第4話 VRMMOはチートと共に? *
落ちる。
「うわああぁああ!!」
落ちる。
「うっひぃぃぃぅ……!!!」
落ちーーーー
「へぐっ……!」
恐ろしいほどの衝突感が僕の顔面を襲った。 しかし、衝突した!という感覚だけだ。 痛みはなかった。
考えてみれば当たり前だ。 僕が今いるのは仮想の世界。 バーチャルリアリティ。 《エクステンド ワールド》という名のもう一つの現実。
もし痛覚なんてものがまともにあったなら、このゲームがいかに最高の出来であろうとも、プレイヤーがMかドMだけになってしまう。 モンスターに蹴散らされて「ふへへ」と笑ってるプレイヤーしかいない世界なんて想像したくもない。
「……って、冷静に状況分析してる場合か」
そうだ。 それどころではない。
先刻、紫宮先輩とのテンション差甚だしいトークを終え、いよいよゲームにログインしたはずの僕がなんでまた不甲斐ないこと限りない悲鳴を上げながらの超高速落下を体感していたのか。
その理由は、実のところ僕にもわからない。
紫宮先輩の勢いにつられるがままにログインし、名前やらタイプやら諸々の設定を終え、いよいよ初期地点の《ラルーシア》なる街に転送されようとした僕は、突如として異常な事態に見舞われた。
正体不明の電光に身体を撃ち抜かれ、身動きの自由を完全に奪われ、挙げ句の果てには眼前に広がりつつあった壮大なフィールドからも意識を切り離されてしまったのだ。 そして、フェードアウトした世界の中で、動揺する他ないでいた僕に追い打ちをかけるように襲いかかったのが、件の重力加速度さえ無視した豪速の垂直降下。 体感覚では数百メートル以上は落ちた気がするが、実際にはわからない。
それよりも問題なのは、この異常現象の正体だ。
世界観に合わせた豪快な開始アトラクションだということもあり得ようが、いかに仮想の身とはいえあの音速落下は心臓に悪い。 もしあれが仕様なのだとしたら、チュートリアルを受ける前に一生拭い去れないようなトラウマを植え付けられ、二度とVRMMOにログインできない人が出てきてもおかしくはない。 いや、冗談抜きで。
となると、バグか何かか。
とりあえずは身の回りの様子を確認することから始めるべきだろう。
そう考えた僕は、そこで初めて辺りを見回し、そして驚きの声をあげた。
「せまっ……」
先刻アバターの初期設定をしたのは、現実味も飾り気も特にない3メートル四方のブラックボックスだった。 しかし、僕が今いるこの空間はなかなかどうしてそれに劣らない狭さだ。 しかも、壁が黄土色の土で囲まれている分圧迫感がある。 上を見上げてみるが、やはりすぐそこにざらりとした土壁がある。 およそ100メートルの落下の跡は皆無だ。
これはいよいよ正規プレイである可能性がなくなってきてしまった。
「あれ?」
ーーーーと、若干鬱な気分に陥りかけた僕の目に、あるものが映り込んできた。
「……剣?」
周囲と全く同色の、しかし明らかな形をもったオブジェクトがそこにあった。 少々盛り上がったいかにも硬質そうな岩に刀身の半分ほどまでが突き刺さっている。
ピクリ、と僕の中の好奇心が疼いた。
これはもしや、僕にだけ特別に用意されたユニークウエポン的なアレなのではないだろうか。 手にすればチートチックな勇者になれる的な。
いや、この異常事態。 あり得ない話ではない。
ゴクリとツバを飲んだ僕は、誰もいるはずもない辺りを見回してからそろそろとその剣に近づき、柄に手をかけた。 ぐいと腰に力を入れ、いざ剣を引き抜かんとする。
「よ、よし。 それじゃあ遠慮なくっ……!」
ーーーーしかし、事はやはりそううまくできていなかった。
「んぐっ……!!」
抜けない。
1分の格闘を終えた時点で僕は早くもそう結論づけていた。
貧弱な腕力を総動員して、ひっぱってみたり横にスライドさせてみたり、挙げ句の果てには押してみようともしたのだが、結局黄土色の剣は微動だにもしなかった。
僕は虚しく吐息をつく。
「……せっかくの《聖剣アウグスティヌス》が……」
勝手に名前をつけておいてなんだが、どうやら諦めるしかないらしい。
時間が経てばそれだけ紫宮先輩に心配をかけることになるし、同時に彼女が奇行に及ぶ可能性も累乗スピードで高まる。
彼女ならば、僕が待ち合わせ場所に3分も現れなければ、あの凛とした声で僕の名前を叫びながら街中を走り回るくらいのことはやりかねない。 あるいは変質者のアジトまで乗り込んで行って、僕を探すがためだけにそこを壊滅させてしまったり。
うん、なんか本格的にそんな予感がしてきた。
チュートリアルを受ける前から街中に名前が流布するのはゴメンだ。 明らかに意味ありげなこの剣を無下にするのも心残りだが仕方あるまい。
「となると問題は出口か」
未練をなるべく脳内の片隅に追いやりながら、僕は再度四方を観察した。 しかしなにも情報になりそうなことはない。
よくよく考えてみれば、意味不明のバグに襲われたことよりも、こんな閉鎖空間に閉じ込められていることの方がよっぽど恐怖だ。 閉所恐怖症ではないが、臆病の資質が一般人より高い僕にとってはいくぶんに辛い。
ついで、そういえばと、ある思考が脳内をよぎった。
確かまだVRMMOがない時代に書かれた小説では、こういう意味不明な展開はデスゲームヘと発展する常套パターンだったと聞いたことがある。 今の僕の状況はまさにそれと合致している。
ゾゾゾ、と、背筋を言いようもない悪寒が駆け抜けた。
「これは本格的にマズイやつじゃ……」
僕が一旦そう考えてしまってからパニックに陥るまで、時間はほとんどかからなかった。
「ちょっ……ちょっと! 入ってますよーーー!!! っていうか、誰かいませんか!?」
黄土色の壁に両手を叩きつけながら、支離滅裂な言葉を叫ぶ。 女の子のそれと聞き紛う裏返った声が、僕の混乱っぷりを存分に物語る。
「誰かいませんかっ!? エクスキューズミー! グラッセ! シェシェ! %#@$☆ーーーー」
ちなみに後々知ったことなのだが、このゲームは海外と回線接続しておらず、つまり僕がいかにありったけの簡易外国語をぶちまけたところで意味があるはずもなかった。
そうして3分後、英語だかフランス語だか中国語だか、最終的には古代インカ文明の言語のようなものを叫び続けた僕は、ついに力尽きた。
「まあ、いいや……。 最後にあんな美人さんと話せただけで、僕の人生は満ち足りたってことで」
思考がやたらとマイナス方向に走ってしまうのは場の雰囲気による相乗効果か。 異様なまでに気を落としてしまった僕は、そのまま体育座りの姿勢に移行する。 ちっぽけなこと極まりないが、そんな絶望を満遍なく表現するのに最適のポーズだ。
何とも不思議なことなのだが、この時の僕にはログアウトしてしまうというゲームの単純所作が思いつかなかった。 そもそも、思考の混濁のゆえにリアルとの区別がつかなくなってしまっていたのかもしれない。 このバーチャル世界のあまりの再現率によって生まれた大きな弊害……といっても僕限定だろうが。
しかして、このまま餓死か、凍死か、それとも窒息死か、なんて本気で考えていた僕を、突如としてーーあるいはまたしてもーー異常が襲う。
「……うあっ!!?」
シュワッという炭酸の弾けるような音と共に、無数の光点が僕の視界に現れた。 さらに、一気に増殖したそれらはあっという間に僕の身体を覆い尽くしてきた。
「ヘルプ……!」
悲鳴は無残にも光の泡沫によってかき消され、身体の自由が再度奪われる。 確かに存在したはずの地面のザラザラとした質感も去り、同時に曖昧な浮遊感が訪れる。
そして、いきなり視界が真っ白に染まったかと思ったら、次の瞬間に僕が立っていたのは、黄土色の壁に囲まれた閉鎖空間でも、はたまた『VR部』の部室でもなかった。
若干黄色気味の砂の大地。 彼方まで広がる空は陰鬱に曇っており、枯れ木がポツリポツリと点在する以外に生命の息を感じられない様は、言いようもない焦燥を煽ってくる。 おどろおどろしく吹荒れる風と共に流れてくるのは、トランペットの低音をやたら誇張した不気味なBGMだ。
現実の世界ではない。 ここは間違いなく、バーチャルワールドの中。 そしておそらく、初期プレイでは絶対に来えないウルトラハイレベルなフィールド。
「………」
某然とする僕の視界の右端に、このフィールドの名前であろう白文字が現れた。
【決戦の荒野:アクティウム】
ーーーー僕の部活動体験はどうしてこう始まりからクライマックスなのか。 我ながら不思議だ。
この作品は、デスゲームにはなりません(多分)
そしておそらく、コウヤくんチートルートもなしかと。 まずそんなキャラじゃないですからね。
チートらしくないチートは考えてますが……