TRICK or TREAT?
僕の家の隣には六歳下の女の子がいる。彼女の家とは母親同士の仲がいいのでちょくちょく交流がある。
彼女は名前を美里と言い、舌足らずで笑顔の絶えない可愛らしい女の子であるのだが、さすがに六歳も年齢が離れていると恋愛の対象となることはなかった。
ミサとは毎年十月最後の日の日が暮れた後に我が家に来る習慣がある。
「トリック・オア・トリート?」
決してアメリカ人には通用しないであろう舌足らずな英語を使いながら魔女であろう黒い法衣を身につけて僕の家に入ってくる。家族は美里を家に迎え入れ、「I`m scared」と流暢な英語で言ってお菓子を渡し、僕は彼女を怒らせるために「何もない」と言ってイタズラ――といってもくすぐりなどが大半だったが――されることが習慣となっていた。
僕はその日になるとなぜか心が躍っていた。この日が一年の中で一番楽しい日だと感じていた。
この日がいつまでも続けばいいとそう思っていたんだ。
しかし、その年は違った。
七月の半ばに、美里は突然倒れた。原因は分からない。だけどそのまま入院してしまったことから、思わしくない病状であるのは確かだった。
入院してからというもの、美里はどんどんと細く、弱くなっていった。
一時的に退院できてもすぐに病院にとんぼ返り。そんな事がしばらく続き、やがて病院からも出ることは出来なくなった。
そんな弱い美里だが、僕が見舞いに行った時は毎回満面の笑みを浮かべて僕を迎えてくれた。苦しいのは彼女の笑顔を見ていれば分かる。時折美里が笑顔の合間に顔を引きつらせているのを僕は見逃さなかった。
「あなたが来た時だけよ。美里があんな笑顔でいるのは……」
帰り際美里のお母さんが僕にそう教えてくれた。
僕が来るだけで彼女が笑顔になってくれるならと、僕は頻繁に見舞いに行くようになっていた。
その年のハロウィン。美里は病院にいた。だから例年とは逆に僕が仮装をして美里の病室にいった。
「Trick or Treat?」
僕がそう尋ねるとミサとは僕が毎年言っているように「何もない」とイジワルっぽく答えた。だから俺は美里のことをくすぐり、事前に医師の許可をもらっていたカボチャのケーキを一緒に食べた。
「来年は家でやろうな」
と言っておいしそうにケーキを食べる美里の頭を撫でる。美里は頷いて満面の笑みを浮かべた。
僕は美里の満面の笑みを壊したくなくて、ひたすら神に願った。
美里の病気が、治るようにと。
年が明け、それから半年経ったある日、急に美里の容態が悪化した。美里のお母さんによると、もって二・三週間だろうということだった。
ハロウィンまで、生きられるはずがなかった。
きっと、美里もそのことを知らされてはいなかったが、どこかで悟ったのだろう。僕が見舞いに行ったある日、美里は僕に言った。
「ハロウィンがしたい」と。
時期が全然違っていたが、それでも構わないようだった。要はハロウィンの時みたいに楽しく過ごしたいということだった。
僕は頭を下げて美里のお母さんに頼み込むと、彼女は無茶を言って一日だけ美里の外泊許可をもらった。そしてその日がハロウィンパーティーに当てられた。
美里はそれを聞くと泣いて喜んだ。もしかしたらあの時、すでに美里は死期を悟っていたのかもしれない。
そしてその日はやってきた。美里にとって、最後の『ハロウィン』が。
「トリック・オア・トリート?」
舌足らずな声が玄関先から聞こえる。ドアを開けるとそこには魔女を模した黒い法衣を着た美里が彼女の両親と共にいた。美里は入院してから大分痩せたのだろう。少しばかり法衣に余裕があった。
「I`m scared」
僕の両親はそう言ってお菓子を美里に渡す。
例年は僕が「何もない」と言って美里にイタズラされるのが恒例となっていたが、その時は違った。
「……I`m scared」
僕もその時ばかりはそう言ってお菓子を美里に差し出す。とても美里を怒らせる気にはならなかった。
だけどもその直後に僕がこの選択をしたことを後悔した。僕が答えた直後に美里が悲しげな表情をしたからだ。
美里はいつも通りのハロウィンを過ごしたかったはずだ。
「……なんて言うと思ったか、美里」
僕はそう言って美里の掌に乗っかりかけていたお菓子をすんでの所で取り上げる。
「あー! もう、イジワルー!!」
美里はそう言って僕のことをくすぐる。くすぐっている時の美里は満面の笑みを浮かべていた。
やっぱり、これで正解だった。
「美里、ちょっと僕の部屋に来てみ」
僕は美里にそう呼びかけた。
「うん、わかった」
ケーキを食べていた美里がそう言い、僕と一緒に部屋へと向かう。
「どうしたの?」
「実は美里に渡したいものがあるんだ」
そう言うと美里は目を輝かせる。
そして僕の部屋に入ると美里は目の輝きを一層増した。
「わああぁぁ……」
僕の机の上に置かれたもの。
それは目や鼻、口をあけて帽子をかぶせた自作の小さなカボチャのキーホルダーだった。
「これ、お守りなんだよ」
そう言ってキーホルダーを手に取ると、美里の手にそれを乗せた。
「かわいい」
「それでね、悪いおばけとかを追い払うことが出来るんだって」
「へえぇぇ……」
美里はそれを見ながらうっとりとしている。
喜んでくれたのなら嬉しい限りだ。
「頑張れよ。僕も応援するから」
「うん!」
僕は大きく頷いた美里の頭を優しく撫でる。
恋愛の対象じゃないなんて嘘だ。
僕はいつだってこの六歳下の笑顔の似合う舌足らずの女の子が好きだった。
だからハロウィンの時だって、心躍ってたんだ。
僕はその場に膝をつき、美里を抱きしめた。
「……ちょっと…………苦しいよ……」
そう言う美里のことを気にせずに、僕はしばらくの間、彼女を抱きしめながら涙を流した。
そうして、初夏のハロウィンは幕を閉じた。
やがて、セミが合唱を始めるかどうかの時期に、美里は死んだ。
結局あのお守りは役に立つわけもなかったのだが、美里のお母さんによると彼女は最後まであのお守りを持っていてくれたらしい。
「トリック・オア・トリート?」
あの舌足らずな声はもう聞こえない。
今年のハロウィンはいつまでも待っても玄関から満面の笑みを浮かべた少女が現れることがなかった。
そのことを自覚して僕は少しだけ、泣いた。
それから僕にとってハロウィンとは、なんでもないただの一日となっていった。