第十八話 【港町クレンス】
ヤンバルの屋敷がある森を抜けた二人は、荒い呼吸を整えるために一度足を止めた。
足を撃たれ、背中を強く打ちつけた痛みなどを感じさせない走りをするディルモットに、アールスタインは怪訝そうに見つめながら、肺に目一杯の空気を送り込む。
その怪訝げな視線を嫌でも感じていたディルモットは、港町が見えたことで安堵し、地面に尻餅を付いた。
「……不思議に思うなら言えばいい」
ディルモットの言葉を聞き、アールスタインは眉をひそめる。
黒衣の青年の口ぶりから、何かを知っているのだろう。けれど、それが何かは分からないアールスタインは、疑心はあれど口には出せない。
黙り込むアールスタインに、ディルモットは溜め息をついて少年を見上げた。
「秘密を明かすつもりはない。本当は何者か……明かす時が来れば必然的に話す。それでもいいなら、アタシは運び屋の仕事を全うするさ」
弱々しい笑みを見せるディルモットの言葉は、ある意味アールスタインの疑問に答えていた。
秘密はある。
だが明かせない。
誰だって秘密の一つや二つあるだろう。
自分の父だってそうだ。だから。
「言っただろ。僕はお前しか頼れないんだ。ここまで来て言うことなんか無い」
珍しく言い切ったアールスタイン。
さらに「クアッ!」と、鞄から顔を出したアレクも返事をして、ディルモットは空笑いした。
嘘偽り無い少年らしい真っ直ぐな眼差しに、ディルモットはゆっくりと立ち上がると血だらけの手を布切れで拭い、そのままアールスタインの前に差し出した。
「改めて、契約を結び直そうか」
鼻を鳴らし、握手を求めたディルモットに対して、アールスタインは驚きながらも嬉しそうに同じく手を差し出す。
「よろしく、アールスタイン」
「うん! よろしく、ディルモット」
固く握手を交わし、照れくさそうに鼻を掻いたアールスタインは、心から笑顔を見せる。
「さて、さっさと港に行くとするかねぇ」
「また血塗れだしね」
萎えた様子で踵を返したディルモットは、血で濡れたパンツや泥だらけの白シャツを一瞥して肩を落とした。
アールスタインも、濡れて泥だらけのブーツや袖を手で払い難しい顔をして見せる。
「港町にも王国兵士がいたらどうしよう」
「そりゃあ、倒すか逃げるかだねぇ。ヤンバルの手配が間に合ってればいいが……」
不安になるアールスタインに、ディルモットは軽く答えた。
王国兵士ぐらいならばと思うが、サルヴァンのような強敵が居ればもう終わりだ。
「クア……クフゥ……」
「どうしたのアレク?」
鞄から顔を出していたアレクは、顔を左右に振って鞄の底に隠れてしまった。
不思議に思うアールスタインだが、答えはすぐに分かった。
「ここが、港町クレンスだ」
ディルモットの言葉に、アールスタインは顔を上げた。
レンガ作りにオシャレな外壁に囲まれ、その周囲には魔除け花が綺麗に咲き誇っていたのだ。
アレクが嫌がったのは魔除け花のようで。どうやら魔除け花は魔物だけでなくドラゴンにも効くらしい。
「ちょっとだけ我慢して」
「クフゥ……」
鞄をしっかり閉めて閉じ込めたアールスタインは、さらに包むようにして抱きかかえる。
大理石の柱に挟まれた入り口をくぐった二人は、広々とした港町に驚いた。
入り口付近に宿屋が建てられ、そこから武具屋、食材屋と並ぶ奥は、噴水広場だろうか。至るところにベンチが置かれ、潮風に負けない美しい外観であった。
「港町クレンスって、活気のある漁の盛んな町って聞いたんだけど」
辺りを見回すアールスタインは、ある異変に気が付き表情を曇らせた。
「誰もいないのか……?」
活気のある漁が盛んの港町──とはかけ離れており、人一人見当たらないことに、ディルモットは眉をひそめる。
この町には、運び屋協会や冒険者を支援する協会まで揃っている。当然、貴族の屋敷や王国兵の駐屯所もあるため、誰もいないという状況はおかしい。
町の警備隊までいないとなれば、大型の魔物でも現れ避難しているのか。
「……声が聞こえる。港の方かな」
微かに聞こえる声に耳を傾け、掛けだそうとしたアールスタインは、ディルモットに襟首を掴まれ制止させられた。
「勝手に離れるな。迷子になったら厄介だ」
「迷子なんかにならない」
ディルモットの制止に対して、アールスタインは不服そうに反論する。
先程の握手は何だったのかと、心の中で愚痴るアールスタイン。
それを知ってか知らずか、ディルモットは肩を竦めて息を付くと、膝を地面に付いて目線を合わせた。
「怪我もある。早く走れないから、一緒に行ってもらえると助かるんだけどねぇ」
「!」
ディルモットの言葉に、アールスタインは何かに気付き大きく頷いた。
「そういうことなら、仕方ないね」
子供扱いを極端に嫌うアールスタインは、都合よく解釈して腰に手を当てた。
逆に子供の扱いに慣れてきたディルモットは、やはり子供だと呆れながらも笑いを堪えるのに必死だ。
アールスタインの先導もあって、騒ぎが起こっている港へと向かっていく。
「凄い人だな」
騒いでいたのは、漁師らしき男衆とその妻らしき女性たちであった。
「これじゃあ船が出せねえじゃねえか!」
「どうすんだよ! 船があってもこれじゃあ──」
騒ぐ男衆により状況は分からないが、どうやら船が出せずに怒りを露わにしているようで、ヤンバルの手配が間に合ったのかと思えば、そうではなかった。
「う、海が凍ってる!?」
アールスタインの衝撃的な言葉に、周りの者たちが一斉に振り返った。
「馬鹿、大声出すんじゃ──」
「あんた、運び屋か!」
アールスタインの頭を叩こうとして、ディルモットは漁師の言葉により手を止める。
「銀の腕輪……あんた相当腕が立つ運び屋じゃないか! 頼む! あの男をとっちめてくれ!」
「待て待て、状況が分からない」
漁師が食い気味に押し寄せる中で、ディルモットは凍った一面の海を一瞥した。
大型の船が海と一体化しており、船が出したくても出せない状況のようで、ここまで酷い状況を作り出せるのは、一人しかいない。
「あの男ってのはもしかしてティーチか?」
「おう! 確かそんな名前だったな。いきなり船を出せって言ったかと思えば、苦しそうに胸を押さえてよ」
「んだ! そしたら男が氷を作り出してこの様よ」
捻り鉢巻きの男が引き継いで話し、ディルモットはようやく理解した。
苦しんでから海を凍らせたとなれば、魔臓器の暴走によるものだろうか。
一般人が突然魔法を使い始めれば、異変が起こってもおかしくはない。
「冒険者とか、王国兵はどこにいったの?」
素朴な疑問をぶつけるアールスタインに、漁師たちは皆顔を曇らせていく。
「冒険者は周辺の魔物退治で……なんか海が凍ってからやけに魔物が増えてよお」
「王国兵士共は、王子誘拐だとかで城に帰っちまってな。全くタイミングが悪いぜ」
八方塞がりといった様子で肩を落とす漁師たちに「そうなんだー」と、返すので精一杯のアールスタイン。
元凶がこちらにある以上、棒読みになるのも仕方ないだろう。
「とっちめるって言ってもねぇ」
話を戻しつつ悩むディルモットに、捻り鉢巻きの漁師は大きく膨らんだ皮袋を取り出した。
「金貨二十枚は入ってる! 皆で集めたもんだ。これでどうにかなんねぇか!」
「二十枚か。分かった、前金としてはいくら貰える?」
「怖えから、五枚が限界だ……」
「十分だねぇ。じゃあ、ちょっくら兵士様の真似事をしてみようか」
ディルモットのわざとらしい言葉に気付くはずもなく、漁師たちは歓声を上げて金貨五枚を取り出した。
それをしっかりと受け取り、アールスタインの冷たい眼差しを無視して、ディルモットは漁師の話を聞く。
「あの男は港の灯台に立て籠もっちまってる! 鍵は開けておくから、準備が出来たら頼むぜ!」
「分かった。準備出来たら声を掛けるから、それまで鍵は開けるな。また暴走しても厄介だ」
必死な漁師に忠告をして、ディルモットは踵を返した。
金貨五枚を懐にしまい込み、何か言いたげなアールスタインを一瞥して笑みを見せる。
「そんなに貰って良かったのか? どうせ倒すんでしょ?」
「ダガーの換え必要だし、食糧も必要だ。普通に暮らすなら大金だが、アタシらは旅人。金はいくらあっても良いもんさ」
不服そうなアールスタインに、ディルモットは鼻を鳴らして入り口付近まで戻って来る。
武器屋を探しながら、五枚の金貨をどう使うか悩むディルモットは、宿屋の方へ視線を向けたところで顔を曇らせた。
「そこの方! 動かないで!」
刹那、女性の強い制止の言葉が港町に響き渡り、アールスタインは眉をひそめて振り返った。
宿屋から出て来たのか、そこには大きな三つ編みを背中で揺らす赤髪の女性が、こちらに指を差していたのだ。
その赤い胸当てには、しっかりと王国の印が刻まれており、二人は顔を見合わせて肩を竦めたのだった。