第十六話 【別れ】
いつもの一張羅を取り戻し、メイドに片口に穴が開いたロングコートを修繕してもらっている間に、ヤンバルはゆっくりと目覚めていた。
新しい白いシャツにパンツスタイルのディルモットを見て、ガックリと首を落としたヤンバルは、先程の状況を思い出して口を尖らせた。
「さて、お目覚めは如何かな?」
「ふむぅ、とても残念でなりませんな。あのスリット姿が良いというのに。ですが、その素なお姿も良いものです!!」
「やっぱりただの変態じゃないか」
目の前に立っていたアールスタインは、引き気味に興奮するヤンバルを見下し顔を歪める。
「本当にこの変態おじさんが凄い人なの?」
本日何度目かすら分からないアールスタインの疑問に、ディルモットは肩を竦めて鼻で笑う。
「まあ、そう言いたいのも分かる。知らない奴から見ればただの変態だからねぇ。けれど」
ディルモットは真剣にヤンバルを見つめ、溜め息をついた。
悪口を言われているにも関わらず、ヤンバルは身体をくねらせ歓喜している始末だ。
王族を超える者と称される二つ名とは到底かけ離れている。
「財力、地位、名誉、権力。どれを取ってもお前には到底及ばない」
「勿論でございます。それが例え、王国の第三王子アールスタイン様でも」
ディルモットの言葉に付け足したヤンバルに、アールスタインは驚いた。
ディルモットに「名前言ったっけ?」と、振り返るが、気絶していたのは狸寝入りだったか。
それとも本物なのだろうか。
アールスタインには分からない。
「魔臓器を運び屋から盗み出し、その運び屋と逃亡中であると情報が回って来ております」
驚くアールスタインに、ヤンバルは柔らかく微笑んで二重顎を揺らす。
「さらにさらに! その魔臓器がとある盗賊団の頭によって奪われたことも存じております」
ヤンバルの言葉に、アールスタインはようやく理解したのか、何度も頷き腰に手を当てた。
疑うことは諦めたらしい。
「盗賊団かは知らないが、知っているなら話が早い」
ダガーを抜き、ディルモットは後ろへ回り込むとヤンバルを縛っていた縄を切り解いた。
解放されたヤンバルは手首の跡を悲しみつつ、小さく安堵して微笑んだ。
「その盗人が向かった港を封鎖してもらえるかな」
定位置に戻りながら言ったディルモットの言葉に、ヤンバルは特に驚くこともなく顎を撫でた。
「報酬はどう致しましょう。規模が規模ですので、タダでは引き受けられませんねえ」
「分かってる。ちゃんと用意している」
馬鹿にしたような口調のヤンバルに、ディルモットは息をついて腕を組んだ。
「アタシの相棒なら、足りるかな」
「相棒って……」
真剣な表情で呟いたディルモットの横で、アールスタインは眉をひそめる。
対して、ヤンバルは珍しく驚き言葉を失っていた。
「それほどまでに重要なことなのですか? 貴女様の相棒を売るまで、その王子が大事なのです?」
ヤンバルの厳しい言葉に、アールスタインはハッとして黙り込んだ。
ディルモットの相棒──あの白馬を売るというのか。たった一つの魔臓器の為に。
「勘違いするな。これからの旅で足引っ張りになりそうだから預けるんだ。全部終わった後は、金と引き換えに返してもらうさ」
「なるほど。担保ということですか。良いでしょう。丁度良い馬が手には入ったことですし、優秀な子を育んでもらいましょうか」
呆れ顔でも頷いたヤンバルに、ディルモットは小さく息をついて踵を返した。
「どこに行くの?」
「最後に挨拶して行く。お前は中にいろ」
ディルモットは振り返ることもなく、アールスタインにそう言い残すと、早々と部屋を出て行ってしまった。
残されたアールスタインは、ヤンバルと向き直り顔を歪める。
「あの方は変わりませんねえ。昔から、魔臓器が絡むとこうなのですよ」
「ヤンバルは、ディルモットのことを知ってるの?」
「それは勿論。営みを交わしたほどの仲ですから──ん?!」
ニコニコと話をしていたヤンバルの頬に向かって凄まじい勢いでダガーが飛んでいき、アールスタインは息を飲んだ。
ダガーはヤンバルの頬を掠めると、壁に突き刺さり微動だにせず制止する。
「おっと、手が滑った。教育に悪いホラ話をしているようで、悪かったよ。続けてくれて構わない」
「ひ、ひえ……もう致しません……っ」
いつもより綺麗に笑って見せるディルモットの言葉に、ヤンバルは顔を引きつらせて首を左右に振った。
同時に、アールスタインも首を左右に振り詰まりそうな呼吸を何とか開始させる。
「そう。じゃあ、用意が出来たらそのダガーを持って来てくれると助かる」
「か、かしこまりました」
どちらが上かもはや分からない人間関係だが、ヤンバルは壁に刺さったダガーを力いっぱい抜き始める。
その姿を一瞥し、アールスタインはそそくさと部屋から出て行った。
これ以上ヤンバルと会話をすれば、ディルモットに殺されるのではないか? と。
「ん? なんだ、お前も挨拶しに行くかい?」
「あ、うん。ほら、乗せてもらったりしたし」
「ああ、確かに。なら花冠でもプレゼントしてやればいい。喜ぶからね」
少し悲しそうにディルモットは微笑むと、アールスタインの頭を乱暴に撫で、長い廊下を歩き始める。
いつもなら子供扱いに怒るアールスタインも、今回ばかりは申し訳ない気持ちが勝り、微妙な面持ちでディルモットに付いていった──。