第7話 剣と銃 *
敵方のプレイヤーの名前は聞き流し程度で構いません。
……それにしても、名前も性別も明かさないままの描写はつらすぎる。
顔をあげて見ると、そこに立っていたのは、薄茶色のフーデッドケープを目深にかぶった一人のプレイヤーだった。
少々大きめのサイズの質素なケープで全身を包み込んでおり、さらに高い襟を上げていて口元も隠れているため、露わになっている部分は整った鼻先と……その白い右手に握られた、華麗な直剣のみだ。
そこまでを認識して、僕はようやくかのイノシシ男のHPを全損させたのが目の前に微動だにせず立つ彼、あるいは彼女だと悟る。
唯一の情報源であるのは、白銀と翡翠で飾られた、目を奪われるほどに美しい片手剣のみなのだが、僕でもひしと感じ取れるほどの輝きとオーラを放つそれを見ればこのプレイヤーが強者であるのは間違いないと言えるだろう。
「…………」
不意に、その頭が僅かに動き、フードの奥の瞳と目があった気がした。 そして、何かを言おうとするかのように小さく息を吸い込む音が聞こえた、その時。
背後で、金属を揺らす多種多様な音が響いた。 振り向くと、僕とヒース氏の戦闘を冷やかしながら観戦していた4人のお仲間達が各々の武器を取り、こちらに身構えた所だった。 もちろんその鋭い視線は僕ではなく、背後の名前も知らない誰かに注がれている。
その内真ん中の、狐のように目尻の上がった槍使いが相貌によく合致した捻れた声を出した。
「なんだよあんた。 突然割り込んできていきなり “キル” だなんて、ちょっとやり過ぎだとは思わないか?」
周りの愉快な仲間たちも一様に頷く。 しかし、どうにも動作が強張っているのは彼らがこのプレイヤーの強さを悟ったからだろうか。
果たして問題の人物はそれには答えず、無言のまま4人をじっと見つめた。
数秒の沈黙。 するとあちら側の1人、長大な両手剣を装備し、黄緑色の髪を剣山のように逆立てた男が痺れを切らして前に進み出た。
「こいつだんまりスよ、アンレイさん。 そもそも “身元隠し” 野郎に言葉で聞いたって無駄ですって。 あの初心者もろともぶっ潰しちゃいまーーーー」
瞬間。 僕の背後から突風が押し寄せた。
何事かと振り返ると、そこには先ほどまで立っていたはずのブラウンケープの姿がなかった。 どこへ消えたのだろうと疑問に思うよりも早く、僕は一つの絶叫を耳にする。
「ぐああぁぁぁっっっ!!!」
弾かれるように再度背後を仰ぐと、いつの間にやら悪漢衆の向こう側にあのプレイヤーが前傾気味に立っていた。 視線を少し左にずらすと、直前までなにやら息巻いていた剣山男の肢体が真っ二つになり、イノシシ氏同様に派手に四散していくところだった。
僕は思わず息を飲む。
事態を把握するのに戸惑っていた残り3人の男達も、ようやっと仲間の瞬殺を理解し、絶句する。
「……嘘……だろっ!!?」
暗殺者とも形容できよう謎のプレイヤーは、力みのないフォームで剣を横ざまに構えた。 いよいよ悲鳴のようなものが3人の内から漏れる。
「ちぃ……。 おいお前ら! ビビってんじゃねぇぞ、相手はたった一人のヒヨッコだ!!!」
だが、さすがにレベル30越えの屈強な漢なだけあるか、アンレイという名の槍使いは数歩引いただけで立ち直り、その身長以上ある槍を構えた。 半身の姿勢を取り、槍の前と後ろをそれぞれの手で握る。 敵の一挙一動を見逃すまいというかのように細い目が見開かれる。 そしてーーーー
「く……おおおぉぉぉっっっ!!!」
ライトブラウンのケープから突き出た右手がピクリと揺れたその瞬間を見計らい、アンレイは動いた。 槍の先端部分がスキルの発動を示す光芒に包まれ、彼の体が人外のスピードで押し出される。 5メートルもの距離を一息で詰め、ダッシュの勢いを相乗させた渾身の突きが放たれる。
二人の残影が交錯。 閑散とした荒れ野に一陣の旋風が巻き起こった。
隙を少なくするための仕様なのか、男の身体は交錯地点からかなり離れた所で槍を上方へ突き出したままの姿勢で静止していた。
しかし、それがスキル発動後に課せられる硬直時間ではなく、死の直前の一時的行動停止であるのは疑い用もなかったーーーー
「…………」
こちらは交錯地点からほとんど動かず仁王の如く立ち構える謎の剣士が、仮想の血を払うように右手をはためかせる。 それとほぼ同期して、槍使いの肢体が腰の辺りから真っ二つに割れ、共に透明感のあるブルーのガラス片に変わった。
フーデッドケープの剣士は死者に興味はないと言わんばかりに身を翻し、間近にいたもう一人の盾持ち片手剣士をターゲティング。 疾風とも形容できよう速さで肉薄すると、ほぼヤケクソで掲げられた大ぶりの円盾を初撃で弾き上げ、即座に手首を返して上段の斜め斬りを放った。 スキルを発動していないはずなのに、僕の《スリット》より圧倒的に速いかの斬撃は、戦意を失い小動物のように怯える片手剣士を肩口から軽々両断した。
あまりの速さゆえに、先のアンレイ氏の残滓が消え切らない内にもう一つのポリゴン片が虚空に弾ける。
「すごい……」
そう言うより他ない謎の剣士の戦いぶりに、僕は口をあんぐりと開けたまま魅入っていた。
イノシシヘルメットのヒース氏も、狐面のアンレイ氏も、剣山ヘアーの……ナントカ氏も、それぞれがこの世界であらゆる経験を積んだ熟練の勇者だ。 どちらかというとその辺の悪者と言った方がお似合いやもしれないが、彼らがそれなりに時間をかけてレベル30という力を手にしたということは紛れもない事実。
しかし、長いケープに身を包んだ彼、あるいは彼女は全く格が違う。 その一挙一動に溢れる気品とさえ言えよう風格は、およそ彼らの暴虐な立ち居振る舞いを超越し、洗練されていた。 おそらく、並の人がいくら無為にレベルを上げようとも獲得し得ない何かを、この人物はもっている。
故に、遥かに強く、美しい。
その力の真髄は一体なんなのだろうか。
僕は、ひとりのプレイヤーとして……いやそれ以前にひとりの人間として、知りたい、と心の底から思った。
「あっ……」
ーーーーと、その時。 すっかり戦闘に魅入ってしまっていた僕は、今更のように現状を再認識し、そしてあることに気付いた。
敵は、4人いたはず………
だが、時すでに遅し。 次の瞬間に僕の隙だらけの横顔に突きつけられたのは、興奮に引きつった濁声と、鈍く光る無骨な武器ーー銃。
「ストップだ! この少年の頭を吹き飛ばされたくなかったらね!!」
肩を掴まれ強引に引き寄せられる。 すぐ横に、恐怖と怒りを混合したような髭面があった。 側頭部に、冷ややかで硬質な何かが当たる感触。
「………っ!!」
不思議と剣ならば気にならなかったのが、こうして本物と大差ない銃ーーといっても実物を見たことはないがーーを突きつけられると、僕の身体は鉄のように強張ってしまった。
装飾の施された剣ならば、まだファンタジーの様相を保っていたからだろう。 対して銃は、古来から人もとい動物を殺める目的のみに特化された武器。 剣がその身に優美さと豪傑を内包していたとしても、銃それ自体が示すのはただ “死” の一文字。
「くっ」
僕は強張る身体にむち打ち、現実であったら間違いなく窒息死するであろうほどの圧力で締め付けてくる男の図太い腕を解こうとする。
しかし、パラメータの差は歴然。 相手からしてみれば痒いとも思えないレベルの抵抗にすぎない。 さらに男は焦る様とは相反的に、突きつけた銃口の照準を狂わせる気配がない。 これでは、完全に打つ手がない。
ーーーー否、あの人にとって僕は何の関係もないただの初心者なのだ。 僕のことなど気にせず、軽くこの男を斬り裂いてしまえばいい。 その事でこのアバターが死んだとしても最早構わない。
まあ、この時僕の心の片隅に、また先刻同様の華麗な剣捌きで助けて欲しいという感情がなかったと言ったら嘘になるのだが………。
果たして、そのプレイヤーのとった行動は、そのどちらでもなかった。
「……あ、そ」
およそ少年とも少女とも捉えられるトーンで発せられた、ごくごく低ボリュームの短い一言。
ついで、そのロングケープの腰の辺りが閃き、パァン、と一つの渇いた破裂音が響いた。
「うっ……」
小さな呻き声に、首を回してなんとか振り返ると、筋力値にものを言わせた剛力で僕を締め付けていた髭面男の額に円形の青白い閃光が瞬いていた。
ふっと身体が解放される感覚。 同時に僕の目の前で、本日5度目となる “死” が起こった。
ガラスの割れるような、それでいてどこか耳障りでない破砕音。 昇天する魂を形象化したかのように空へと消えて行く、儚くて可憐な薄い欠片。
その蒼いフラグメントの向こう。 ライトブラウンのケープが一陣の風になびき、今まで隠れていた両手が露わになった。
「……銃」
その左手には、白く輝く回転式の銃ーーつまりリボルバーが握られていた。
そこから視線をあげると、只今圧巻の戦闘を終えたはずなのに全くそのあとを感じさせずに静かに佇む “誰か” の見えざる瞳と目が合う。
体格の掴みにくい大きめのフーデッドケープに身を包んだ謎の剣士……そして銃士は、出逢ってから数刻経った今なお衰えぬ未知の気配を僕に向け、
「こ……こんにちは」
と、ごく平凡な挨拶をした。