、ディルモットは口元から血を吐き出しながら、凍てついた螺旋階段の手すりを掴んだ。
だが、辛うじて掴んだ手すりも凍っているために滑ってしまう。ディルモットは歯を食いしばって自らの身体を反動で前へ寄せ、足を手すりに絡ませた。
霜や氷のせいで手の感覚が失われつつあるが、あのままでは吹っ飛ばされ落下死していたであろう。
「ぐぅ、ぐっ!」
胸や鳩尾に頭突きが入ったのだろう。
呼吸するのも危うい痛みが全身に走っていくが、右腕の傷は癒えつつある。
「ディルモット! ディルモット!!」
「心配、しなくていい。それよりも、だ!」
アールスタインの不安げな表情をよそに、ディルモットは床に足を付け拳銃を構えた。
「それを切る!」
巨大ブルーウルフを傀儡とする触手に狙い定め、ディルモットは引き金を引く。
「援護致します!」
ミリアは治療よりも先に、触手へ近付き大型ランスで叩き切っていった。
だが、二人掛かりでも魔臓器の触手はティーチの血を媒体として次々と再生し、巨大ブルーウルフを操る。
「くそ、本体を壊す方が手っ取り早いかねぇ」
硝煙を一振りで払い、ディルモットは胸を押さえ魔臓器を睨み付けた。
しかし、触手が切れるごとに巨大ブルーウルフも動きを止める。それが功を成したのか、アールスタインが力強く右腕を挙げた。
「今度こそ取ったよ!」
透明の箱が氷の床を滑り、ディルモットの足元へと届けられる。綺麗に真っ直ぐ滑ってきた箱を足で止めたディルモットは「完璧だ」と、笑みを見せた。
対して、アールスタインは巨大ブルーウルフから離れながらも鼻を擦り自慢気だ。
王子はしっかり仕事をやり切った。
ならばこちらも応えなければいけない。
「……ミリア! もう魔法は使えるかな?」
「あ、はい! いつでも大丈夫です!」
欲しかった答えに頷き、ディルモットは痛みを堪え大きく深呼吸を始める。
「アールを守りながら、アタシに治療を頼む。出来れば連続で、じゃないと……流石に死にそうだからねぇ」
「分かりました!」
動き出す巨大ブルーウルフを見据え、ディルモットはミリアの返事に微笑んだ。
口元からよだれを垂れ流し、震える足で立ち上がり狂った眼で戦いを強要される巨大ブルーウルフ。
それを操る魔臓器は、何本もの触手を花のように開き、ディルモットだけを真っ直ぐに捉え動き出す。
「ど、どうするつもり!?」
癒やしを待つディルモットに、アールスタインは肩を震わせ眉間にしわを寄せる。
「手荒な真似になるが……死ぬのは御免だからねぇ」
透明な箱を片手に、ディルモットは拳銃を腰のホルダーにしまい込んだ。
落としたダガーは、まだ巨大ブルーウルフの足元に置かれている。
拾えなければ勝算は無いに等しい。
それでも、この状況下で動けるのはディルモットだけなのだ。
「魔臓器だけは、このままにするわけにいかない」
「あ、がっ、ぶあぁっ……」
呻き声を上げるティーチを睨み付け、ディルモットはゆっくりと前へ踏み出した。
氷の床の感触を改めて確かめ、ミリアの詠唱が聞こえてきたと同時に、ディルモットは一気に駆け出す。




