第十七話 【包囲網】
白馬に別れを告げ、再び屋敷の中に入ったアールスタインは、ヤンバルに手招きされ向かっていた。
ヤンバルが手に持っていたのは、煌びやかで高価な短剣であった。
「魔法剣とはまた希少な品をお持ちのようで。勝手ながら磨かせて頂きましたぞ」
ヤンバルが微笑んで差し出してきた短剣に、アールスタインは驚愕した。
あれほど錆びていた短剣は、見間違えるほどに輝きを放ち、切っ先も研がれ、くすんだ柄部分や装飾に至るまで、全てが新品同然となっている。
「こ、これが僕の持ってた短剣?! でも、僕お金は持って──」
「言った通り、私の勝手でございます。代金などとんでもない!」
焦るアールスタインに、ヤンバルは顎をポヨンと揺らし微笑んだ。
「その代わり、ディルモット様を少しでも守ってあげて下さい」
腰を屈め、視線を同じ位置にしたヤンバルは、玄関口の方を見据え息をついた。
同じくアールスタインも視線を向けたが、すぐに短剣へと視線を戻す。
「僕が、守れるのかな」
「勿論ですとも。強い意志を持つ貴方様は、素晴らしい男となるでしょう。守れなくとも、見守るだけでも構いません」
「僕が守って貰う立場なのに?」
アールスタインの疑問を、ヤンバルは頷いて息をついた。
「ディルモット様は、自己犠牲の強い方です。貴方様をギンムガムまで必ず届ける代わりに、その代償はどうなることか」
ヤンバルの言葉には重みがあった。
実際にその目で見た光景があるのだろう。
アールスタインはふと、助けてもらったことを思い出しながら短剣を受け取った。
「せめて、子供扱いされないくらいに強くなるよ」
「ええ、アールスタイン様ならそれが──っ!?」
会話の最中、突然の発砲音に驚いたヤンバルは、すぐさま立ち上がり息を飲んだ。
「な、なに!?」
「外が騒がしい。まさか」
たじろぐアールスタインを置き、ヤンバルは屋敷の玄関へと走り出した。
「クフゥー!」
「アレク、鞄の中に入って」
発砲音によりどこからともなく現れた子ドラゴンのアレクに、アールスタインは急いで鞄の中に誘導してヤンバルを追い掛ける。
開け放たれた玄関口から見えたのは、草木に囲まれた広場の中、数十の青い鎧を身に纏った兵士たちだった。
全員が長銃を構え、ディルモットの前に立ちはだかっているのだ。
よく見れば、ディルモットの太ももから血が滲み出ている。先程の発砲音は背後から撃たれたものだったのか。
「運び屋ディルモット! 盗難、及び王子誘拐の罪にて貴様を捕縛する!」
先頭にいた兵士の言葉に、ディルモットは眉をひそませ鼻で笑った。
「王国が随分な挨拶じゃないか。呼び掛けてくれれば、挨拶を返してやったものを」
ダガーを構え、総勢十五名もの王国兵士を前にして、ディルモットは応戦しようとしていた。
太ももは掠めただけで済んだのか、痛がる素振りも見せずに口角を上げる。
「ディルモット……っ!」
「来てはいけません!」
玄関から飛び出そうとしたアールスタインを、ヤンバルの大きな背中が姿を隠す。
だが、その声と姿は兵士の一人に見られていた。
「サルヴァン様! 王子を発見致しました!」
「ほう、それはそれは。好都合だ」
兵士の一声により奥から現れた男は、後ろに撫でつけた青黒い髪を掻き上げ鼻を鳴らした。
大層な重鎧に大剣を担いだサルヴァンという男は、王国の者にしては人相が悪く、どちらかといえば悪党顔だ。
だが、その分実力はありそうで、ヤンバルの後ろに隠れるアールスタインを鋭く睨み付けた。
「これはこれは、ご無事で何よりです王子。まさかヤンバル殿の屋敷にいるとは。探しましたよ」
仰々しく胸に手を当て一礼したサルヴァンは、ディルモットを見据えニヒル笑みを見せる。
「すぐにお助け致します故、少々お待ちください」
「すぐに、ねぇ」
サルヴァンの言葉に噛み付いたディルモットは、ダガーを逆手に持ち変え厳めしい表情へと変えた。
「サルが随分粋がるねぇ」
「女、発言には気を付けろ。殺されたくないならな……!」
サル呼ばわりされたことに対して、額に青筋を走らせたサルヴァンは、大剣を構え地を蹴った。
重さなど感じさせない素早さで距離を詰められたディルモットは、横薙ぎに振るわれた大剣を去なさず、右へと転がり避ける。
だが、太ももへのダメージが響いているのか、雨で泥濘んだ地面により滑ってしまう。
「口だけは威勢がいい女は嫌われるぞ!」
狂気じみたサルヴァンの攻撃は続き、大剣を地面に突き刺すと身体を回転させ回し蹴りを繰り出す。
両腕でその蹴りを防いだディルモットは、反転しながら体勢を立て直し拳銃を抜いた。
瞬間、ディルモットの手元から拳銃が吹き飛んだ。
「……っ!」
宙に浮く拳銃。
その視線の奥には、長銃を構える兵士がニヤリと笑っていた。
「ディルモット避けて!」
アールスタインの叫びにより我に返ったディルモット。
視線を遮るように現れたサルヴァンの姿と、大剣の刃が目の前まで迫っていたことに驚き、避けることを諦めた。
「終わりだ女ぁぁっ!!」
サルヴァンの血走った眼に睨まれ、ディルモットは一瞬遅れてダガー一本で盾として構えた。
だが、それはあまりにも無謀であった。
「ぐあぁ……ぐっ!!」
凄まじい勢いの大剣が振り下ろされ、ダガーとぶつかり合った後に、ディルモットの身体は軽々と吹っ飛んだ。
勢いのまま木の幹に背中を打ちつけてしまったディルモットは、途端に呼吸を遮断され、地面に尻餅を付きながら咳き込むことしか出来ない。
腕が痺れる。
背骨が折れている感覚。
ダガーは辛うじて握ったままだが、先の攻撃を受け刃先が完全に折れてしまった。
朦朧とする意識を必死に叩き起こすが、どうにも目の前が暗くてしょうがない。
打ち付けた衝撃で視力まで逝ってしまったか。
「あ、いだ……っ、ごほっ」
咳をすれば激痛が伴う。
それでも時間が経てば治るだろうが、今動けなければ意味がない。
心臓が動く音が聞こえる。
早まる鼓動と共に、蠢く何かに吐き気がしてしまう。
「本当に口だけか。つまらん」
サルヴァンはゆっくりとディルモットの方へ視線を移し、目を見開いて大きな溜め息を零した。
アールスタインが、小さくも両手を広げてディルモットを庇っていたのだ。
その手には魔法剣が握られており、戦い守ろうとする意志を見せていた。
「止めろ。僕が帰ればいいだけの話だろ! こいつは、僕が勝手に巻き込んだだけだ。こいつは関係ない!!」
必死に声を荒げるアールスタインに、サルヴァンは舌を打ったがすぐに微笑んだ。
「申し訳ありません王子。命令は誘拐犯を捕まえること。王子が城に帰ることなど、当たり前のことなのですよ」
「当たり前って……そんな……」
サルヴァンの歪んだ笑みに、アールスタインの腕が少しだけ下がった。
その光景を見ていたヤンバルは、ゆっくりと後退りを始めようとした瞬間、乾いた発砲音と共に屋敷の扉に穴が開いた。
「動かないでもらおうか。下手に手を出せば、いくら権力を持っていようと殺せば終わりだ。分かってるだろうヤンバル殿」
「ぐぬぬ……!」
王国兵士が一斉にヤンバルへ銃口を向け、サルヴァンは乾いた笑いを漏らす。
アールスタインの鞄の中にいるアレクも、異様な空気に押し潰され出るに出られない。
誰もいない。
助けてくれる者が、誰も動けない。
「やっと大人しくなったか。おい、そこの女を連れて行け」
「はっ!」
後ろに下がるサルヴァン。
代わりに王国兵士が三人前に出ると、ディルモットを連行しようと駆け寄って来る。
「止めろって言ってるだろ!」
アールスタインは今にも泣きそうな表情で、ディルモットを強く抱き締めた。
無理に引き剥がすことも出来ず、王国兵士は右往左往としてしまう中で、サルヴァンは溜め息をついて再び歩み寄る。
「ガキの我が儘に付き合ってるほど、暇じゃないんでね」
サルヴァンが歩いて来る最中、アールスタインは必死に彼女を守っていた。
その身体は震えている。
人が一人殺され掛けているのだ。
血が滴り、折れたダガーや殺気、威圧、それらを見て感じたのだ。
震えて当然だろう。
「……怖いなら、無理するな。人を守るより、まず、自分を守れ」
「怖いんじゃない! 僕は、僕はお前がいなくなったらどうしようもないんだ!」
か細い声で言うディルモットに、アールスタインは素直な気持ちを叫んだ。
同時に、サルヴァンの手が王子の襟首を掴もうと伸ばされ──止められた。
「ああ? 誰だてめぇ」
突然腕を掴まれ制止させられたサルヴァンは、不機嫌そうに掴んできた相手を睨み付けた。
不思議に思い、ディルモットとアールスタインは顔を上げる。
そこにいたのは、黒衣の青年だった。
「やあ、また会ったね。残念ながら再会を喜ぶ暇は無さそうだけど」
「アンタ……酒場に、いた奴」
「覚えていてくれたんだね。とても光栄だよ」
黒衣の青年は嬉しそうに笑みを見せるが、そんな会話を聞いていたサルヴァンは苛立ちを隠せずにいた。
「俺を無視するとはいい度胸だ。王国に刃向かい犯罪者の肩を持つ野郎は、俺が殺してやる」
「キミは物騒なことを言うんだね。王国は血気盛んな奴ばかりで参っちゃうよ」
目を血走らせ満面な笑みを見せたサルヴァンに、黒衣の青年は肩を竦める。
そんな青年の手を振り払い飛び退いたサルヴァンは、再び大剣へと手を掛けた。
腰を屈め、大剣を肩に担いだサルヴァンの姿は、まるで闘牛さながらだ。
対して黒衣の青年は、背中の剣柄に触れた。
細身の剣身に幾重にも棘が付いた剣を一度振り下ろし、力強く振り上げた瞬間、剣の姿が変わった。
「蛇腹剣か」
名前通り、黒衣の青年の身体に纏う連結した剣は、蛇のようにその身をうねらせ鞭の如く凄まじい音を立てて地面を叩いた。
サルヴァンの表情が変わり、戦闘を楽しむ雰囲気から本気の威圧が放たれ始める。
それは、黒衣の青年がサルヴァンと同等かそれ以上の実力を秘めていると直感したからだろう。
「さて、時間稼ぎはした。そろそろ動けるんじゃないかい」
「……アンタは、どこまで知ってる?」
意味深な言葉を吐く黒衣の青年に、ディルモットはゆっくりと立ち上がりながら問うた。
黒衣の青年はディルモットを一瞥すると、口元を綻ばせただけで返答はしない。
「アールスタイン様!」
唐突にヤンバルの声が響き、アールスタインは振り返ると同時に放り投げられた黒い塊を掴み目を見開いた。
それは、ディルモットの拳銃だ。
「王国兵の足止めはお任せ下さい! 代金はまたお願い致しますよ!」
「ああ、本当にその言葉がなかったら惚れ直すってのに」
ヤンバルのガッツポーズに苦笑いしたディルモットは、動けるようになった足を一度擦ってから頷いた。
ヤンバルの傍らには数人の傭兵らしき者たちが、一斉に王国兵士と対峙している。
「逃げるよ」
「うん!」
ディルモットに促され、拳銃を受け取った後に森の奥へと走り出す。
「王子様」
すぐさまアールスタインも追い掛けようとした時、不意に黒衣の青年に呼ばれ振り返った。
「格好良かったよ」
黒衣の青年は背中を向けたままだ。
しかし、確かに聞こえた褒め言葉に、アールスタインは自慢気に頷き、すぐに走り始める。
アールスタインの姿が森の奥へ消えていくのを確認してから、黒衣の青年は蛇腹剣を振り上げ微笑みを見せる。
「お待たせ。さあ、殺ろうか」
「ああいいぜ。殺ろうか……!」
アールスタインが最後に聞いたのは、二人の狂気的な言葉と凄まじくぶつかり合う金属音であった。




