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1話 メルルちゃんと俺

 日曜日の夜。

 それは、一週間で一番憂鬱な時間帯だと思う。

 日曜日が終わってしまったら、学生だったら学校に行って、社会人だったら仕事に行かないといけなくなる。

 それを楽しみに思える人も世の中にはいるのだろうが……、けれどきっと、それは楽しみじゃない人の数も多いのではないだろうかと思う。


 少なくとも俺は、そういう事が楽しみではない人間の一人だった。

 そして、現在の時刻は悲しい事に、もう日曜日の深夜25時近くだった。

 だから俺は今、焦燥感や寂寥感などが合わさった、とても憂鬱な気持ちに包まれていた。

 ……しかし、幸いな事に、今の俺にはたった一つだけ救いがあった。


『きゅるり~ん。はっぴーらいふ☆☆☆メルルちゃん、はっじまるよ~』


 自宅の、薄暗い自室の中。

 時計の針が、1時00分00秒を指す。

 それと共に、付けっぱなしにしていたテレビの中から、女の子の可愛らしい声が流れ出す。


『何時もぴょんぴょん可能~楽しさ求めてもうちょっと~近づいちゃえ~』


 今、テレビの中から流れているもの。

 それは、『はっぴー☆☆☆らいふメルルちゃん』というタイトルの深夜アニメだ。

 このアニメは、萌え4コマ雑誌まんがタイムきらりFoCaMixふぉきゃみっくすにて掲載されている4コマ漫画『はっぴーらいふ☆メルルちゃん』を原作にしている。

 そして俺は、その『はっぴーらいふ☆メルルちゃん』が大好きだった。

 ……だから俺にとって、このアニメの存在は、とても大きな救いだった。


『こんなに好きだって事は~ファファファ~内緒なの~』


 1分30秒が経った後。テレビの中で、アニメのOP映像が流れ終わる。

 それと同時に、俺はテレビの映像を眺めながら、ただぼんやりと独り言を呟く。


「はぁ……。メルルちゃんは今日も可愛いなぁ……」


 ……そして、ただ思う。

 やっぱり俺は、メルルちゃんの事が好きだなぁと。



 『はっぴーらいふ☆メルルちゃん』の魅力。

 それは何と言っても、話に安心感があるという所に尽きると思う。

 『可愛さだけを詰め込みました』という渾身のキャッチコピーの通りに、この作品はとにかく、女の子の可愛さだけを書く事をまず第一にしている。

 まがり間違っても、ただ鬱で終わるだけの展開になったり、男のキャラが前面に出てきて劇中の雰囲気を壊してしまったりなんかはしない。

 そしてこの作品は、そういう萌え4コマとしての基本的なポイントを抑えつつも、更に特筆するべき長所が幾つもある。話の構成が意外としっかりしていたり、独特なギャグセンスのおかげでキャラの色んな表情が見れたり、あとアニメの出来がとても丁寧だったりするのも忘れてはいけない部分だろう。


 この作品が、如何に素晴らしい存在であるか。

 それは何よりも、今やっているこのアニメのタイトルに付けられた、3つの☆が示していると言えるだろう。

 このアニメのタイトルが『はっぴーらいふ☆メルルちゃん』ではなく、『はっぴーらいふ☆☆☆メルルちゃん』である理由。それはなんと、現在このアニメの放送が、既に3期目に突入しているからなのだ!

 ……萌え4コマが原作の深夜アニメで、放送が第3期までいっている。それがどのくらい凄い事なのか、分かる人には分かる筈だ。


 『はっぴーらいふ☆メルルちゃん』は、掲載紙のまんがタイムきらりFoCaMixフォキャミックスで不動のエースの地位を築いている。

 そして、そんな偉大な原作コミックスの力もあり、メルルちゃんのアニメも未だに安定して9000枚程度の円盤売上を叩き出している。

 俺にとって『はっぴーらいふ☆メルルちゃん』という作品は、萌え4コマというジャンルの象徴のような存在であり、もはや歴史的名作と言っても過言ではなかった。


『まんがタイムきらりFoCaMixフォキャミックスは毎月22日発売! 文芳社!』


 ぼーっとメルルちゃんの尊さについて思いを馳せていたら、やがてCMが終わって本編の放送が始まる時間になった。

 これから始まる約30分間の時間。俺はそれを、他に一切何もせず、ただただ『はっぴーらいふ☆☆☆メルルちゃん』の鑑賞へと捧げる態勢に入った。


『起きてくださいメルルさん』

『チナちゃん……あと5分……』

『もう……、しょうがないメルルさんです』


 朝になって、同居人であり妹分でもあるチナちゃんに起こされるメルルちゃん。


『メルルさん、駅前のショッピングモールが今日から開店するらしいですよ』

『へー、そうなんだ』

『私達も今日、行ってみませんか?』

『楽しそうー! 行ってみたいー』


 朝起きた後。チナちゃんの話を聞いて、ショッピングモールに行ってみることになったメルルちゃん。

 

『着きました。ここが先日オープンしたらしいお店です』

『わー! 色んなものが売ってるよー』


 駅前へと赴いた後。ショッピングモールの中へと入って、その品揃えにびっくりするメルルちゃん。


『チナちゃん、私は夢を見てるのかな……? 世の中にこんなに素敵なお店があったなんて……』

『メルルさん、大げさ過ぎます』


 チナちゃんと一緒に、ただ何気ない日常を満喫するメルルちゃん。


『あ、イリスちゃんとレンカちゃんだ』

『こんにちはー』

『こんにちはデース』


 買い物をしている途中。イギリスから来た友達であるイリスちゃんとレンカちゃんに、お店の中でばったりと出会うメルルちゃん。


『2人とも、何してたの?』

『えへへ、買い物デース』

『それは言わなくても分かると思うよ、レンカ……』


 友達と楽しそうに、何気ないやりとりを交わすメルルちゃん。


『イリスちゃん、どうしたの暗い顔して?』

『最近押し寄せてる近代化の波に飲まれて、私とレンカの喫茶店が潰れちゃったらどうしようってさっき思って……』

『そ、そうですか……』

『むむ、確かに大変だねそれは』


 友達が不安そうにしていたので、その悩みを聞いてあげるメルルちゃん。


『私達の経営しているパン屋も、人ごとではないかもしれませんね』

『うう、そうかも……』


 友達の悩みを聞いている内に、自分自身も悩み始めるメルルちゃん。


『そうだ! 家に帰ったら久しぶりに、新しいパンの開発してみない?』

『いいですね、それ』

『おお、楽しそうデース』

『ねえメルル、私達も行っていい?』

『勿論だよー』


 会話の流れで、友達と一緒にパンの開発をする事になったメルルちゃん。


『ただいまー、モナお姉ちゃんー』

『おかえりなさいメルルー』

『もー! ぎゅーてしないでって何時も言ってるでしょー!』

『ああ……、今日も妹が冷たいわ……』

『私、チナちゃんの前ではしっかりものの姉で通ってるんだからね!』

『このやりとり、帰ってくる度にやってて飽きないのかな……』


 家に帰ってきた後。お姉ちゃんに出迎え得られて、何時ものスキンシップをするメルルちゃん。


『という訳で、ベーカリー星登ほしとの為に新しいパンを開発したいの』

『分かったわ。それじゃあ私もばっちり協力するわねー』


 これまでの経緯を説明し終えた後。みんなと一緒に、いよいよ新作のパン作りを開始するメルルちゃん。


『やっぱり難しいねー』

『なかなか上手くいかないです……』


 頑張ってみるけれど、パンの開発に苦戦してしまうメルルちゃん。


『どうしたの、チナちゃん? ずっと俯いてるけど……』

『私、時々思うんです……。自分が本当にこの家にいていいのかって……。私はメルルさんの家に下宿させて貰っているのに、パン作りが下手なせいで仕事の手伝いも全然出来ないですし、こうやって迷惑をかけてばかりですから……』

『チナちゃん……。ぎゅー』


 ふと内面を吐露したチナちゃんの事を、ただぎゅっと抱きしめるメルルちゃん。


『私は今日、チナちゃんとお買い物出来たりして凄く楽しかったよ。だからチナちゃんは、そんな事気にしなくていいんだよ』

『メルルさん……』


 チナちゃんを抱きしめたまま、その優しさでチナちゃんの事を包み込むメルルちゃん。


『メルル、まるでチナちゃんのお姉ちゃんみたい』

『私、普段からチナちゃんのお姉ちゃんのつもりなんだけど……』

『え!? そうだったんデスか!』

『私の妹も、何時の間にかすっかり立派になっていたのね……』

『もー! みんなわざとやってるでしょー!』


 周りのみんなとそんな話をして、すっかり空気を和やかなものにするメルルちゃん。


『メルルさん。……もう少しだけ、練習させて欲しいです』

『うん。まかせなさーい!』 


 チナちゃんの為にも、夜遅くまでパンの開発を頑張り続けるメルルちゃん。


『メルルったら、あんなに張り切っていたのに一番最初に眠っちゃうのね』

『まったく、しょうがないメルルさんです……』


 幸せそうな寝顔と共に、今回の話にオチを付けるメルルちゃん。


『あ~り~ふれた日々の~幸せさに~気づくまでに~』


 そしてEDが流れて、今週のメルルちゃんは終わりになった。


「はぁ……。今日のメルルちゃんも、可愛かったなぁ……」

  

 癒される話というのは、やっぱりいいものだと思う……。

 幸せな余韻に浸りつつ。ずっと付けっぱなしにしていたパソコンを、俺はのんびりと操作する。

 そして、ブックマークバーから匿名掲示板に入り浸った後。今週のメルルちゃんの可愛さや尊さを、俺なんかよりも更に深い人達と、とても穏やかな気持ちで分かち合ったりしていたのだった。



---



 絶望感。

 そんなものを、何とかして紛らわしたい。

 そんな理由だけで、俺はだらだらと、何時までもメルルちゃんのスレを眺め続けた。



 20分経ってもスレを眺め続けて、40分経っても手持ちの原作コミックスを読み返し続けて、1時間経っても匿名掲示板にリンクが貼られてあったメルルちゃんのssスレを眺め続けた。

 そんな時間をしばらく過ごし続けた後。ふと気が付けば、時計の針はもう夜中の2時半を差していた。


「……流石に、寝ないとやばいよなぁ」


 これ以上起きていたら、明日が辛くなり過ぎる。

 

「……はぁ」


 メルルちゃんを見ていた時とは違う、ただ憂鬱さだけが篭ったため息。

 そんなものが、辛い気持ちと共に、口から自然と吐き出される。

 そして、そんな気持ちの中でただ思う。


「嫌だなぁ……」


 現実と向き合うのは、苦しいなぁと……。



 俺にとっての現実。

 それは、さっき見ていたメルルちゃんの優しい世界とは違い、ただ暗く陰鬱なものだ。


 まず俺は、かなり重度の対人恐怖症を患っている。

 そのせいで、家の外にいるとそれだけで苦痛を感じてしまう。

 偶然誰かと視線が合わさってしまったりすると、激しい苦痛を感じてしまう。

 1日他人と同じ空間で過ごしたりすると、頭が真っ白になってしまう程の苦痛を感じてしまう。

 そして、そんな時間を毎日過ごし続けていると、いっそ狂って死んでしまいたくなる程の苦痛を感じてしまう。


 だから俺は、ついこの間まで、引きこもりニートというものをしていた。

 高校を中退してから32歳になるまでの長い期間。自宅で毎日オドオドとしながら、親の貯蓄にだけ頼って生きるという、そんな色々な意味で最低な生活を続けてきた。

 

 しかし、今の俺はもう働いている。

 派遣社員として、休日の日以外は毎日、朝から夕方まで工場に通い詰める生活を送っている。

 そうしている理由は、心の病気が治ったからでも、それまでの生き方を悔い改めたからでもない。

 ただ単に、金が無くなったからだ。


「………………」


 ……ちょうど、今から1年くらい前。

 俺の親だった人が、ある日唐突に交通事故で死んでしまった。

 俺はずっと引きこもりだったので、親以外に頼れる相手などおらず、その上で親が残した遺産はそう多くはなかった。

 だから必然的に、俺は究極の選択を迫られる事になった。

 働くか、自殺するか。そのどちらかだ。


 当然、働く事は嫌だった。

 今更家の外に出て、どんな風に生きればいいのかも分からなかった。

 けれど、自殺する事はもっと嫌だった。

 未練がましくも、俺はまだ、生きて幸せになりたいという願望だけは持っていた。

 だから、本当に心の底から嫌で嫌でしょうがなかったが……。それでも流石に、もうこんな状況になったのでは、働くしかなかった。


「…………嫌………だ…………」

 

 嫌だとは、思う。


「……嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌……だ…………」


 月曜日は嫌だ。働くのは嫌だ。外に出るのは嫌だ。現実は嫌だ。

 もっと、穏やかに生きていたい……。もっと、心安らかに過ごしたい……。

 けれどそれは、叶わない願いなのだろうとも思う。何故なら、今はもう日曜日の終盤で、俺はもう32歳で、半年程前からもう派遣社員といて働いているからだ。


「…………寝なきゃ…………な…………」


 どれだけ嫌でも、現実とは向き合わなければならない。

 俺はしょうがなく、ベットに寝転がり、眠気が来るまでぼーっとする事にした。

 ……メルルちゃんみたいに、優しい世界に生まれたかったなぁ。

 ぼんやりと、心の中でそんな事を考えつつ。俺はそのまま、日曜日の終わりを迎えたのだった。



---



 ジリリリリリリリリ。

 目覚まし時計の煩い音が、逃がれられない朝の到来を告げてくる。

 昨日は夜遅くまで起きていたので、まだ酷く眠い。

 けれど俺は、眠気と欝を抑えながら、しょうがなく目を覚ます。

 そして、朝食を取ったり朝の準備を済ませたりしてから、しょうがなく家の外に出ていく。

 そしてそのまま、しょうがなく、俯きながら職場への道のりを歩いて行く……。


「………………」


 ……家の外を歩いていると、感情が不安に支配されていく。

 自分が家の中にいない事に、苦痛を覚える。

 これから1日家に帰れない事に、恐怖を覚える。

 これから1日他人と同じ空間で過ごさなければならい事に、吐き気やめまいすら覚えてしまう。


「………………」


 しかし、それでも家に帰る訳にはいかない。

 ここでその選択肢を取ろうとするのなら、……後はもう、死ぬしか残っていない。

 だから俺は、今日も向き合わなければならない。現実と。


「…………………………」

 

 俺は、他人と目を合わす事すら出来ない程の対人恐怖症患者。

 俺は、高校を中退した後、32歳になるまで引き篭り続けた程の駄目人間。

 俺は、もう金がないので、もはや引きこもる事すら出来ない社会の歯車。

 そんな現実と、今日もまた、向き合い続けなければならない……。



---



 電車に揺られ、街を歩き、なんとか今日も職場にまでたどり着いた後。

 俺は今日も、事前に指定されている机の前に座り、事前に指定されているヤスリを手に取る。

 そして、事前に指定されている通りに、指定の場所に積み上げられている製品の束を一つ一つ事前に指定されている通りにヤスリで削っていく……。


 このヤスリ作業には、ある程度の慎重さが求められる。

 削りが足りていなければ怒られる。削り過ぎたら、もっと怒られる。なのでそれには、よく気を付けなければならない。

 そうして一つの製品を削り終えたら、また次も、全く同じ形をした次の製品を削っていく。そしてそれを削り終えたら、また次も、全く同じ形のものを削っていく。

 そんな事を、時々新しい指示を受けたりしながら、朝から夕方になるまで今日もずっと続けていく……。



 俺がここで何をしているのか。それは、俺自身にも分からない。

 俺は派遣社員として働いているだけなので、これがどういう仕事なのか、ここは何をしている工場なのか、そんな事をあまり詳しく聞かされていない。


 給料は、1時間で900円。残業がなかった場合は1日7時間の仕事だから、日給は6300円。

 ……普通の32歳の人間がやるような仕事ではないのだろうという事だけは、俺にでも理解出来る。

 しかし、通信高校しか卒業していなくて、この年齢まで職歴はほぼ0で、おまけに人とまともに目を合わせられないという、そんな人間が就ける仕事なんてこれくらいしかない。

 いや、頑張って探したら何かあるのかもしれないが……。社会経験が全然ない俺には、結局、そういう事もよく分からない。


 ただ、辛い。

 俺はその日も、心の軋みとかに耐えながら、謎の製品に何故かヤスリをかけていく為だけの一日を過ごし続ける……。



---



 夕方になった。

 長かった時間もやっと終わって、やっと、明日の朝までは家に帰れるようになった。

 俺は道を歩き、電車に揺られ、家の近くの駅へと降り立った。そしてそこから、河川敷を通って、自分の家へと向かって行った。



 そうして、河川敷をしばらく歩いた後。

 駅から大分離れたからか、人ごみが段々まばらになってきた。

 だから、その開放感がそうさせたのだろうか……。俺はふと、誰にでもなく呟いていた。


「……何でだろうな」


 働くようになってから、ますます感じるようになったもの。

 苦しくて、悲しくて、耐え難い程虚しくて、救いがたい程惨めな気持ち。

 そんなものを抱えたまま、俺は特に何の意味もなく、ただぼんやりと空を見上げる。


「何で俺は……、こんな風なんだろうな……」


 もう夕方だから、空は赤い夕焼けに染まっている。

 家までの残りの道を、ただオドオドと歩きつつ。俺はただぐるぐると、自分がこんな事になっている理由に付いて、改めて思いを馳せるのだった……。



---



 俺が重度の対人恐怖症である理由。

 それは、こじつければ、親のせいにしてしまえるのかもしれない。


 俺の母さんは、俺を産んだ年に新しい彼氏を作ってくるような人だった。

 そして、浮気相手に振られて、旦那にも愛想を尽かされた後。自分に浮気をさせた旦那の魅力の無さを恨み出すような人だった。

 そんな母さんは、俺が何かを失敗する度に、失望しながら安心していた。

 やっぱりあんたは、あの男の子供なんだね。

 人間として何の魅力のない、浮気をされてもしょうがないような子なんだね。

 俺が何かを失敗する度に、母さんはそんな感じの事を顔に浮かべて、がっかり出来る事に喜んでいた。

 ……そんな人に今まで育てられたから、俺は人生の中で、他人を信じるという感覚が育たなかったというのがあるのかもしれない。


 あるいは、別の所にこじつけるなら、出会いがなかったせいにも出来るのかもしれない。

 俺はこれまで生きてきた中で、この人となら気が合いそうだな……みたいな人と、本当に一人も会う事がなかった。

 本当に何か不思議なくらい、人との縁というものがなかった。

 世の中には色んな人間がいる筈なのに、俺はこれまで生きてきた中で、大切な友人だったと思えるような相手はとうとう一人も出来なかった。

 ……そんな出会いの無さのせいで、俺は人生の中で、こうなってしまうまで誰にも止めて貰えなかったというものあるのかもしれない。


 けれど、たぶんそれだけではないと思う。

 それらはたぶん、俺がこうなってしまった理由の本質的な部分ではないではない気がする。

 俺の一番の問題点。それはなんというか、もっと根本的な部分から来ていたような気がしてならない。

 


 ずっと昔、幼稚園に通っていた頃。

 俺は既に、なんか他人が苦手だった。

 みんなの輪に上手く入っていく事が出来なかったし、その頃既に、他人の目というものが苦手だった。

 人に睨まれたりすると、それだけで泣いてしまうような事もあった。

 俺にとって他人とは、例えるなら、ヘビとかおばけとか、そういうものと同じような感じだった。

 理由を聞かれても困るのだが……。とにかくなんか、俺にとって他人とは、凄く怖いと感じるようなものだった。

 だから俺は、物心が付く前から既に、なんか他人というものが無理だった。本当になんか駄目だったとしか言えないが、とにかくなんか駄目だった。



 その後、小学生だった頃。

 俺は自然と、インドア派なタイプの子供になった。

 他人というものが無条件で怖かったから、活動的な性格にはならなかった。

 1日中テレビゲームをしているのが好きで、深い付き合いをしている友達は一人もおらず、遠足とか運動会とかが苦手な子。そんな感じの子供が、小学生の頃の俺だったと思う。

 ……今思えば、この時点で既に俺は、引きこもりになる才能の塊のような人間だったのだろう。

 とはいえ、小学生の頃というのはまだ、割とどんな人間であっても許される時期だ。

 だからこの頃の俺は、世の中というものに対して、まだそんなに浮いた存在ではなかったようにも思う。



 その後、中学生だった頃。

 流石に俺の存在は、段々と周囲から浮き始めていた。

 別に誰かからいじめられたりした訳ではない。けれど俺は、本当にただなんとなく、周りの人間と同じようにする事が出来なかった。

 他人が怖い。人と目を合わせる事が出来ない。だから、社会的な活動をする事が上手く出来ない。これまで一度も、まともな友人が出来た事もない。

 ……こんな人間はおかしい。

 そんな感じの事は、流石にそろそろ、ぼんやりと自覚するようにはなっていた。

 そして自分が変だと自覚するようになったら、今度はそれを意識してしまうようになるものだ。

 だから俺は、一人で勝手に、ますます他人というものが怖く見えるようになっていった。



 そしてその後、高校生だった頃。

 すっかり自我や理性が芽生えた事で、俺の劣等感や不安感は、張り裂けそうな程に膨れ上がってしまっていた。

 その頃の俺はもう、洒落にならないくらい、他人というものが苦手になっていた。

 だから俺は、何か特別な事があった訳でもないのに、僅か1年くらいの間しか高校に通う事が出来なかった。



 そうして、高校を中退した後。

 俺はとりあえず通信制の高校に転校して、引きこもりながら高卒の資格だけは取る事にした。

 そして通信制の高校に通いながら、特にやる事もなかったので、ネットとかを眺めながらただ毎日だらだらと引きこもる生活を始めた。

 ……今思い返せば、その頃の俺はまだ、何だかんだで危機感というものがまるで足りていなかった気がする。


『何時かきっと、その内何とかなるだろう』


 その頃の俺は、心の奥底では、たぶんまだそんな感じの事を考えていた。

 だから俺は、外が怖いという理由だけで、だらだら目的もなく引きこもり続けた。

 長い時間を特に何もせず過ごし、ただ悪戯に若さだけを浪費していった。

 そして、1年が経って、2年が経って、大学とかも行ける気がしなかったから受験などもしなくて、本当に何もしていないまま通信高校を卒業してしまった。


『流石に、このままではまずいだろう』


 その辺りになってやっと、俺はそんな事を自覚していたように思う。

 だから、その辺りの時期に、俺はまずパイトというのを始めてみようと思った。

 面接でキョドり過ぎて何回も落とされたりしたが、社会復帰をしたい一心で、何とか採用試験を受け続けた。

 そして、何とか採用される所にまでは漕ぎ着けたのだが……。対人スキルが0だった俺は、能力も精神力も足りなくて、そのバイトをたった1ヶ月程度でクビになってしまった。

 そうして、俺が引きこもりに戻ってきた時。母さんはその報告を聞いて、今まで見た事もないくらい、とても嬉しそうに失望していた。

 ……それで何となく、俺はもう、それ以上何も頑張れなくなってしまった。



 そこからも俺は、一応は、何もしていない訳ではなかった。

 ネトゲで人と接する練習をしてみたり、引きこもりながら小説家を目指してみたり、近所にあった職業体験セミナーという所に何度か通ってみたり、そんな感じで自分に出来る範囲の事を消極的ながらも頑張ってみた。

 しかし、それはどれも、本気で頑張れたとは言いがたいようなものだった。

 だからそれらは、当たり前のように、対した成果をもたらしてくれる事はなかった。


 そして、何かをしている気になっていれば、時間が経つのは更に早くなってしまうものだ。

 気が付けばあっという間に、1年が過ぎ、2年が過ぎ、3年が過ぎ、5年が過ぎ、7年が過ぎ、10年が過ぎ、そして更に時間が過ぎていった。

 ……だから、気が付けばそこにはもう、どうしようもなくなった俺だけが取り残されていた。


 その後は、更にどうしようもない展開しかない。

 1年くらい前に母さんが交通事故で死んでしまって、半年くらい前に派遣社員なって、そして今の毎日があある。

 俺のここまでの人生は、だいたいそんな感じだった。

 ……本当に、大きな出来事と言えばそのくらいしかない人生だった。

 


 さて。

 そんな俺の人生に、もしターニングポイントがあったとするなら、それは一体どこだったのだろう?

 そんな事を、俺は改めて考えてみる。


「………………」


 けれど、どれだけ悩んでも、これだ! というものが浮かばない。

 そう……。恐ろしい事に、具体的にこれのせいで俺の人生は終わってしまったみたいなものが、俺はどれだけ悩んでも思い付けない。

 今日こそ何かが浮かんできてくれるのではないか……。そんな事を思って、今日もこうして頑張って考えてみたが、結局何時も通りに期待外れだった。


「………………」


 だから俺は、自分という人間に対して、今日も結局この結論に達するしかない。


『俺はなんか、生まれつき駄目な奴だった』


 そんな、あまりにもあんまりな結論へと……。



「……はぁ」


 思わず溜め息が出てしまう。

 俺の人生は、なんというか、水が低い所に流れる現象みたいなものだったように思う。

 激しい苦痛はない。けれどその代わり、安らかな温もりも何処にもない。ただ、何も見えない真っ暗な世界の中で、社会とか時間とか、そんな大きなものにただ漠然と流され続けてきた人生。

 ……そんなものだけが、俺の全てだったように思う。


「……ぅぅ……」

 

 ただどうしようもなく、惨めな気持ちになる。

 ……だから、どうしようもない俺は、次に思う。

 こんな悲しい事を考えるのはやめようと。早く家に帰って、昨日のメルルちゃんのアニメでも見返そうと。

 

「………………」


 ……この考えはまあ、普通に、現実逃避でしかないのだろう。

 しかし、俺みたいな人間には、それでも尚メルルちゃんの存在が必要なのだ。


 そう。俺はメルルちゃんを見ていると、可愛いなぁみたいな気持ちを超えて、尊いなぁみたいな気持ちが湧いてくる。

 それはたぶん、メルルちゃんと俺とが、あまりにも違うからなのだろう。

 メルルちゃんは俺とは違って、優しい世界で生きていて、綺麗で純粋な心を持っていて、おまけに圧倒的に可愛くて、よって誰からも愛されている。

 俺はそんなメルルちゃんを見ていると、もはや、一種の憧憬のような気持ちすら湧いてくる。


 二次元の萌えキャラだから当たり前なのかもしれないが……。

 メルルちゃんは、本当にどこまでも、どこまでも、何もかも綺麗で、俺みたいな醜い人間の遠くにいるような存在なのだ

 普通の人は、可愛い女の子とかを見ると、あんな人を彼女にしたいと感じるものなのかもしれない。

 けれど、俺がメルルちゃんを見ていて湧いてくる感情は違う。俺は、メルルちゃんみたいになりたかったと、ただそんな事だけを見ていて感じる。

 ……自分という存在に、もう幻滅し過ぎているからなのかもしれない。

 俺があの子の彼女になって隣にいられたらとか、そんな考えがもう微塵も湧いてこない。その代わりただ、あんな風に綺麗に生きられたらなと、そんな気持ちだけが湧いてくるのだ。


「………………」


 生まれ変われたら、もう一度小学生の頃からやり直したい!

 そんな感じの事を言っている人を、ネットとかでたまに見かける事がある。

 けれど俺は、そんな風にも思えない。だって俺には、あの頃をやり直せたら……みたいな、そんなものがない。

 幼稚園の頃も、小学校の頃も、俺には別に楽しい時間なんて特に無かった。

 それにきっと、もし人生をやりなおせたとしても、俺はどうせまともな人間になる事なんて出来ないと思う。


「………………」


 ……だから、もし俺が生まれ変われるのなら。

 俺はメルルちゃんみたいに、もっと綺麗な存在として生まれてきたかったと思う。

 綺麗な存在として生まれてきて、そしてそのまま、メルルちゃんが住んでいる街みたいな、もっと優しい世界で生きてみたかったと思う。

 それでもし、優しい世界に生まれていたら……。俺は空っぽの人生しか送った事がないから、メルルちゃんみたいに、穏やかで幸せそうな感じの青春を送ってみたかったなぁと思う……。


「……はぁ……」


 その願望を、もう少し具体的な形として考えた場合。

 ……それはたぶん、可愛い女の子になって萌え4コマの世界に入りたい、みたいな感じになるのだろうと思う。

 まずは俺自身が、メルルちゃんみたいな純真な美少女になる。それから次に、可愛い女の子しかいないような学園に入る。そしてそれから次に、その学園で、ただのんびりとした楽しい毎日を過ごして……。みたいな……?。

 ああ……、でも俺は、やっぱ他人が怖いから、人が一杯いる学校はそれでも嫌かもしれないな……。

 うーん……。だったらこう、もっと、のんのんとした田舎が舞台の話みたいな感じで、その学園には数えるくらいの生徒数しかいなくて、みたいな感じだろうか……。


「………………」


 ……何か、そんな感じな気がしてきた。

 女の子になった俺は、田舎の学園みたいな場所に転入して、そしたらその学園にいる子達は、やっぱ全員が可愛い女の子なのだ。

 俺はある日、そんな幸せな学園に生まれ変わる。

 だから俺は、そんな萌え4コマの世界みたいな、幸せな学園の中で……。



 生まれて初めて、誰かに心を許せるようになったりしてみて……。



 ……気が付けば、俺が考えている事の内容は、完全にただの妄想になっていた。

 その時の俺は、ぼーっとしながらニヤニヤとしていて、傍から見ればかなりアレな感じだったかもしれない。

 そんな感じだったから、その時の俺は、周りの事があまり頭に入っていなかった。

 だからその時。信号が青だという事くらいは確認していたが、自分が横断歩道の上を歩いているのだという事も殆ど認識していなかった。

 

 ドンッ!!!!!!!

 急に後ろから、凄まじい爆音が鳴り響いた。


「えっ……」


 いきなり現実に引き戻され、びっくりしながら後ろを振り向く。

 するとそこでは、なんか、凄い事故が起こっていた。

 青信号だから俺の右側を普通に通ろうとしたトラックと、赤信号なのに俺の少し後ろを無理やり駆け抜けようとした軽自動車。その2台が、ちょうど垂直な角度で衝突していた。

 だから、俺の真横を普通に通り過ぎようとしていたトラックが、なんか、俺の方へと倒れ込んできていた。

 そしてそのまま、何の前置きもなく、俺はすり潰された。

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