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若月

作者: 郷音

月には様々な異名と、それにまつわる恋の歌があります。

これはそれに寄せた、三日月を想う満月の話。

三日月は三日目の月

まだまだ満ちていく想い


恋情を君に


______________



八重桜が散る帰り道、仰ぐと、三日月が溺れていた。


空色はまだ薄く、それでも徐々に黒味を増すだろう、その時間。

水色の中の白はまだ輪郭を溶かしていて。

雲がさらにその白を隠す。

その姿は朧月というより溺月で。


ゆらりゆらるとその隙間から淡く光る姿に、今日、本棚の隙間から見えた背中を連想して泣きたくなった。


___________________



はじまりは些細なこと。

去年の夏休み、うだる暑さからの避難所は家から徒歩5分。

古典のレポート作成も兼ねて訪れた図書館で見つけた背中だった。


レポート課題は「和歌や俳句をひとつ選び、その訳と背景、感想を書いて提出。作者や時代は問わない。」というもの。

ネットで調べずに、本で調べようとしたのは先生の言葉からだった。


「ネットでも何でも、調べればすぐに訳も背景も出てくるだろう。適当に選んでしまえばそれでおしまいだろう。でも、だからこそ、君たちの心に響いた歌を教えてほしい。」


その言葉は、ちょっとくらい真面目に調べようと自分に思わせた。



夏休みに初日に図書館に行き、和歌や俳句関連の棚を探す。

ためしに1,2冊、和歌や俳句の本を選んでぱらぱらとめくってみるが、文字が頭には入ってこず、しっくりとは来なくて棚に戻してしまった。

結局その日はその後は他の教科の宿題を進め、他の本を借りて帰った。


その後も寝てばかりいるなと家族に起こされ追い出されたので、冷房があるし、他に行きたい場所も無いので、頻繁に図書館へ向かう日が続いた。

宿題をしては合間に館内をうろうろする毎日の中で、ふいに、目が止まった。


黒い服も、背中も、普段の学生服で見慣れているはずなのに、黒い半そで姿に視線が固定される。

なぜだろうと思って気付いた。姿勢だ。あの姿勢ですぐにわかる。若槻わかつき君だ。

同級生の若槻くんは妙に姿勢がよく、なおかつ背が高めなので、後ろから見てて「びーん!」という効果音が似合いそうな背中はちょっと面白い。

その背中が今、図書館にある。やはり宿題をしているようだ。


こっそりと横から確認。うん、やっぱり。私服でもわかりやすいなあ。

ぷぷっ。

私服なのに制服のように、いいや、むしろ制服でごまかさずに、

そのかっちりした姿勢を強調している姿に笑いがこぼれた。


でも、綺麗な背中だ。


若槻くんが毎日図書館に訪れて定位置に座ることに気づいたのは、最初に見た日から3日後。

館内を移動するうちに、古典文学の棚から彼が見えることに気づいたのは更に2日後。


本と棚の作る隙間の向こう、かっちりとした姿勢が、時折ページをめくったり、消しゴムをかけるために動く。

休憩したいと思ったら、その姿を見つつ、だらだら本をめくるのが夏休みの習慣になった。



そうして更に5日後。夏休みももう後半。さすがにレポートを書いてしまうべきだ。

けれど困ったことに、いくつか気になるものはあったが、決定打に欠ける。

どうしようかと思って、ふと「彼」から視線を上に向けると、一冊の本が目に入った。


『万葉集』


写真も多く、現代語訳や背景まできっちりついてる。この本もよいかもしれない。

そうして、ぺらぺらとめくっていって、ぱらり、と、ページをめくり、目に入ったひとつの歌。


三日月の さやにも見えず 雲隠り 見まくぞ欲しき うたてこのころ

(まるで雲に隠れてぼんやりとしているいる三日月のように、貴方を見ることができないので、最近、会いたい気持ちがいっそう募るのです)


じわり、と頭の中に月の光が広がる。

何度もその短い文字たちを追い、また視線を本棚の向こうへ戻す。

この歌を詠んだ人は、想い人に会えたら、どれだけ、どれだけじっと見つめるのだろう。

雲の切れ間に月が見えるように、ちらりと隙間からしか見えなくても、目に焼き付けようと視線を離さないのだろうか。


隙間からちらちらと覗く「つき」の背中

君の背中


_________________________



そうして夏休み明け、レポートは無事提出できた。

課題の発表が授業で行われたらどうしよう、と後になってびくびくしたけど、先生は誰にも内容を発表させなかった。

ただ、「色々な歌が選ばれていたけど、やはり恋の歌も多かったな。いつの時代も人の心を動かすものだから。」と言っていたのに少し恥ずかしくなって下を向いた。

顔を上げると姿勢のいい背中が見えた。

そうして二学期からは、授業中に黒板以外にも集中してしまようになった。


淡い期待でその後も訪れた図書館の定位置で、やはり座ってるのを見て喜んで。

月曜と木曜に隙間から見える背中を通りすがるふりをしてちらり、と見るようになった。


次の年もクラスが同じなのを一人こっそり喜んで。

三日月の別名を知ったのもこのころ。何でもないことなのにときめいて。

前の席になってしまった時は、姿が見れないことにため息をついて。

ああ、困ったときに耳を掻くくせがあることも知った。目が少し悪くて、目を細めがちなことも。


全部、全部心が君に向いていく。

心の月が満ちていく。


でも、見てるだけで、見てただけで。

いつも見えていたから、月が遠いことを忘れていた。


_______________



「明、今日は待ってなくていいよ。今日は霜降さんもいるんだし。」

「いや、女性だけだとやっぱ危ないし、勉強しながら待ってるさ。いつもより二時間くらい後でいけばいいか?」

「うん。・・・・・・へへ、ありがとう。」

「ありがとうございます、若槻さん。」


他の学校の制服を着た女の子達に名前を呼ばれて。

その人と並んで座って。

笑顔を交わして。


視界の中、綺麗なその背中がぼやけた。



ぼやける背中

ぼやける三日月

霞んで埋もれて滲んで揺れて、見えなくなっていく。


君を見つめて。

君を想って。

君に揺らいで。

君に溺れて。

君が遠くて。

心が沈んでいく。


笑顔ひとつで、こんなに怖くなるなんて。



隣に並ぶ私ではない背中

三日月を隠す雲

桜色の笑顔

春の空の溺月



それでも それなのに 胸の月はとうに満ちていて。

増した光が、淡い心の線を明確にしていく。



君が 好きです。



だから、またあの背中を見にいって。見つめて。

そうして今度は君に話しかけよう。


_____________



満ちた恋情を君に。

霞まぬ姿の君とありたい。




ねえ、君が選んだ歌を教えて。






 *若月わかつき:三日月の別名

メモのようなこの文章を読んでくださった方へ。

ありがとうございます。

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