2話 メルルちゃんな俺
真っ白な空間。
そんな感じの場所に、俺はいた。
「どこだ、ここ……?」
辺りを見渡してみるが、この空間にはただ白い色しか広がっていない。
「……?」
何で俺は、こんなよく分からない所にいるのだろうか……?
そんな事を思い、とりあえず自分の頭の中の記憶を辿ってみる。
確か俺は、昨日は家でメルルちゃんの最新話を見たりしていた。そして今日になった後は、朝起きて工場に働きに行って、それで夕方まで働いて、仕事が終わって、だから今日も何時も通りに、家までの帰り道を歩いてて……。
「……うわぁっ!?」
トラックに轢かれた。……というか、正確にはたぶんすり潰された。
「えっ……、し、死んだのか、俺……?」
一瞬、そんな事を思う。
「い、いやいや……」
けれど直ぐに、それを否定する気持ちが湧いてくる。
だってそうだろう。本当に死んでいたのなら、冷静に考えて今の状況は色々とおかしい。
まず、死んだならもう生きていない筈だ。だから、自分が死んだという事に対してびっくりしていたら、それは物理的に考えておかしい。
それに、論理的にもそうだが、感覚的にも理解が出来ない。
俺は本当に、さっきまで普段通りの日常を送っていただけだ。それなのにあんな一秒もかからず気がついたら死ぬなんて、現実的だと思えない。イメージが沸かないというか、リアリティが感じられない。
……でもだったら、俺のいるこの場所は何なのだろうか?
「…………」
唐突な展開。意味不明な空間。そして、何かふわふわした感覚……。
「あ」
よく考えれば、一つだけ思い当たるものがあった。
「夢だ、これ」
夢というのは、まさにこんな感じだろう。
どこからが夢だったのかは分からないが……。どうやら俺は、今は眠っている所ならしい。
「なんだ、夢か……」
そんな事に気がついた事で、ほっと息を撫で下ろす。
なんかリアルな夢だったと思うけれど、夢ならよかったと思う……。
「夢……か……」
……本当は、いっそ夢でなかった方がよかったのかもしれない。
なんか俺は、もう本当にどうしようもないゴミみたいな人生を送っている。けれどそれでも、まだ死ぬのとかも怖くて、人生に希望なんて何もないのにだらだらと生き続けている。
これからもずっと、あんな苦しいだけの毎日が永遠に続いてくのなら……。いっそ自分でも訳が分からない内に、あっさりと死んでしまえたらいいのではないだろうかと、そんな事も全く思わないでもない。
電車に轢かれたくなる人の気持ちって、こんな感じなのだろうか。
いやまあ、あれは凄い迷惑がかかるらしいから、死んだ後の事を不安に思ってしまって、そんな事をする勇気すら俺には持てそうにないが……。
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そんな風にして、ぼんやりと考え事をしていた中。
突然。俺の目の前の空間に、何かぽわーっと、黒い炎みたいなものが浮かび上がってきた。
「こんにちは」
そしてその炎は、俺に向かって話しかけてきた。
……夢というものは荒唐無稽だから、こういう事もあるだろうな。
「えっと、こんにちは……」
とりあえず、俺は挨拶を返しておく。
するとその炎は、そのまま俺へと会話をしてくる。
「あなたは、岩倉智樹さんで間違いないですか?」
「えっと……、はい、そうですけど……」
岩倉智樹。それは確かに、俺の名前だ。
32年間引きこもり続けた、どうしようもないクズの名前……。
「岩倉さん。端的に申しますと、あなたたは先ほど死にましたが、それは私達のミスのせいだったのです」
「……はぁ」
「ですので条例に基づき、あなたは生き返る事が決定しました」
「……はぁ」
死んだとは、俺がさっきトラックに轢かれてきた事を言ってるのだろう。
まあそれも、夢の中での話なのだが……。
「………………」
俺はとりあえず、今見ているこの夢の設定を考察する。
どうやらこの夢の中では、俺はトラックに轢かれた事になっているらしい。そしてそれは、なんか目の前に現れたこの人(?)のミスのせいで、だから生き返る事になった、みたいな感じの設定になっているらしい。
……なんかネットで、そういうジャンルの小説が最近流行ってたなぁ。
「ただし、一度死んだ人間が同じ世界に生き返った場合、その世界の摂理が乱れすぎてしまいます。
ですので岩倉さん。あなたには申し訳ありませんが、地球以外の世界で生き返って貰う事になります。
また、今回の事は我々の落ち度であるので、条例に基づいてあなたには特典が付与される事となります。
その特典とはですね。今回生き返る際、あなたが望んだ世界にあなたが望んだとおりに生き返れる……、というようなものです」
ああ、そうそう。なんか大体こんな感じだ。
臆病な気質の俺は、こういう冒険活劇みたいな話より、もっとほんわかした感じな話の方が好きなのだが……。
まあ夢ってのは、自分の好みで見られるようなものじゃないから、それは仕方のない事なのだろう。
……それに、これはこれで、それなりに面白い夢な気もする。
そんな事を頭の中で思いつつ。俺は他にやる事もないので、この黒い炎の話に付き合ってみる事にする。
「望んだ通りに生き返れるって、どんな感じでもいいんですか……?」
「はい」
「じゃあ俺、はっぴーらいふ☆メルルちゃんのメルルちゃんになりたいです……」
「はい……?」
「はっぴーらいふ☆メルルちゃん……、知らないですか……?」
「……すいません」
どうやらこの人(?)は、メルルちゃんの事を知らないらしい。
……まあ正直、この人にはこういう話は通じないのではないだろうかと、事前に何となく予想は出来た。
だって、こういう界隈にいる人って、萌え4コマとかそういうジャンルにはあんまり関わり合いが無さそうなイメージがある。
「萌え4コマを知らないなんて、人生損してますよ……」
ここは夢で、おまけに目の前の人には目や顔も付いていない。
だから俺は、少しだけ調子に乗って、そんな事を話してみる。
「……はぁ」
けれど、その転生神様っぽい人は、なんか凄いどうでも良さそうな反応をする。
うう……。やっぱこういう界隈の人って、主人公が活躍したりするような話しか興味がないのだろうか……。
そんな事を思いつつ。俺はぼんやりと、昔少しだけ触れた事のあるウェブ小説界隈というものに対して思いを馳せる。
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ウェブ小説とかに、俺はあんまり詳しくない。
というのも、何度か見てみたりはしたのだが、その時にあまり興味が持てなかったのだ。
今から数年くらい前。
俺はまだ引きこもりだったから、毎日それなりに暇があった。
だから、そんな持て余した暇を消化する為に、何度か暇潰しとしてweb小説の投稿サイトとかを見に行った事自体はある。
けれどそこには、あんまり俺を興味が持てそうな感じの話はなかった。
そのサイトのランキングには、転生とかチートとか、そんな感じの単語が沢山並んでいた。
それを見た時。それが良いとか悪いとかじゃなくて、ただ単に、このサイトは俺には合わなさそうだな……みたいな事を思った。
俺が好きな萌え4コマ。それは、あまり自分を投影して読む感じの話ではない。それに、特定のキャラが特別な力で凄い活躍をしたりとか、そんな感じの話では更にない。
萌え4コマというジャンルは、そういう主人公が凄い力を使って凄い活躍をしたりするような話ではなく、なんというかこうもっと、根本的に平和でのんびりとした感じのものなのだ。
だから俺は、そういう転生とかの小説を見た時、なんというか「……はぁ」って感じだった。
それはたぶん、今目の前にいるこの転生神様と、同じような感じの反応だったと思う。
チートとか、異世界に転生とか、そういう話が好きな人。それはなんか、萌え4コマが好きみたいな感じの人とは、根本的に人種が違うような感じなのかもしれないなとその時は思った。
……いやまあ、この考えは全部、何も詳しくない事への勝手な印象でしかないんだけど。
「……とりあず、その萌え4コマとは一体何なのですか?」
俺が、ぼんやりと文化の違いに悩んでいた中。
目の前の転生神様っぽい感じの人が、そんな事を尋ねてきた。
「ああ、まずそこから知らないんですね……」
「はい、申し訳ありませんが……」
どうやらメルルちゃんとか以前に、まず萌え4コマっていう概念から通じないらしい。
そんな事を聞いたら俺は、何となく、この人に対して萌え4コマの存在を布教したい気持ちが湧いてきた。
なので俺は、思考を目の前の会話の流れに戻す。そしてとりあえず、まずはその質問へと答える所から始める事にする。
「えっと……。4コマ漫画っていうものは分かりますよね……? 流石に……」
「はい、それなら分かりますが……」
「萌え4コマっていうのは、簡単に言えば、それのオタク向け版みたいな感じなんです。基本的に男性向けのジャンルで、だから主要キャラは殆ど女の子だけで、いわゆる萌え系の絵柄で描かれてて、あと4コマ漫画だけど4コマ目でオチが付かなかったりする事が大きな特徴だと思います」
「……はぁ」
うう……。なんか今、凄いどうでも良さそうな反応をされた気がする……。
確かにこの説明だけでは、あまり面白そうに見えないかもしれない……。
「ち、違うんです……。ちゃんと面白さがあるんですよ……」
変な悪評を立ててしまわない為に、俺は必死で弁明をする。
「萌え4コマが4コマ漫画として成立してないっていう批判は、確かによく聞きます。でもそれは、萌え4コマはストーリー4コマっていうジャンルだからなんですよ。……萌え4コマは、ギャグとかより、作品の中にある日常感みたいなものを大切にしているんです。設定の土台とかがしっかりあって、1話1話の中に全体の流れがあって、それに従って物語が展開されるようになってるんです。そして、そこに面白さがあるんですよ。……だから結果的に見たら、1つの4コマだけだとオチが付いてなかったりもするんですよ」
「……はぁ」
萌え4コマは、ただの4コマ漫画ではなく全体にストーリーがある。
そんな事を説明してみたが、目の前の転生神様っぽい人は相変わらず、気の抜けたような返事しかしてくれない。
……確かにこれだとまだ、萌え4コマの魅力を伝えられているとは自分でも言い難いと思う。
だから俺は、更にその事への補足を話す。
「えっと……。じゃあ次は、ストーリーがあるならどうしてわざわざ4コマ形式でやる必要があるのか? って疑問があると思います。……ありますよね? ……これについては、界隈でも色々と諸説あります。けれどとりあえず、俺の考えを述べるなら、それはコマ割りが一定である必要があるからなんだと思います」
ここからは、完全に俺の持論になる。
萌え4コマを知らない人に、俺なんかの適当な持論を聞かせてしまっていいのだろうか……。
そんな事を、少しだけ躊躇う。……けれど俺は、少しでも萌え4コマの面白さを布教する為に、それを話してみる事にする。
「ほら、普通の漫画ってコマ割りがあるじゃないですか。どうでもいい部分だったらコマが小さくなったり、重要な部分だったらコマが大きくなったり、たまに見開き2ページでどーんってなったりする、アレです。あれは、少年漫画みたいなジャンルだったら凄く大事な要素なんだと思います。……けれど、萌え4コマは平和な日常を描くものなんです。特に大きなメリハリとかもない、ただのんびりとした平和な日常をです。……だから萌え4コマにはそれがいらないんだと思います」
……そう、萌え4コマはもっと平和な話なのだ。
「萌え4コマは、落ち着いて読むものだと思います。のんびりとした話を、のんびりとした気持ちで読んで、それにのんびりと癒される……みたいな感じです。だから、コマ割りがバラバラだったりしても、落ち着いて読めなくなるだけなんです。……だから、4コマなんだと思います。縦に4コマ、横にも4コマ、見開き2ページでちょうど16コマ。それが視覚的にも、構成的にも、ちょうど一番読みやすい形なんですよ。そして、それが一番読みやすいなら、基本的にはそこから崩す必要もないんです。……萌え4コマっていうのは、要するに、4コマ漫画っていうよりは16コマ漫画みたいな感じなんだと思います。……いやまあ、俺がそう思ってるだけなんですけど」
何も知らない人に、こんな適当な事を教えてしまっていいのかは分からないが……。
とにかく要するに、萌え4コマというのはのんびり読む為に作られているものなのだと思う。だから、ただそれだけ伝わればいいと思う。
「……あの、もうちょっとだけ語らせて下さいね」
「……はぁ」
萌え4コマの魅力。それを俺は、まだまだ最低限の事すら伝えきれていない。
だから俺は、まともに聞いて貰えているかは分からないが……、もうちょっとだけ、更にこの話の続きをさせて貰う。
「えっと……。萌え4コマは、とにかくのんびり読めるという事に主軸が置かれてます」
「だからさっき言ったみたいに、16コマの形式で書かれてて、まずそれでのんびりと読めます」
「それから、内容も癒されるような話を目指していて、だから平和な日常の話を書いてます。女の子しか出てこないのも、オタク向けだからというもの当然ありますけど、ほんわかした話であって欲しいからというのも大きいんだと思います」
「そして更に、萌え4コマ漫画の専門雑誌である、まんがタイムきらりFoCaMix。そこには日本の全国各地から、癒される話を自分でも書いてみたい! というような心意気に満ちている、凄い人達が集まってきます」
「だから、まず形式で癒されます。それから、内容でも癒されます。そして更に、それを作っている人達の作家性とか世界観とかでも癒される事が出来ます。その癒しの三重奏が、読んでいて凄い事になるんですよ」
「……そんな萌え4コマは、世間的に見ても、最近それなりに評価が上がってきたと思います。……まあ世間とは言っても、オタク文化全般の中っていう、そこまで大きくない範囲での世間の中でって意味ですけれどね」
「ですから、萌え4コマには、アニメ化されている作品とかも既に幾つもあります。そしてその中には、萌え4コマと一言で言っても色んなタイプの作品があります。そして更にその中には、オタクなら誰でも一度はタイトルを聞いた事くらいはあるんじゃないか……ってくらい、有名になった作品とかもあります」
「だから、萌え4コマを知りたいなら、いきなり原作から入らなくてもまずはアニメから見てみるのがいいと思いますよ。どのアニメから見始めるかは、人気があるものを見てみたり、趣味が合いそうなものを見てみたり、別にそういう感じでいいと思います。……この辺りは、普通の漫画とかも同じですね」
「まずはアニメを見てみた後。そのアニメが気に入ったら、次は原作に入ってみる。原作も気に入ったら、次はそれが載っている萌え4コマ雑誌を買ってみる。そして、雑誌を見続けて他にも気に入った作品があれば、今度はその作品の単行本とかを買ってみる。そんな感じのステップが出来たら理想だと思います。……それも、普通の漫画とかと同じですね」
「えっと……。萌え4コマっていうのは、全体的に良くも悪くものんびりした話です。目を見張るような大冒険とか、そういうのは正直ないです。でも、そこにこそ面白さがあるんですよ」
「萌え4コマだって人間が作っているものですから、誰でも全く理解出来ない事はないと思います。特に深夜アニメとかが好きな人なら、大抵の人は何処か琴線に触れる部分があるんじゃなかって思います。……日常系は自分には合わないとか、もしそんな事を思ってるなら、そういう人にこそ一度色んな作品を見て欲しいって思います。ちゃんと見てみたりしたら、実は結構色んなのがあったりしますから、意外な面白さがあったりすると思いますよ。きっと」
……思ったより長くなってしまったが、これで何とか、最低限の事は話せたと思う。
俺は普段、全く人と喋ったりしない。だからここまで誰かに何かを喋ったことは、凄く久しぶりな気がする。
オタクが好きなものを語るときに、妙に早口になってしまうという現象。その気持ちが今なら分かる気がする。……確かに萌え4コマの魅力を話し出したら、それは早口にならざるを得ない。
まあ全部、夢の中の話なのだが……。
「そ、そうですか……」
目の前の黒い炎の人は、少しだけ戸惑いながら、相変わらず気の抜けた返事だけを俺へと返す。
……せめて、ドン引きとかをされてなかったらいいなと思う。
「まあ、俺が代表面してるのも変な話なんですけどね……。そもそも俺、萌え4コマ好きって括りから見ても珍しいタイプでしょうし……」
萌え4コマが、癒しを求めている人に向けて作られてる。それは間違いないと思う。
……けれど、俺みたいな社会の下の下の更に下層みたいな人間の事は、流石にあまり考慮されていないだろうとも思う。
これはちょっと、心配しすぎかもしれないが……。俺を見て、萌え4コマってこういう人生が終わってる感じの人の為のものなんだなーとか、そんな事だけは思わないで貰えるとありがたい……。
さっき話した通り、あれがオタク向けのものであるのは別に間違いないと思う。……けれど本当に、あれはもうちょっと、普通の人の為に作られてるものだとも思うから。
「あの……」
「……はい、何ですか?」
頭の中でそんな事を考えている中。
目の前の黒いの炎の人が、少しだけ遠慮気味に尋ねてくる。
「萌え4コマの事はもう分かりましたから……、そろそろ、転生の話の続きをしてもいいでしょうか……?」
「ああ……。はい、もう大丈夫ですよ」
……とりあえず、俺がこの人に言いたいことは一通り話せたと思う。
だから次は、俺はまた目の前の転生神様っぽい人の話を聞いていく事にする。
黒い炎の人は、気を取り直してから、そんな俺へと向かって自分の話の続きを再開するのだった。
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「……それで結局、そのメルルちゃんとは一体何なのですか?」
「はっぴーらいふ☆メルルちゃんは、その萌え4コマの系列の作品なんです。それで、俺がなりたいメルルちゃんっていうのは、えっと……、その萌え4コマの主人公の事なんです……」
「ああ……。つまり、創作物のキャラクターなのですか」
「……そういう事です」
俺の話を理解した後。黒い炎の人は、自分の調子を取り戻してから、淡々と俺へと話を続ける。
なので俺も、さっきの長々とした話を聞いて貰った恩もあるし、とりあえずそんな話へと付き合い続ける事にする。
「申し訳ありませんが、創作物のキャラクターになるという願いは無理です。創作物の世界は架空の世界ですし、創作物のキャラクターは架空の存在だからです。それと、あくまであなたの魂のままで生まれ変わるので、人格まで別人になるのも無理ですよ」
「そ、そうですか……」
夢のなのだから、そのくらい融通してくれてもいいのではないだろうか……。
そんな思うが、まあ叶わないのならしょうがない。
創作物のキャラになるのは無理。ついでに自分の人格を変えるのも無理。その条件を加味した上で、俺はもう一度、改めて願いを考えてみる。
「じゃあせめて……、姿形だけでも、出来る限りメルルちゃんっぽくして欲しいです……」
「声や性別や年齢などを、出来る限りそのキャラクターに近いものにするという事ですね」
「そんな感じです。……出来れば、容姿は原作版基準でお願いしますね」
「はい、分かりました。それなら大丈夫です。……他にはどんな要望がありますか?」
「えっと……、そうですね……」
さっきも考えた通り、俺はこういう小説にはあんまり詳しくない。
けれど確かに、こうやって体験してみれば、これは結構面白い事な気もする。
自分が生まれ変わったらどんな風になりたいか。そんな事を考えるのは、ゲームのキャラメイクみたいで、なんか夢が膨らんでくるものがある。
「実は俺、もう一度学校に通ってみたいんです。だからとりあえず、学校がある世界がいいです……。ああでも、俺人見知りだから……。えっとその、ド田舎の学校みたいな感じで、数人しか生徒がいない学校に行ってみたいんです……」
「生徒が数人しかいない学校、ですね」
「はい……。それとあと、これが大事な所なんですけれど……。出来ればそこにいる子は、全員可愛い女の子……、みたいな感じがいいんです。萌え4コマって、そういうものですから……」
「全員可愛い女の子、ですか……」
「……はい」
うーん……。自分で言ってみてなんだが、流石に都合が良すぎるだろうか……。
そんな事を思ったが、その黒い炎の人は、相変わらずただ淡々と答えてくれる。
「分かりました。可愛い女の子が数人通っているだけの学校がある世界、そこに生まれ変わりたいんですね。そして、その学校に生徒として入学もしたいと。……要望に完璧に添えるかは分かりませんが、出来る限り善処させて貰います」
「おお、そうですか……」
善処してくれるらしい。……いやまあ、全部夢なんだけどさ。
「次に、スペックはどうしますか?」
「スペックですか……?」
「転生した先の体の、能力や才能などの事です」
「えっと、それも俺が決めて良いんですか……?」
「はい。先ほど言った望んだ通りに生き返れるというのは、望んだ状態にもなれるという事ですので」
なるほど、転生した先での自分のスペックか……。
こういう話が好きな人なら、たぶん一番食いつきそうな部分な気がする。
だったら俺も今だけは、そういうノリに倣って、自分の能力とかについて考えてみるのも楽しいかもしれない。
……それによく考えたら、別に個人の趣味とか抜きにしても、普通に生きていく上でスペックというものはかなり大事な部分だと思う。
これが低すぎたら趣味とか以前にまず、生きていく事自体が困難になってしまうだろう。
「あの……。それって、幾らでも高くしていいものなんですか……?」
「いえ、そういう訳ではありません。世界の法則を歪めすぎてしまうようなものは駄目です。例えば、その世界の物理法則を明らかに超越してしまっているような、そういった願いは叶えられません」
「そうですか……」
要するに、強すぎたりしては駄目ならしい。
しかしその説明だけでは、具体的にどのくらいだったらいいのかはよく分からないな……。
「えっと……。じゃあとりあえず、許される範囲で、出来る限りハイスペックにしておいて貰っていいですか……?」
「分かりました」
おお、分かられちゃった……。
「では他に、何か願いはありませんか?」
他の願いか……。
どうせだから、とりあえず何でも思いついた事を言ってみよう。
「ああ、あと魔法も使ってみたいです。どうせなら、魔法が使える世界の方が楽しい気がします……」
地球と同じような世界に生まれ変わるよりは、魔法を使って火とか水とかを操ったり出来た方が、何か楽しいのではないだろうか。
「分かりました。では、他には?」
「えっと、後は………………」
……うーん。ぱっとは思いつかないな。
しっかりこういう話を読んでる人なら、こういう時どういった事を望めばいいのか分かったりするのかもしれない。
けれど残念な事に、俺はあんまりそういう話は読んだ事がない。
どうせなら俺も、たまには萌え4コマばかりではなくて、何かもうちょっとそういう話も読んでた方がよかっただろうか……。
そんな事を頭の中で思いつつ。本当にただ、何となく浮かんだ事だけを俺は話す。
「そうだ、手鏡が欲しいです。生まれ変わった時、自分の姿を確認したいです」
「分かりました、手鏡の所持ですね。他には何かありますか?」
「えーっと………………」
願い……。何かないか……。何も思いつかないな……。
「すいません……。もう思いつかないです……」
「そうですか」
これ以上は、特にぱっと思い浮かぶものはなかった。
だから俺は、その自分の願いを伝える作業を終えていた。
そんなやりとりが終わった後。黒い炎の人が、引き続き俺に向かって話しかけてくる。
「あと、岩倉さん。候補にはありませんでしたが、無いと確実に不便なものですので、異世界の言葉が分かる自動翻訳能力も付けておきますね」
「……あ、すいません」
確かに言われてみたら、違う世界に行った時に言葉が分からなかったら不便過ぎるな。
……想像力がなくて申し訳ない。
「それでは、今からそのキャラクターの調査などをしてくるので、しばらくの間お待ちください」
そんな声が響いた直後。俺の意識に、段々ともやが掛かってきた。
……この感覚は、たぶんあれだろう。夢から覚めてしまう時の感覚だ。
まだあんまり何もしてないが、どうやらこの奇妙な夢はここで終わってしまうらしい。
……異世界転生ごっこ、やってみたら確かに結構楽しかった気がする。
確かに、もしこれが現実ならと思えば、そこにはきっと夢や憧れなどが沢山詰まっているようなものなのだろう。
さっき俺は、あの転生神様っぽい人に萌え4コマを布教しようとした。けれど結果だけ見れば、逆に俺の方が、異世界に転生する小説みたいなものの面白さを布教されてしまったような気がする。
今まであんまり興味なくて、ちょっとだけ申し訳なかったと思う。
はぁ……。後はもしこれが、本当に現実だったらいいのになぁ……。
そんな事だけを心の中で思いつつ。俺は再び、意識を失うのだった。
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ぼんやりと、目を覚ます。
すると何故か、じゃりじゃりとした地面の感覚と、冷たい風が体を撫でる感覚があった。
どうやら俺は、何故か屋外で眠っていたらしい……。
ここが一体何処なのか、自分の状況を確認する為に、とりあえず辺りを見渡してみる事にする。
けれど、辺りはもう真夜中で、日の光が一切差していないので何があるのか殆ど確認する事が出来なかった。
……いや、どこで寝てたんだよ俺。
ぼーっとしたまま、とりあえず周囲の確認を続ける。
すると視界の端に、ふと、とても変なものが見えた。
それは、上空に浮かんでいた。それは、星達と同じように、夜空の中で輝いていた。それは、赤くて、とても大きくて、地球の月の5倍くらいのサイズがあった。
そしてそれは、色々ありえないのだけれど、……どう見ても月に見えた。
赤くて大きな、不思議な月。そんなものが、上空にある夜空の中へと浮かんでいた。
「なにあれ……?」
俺は、そんな独り言を呟く。そしてその声に、物凄くびっくりする。
「うひゃあ!」
滅茶苦茶びっくりした。
だって、俺の口から響いた声。それは、あの聴き慣れた可愛い声色。メルルちゃんのボイスそのものだったのだから。
「な、なに……」
自分の口からメルルちゃんの声を垂れ流しつつ。赤い月の僅かな光を頼りに、俺は、自分の手や、足や、服や、胴体を、確認する。
するとそこには、……俺ではない俺がいた。
身長が縮んでいて、手足がすらっと細くなっていて、そして可愛いらしい服やスカートを身に付けている、そんな何かが俺の体としてそこにあった。
「なんだ、これ……」
自分の手足を確認している最中。俺は、自分が何かを手に持っている事に気が付いた。
確認してみると、それは手鏡だった。
そういえばさっき、夢の中で、俺は手鏡を頼んでいたっけ……。そんな事を思いつつ、俺はその鏡で、自分の姿を確認してみる。
すると、そこには……。
「メルル……ちゃん……?」
とてもびっくりした顔をした、メルルちゃんが映っていた。
……とりあえず、頬を引っ張ってみた。
すると、普通に痛かった。つまり、夢ではなかった。
さっきの夜空を、もう一度見上げる。そこにはやっぱり、赤くて、大きくて、幻想的で、そして絶対に地球のものではない月が浮かんでいる。
「マジ……なのか……?」
接している地面のジャリジャリとした感覚。体を撫でる空気の冷たさ。
……そんなものが、ここがリアルな世界である事を告げている。
口から出るメルルちゃんの可愛らしい声。手鏡に映っているメルルちゃんの可愛らしい姿。
……そんなものが、俺が俺でなくなった事を告げている。
女の子として異世界に生まれ変わって、萌え4コマみたいな青春を過ごす。
夢とも言えないような、あまりに非現実的な、ただの憧れ。
絶対に叶わない筈だったそんな願いが、遠い憧れのものではなくなった事を、ただこの世界は告げていた。