37話 何時も通りの裏側で 後
聖女学園の食堂の中。
テレザ先輩とユラちゃんが喧嘩をしてしまい、2人は食堂から出て行ってしまった。
俺は、後から来たスズネさんに慰められた後、更に後から来たエビラ先輩に事情を説明するのだった。
そうして、説明が終わった後。
椅子に座ってじっと話を聞いてくれていたエビラ先輩は、悲しそうに呟く。
「そっか……。あの2人、また喧嘩しちゃったんだね……」
その言葉に引っかかりを覚えて、俺はエビラ先輩へと尋ねる。
「また……って事は、何回もこんな事してるんですか……?」
「うん、実はそうなんだよね……。最近はもうやってなかったんだけど、昔の2人は今より仲悪かったから……」
……どうやら、あの2人がこんな風に喧嘩したのは、今回が初めてではないらしい。
そんな事に驚いている中。隣にいるスズネさんが、俺へと話かけてくる。
「メルルさんはまだ、あの2人の間にある確執の事を知りませんでしたよね……」
「ええ……、まあ……」
あの2人の仲が悪いのは、既にそれなりに知っている。
けれど、どうして仲が悪いのか、どのくらい仲が悪いのか、そんな事はまだ詳しく知らない。
「メルルちゃん。この際だし、それも説明しといた方がいい?」
「えっと……、よろしくお願いします」
……この学園の人間関係を知る為にも、その話はちゃんと聞いておいた方がいいだろう。
「ん、分かった。ちょっと長い話になるかもだけど、聞いてね」
「はい……」
あの2人がどうして、さっき喧嘩をしてしまったのか。
あの2人はどうして、のんびりと仲良くはしてくれないのか。
そんな原因を知る為。俺は真剣に、その話を聞いていくのだった。
---
少しだけ間を開けた後。
エビラ先輩は俺に対して、話を始めてくれる。
「まずは確認しとくけど……。メルルちゃんは、ユラちゃんの過去の事は、もう一応は知ってるんだよね?」
「えっと……、はい。一応はですけど……」
ユラちゃんの過去。
それは、この学園に来て3日目の朝に、既にスズネさんから聞いてある。
周囲に迫害されている中で、たった一人の身内である母親に社会道徳を押し付けられた。……確か、そんな感じの話だった。
そんな事を改めて確認した後。エビラ先輩は俺へと、その話を続けてくれる。
「まあ、そんな過去があったからさ……。
この学園に来た頃のユラちゃんは、社会っていうものの事をかなり恨んでたの。
例えばえっと……。食事の時とかさ、メルルちゃんは食前の祈りっていうのをするでしょ?」
「はい、しますけど……」
「うん、それが普通だよね。
……だけどユラちゃんはさ、そういうのを嫌がって全くしようとしなかったの。
食事の前に神様に祈りを捧げるなんて、世の中が勝手に押し付けてるだけだし、それに従うなんて嫌だー。みたいな事を思ってたらしいの。」
そしてエビラ先輩は、少しだけ俯きながら呟く。
「今だとあんまり想像出来ないだろうけどさ……。
今からたった10ヶ月くらい前、ユラちゃんは今とは全然違う性格だったんだよ。
周りの事を何も信じてなかったり、そのせいで私達と全然仲良くしてくれなかったり、今以上に一人になるのだけが好きだったり。
……そんな感じで、とにかく世の中の全部とかを恨んでいていて、それを全部拒絶しているような感じだったの」
世の中の全部を恨んでいる。
昔のユラちゃんは、そんな感じの性格をしていたらしい……。
「それはちょうど、この学園に来た事のテレザと正反対みたいな感じの性格だったかな……。
ルールを押し付けられる事を嫌ってて、自分は聖女じゃなくて魔女だみたいな事を話してて、人に認められたりする事に全然興味がない。
……なんていうか、最初から他人に何も期待してないような、そんな感じだった。
まあ、トゲトゲしてた所とか心が狭かった所とかだけは、あの頃のテレザとそっくりだったけどね……」
今でもユラちゃんは、少しじとっとした感じのテンションをしていると思う。
けれど昔のユラちゃんは、おそらくそういう範囲の話ではなかったのだろう……。
毒舌だとか、大人びているとか、そういう範囲の話ではない。昔のユラちゃんは、もっと攻撃的で、心を病んでしまっているような感じだったらしい。
「んで、ここからが本題ね」
「……はい」
本題とは、この話の本来の目的の話だろう。
ユラちゃんとテレザ先輩が今みたいな関係になってしまった、その説明の話だ。
ここからが大事な部分なので、俺は改めて、集中してその話を聞いていく事にする。
「そんな感じでユラちゃんは、食前の祈りとかを全然しようとしなかったんだよね……。
んでだからさ、ユラちゃんが入学して直ぐだった頃。テレザがそれを見かねて、一度ユラちゃんに注意をした事があるの。
決まってるルールなんだから、食前の祈りくらいはちゃんとした方がいいよって」
「そしたらユラちゃんは、こう尋ねたの。
何でしなきゃいけないの? ってね。
それでテレザは、普通に自信満々で答えちゃったの。
神様が見てるからですわよー。って
……そしたらテレザ、ユラちゃんに殴り飛ばされちゃったの」
「テレザを殴り飛ばした後、ユラちゃんは吐き捨てるように言ってた。
神様なんてそれこそ、自分のエゴを正義にすり替える為の道具でしょ! って。
それで、ユラちゃんのその言葉は、テレザの逆鱗にも触っちゃったらしくて……。
テレザは怒りながら、どうしてそんな事を言うんですのっ! って言ったの。
それで、ユラちゃんはますます怒ちゃって、テレザも怒っちゃって、だからそのまま思いっきり喧嘩になっちゃってね……」
「ユラちゃんがテレザを殴りまくって。
テレザは根っこがああだから、一杯叩かれたら怒ってるのに萎縮しちゃって……。
それでテレザは、ユラちゃんに泣かされちゃうんだけど、それでも自分の意見だけは変えなくて。
……そうやって、その時に2人は、お互いの思想が全く相容れない事とかにも気づいちゃったらしいの」
「さっきも説明した通り、ユラちゃんは社会の事を恨んでる。だから、社会に媚びるような姿勢が嫌いならしいの。
それに対してテレザは、立派な聖女になるのが夢だと思ってる。だから、聖女が反社会的な事をしたりするのが、未だに少し許容出来ないような所があってさ……。
2人の思想は本当に真逆な感じで……。だから、話をすればする程仲が悪くなっていって、お互いにお互いの事がどんどん認められなくなっていっちゃったんだ……」
ユラちゃんとテレザ先輩の仲が悪い理由。
俺はそれを、ここでやっと知る事になっていた。
どうやらあの2人は、何というか、思想そのものが食い違ってしまっているらしい。
それは言うならば、信条の違いのようなものなのだろう……。
「それで、その時から未だに仲の改善は出来ていなくて、そのまま今に至ってるんだよね……」
「そう……だったんですか……」
それはたぶん、好きの反対とか、そういうタイプの嫌いではないのだろう。
スズネさんが前に話していた通り。あの2人は本当にただ、人間として馬が合わないような、そんな感じの関係だったらしかった……。
---
そんな事が分かった後。
俺はエビラ先輩へと、一つだけ質問を投げかける。
「でも、ユラちゃんの性格はもう、その時とは違いますよね……? 見てる限り、今のユラちゃんがそこまでトゲトゲしてるようには見えないですし……」
俺が知っているユラちゃんは、もっと穏やかな感じの子だと思う。
そんな俺の質問に対しても、エビラ先輩は答えてくれる。
「うんまあ、あの子にも色々あったからね。……その話も聞きたい?」
「はい……」
「ん、分かった」
エビラ先輩は引き続き、ユラちゃんの過去の話を聞かせてくれる。
なので俺も、しっかりと集中したまま、エビラ先輩の話を聞き続けていくのだった。
「入学した頃のユラちゃんはさ、本当にトゲトゲしてたの。
さっき話してたみたいに、周りの誰も寄せ付けようとしてない感じだった。
だから私たちも、その頃のユラちゃんとは、簡単に仲良くなったりすることは出来なかった。
……けれどね、そこはミリアちゃんが頑張ってくれたの」
「ミリアちゃんが、ですか……?」
「うん、そうなんだよねー」
少しだけ微笑ましそうな様子で、エビラ先輩は話を続ける。
「ミリアちゃんはね、ずっと妹が欲しかったらしいの。
自分には兄と姉はいるけれど、妹はいなかったから、後輩が出来たらその子と妹みたいに接してみたいって話してた。
だからユラちゃんが入学してきた時、その事に一番喜んでたのはミリアちゃんだった。
……そして、一番仲良なる為に頑張ってくれたのも、ミリアちゃんだった」
「へー……」
ミリアちゃん、そんな事をしてくれていたらしい……。
「ユラちゃんは、ミリアちゃんにずっと沢山優しくされてた。
何回拒絶して振り払っても、それでも辛抱強く優しくして貰ってた。
それでほら、ミリアちゃんって元々凄くいい子だからさ……。そうされてる内に、思うようになっていったらしいの。
ああ、この子だけは自分の敵じゃないんだなー。……みたいな事をね」
「そんな訳でユラちゃんは、まずはミリアちゃんに心を許してくれるようになったの。
それで次に、ミリアちゃんのお友達という事で、私やスズネちゃんにも少しずつ心を開いてくれるようになっていった。
……それで、そうしている内にユラちゃん自身も丸くなっていってね。月日がユラちゃんの心を癒していってくれて、時間が経つごとに今のユラちゃんの感じに近づいていったの」
「今のユラちゃんはもう、この聖女学園にいる事に、凄く大きな居心地を感じてくれてるみたい。
……テレザとだけは、4月からずっとあんな感じの関係のままだけど。
それでも、この学園の空気の事を考えて、表面的にはテレザとも当たり障りなく接してくれるくらいにはなったんだよ。
「まあだから、そんな感じで、今の優しいユラちゃんがあるんだよー」
ミリアちゃんのおかげで、人の優しさを知る事が出来た。
エビラ先輩はスズネさんとも仲良くなれたから、聖女学園の事が大好きになれた。
そうしてみんなの暖かさに触れられたから、少しだけでも心の傷を癒すことが出来た。
……ユラちゃんはこの学園に入学してから、そんな感じの事を経験してきたらしい。
「そんな事があったんですね……」
話をするエビラ先輩が、どことなく微笑ましそうな感じになっている理由が分かる気がする。
ユラちゃんが、この学園に馴染んでいってくれる姿。それはきっと、とても心が温かくなるような、そんなものだったのだろう。
「そんな訳で、最近はもう結構平和だったんだけどね……。
今日はたまたま、色んなものが重なって、また昔みたいになっちゃったみたいだね……」
「そう……、だったんですね……」
ユラちゃんの過去と心の傷。
そこから来る、テレザ先輩との不仲。
そんな話を聞いた事で、俺はやっと、今日起こった事件の意味を理解する事が出来ていた。
「ま、そんな感じなんだよ」
そうしてエビラ先輩は、俺へと大体の説明を終えてくれていた。
俺はその話を、頭の中でゆっくりと整理していっていたのだった……。
---
そんな話が終わった後。
エビラ先輩はそのまま、俺へと向かって尋ねてくる。
「それでさ。メルルちゃんは、どうしたいって思う?」
「俺、ですか……?」
「別に、メルルちゃんが悪い訳じゃないけどさ……。
あの2人が喧嘩しちゃった発端は、メルルちゃんの扱いが問題になちゃったからでしょ?
だったらメルルちゃん自身が、2人にどうして欲しいのか話せば、とりあえず今回の事は収まると思うんだけど」
「なるほど……」
確かに今回の事は、俺が曖昧な態度を取っていたせいで起こった事でもあるのだと思う。
俺が2人にどうして欲しいのか……。それはもう、悩まなくても答えは一つしかないような事だった。
「えっと……。俺は正直、この一人称はあんまり変えたくないです……。
テレザ先輩が気にかけてくれるのはありがたいですけど……。流石にそこまで、徹底して礼節を重んじる気にもならないですし……」
「そっか」
けれど、俺は続ける。
こんな俺の事情なんかよりも、ずっと大切だと思える事がある。
「でも、そんな事はどうでもいいんです。
それ以上に俺は、みんなが喧嘩する所なんて見てたくないです……。
俺のせいで喧嘩になったなら、俺の事なんてどうでもいから、ただやめて欲しいとしか思わないです……」
それが、俺の正直な気持ちだった。
エビラ先輩は、のんびりと微笑んでくれながら、改めて俺へと話す。
「ならその気持ちを、ユラちゃん自身に話して上げたらいいと思うよー。
テレザを許してあげて欲しいって、メルルちゃん自身が言いに行けば、ユラちゃんもきっと話を聞いてくれるからさ」
「……分かりました」
エビラ先輩の言っている事は、凄く最もだと思う。
なので俺は、とりあえずユラちゃんに会いに行ってみるべきだろう。
……しかしふと、それには一つだけ問題がある事に気が付く。
「あの、エビラ先輩……。ところでユラちゃんって、何処にいるんでしょうか……?」
さっきスズネさんから、外に向かっていったという話は聞いた。
しかし、外のどの辺りに向かっていったのかは、まだ分かっていない。
「そこは、気配探知の魔法を使えばいいよー」
「あ、そっか……」
そういえば、そんな便利なものがったな……。
そんな事を思いつつ。俺は言われた通りに、魔法を使って周囲の気配を探ってみる。
すると、寮の入口から少しだけ右に進んだ辺りで、ユラちゃんが座り込んでいるのが分かった。
「外にいるみたいだねー」
「……ですね」
どうやら、そこに向かえばいいらしい。
「私とスズネちゃんは、当事者じゃないからここで待ってるね」
「分かりました……」
今回ユラちゃんと話し合うのは、あくまで俺だ。
なのでユラちゃんの元には、俺一人で向かった方がいいだろう……。
そうして俺は、今回の事態を収める為に、これからユラちゃんの元へと向かう事になっていたのだった。
そんな方針が決まった後。
今までずっと隣にいてくれたスズネさんが、俺へと少しだけ話してくれる。
「メルルさん、頑張ってきて下さいね……。私は何も出来る事がないので、応援する事しか出来ませんけれど……」
「……いえ、スズネさんは、十分助けてくれましたよ」
「そうでしょうか……?」
「そうですよ……」
スズネさんは俺に、安心と安らぎを与えてくれた。
それだけでもう、スズネさんがしてくれた事は十分過ぎるくらいだと思う。
「……それじゃ、行ってきますね」
俺は立ち上がって、2人へとそう話す。
「うん、行ってらっしゃいー」
「頑張ってきて下さい、メルルさん……」
「……はい」
2人に優しく見送って貰った後。
俺は食堂から出て、ユラちゃんのいる場所へと向かって歩いて行ったのだった。
---
寮の廊下を歩いている途中。
俺は頭の中で、一人でぼんやりと考える。
「…………」
この後やる事は、既に決まっている。
けれどそれを、ユラちゃんに一体どう伝えたらいいだろうか……。
「…………」
俺は正直、この一人称を変えるのは嫌。だからテレザ先輩の話は断る。けれどそれでも、テレザ先輩の事は許してあげて欲しい。
……こんな感じでいいだろうか?
「うう……」
なんにせよ、凄く緊張する気がする……。
ユラちゃんは、心のかなり深い部分で、テレザ先輩の事を受け入れられない気持ちでる。
だから、そんなユラちゃんに仲直りをして欲しいと頼むのは、もしかしたら一筋縄ではいかないかもしれない……。
「……頑張らないとな」
不安な気持ちになるけど、それでも頑張らないと駄目だと思う。
聖女学園の、何時もののんびりとした空気。とにかくあれに、俺はただ戻ってきて欲しい……。
そんな事を一人で考えている中。俺は寮の入口にたどり着いて、そのまま寮の外へと出て行ったのだった。
寮から出て、少しだけ右に進んだ場所。
……そこに、ユラちゃんはいた。
ユラちゃんは、どよーんとした感じの様子で、何もない場所に蹲っていた。
「あの……」
緊張しながらも、とりあえず話しかけようとすると……。
「ごめん……」
ユラちゃんは俺の方を見てから、先に自分から謝ってきた。
「え……」
思ってもなかった言葉に、俺は思わずあっけに取られてしまう。
ユラちゃんはそのまま、俺へと申し訳なさそうに話をする。
「メルル先輩はさ、私とテレザ先輩が何で仲悪いかは、もう知ってるかな……?」
「えっと……。ちょうど今、エビラ先輩に聞いてきたけど……」
「そっか……。じゃあもう、細かい説明はいらないよね」
そしてユラちゃんは、少しだけため息を吐いた後……。
「言い訳にもならないような話だけどさ……。少しだけ、聞いて貰えると嬉しいかな……」
どんよりと落ち込んだ様子のまま。ユラちゃんは俺へと、自分から話をしてくれる。
「私は、お母さんの事が大っっっ嫌いだった。
たった一人の家族だったけれど、あの人は醜悪としか思えないような人間だった。
私はお母さんの事が、どうやっても好きになる事が出来なくて、一人の人間として嫌いになる事しか出来なかった」
「……テレザ先輩の思考は、そんなお母さんの思考に、ほんの少しだけ似ている所があるんだよ。
勿論、テレザ先輩があんな人間じゃないっていうのは分かってる。
それでも、自分の為に社会道徳を尊んでる所とかが、ほんの少しだけ似てるんだ……。
だから私は、テレザ先輩の事を見てると、どうしても思い出してしまうんだよ……。
あの、どうやっても存在を許容する事が出来なかった、世界で一番大っ嫌いな私のお母さんの事を……」
「勝手な話だけどさ……。
最近、嬉しそうに礼節の勉強を教えてるテレザ先輩に、正直心の中でもやもやしてた。
テレザ先輩のそんな姿に、昔の私とお母さんの関係を重ねて、一人で勝手にイライラしてた。
それでそんな時に、嫌がってるメルル先輩が、無理やり自分の人間性を曲げられそうになってるのを見たらさ……。
……お母さんにされてきた事を思い出してしまって、そのまま、何も考えられなくなった」
自分自身に冷笑を向けながら、ユラちゃんは話を続ける。
「要するに、勝手に八つ当たりしただけなんだよね。
テレザ先輩にお母さんを重ねて、一人で勝手に耐えられなくなっただけ。
心の傷を慰めようとしてたのは、どう考えても私の方だった。あんなに怒るような事なんて、何もない場面だったのにね……」
俺は、何も言う必要はなかった。
ユラちゃんは凄く落ち込んでいて、自分がやった事を全部一人で反省していた。
……ユラちゃんは本当に、そこまで、自分の母親の事がトラウマになっていたらしい。
そのまま俯きながら、ユラちゃんは呟く。
「たまに、思うよ……。
私がいなかったら、この学園は今よりもっと平和になるんだろうなって……。
私だけが勝手に、テレザ先輩の事を嫌ってて、私だけがみんなの輪を乱してるからね……」
……そんな事を、ユラちゃんは思っていたらしい。
俺は、そういう言葉は聞きたくないと思った。
テレザ先輩とユラちゃんが喧嘩してしまうのと同じくらい、その言葉は悲しいものだと思った。
「ユラちゃんがいなかったら、俺は嫌だよ……」
俺がこの学園に来て、2日目の夜。
みんなが俺の為に歓迎会をしてくれて、俺はそれが一生忘れないくらい嬉しかった。
そして、ユラちゃんもまた、その歓迎会をしてくれたメンバーの中の一人だった。
だから俺は、この学園のみんなの事が大好きで、みんなが仲良くしてくれるという事が一番の望みだった。
「……ありがと」
嬉しそうに、けれど少しだけ寂しそうに。
ユラちゃんはただ、そんな事だけを呟いていたのだった。
---
とりあえず、ユラちゃんはもう十分に反省してくれているらしい。
なので俺は、余計な前置きはせずに、自分の目的だけをユラちゃんに伝える事にする。
「えっと……。ユラちゃん、テレザ先輩と仲直りしてくれる……?」
「うん」
「そ、そっか……」
よ、よかった……。
かなり緊張していたけれど、びっくりするくらい簡単に話が付いてくれた。
というかもはや、俺が何もする必要がなかったくらいだったのかもしれない。
ユラちゃんはたぶん、放っておいても一人で勝手に、テレザ先輩に謝りにいってくれたような気がする……。
俺がそんな事に安堵している中。ユラちゃんは暗い様子のまま、もう少しだけ話を続ける。
「ただ、メルル先輩。これだけは分かっておいてね……」
そんな前置きを挟んだ後……。
ユラちゃんはそのまま、釘を刺すように告げる。
「テレザ先輩は社会が好きで、私は社会の事が嫌い。
だから私は、本質的にテレザ先輩の事を好きにはなれない。
これから私は、テレザ先輩と仲直りをしに行く。けれどそれは、この学園の空気を悪くしたくないから、表面的にそうするってだけ。
……それはたぶん、私以外のみんなも、全員分かってくれてると思う」
ユラちゃんとテレザ先輩は、本当の意味で仲直りをする訳ではない。
そんな事を、ユラちゃんは俺へと話していた。
「それは……、どうしてもなの……?」
俺がユラちゃんへと、ただそんな事だけを尋ねると。
「うん……。今までもずっとそうだったし、少なくともテレザ先輩が卒業するまでは、もうこんな感じだと思う……」
「……そっか……」
ユラちゃんは、立ち上がってから俺へと話す。
「申し訳ないと思うけどさ……。
私はメルル先輩みたいに、良い子じゃないんだよ。
本当は、凄く醜い人間で、心の中には醜いものを沢山抱えてる。
……だから、誰とでも仲良くしたりは出来ないんだよ」
……心の中に、醜いものを抱えている。
それは俺みたいな人間の事で、他のみんなはそうではない気がする。
「そうは……、見えないけど……」
俺がそうとだけ返すと、ユラちゃんは冷たく笑う。
「それは、私が仮面を被ってごまかしてるからだよ。
……優しさっていう、そんな仮面をね。
さっきテレザ先輩に怒鳴り散らしたのが、私の本性。
そして、テレザ先輩と仲直りをしに行くのは、場を取り持つ為の偽りの私」
そしてユラちゃんは、そのまま寮の中へと歩いて行ってしまう。
……俺の心は綺麗なんかじゃない。ユラちゃんの心はそんなに醜く見えない。
そんな事を話したいが、もう会話が打ち切られてしまったので、それ以上言葉を返す事は出来なかった。
ユラちゃんは、やっぱりどこか大人びている事。
そして、ユラちゃんが何を考えているのか、やっぱりよく分からない事。
そんな事だけを改めて認識しつつ。俺はただ、そんなユラちゃんの後へと付いて行くのだった。
---
2人で寮の中に戻った後。
俺達は気配探知の魔法を使って、テレザ先輩の居場所を探った。
するとテレザ先輩は、案の定という感じで、自分の部屋の中に閉じこもっていた。
なので俺とユラちゃんは、そのまま2人で、テレザ先輩の部屋の前へと移動していたのだった。
「テレザ先輩……」
コンコンと、部屋の扉をノックしてみる。
しかし、部屋の中から反応が返ってくる事はなかった。
「えっと……、入りますよ……」
ここにテレザ先輩がいる事は、既に分かっている。
なので俺達は、手をこまねいていてもしょうがないし、そのまま扉を開けさせて貰う事にする。
ドアには鍵がかかっていなくて、テレザ先輩の部屋の扉は簡単に開いた。
「えっと……」
俺は、その部屋の中を見渡してみる。
すると部屋の隅っこに、ひっそりと蹲っているテレザ先輩がいた。
テレザ先輩は何というか、部屋の隅で身を縮めたまま、しょぼーんという感じになっていた。
「ひっ……」
俺の後ろに、ユラちゃんがいるのが分かったらしい。
テレザ先輩はびっくりして、そして明らかに怯えたような様子を見せる。
「な……、なんですの……」
既にまた泣きそうになっている、そんなテレザ先輩に対して。
「ごめんなさい、テレザ先輩……」
ユラちゃんは深々と、その頭を下げていた。
「ど、どういう事ですの……?」
「仲直り、しに来たんだよ……」
ユラちゃんはそのまま、びっくりしているテレザ先輩へと、申し訳なさそうにしながら話す。
「あなたは先輩として、するべき事をしてただけなんだよね……。
だからそれは、別に悪い事じゃなかったと思う。……あなたはこの学園の先輩として、よくやってるよ」
「そ、そうですの……?」
「うん……。だから、一旦仲直りをしに来たんだ。
許して欲しいとまでは言わないけど……。私が謝罪したいっていう事だけは伝えたい。だから言うね」
そしてユラちゃんは、改まって頭を下げる。
「急に怒って酷いこと言って、ごめんなさい、テレザ先輩……」
……その時のユラちゃんは、表面的には申し訳なさそうにしているように見える。
たぶん、申し訳ないと思っている事自体は本当の気持ちなのではないだろうかとも思う。
けれどそれでも、さっきのユラちゃんの言葉を考えると、これは本心から仲直りしたいという訳でもないらしい……。
まだ小5相当の年齢の子が、こんな複雑なやりとりをする事が出来る。
それは凄い事だとは思うが、ユラちゃんの辛い過去がこういう精神構造を作ったなら、それは手放しでは喜べないようなものでもあると思う……。
「そう……ですの……」
テレザ先輩は、ひとまず安堵したような様子を見せる。
そして、少しだけ気持ちを落ち着けた後。俺達へと向かって話してくれる。
「あの……。私も確かに、やり過ぎた所があったと思っていたのですわ……。
ユラさんの言う事も確かにそうで……。私……、メルルさんが何でも言う事を聞いてくれるのが嬉しくて……、舞い上がってしまっている所がありましたの……。
ですから……、私の方こそ、申し訳ありませんでしたわ……」
「そっか……」
そしてテレザ先輩は、改めて俺へと向き直ってから話す。
「メルルさん、ごめんんさい……。
今思うと……その……、今朝の私は……その……、調子に乗っていましたの……」
そう告げた後。テレザ先輩はそのまま、俺へと頭を下げていた。
俺はそんなテレザ先輩へと、自分の思う事を話しておく事にする。
「えっと……。やっぱり、一日中礼節の事を考えていたりするのは、俺には難しいと思います……。
だから、俺は自分の事を俺って言いますし、少しくらいはだらっとしていても見過ごして欲しい所もあります……」
「ええ……、そうですわよね……」
テレザ先輩は、俺の言葉へと頷く。
それは、しょうがないといった感じの様子で、けれど寂しそうな感じの様子でもあった。
俺はそんなテレザ先輩へと、言葉を続ける。
「……けど、それだけじゃないんです。
テレザ先輩が礼節の勉強を教えてくれるのは、確かに嬉しい所もあるんです。
ですからテレザ先輩……。その……、出来たらこれからも、厳しくなりすぎない範囲で、指導してくれたら嬉しいんですけれど……」
「指導しても……いいんですの……?」
「はい……。むしろそれは、こっちがお願いする立場ですから……」
俺が、そんな自分の気持ちを伝え終えていたら。
「ありがとう……存じますわ……」
テレザ先輩は、凄く嬉しそうにしてくれていた。
……俺はやっぱり、この人の事も好きだと思う。
その嬉しそうな笑顔を見ながら、俺は改めてそんな事を思っていたのだった。
そうして何とか、この事件は終息していた。
雰囲気も元に戻って、そこには確かに暖かな空気が流れ始めていた。
なので俺は、最後にもう一つだけ、ユラちゃんへと言っておきたい事を話していた。
「あと、それとさ……」
「何?」
「俺はユラちゃんのこと、醜い人間だなんて思わないから……」
「……そう」
「うん」
ユラちゃんが怒っているのを見たときは、正直凄くびっくりした。
……俺はまだ、ユラちゃんがどんな人間なのかはよく知らない。
一体どんな環境で育ってきて、どんな事を考えているのか。それがまだ及びしれないような所がある。
けれどそれでも、俺はユラちゃんが、そんなに冷たいような心を持った人だとは思えない。
だから俺は、ユラちゃんにもそんな事を伝えていたのだった。
「それじゃ、もう一回朝食を食べに行こう」
俺は2人へと、改めてそんな事を話す。
俺達は3人とも、また朝食を食べている途中だったので、それが食堂に残っている。
「そうだね」
「ええ……。他のみなさんも、きっと待ってくれていますわ」
何よりも大切な、何時も通りをする為に。
俺達は改めて、今日の朝をやり直しに向かうのだった。
---
そうして俺達は、食堂の中へと戻った。
そこには、スズネさんとエビラ先輩と先生がいて、3人で俺達を待ってくれていた。
「おかえりー」
「仲直り、出来たんですね」
「2人から話は聞きました。私は起きてませんでしたけど、大変だったんですね……」
3人はそれぞれ、そんな優しい言葉をかけてくれる。
「ごめん、心配かけて」
「もう大丈夫ですわ」
「……らいしです」
俺達はそれぞれ、みんなへとそんな言葉を返す。
そして俺達は、テーブルの席に着いてから、改めて朝食を食べ始める事にする。
そうして、スプーンを手にかけた所で……。食堂の扉が、再び音を立てて開く。
「すいません、少し寝坊してしまいました……」
そこには、眠そうな様子のミリアちゃんが立っていた。
「ミリアちゃん、寝坊しててよかったね……」
「……何かあったんですか?」
「あはは……」
そして俺達は、ミリアちゃんにも事のあらましを説明してあげた。
ミリアちゃんは驚いていたが、それはもう全部終わった事だと言えば、安心もしてくれていた。
そうして、今度こそ全員が揃った後。俺達は何時も通り、ただのんびりと朝食を食べ進めていくのだった。
---
その暖かな空気の中。
みんなが朝食を食べているのを眺めながら、俺はぼんやりと考える……。
この学園は、普段は平和で暖かな空気が流れている。
けれど、そんな何時も通りの裏側では、俺の知らない色々なものが渦巻いているらしい。
みんなは聖女というもので、何かとても辛い過去を抱えていて、その過去はみんなの人格に深く根ざしている。
……今回の事は、それが改めて分かるような事件だったように思う。
ユラちゃんは、優しさの仮面を被っていると言っていた。
……それはたぶん、それなりに的を得たような表現なのだろうと思う。
みんなは俺の事を、本当に表層しか知らない。
俺はメルルちゃんという仮面を被っていて、みんなは俺のそんな一面しか知る事はない。
そしてそれと同じように、俺もまた、みんなの事を表面しか知らないのだと思う。
みんながどんな事を考えているのか。どんな事を悩に悩んできて、どんな事に苦しんできたのか。そんな事をまだ、何だかんだで俺は全然知っていない。
けれど、俺がさっきユラちゃんに言った事も確かだと思う。
この学園のみんな、例えどんな内面を持っていたとしても、絶対に悪い人ではないだろう。
だって今この空間には、凄く穏やかな空気が流れている。
この空気だけは、偽物だったりとか仮面だったりとか、絶対にそういうものではないと思う……。
「………………」
だから、きっと……。
これからどんな事が起こるのだとしても。俺達は何だかんだで、今回みたいに、平穏な感じに戻れるのではないだろうかと思う。
それは、個人的な願望だけれど、同時に予感みたいなものでもあった。
……だって、あのスズネさんが言ってくれたのだ。
この学園の空気が壊れてしまうような事だけは、きっと最後まで起こらないと……。
「……美味しいですね、メルルさん」
スズネさんは今日も、ただニコニコとしていてくれる。
「……ですね」
だから俺は、今日もそんな事に癒される事が出来る。
そんな気持ちを、胸の中に抱きつつ。
俺は今日も、ノーイベント転生ライフな毎日の続きを、ただのんびりと過ごし続けていった。
だからその日もまた、その後はずっと、何時も通りの穏やかな時間だけが流れていったのだった。