第九話 【勇気と無謀】
「ぐ、ぅ……いった……」
何かに頬を舐められたことで目を覚ましたアールスタインは、頭に鈍い痛みが走り顔を歪めた。
冷たい床の固い感触。
暗く狭い部屋の中。
「クア!」
そんな中で、目の前にあの子ドラゴンが嬉しそうに口を開け、アールスタインを覗き込んでいた。
「おまえ……良かった、おまえは無事なんだな」
傷一つなく、檻にも閉じ込められていない子ドラゴンに、アールスタインはホッと安堵して表情を柔らかくする。
しかし、自分は間違いなく危険な状況だ。
「くそ、解けない……!」
起き上がろうにも、どうやら手足を縛られているようで、手首に力を込めるがびくともしない。
必死に縄と戦うアールスタインだが、大人が強く縛った縄など、刃物でもない限りどうしようも出来ない。
「……はあ、駄目か。ここどこだ」
精一杯、見られるだけの周りの分析をしてみるアールスタイン。
子ドラゴンも自由の身からか、小さな翼でピョンピョン飛び回っている。
その飛び回って乗っている物は、大小並んだ箱の荷物だ。
時折箱が揺れたり、内側から叩くような音と、唸り声、悲鳴、啜り泣く声があちこちから聞こえ、アールスタインは眉をひそめた。
「なん、だ? 人? 子供?」
その声は、どうやら自分と対して変わらない年齢か、それよりも下の幼子……。
皆、頑丈な箱に閉じ込められているのだ。
アールスタインは暫く絶句し、息を飲んで子ドラゴンを見据えた。
「おまえ、これ切れるか?」
「クウ?」
真剣な表情のアールスタインは、後ろを向いて手首を子ドラゴンに差し出した。
子供といえど、ドラゴンだ。
縄を噛み千切るくらいのことは、出来るかも知れない。
その思いを理解したのか、子ドラゴンは手首の縄を嗅ぐと、器用に隙間へと牙を差し込んだ。
「ガウァ……ッ!」
幼い牙で必死に縄に噛み付く子ドラゴンに、アールスタインはグッと堪える。
ゆっくり、ゆっくりと緩まっていく縄に、子ドラゴンは力を込めて手前に引っ張った。
それに対して、アールスタインも反発するように手首を後ろに下げ、一気に縄を引き千切っていく。
「やった!」
縄の一部を咥えたまま反動で飛んでしまった子ドラゴンだが、アールスタインは自由になった手首を擦り、喜びを露にした。
すぐさま足首の縄を、例の短剣で引き裂き、床に転がる子ドラゴンに急いで近寄る。
「大丈夫か? 怪我していないか? おかげで助かったよ」
「クフゥ! クウ!」
アールスタインの心配をよそに、子ドラゴンは自慢気に鼻を鳴らし、にっこりと笑って少年の胸に埋まった。
可愛らしさと暖かさに、つい顔を綻ばせるアールスタインだが、ハッと我に返り後ろを振り返る。
「助けないと。手伝ってくれるか?」
「クア!」
真剣に問い掛けるアールスタインに、子ドラゴンはやる気に満ちた様子で頷いた。
アールスタインはフッと柔らかく笑うと、すぐに顔を引き締め、頑丈な箱の走り寄る。
「これ、鍵が付いてない。どうやって開けるんだよ」
密封された箱に、呼吸が出来るよう小さな穴があるだけで、蓋自体には何も細工があるようには見えなかった。
だからといって、普通に開くのかと力を込めて持ち上げてみるが、うんともすんともいわない。
しかも、どの箱もそのような作りとなっており、アールスタインは誰一人として助けられないまま、時間だけが過ぎていっていた。
「くそ! なんで開かないんだよ」
嗚咽や溜め息が箱から漏れてくるのを聞きながら、アールスタインは怒りを壁にぶつける。
瞬間、背後から金属が擦れるような音が部屋に響き渡り、アールスタインは短剣を構えた。
「騒がしいと思ったら、ガキか……。どうやって縄を解きやがったんだ」
微かに漏れでる光と共に、骨ばった上半身を晒した髭面の優男が現れ、アールスタインは表情を強張ばらせた。
「なんだ、その箱を開けたいのか? すげぇな王子様ってのは。自分の身より他人を優先するってかよ」
「……どうして僕が王子って知ってる!?」
優男の衝撃的な言葉に、アールスタインは驚愕し、短剣を持つ手に力を込めていく。
睨み付けるアールスタインに、優男は下品な笑い声を上げて顎を擦った。
「そんな身形と魔臓器を持っていて、どこの貴族かと思いきやまさか王子様とは! こりゃあ兄貴も運があるぜぇ」
「魔臓器……っ!」
ケタケタと笑う優男。
対して、アールスタインは今さら腰の荷袋が無いことに気付き息を飲んだ。
「返せ! あれはお前らみたいな賊が使える代物じゃ──」
「あぁん? 返せだぁ? 何あまっちょろいこと言ってんだガキ、殺すぞ!!」
アールスタインの怒りなど無視し、優男は掴み掛かろうとして制止した。
「グアラァッ!!」
子ドラゴンが、凄まじい気迫で優男の前に立ちはだかったのだ。
小さな身体で威嚇する子ドラゴンに、優男は醜悪な顔に歪め容赦なく蹴り飛ばした。
抵抗も虚しく飛ばされた子ドラゴンは、箱に激突し、力なく床に落ちてしまう。
「ったくよぉ、邪魔するんじゃねぇよ……おっ!?」
「うあぁぁぁっ!!」
溜め息を漏らし肩を竦めた優男に、アールスタインは地を蹴り真っ直ぐぶつかっていったのだ。
油断していた優男は、一瞬怯んだ拍子に身体を箱にぶつけ、体制を大きく崩し眉をしかめる。
そのチャンスを逃さず、アールスタインは短剣を優男の足に突き付けようと追い込んだ。
だが、その判断は間違いなのだと、後になって気付かされてしまう。
「舐めんやガキがぁっ!!」
「がっ……!」
短剣が届く瞬間、優男に顔面を掴まれたアールスタインは、そのまま鳩尾に膝蹴りを食らい崩れ落ちた。
嗚咽と共に胃液が逆流し、何度も咳き込みながら吐き出すアールスタインに、優男は躊躇いなく頭を踏みにじる。
「その辺にしておけ」
どこか遠くで聞き覚えのある声が聞こえ、アールスタインは呻き声を漏らしながら光の方へと顔を向けた。
だが、同時に優男に頭を蹴られたことにより視線は変えられ、アールスタインは力なく床に顔を落とした。
「チッ、あとで覚えてろ」
唾を吐き捨てる優男に、アールスタインはもう何も言えずそのまま目を閉じる。
バタン、と金属が擦れる音と共に扉が閉まり、再び暗く静かな空間が出来上がってしまう。
「クウ……クフゥ」
弱々しい子ドラゴンの鳴き声が聞こえるが、もうアールスタインには何も出来なかった。
今さら後悔しても遅いかも知れないが、ディルモットにまた出会えることがあれば、今度はちゃんと謝ろう。
許してくれるとは思えないが、それでも。彼女の言う通りに従おう。
「ディルモット……」
か細い声で彼女の名前を呟き、アールスタインはゆっくりと身体を丸めた。
刹那、その呟きに答えるように、ディルモットの声が聞こえた気がした。
「やあこんにちは。小悪党の皆様」
愉快気で皮肉な挨拶。
まさしくディルモットが言いそうな言葉だ。
部屋の外から誰かの叫び声や悲鳴が聞こえる頃には、アールスタインは深い深い闇の中に意識を落としていた。




