第3話 【EXTEND WORLD ONLINE】
さて、いよいよログインです。 コウヤ君のバトルシーンがやっと書けます。
そして僕の戦闘も明後日始まる。
勝てば投稿速度2倍(恐らく)。 負ければ消滅もあり得ますが、自分なりに頑張ります。
作者とコウヤ、両者共々暖かい目で見守ってください。
「エクステンド……ワールド……」
僕がその奇妙な引力をもつ単語を朧げに繰り返すと、紫宮先輩は「そう」と静かに言い、背後を振り見た。 大きな窓から観望できる春も終わりの夕の空は徐々に深みを増してきている。
何故だろうか、この人といると、いつも通りであるはずの黄昏が幻想的に見えてしまうのは。
「《延長線上の世界》……。 まさしくこの“セカンド・ドライバー”と共にあるために生まれたとしか思えないだろう? この中には、二つ目の世界と言って過言でないだけの現実が広がっているんだよ」
僕は無意識のうちに、そのパッケージへと視線を凝縮していた。
長方形の小さな額縁の中で、灼熱のマグマ、彼方へと広がる荒野、草木の生い茂る草原、暁光で満たされた湖沼が、各々の威厳あるいは華麗さを見せつけるかのように鎮座している。 しかし、なかなかどうして目を引くのは、それら現実離れした荘厳な背景と全く劣らない存在感を放つ、中心に悠然と構えた二人の戦士。
右に映し出された、金髪を逆立てた美青年は西洋騎士風の衣服に身を固め、手にした黄金の剣を天高く掲げている。 そして彼に背を任せるようにして左に立っているのは、長い栗色の髪をたなびかせ、射抜くようなエメラルドの瞳をこちらに向けた、これまた見事な美少女だ。 ただその手中には、可憐な相貌のイメージと相反する漆黒の武器、銃が握られていた。
と、そこまでを見て、ゲーム知識の乏しいに尽きない僕にも引っかかるものがあった。
「剣と銃が……両方ともあるんですか? ただでさえ前時代のMMOでもそれを混合したタイトルは少なかったのに……。 ましてやVRの世界なりとも自分の身体を実際に動かすということになれば、剣に圧倒的不利が生じるんじゃないですか?」
それを聞いた先輩は興味深げに僕を見つめた。
「なんだ、君もよく分かっているじゃないか。 実はこれは昨年の冬頃に発売された2作品目でね、3年前に稲妻の如き衝撃と共に登場した初代作はそもそも剣だけだったんだ。 当時の私の胸の高鳴りをどう表現したらいいかな……。 映画や小説で客体的にしか受容できなかった世界観の中で、一人の人間として、それを遥かに超越した自分を体感できる。 どんなに私が心酔していったことか……」
透き通った黒い瞳が、まるで彼女の言う異世界を見ているかのように細められる。
その時僕は、ああ、この人はただ純粋なんだな、と思った。 大人の儀礼と規律をはっきりと理解、遵守していながら、子供の無邪気さを原型と変わらずに保持している。
従順でいて、自由奔放。
矛盾するようだが、それこそが人の本当のあり方なのかもしれない。 ゆえに、この紫宮先輩は、皆を惹きつけるのだ。
「初代作の反響はハードが世に出た時と劣らないものだった。 影に沈みかけていたVRゲームは一気に脚光を浴びた。 それをプレイするために一式を揃えたという者も言葉の通り無数にいたほどだよ。 ……しかし、発売から2年半が経ち、さすがに人気が落ちてきていた頃に、制作会社である《ミース》はとんでもない2代目を生み出したんだよ」
彼女は当時を鮮明に思い起こそうとするかのように瞳を閉じ、細い指をキュッとクロスさせた。
「“剣と銃とが共存する世界”。 私も最初は耳を疑ったよ。 君の言う通り、次作を待ち望んでいた世間の批判もそれはもう凄まじいものだった……。 だがね、結局のところ、私たちはまたしてもその世界に魅せられてしまったんだよ」
彼女がそこで一旦間を取ると、放課後の部室に不思議な静寂が流れた。 まるで、この空間だけが周りと切り離されてしまったかのような錯覚を覚える。 あるいはここはもうすでに、紫宮先輩の言う“もうひとつの世界”なのだろうか。
「独特の倫理、秩序、そこから生まれる戦術。 そのどれもが革新的だった。 本来存在するはずの不条理は取り去られ、存在しえないはずの真実が形を為してそこにある。 無法だとも言えようが、体感してしまえばそんな言葉はもう出てこない。 ……私は思うんだよ。 《ミース》が目指したのは、“不完全な完成”なのではないか、とね。 なぜなら、それこそが人の“夢”なのだから」
早口で、あくまで明瞭にそこまで話し終えた彼女は、ふうと息をついた。 そして優美な仕草で耳元の髪を払いながら、最初会った時と全く変わらない宝玉のような双眸を僕に向け、終いとばかりに問う。
「どうだい? 興味が湧いてきただろう?」
僕はもう、素直に頷くしかなかった。
紫宮先輩の弁論術と勢いと、美貌に乗せられたっていうのも……半分くらいはあるかもしれないが、それ以上にこの数分の間に、得体もしれない未知のゲームに対する僕の好奇心ゲージは大きく天辺を超えていた。
ーーーー知りたい。 そこに何があるのかを。
「……その世界を……見てみたいです」
僕が顔をあげて答えると、その刹那。 先輩はそこだけ一足先に真夏を迎えたかのようにきらびやかな笑みを浮かべ、身を乗り出して僕の両手をがしっと握りしめてきた。
「うんうん! そうだろう! それじゃあ早速……」
ーーーー柔らかい。 なんとも言えない柔らかさ。 そして、この笑顔。 もはやプライスレス。
女性と手をつなぐという、いつ以来やも知らない大イベントに思考がこんがらがり、妙な感想が脳内を突っ切る。 晃也、一時行動停止状態。
「とうっ」
そんな僕を気遣ったわけではないだろうが、次の瞬間、紫宮先輩は可愛らしいかけ声と共にパッと手を離した。 今度は何をするのかと思えば、彼女は何の前触れもなく飛ぶように部室の入り口へと疾駆した。
ーーーーしまった! あの人、僕の入部届けを!!?
そう思ったのももう遅く、黒き疾風……と言うより闘牛となった彼女は、この部屋の唯一の出入り口である扉に手をかけーーーー
ーーーーガチャン!!!
と、盛大な音を立てて鍵を下ろした。
えええぇぇぇっっっ、と僕の喉の奥で言葉にならない絶叫が上がった。
予想外過ぎる。 なぜ彼女はこうも僕の予想の遥か彼方を行くのだろうか。 美人恐るべし。 美人恐るべし。
紫宮先輩がいつぞやの烈火を瞳に宿し、僕をぐいと引き連れる。 そして、あの薄青色のカーテンの前へと移動した。
「ちょ、ちょっと……!?」
僕のその声には怯えさえ混じっていたのだが、駆け出すとマッハ5で一直線にゴールへと突き抜ける性質のあるらしい彼女の耳には届かなかったようだ。 限界を軽く超えたこちらの動揺もいざ知らず、彼女は謎の空間へと通じるベールの端に手をかけ、もったいぶるように一度こちらを振り返る。
僕はその時、紫宮先輩の瞳に今までと明らかに異なる色彩を目にした。 こちらが引き込まれそうになるほどに恐ろしい、それでいて筆舌に尽くし難い魅力を放射する双眸。
「それでは……ここが、“VR部”だよ」
彼女はそう言い、黒くて大きな瞳を一層輝かせ、勢いよくカーテンを開け放った。
サァーという、波の引くような涼しげな音と共に、眼前の幕が取り払われる。
僕は不意に眩しさを感じて目を細めたが、奇妙なことに、その空間は夕闇に薄暗く照らされているだけだった。
「…………」
先輩の奇行に対する驚きも忘れ、僕は無意識に息を詰めて眼前の光景を仔細に観察してみる。
まず目を引くのが、部屋の左半分をまるまる使い、等間隔に配置された四つの細長いリクライニングシート。 僕一人が寝転がっても少し余裕が残るだろうか。 中央に向かってゆったりと湾曲していて、その上、先の座布団同様になにやら材質も良さそうだ。 さぞかし低ストレスの眠りを提供してくれるに違いない。
視線を奥へと向けると、ネットアクセスのためであろう、角一帯を全部埋め尽くして大小様々な縦長のブラックボックスが4、5つ、重量感のある機械群となってドンと構えていた。 VRゲーム用環境完備というわけだ。 なんという徹底ぶり。
最後に右側を見ると、この教室を隔てていた、天井に届かんとするほどに巨大な金属棚が鎮座していた。 メタリックなボディの中に、意味不明な文字が書かれた箱の山だったり、攻略本らしき恐ろしく分厚い本だったりが整理整頓されて並べられている。
紫宮先輩はその棚に駆け寄ると、右下段の小さめの引き戸を開けた。
「実はこの部の初代部長は、“セカンド・ドライバー”と【EXTEND WORLD ONLINE】の双方を開発した《ミース》……つまり神峰財閥の娘さんでね。 ここの設立も彼女ありきだし、さらには設備までもほとんど用意してくれたらしい。 ……それも含めて、初代の方々は色々と残していってくれてね」
そう言いながら先輩はゴチャゴチャと探索し、一つの小さな黒いチップを取り上げて僕に差し出した。
「これは幾つか残っている予備のメモリチップだ。 体験といっても一応メモリは必要だからね。 ……なに、もう所持者のいないものだから、気兼ねすることはない」
「あ……ありがとうございます」
僕はさすがに受け取ってもいいものかと一瞬迷ったが、今更この爆発寸前の好奇心を抑えることも不可能であろうと理由づけて自重心を排除し、メモリナンバー“C-4-3880”なるチップを受け取った。
すると彼女は「よし」と、それはもう嬉しそうに呟き、部屋の一番奥の白色のシートへと飛んでいってストンと腰掛けた。 そして、横にセットしてある小ぶりのデスクから“セカンド・ドライバー”を持ち上げる。
ーーーーと、意気揚々とした彼女の口から、忘れた頃にトンデモナイ一言。
「それじゃあダイブしようか。 君もどれか好きな所に寝転がってくれ」
「ええっっ!!!?」
本日三度目の絶叫。 僕は、「ああ、でもさすがに私のところに二人は窮屈だからやめてくれ」なんてはにかみながら更なる爆弾発言をする紫宮先輩に、今度ばかりは本気でツッコミ……ではなく、真面目に言及した。
「いやっ……! さすがにそれはまずいですよ! ダイブ中は、基本こっちの意識はないんですよね!?」
「……? だから鍵を閉めたのだろう?」
「それはそうですけど……!」
首を傾げる学校ナンバー1美女。
確かにこんな人の隣で寝るなんて、嬉しいか嬉しくないかでいったらコンマ1秒即決で前者になる。 この世のいかなる物語にも類をなさない、高校男児にとって最高のボーイズミーツガールであろうことは間違いない。
しかし、僕はもちろん紫宮先輩も高校生とはいえ大人の男子と女子。
いかに貧弱なもやしっ子である僕でも、一応はそういう年頃の男子なのである。 当然のことながら僕には問題行動を起こす気などさらさらないが、状況だけでも十分に社会的にいけない気がする。
僕がその辺をぼかして言うと、彼女は黒いテールを揺らして明るく笑った。
「ふふふ……。 なんだ、そんなことか。 大丈夫。 人体に少しでもダメージなどが及ぶと、強制的にログアウトさせられるように元からなっているからね。 問題行為には叱るべき合法的な処置は取らざるを得ないが、君がそんなことをするような男ではないことくらい分かるよ」
そうして彼女は自分の言葉を裏付けるように髪をかき上げてギアを装着し、ダイブの準備を整えた。
「さあ。 部活動体験を始めよう」
ーーーーなんだか嬉しいような悲しいような。
いよいよ引くも下がるも叶わなくなってしまったため、僕は仕方なく紫宮先輩から最も離れた手前のシートに腰を下ろした。 低反発のクッションが身体を優しく受け止める。
「…………」
横のデスクに置いてあった、黒いコードを側面から伸ばすギアを手にし、メモリチップを差し込む。 その時、僕は明らかに物理的なものではない重みを感じて息を飲んだ。
この中の世界は本当に現実の延長なのだ、と、理性などでは到底認識できないような確かな感覚が、僕を戦慄させた。
両手に収まるサイズでヘルメットにしか見えないこのハードが、あらゆる人を魅了する異世界を内包しているというのはおよそ想像がつかなかったが、そこに存在するのは間違いない。 紫宮先輩にここまでの想いを抱かせる何かが。
「………」
僕は先輩同様にギアを装着し、若干躊躇いつつもバーミリオン色のシートに寝転がった。
どくん、どくん、と速鳴る鼓動。 しかしそれが心地いいほどに感じられるのは、この感覚が、興奮が、僕の捨て去った記憶の中で疼いていたからだろうか。 そうだ。 今の僕は、あの頃の自分に似ている。 初めて自分の居場所を見つけ、歓喜し、奔走した、あの頃の自分に。
不思議とこの時、胸の詰まる、あるいは右肘に痛みが走るといった類の幻覚は現れなかった。
「準備ができたみたいだね」
左側から、紫宮先輩の静かな声が聞こえてきた。
「ログインして初期設定を終えたら《ラルーシア》という街に転送される。 多分私がそちらに着くまでに少しばかり時間を要するだろうから、街の中を自由に散策してくれていて構わないよ。 ……ただ、変質者まがいのやからにだけは捕まらないように気を付けてくれ。 君はなかなかに可愛らしい顔つきをしているからね」
「うっ……。 それかなり傷つきます……」
母さん曰く「ちょっと女装すれば女の子より女の娘」たる僕に、さりげなくジャブをかましてくる先輩。
いやはや、それにしてもいつもなら湧き上がってくるはずの怒りがさっぱり出てこない。 っていうか、なんだか可愛いようにさえ思えてきた。 美人恐るべし。 美人恐るべし。 美人恐るべし。
「まあ、なにはともあれ部活動体験を始めようじゃないか」
紫宮先輩の静かな、しかし見事に興奮を隠しきれていない声が、いよいよその時が訪れたことを告げる。
「起動コマンドは知っているね? それじゃあ、3、2、1で、ダイブしようか」
「え、カウントダウンいらなくないですか?」
右手を掲げて「おー!」とやるハイテンションっぷりに、僕は思わず水をさしてしまった。 すると彼女は頬を赤らめて可愛げに言う。
「い、一度だけやってみたかったんだ。 もし嫌だったら無理にとは言わないが……」
「はぁ……。 僕はいいですけど」
「よ、よし。 ありがとう……。
それじゃあいくよ。 ……3、2、1ーーーー」
「「キャスト・オフ!」」