第十三話 【雨の森道】
日射しなど無縁の早朝。
曇天からしとしと降りだす雨に、ディルモットとアールスタインは暗い面持ちで宿の前から空を見上げていた。
まだ観光客や冒険者も起床していない砦内は静かだが、やはり検問場は厳重に兵士たちが守っている。
「……やっぱり無理そう?」
子ドラゴンを抱きしめ、雨を防ぐローブを着たアールスタインは、渋い表情をするディルモットを見上げた。
「まあ、無理だろうねぇ」
運び屋といえど、大層な荷物を持っている訳でもないディルモットでは、アールスタインを隠すことは出来ないだろう。
只の兵士が第三王子の存在を知らないという賭けに出ても良いが、知っていた場合のリスクが大き過ぎる。
「……寒いね。アレク、大丈夫?」
「アレク?」
アールスタインの呟きに対して、ディルモットは怪訝そうに子ドラゴンを一瞥した。
「そう。アレキサンダーの愛称、知ってる?」
「覇道を生き抜いたっていう伝説の王様だったか。こいつは名前負けだねぇ」
「クフゥ!」
ディルモットの言葉に、アレクと名付けられた子ドラゴンは翼をはためかせ、勢いよく鼻息を鳴らした。
どうやら怒っているらしいが、見た目が丸いせいか全くそうは見えない。
「とにかく、予定通り例の奴に頼るとしますかねぇ」
ディルモットはローブのフードを被ると、兵士たちの視線を背中に受けながら馬小屋まで歩いていく。
見つからないように、怪しまれないように、アールスタインもフードを目深めに被り彼女を追い掛ける。
「よしよし、悪かったな。ちょっと待ってろ」
白馬の背中を撫で、荷物入れから馬用の雨受け布を取り出したディルモットは、手際よく着させていく。
馬番はまだ眠っているらしく、ディルモットは手綱と番綱を取り外すと、ゆっくり引いて外へと誘導する。
「今から行く場所はちょっとばかし厄介でねぇ。薬と食料だけは欲しいところだが……」
「じゃあ、僕が買ってくるよ」
悩ましげに腕を組むディルモットに、アールスタインは率先して手を上げた。
目に届く範囲のためか、ディルモットは少し悩んだあと黙って金貨袋をアールスタインに手渡す。
「食料は日持ちする物だけ。薬は薬草と小瓶の物でいい。分かったか?」
ディルモットの言葉に、アールスタインは嬉しそうに頷くと、早々に開いている雑貨屋へと走っていった。
遠くからアールスタインと店主の姿を見守りながら、ディルモットは小さく息をついて砦の入り口へと進んでいく。
「出来れば二度と会いたくない奴だが、背に腹は変えられない……か」
独りごちるディルモットの隣で、白馬が首を左右に降って水溜まりを見据える。
そうこうしていると、アールスタインが走って戻ってきた。
「買えたよ! 薬と、干し芋」
「上出来だ王子様。それじゃあ、出発するかねぇ」
アールスタインから紙袋に入った荷物を受け取ると、ディルモットは白馬の背中に置かれた布袋に詰め替え、二人は砦を出発する。
「西の方角に行けば目的の場所さ」
「西って、森しかないような気がするんだけど……」
「ご名答。つまりその森に用があるってこと」
兵士たちの鋭い視線に見送られ、ディルモットはアールスタインに笑みを見せた。
雨で視界が悪い中、滑りやすい草花を踏み鳴らし、二人は西へと進んでいく。
「結局、どこに行くの?」
何も知らないアールスタインは、顔を出そうとするアレクを押し込みながら問い掛ける。
「“世界を統べる男ヤンバル”。聞いたことくらいはあるんじゃないかねぇ」
ディルモットの言葉に、アールスタインは顔をしかめて首を傾げた。
「冒険者たちを助け、魔物を飼い慣らし、王族ですら権力じゃ敵わない」
「そ、そんな人がいるのか? 王族より偉いって」
信じられないといった様子で驚くアールスタインだが、ディルモットの表情は微妙なものだ。
煮え切らないような、どこか歯切れの悪い感覚。
「あー、まあ凄い奴に変わりはない。向こうの要求さえ飲めれば、どんなことだって実現してくれるしねぇ」
頬を掻いて肩を竦めるディルモット。
首を傾げ続けるアールスタインは、森の近くまで来て顔を上げた。
「もしかして、ここって言わないよね」
「今日は勘がいいじゃないか。大正解だよ」
苦虫を噛み潰したような顔で森を見据えるアールスタインに、ディルモットは白馬を先頭に森へと入り込んだ。
雨のせいか霧深く、泥濘んだ地面も相まって、転けてでもすればすぐに迷子になりそうな場所。
魔物らしき鳴き声が響き渡り、伸びきった何もない草花が揺れ、時折に異様な視線を感じる。
なんとも気持ち悪い森だ。
「どろどろしてる……ここしかないのか?」
「さっき言った男が、ここに住んでる訳さ。他に入り口は無くてねぇ。文句ならそいつに言ってくれ」
顔を歪ませるアールスタインだが、ディルモットも人に言えるほど余裕はないらしい。
手にダガーを握り締め、丈の高い雑草を刈り取りながら進むディルモット。
手綱に引かれ、嫌がる白馬と共に進み、その後ろからアールスタインとアレクが付いていく。
「本当に、お前に付いていけばギンムガムに辿り着けるのか、不安になってきた」
「それなら城に帰ればいい、さ。アタシもお守りから解放される」
一つ愚痴を言えばさらに返ってくるディルモットの言葉。
言ってから後悔しても遅いが、アールスタインは溜め息をついて黙って付いていく。
それを分かっているから、ディルモットも黙々と雑草を刈り取って進む。
「途中に休憩を取る、それまでは頑張って──っ!」
珍しくアールスタインを気遣ったディルモットは、突如頬を掠った何かに身を構えた。
突然止まったディルモットに驚く一同だが、草花を掻き分け現れた奇妙なものに眉をひそめる。
「食人植物か……」
頬から顎に向かって一線の血が流れ、ディルモットは舌を打って拳銃に手を掛けた。
アールスタインはアレクを強く抱き締めながら、魔法剣を構え身を縮ませる。
「クシャァァアッ」
食人植物──。
人間の背丈ほどある真っ赤な花が特徴で、しゃがみ込んで魔除け花に扮する魔物であり、中堅の冒険者でも苦労すると聞く厄介な魔物。
長い蔦を利用した攻撃で相手を追い詰めるのだが、ディルモットが警戒するのは別の問題だ。
「こ、こっちにも……!? 囲まれてるよ!」
森に入ったばかりだというのに、ディルモットたちを丸く囲み、次々と姿を現す食人植物に、アールスタインが叫び声を上げた。
「気を抜いて食べられるなよ……死ぬぞ」
「わ、分かった」
戦く白馬を庇い、ディルモットとアールスタインは背中を向け合い武器を構える。
シュルシュルと不気味に笑う食人植物に、ディルモットは顔を歪ませ腰を屈めた。