5部目
「私は、二ヶ月前に警察に保護されました。それがきっかけで、この学校に編入しました」
鈴川 瑠璃は、今年二月半ばにとある公園で見つかり保護された。
きっかけはなんてことない。子供が公園に住み着いている、そんな通報があったからだそうだ。
「保護……って?」
「すみません。それを説明するためにも、少し昔話をさせてください」
張りついた喉を絞り出すかのように出した冥奈の疑問に、一つ謝罪してから、瑠璃は続けた。
「五歳のときですね。ちょうど、両親の実家に泊まりに行ってました」
家族三人。電車を何本も乗り継いでの遠出だった。
「家族会議、的なことで呼ばれたんです」
瑠璃の両親は地元が一緒で、実家同士も地理的な距離が近かったため、いつも一所に集まっていた。
「よく聞こえませんでしたけど、揉めていたなぁということは何となく分かりました」
熱くなった口論や怒鳴り声は、壁を隔てても音として自然と耳に入ってくる。断片的にだが、話している内容も分かったりする。
「忘れもしない3日目の夜でした」
瑠璃は、そこから出された。
それも、たった5歳の身空で。
「夜中に目が覚めてトイレから戻る途中に、いきなり後ろから薬を嗅がされました。次に目覚めたときには朝になってて……一枚のメモ用紙を持ったまま森の中にいました」
Tシャツにズボンの寝巻き姿。
勿論何も持っていないし、紙には何が書かれているのか分からない。
当然、不安になって大声で泣いた。近くに両親がいないことに対して、突然広がる見知らぬ景色に対して。
孤独である恐怖に対して。
そうして、泣き寝入りする夜を数度も明かした頃には、置かれた状況にすっかり慣れきってしまった。
近くに両親がいないことに、涙が出なくなった。
突然広がる見知らぬ景色が、いつもの朝になった。
孤独である恐怖が、もはや恐怖と思えなくなった。
そして、幼いながらに瑠璃は悟った。
──ここには誰も来てくれない、と。
「そう思った瞬間に、すごくお腹が空いているのに気付きました。何の慈悲か川が近くにあったので、その水でどうにか凌いでました」
しかし、5歳児が水だけでお腹を満たせる訳がない。しかもほぼ飢餓状態にあるのに。
「なんとなく、川の流れに沿って歩いてたんです。そしたら、ほどなくして森から抜けられたんです」
子供の、あの歩幅の狭い足で歩いて「ほどなく」なのだから、森の入り口の相当近い場所に瑠璃を置いていったと思われる。
敷地周辺よりはなるべく遠くに置いていきたい、でも人目につく場所に置いていくのはまずい。打算の働かせ具合はそんなところだろう。
あるいは川のことといい、なけなしの慈悲なのか。
「それからは、保護された公園でずっとサバイバル生活を送ってきました。遊具の沢山ある公園で、所々に穴のあるドーム状の遊具を住みかとしていました」
しかし、不十分とはいえ屋根だけの確保で生き延びられるほど、人、ましてや子供の身体は強くなかった。
だから、何でもした。
閉店したスーパーへの不法侵入、食料や衣類などの万引き、ゴミ捨て場漁りから銭湯の無銭入浴に至るまで、生き延びるためにはどんなことでもした、否、しなくてはいけなかった。
無一文でも、知恵がそんなになくても、悪いことだと分かっていても、「生」という本能に逆らうことなど出来るはずもなかった。
そんなことを、瑠璃はつい最近までやっていた。
「私としては複雑だけど……不問にしておきます」
警察機関附属の職員として見過ごせないものを冥奈は感じたが、今それを問うのは場違いだと判断し、無理矢理抑えつけた。
その処遇を無言で受け止め、瑠璃は続けた。
「保護されてからは、わりとすぐに保護施設に案内されました。ですが、その数日後でしたね……私の元に二人の男性が来ました」
素人目でも分かる、品の良いスーツを着ていたことが印象的な二人だった。
何かのお偉いさん的地位の人達なのかなと、そのときの瑠璃はふと思った。
「簡潔にまとめると、その二人は私に『実験体として東志波に入ってほしい』と言ってきました」
全員の顔色が、変わった。
「おそらく、上層部の誰かだな」
「はい。今ある三大流派に無所属で、保護されたときに行われた検査の値が平均を大幅に下回っていてるからだと説明されました」
正直、瑠璃は二人の話の半分も覚えていない。
生活費や必要最低限の住まいも警察側が支給してくれる、おいしい話だなぁぐらいにしか思っていなかった。
「実験の目的は、こんな私が三年間でどこまで強くなれるか、というものです。三大流派に属さず、波術技術や身体能力が定められた基準値以下の人が、このような一流校にぶっこまれてどこまで成長するのか。その経過観察です」
瑠璃がこれまで言ったことは、筋は通るが現実味に欠ける信憑性の低い話。普通に考えて信じられない要素が多すぎる。
「第一、三大流派に属していないって本当?」
「人里離れた山奥に住んでましたので、無縁といえば無縁でした。あっ、ですが知識だけならそれなりに」
攻めの舞波流。
守りの凪留流
技の源極流。
それら三大流派の内の一つを習得し使用するのが一般的なスタイル。中には独学で波術を習得する人もいるが、稀である。
冥奈が疑うのも何ら不思議ではない。
「そんな裏取引があって、私はこの学校に来ました」
「これが、入学に至るまでです」と締めくくり、瑠璃は口を閉ざした。
「このことは上層部と私と鈴川君との密約だった。だから、実力が明るみに出る前にテスト中止を伝えに来たのだが……」
後の祭りだった。瑠璃はテストを行い、存在を疑問視された。
申し訳なさそうな梅崎の顔に、誰もが瞬間的には言葉を選べなかった。
「……一ついいか?」
口を開いたのは義明。
「メモを持ってたと言ってたよな。何が書かれているか、今は分かるのか?」
話題を切り替えた。
副校長にかける言葉は未だに見つからないが、それでもこの嫌な沈黙を振り払いたかった。
「はい。漢字二文字で『勘当』と」
今度こそ、梅崎も含め全員が絶句した。
「今でも捨てずに持ってます」
瑠璃は、家の引き出しに閉まってあるボロボロの紙切れを思い浮かべた。
なんとなく捨てる気になれず、サバイバル時には一種のお守りのような存在になっていた。
漢字が読めるようになり、その残酷な意味を知るまでは。




