第2話 ここは『VR部』
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戦闘シーン好きの作者もろとも、あとちょっとだけお付き合いください。
「……ほ、ほんとうにすまなかった。 久方ぶりの客人だったがゆえ、取り乱してしまったんだ」
僕の向かいに座る美女は、長い黒髪を地につくほどまで垂らし、ガックリとうなだれていた。
“凛”、“猛”と、出逢って数分の間に二種類の全く違った顔を見せた彼女だったが、今回は早くも三つ目、“恥”の一面を発動させたらしい。
紅潮した肌が夕日に照らされて無闇に際立ち、なんというか、余計に色っぽく………じゃなくて!! 色々と疑問は残るが、とにかく立ち直ってもらわねば話が進まない。 それに、なぜだか奇妙な罪悪感が芽生えてしまう。 美人恐るべし。
「あの。 そんなに気にしてないので、大丈夫ですよ」
「……それではお言葉に甘えさせてもらおうかな」
僕がなるべく頬が引きつるのを抑えて言うと、黒髪美女は思ったよりも素直に頷き、元通りピンと背筋を伸ばして座り直した。 最初に見せていた気の強そうな瞳の輝きは完全には戻らなかったが、彼女はコホンと一つ咳払いをすると眉を八の字に曲げて口を開いた。
「うんうん、すまなかったね。 山崎教諭に『今日の放課後サプライズプレゼントがあるから部室にいてくれ』と言われたものだから、気になって仕方がなくていたんだ」
ーーーーいやいや。 捉え方によってはなんかちょっと危ない雰囲気があるぞ、ザッキー先生。 っていうか、僕はギフト扱いか。
と、そんなことを考えながら僕が苦笑いを返すと、彼女も同じようにふふふ、と微笑んだ。 そして紅茶を口に含んでから何か大切なものがそこにあるかのように手中のカップを眺め、ふと思いついたように顔をあげた。
「……ん。 この部活のことを語る前に、自己紹介がまだだったね」
窓から吹き込んだ風が彼女の髪をふわりと撫でる。 それを優しく払いながら、謎の女性は静かに僕を見つめて続けた。
「私の名前は紫宮 歌乃。 この黎明高校の2年生だ。今後ともよろしく、後輩くん」
“今後とも”というのがどこまでを指すのか実に気になったが、今更どうこういうのも仕方あるまい。 僕もとりあえず儀礼に従ってたどたどしくではあるが名乗る。
「えっと、僕は壬狩 晃也です。 一応……なんの変哲もない一年ですからね」
紫宮先輩は僕の名前を吟味するように何度か繰り返し、それから「ふむ」と言ってにっこりと微笑んだ。
「壬狩 晃也君だね。 ふふふ……なんだかな、こんな偶然も三度とないだろう。 ………君の名前は未来永劫、来世の果てまで忘れないよ」
ーーーーいきなり重いな!!
本日何度目となるだろうか、次々と出現してくるツッコミポイントにもいい加減耐えられなくなってきたが、ここもギリギリで抑える。
だが、紫宮氏のマシンガンもかくやという暴走馬っぷりはとどまるところを知らない。
「い、かり……こうや君っと」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 何ですかその紙は!?」
「ん? ただの入部届けだが……」
「いやいやいや、何でそうなるんですか?」
どこから取り出したのか、明らかに指定記入欄のある“自称メモ用紙”に意気揚々と僕の名前を書きつける彼女に対し、今度こそ心の声が溢れ出した。
しかして、何故かあの奇妙な炎をその目に再燃させた美女は、小難しそうに宙を仰いでからすんなりと続ける。
「残念ながら、説明を受けるためにはこの部に入部してもらわなければならないのだ……」
「何ですかそのダミートラップは!?」
もう僕は疑念を抑え込むことも諦め、思いっきり不可視のハリセンを振るった。 だが、彼女はそれを気に留めずにうーんと顎に手を当てて言う。
「ダミートラップは言い過ぎだよ。 実を言うと、この部の活動内容があまり公になると面倒なんだ」
「い、いやいや! それってどんな部活なんですか!」
「ああ、大丈夫。 学校的には多少の問題はあるが、政治的・社会的・経済的・健康的な害は皆無であるから」
「ここは一応その学校だと思うんですけど……」
細身の体にしてはアクセントのある胸を張りながらやはりズレたことをおっしゃる紫宮先輩についていけず、遂には僕のツッコミ魂も底を尽きた。
一体どうしたことだろう。 誰もが憧れる “学校一” のプリンセスはこんなにも破天荒なのであろうか。 この時代にはギャップ萌えということでも通じるだろうが、あまりにもキツすぎる。 それとも、彼女は部活に関する時だけ暴走してしまうのだろうか。 だとすれば、これまでの話から推定するに、その一面は僕しか知らないことに……。
そんな悶々とした思考の中でうなだれる僕の姿をどう取ったのか、ここで彼女ははっとしたように目を見開き、次いで慌てて両手を振るった。
「あ……す、すまない。 またしても我を忘れてしまっていた。 ……うん、そうだ。 久しぶりの客人でもあることだし、ここは一つ特別に説明を行い、体験してもらって、それから判断してもらおう」
そう言いながら、紫宮先輩は先ほどまでの猛然とした様子が嘘のような凛々しさで正座し、卓上で白い指を組み合わせた。
「まあ、君が良かったらでいいのだが……」
ーーーその上目遣いは反則ですって。
僕より背は高いであろうに、恐らく無意識的に全男性共通に効果抜群の一撃をかましてくる紫宮先輩の怖さはここにあるだろう。 残念ながらそれをくらってなお首肯せずにいれるほど僕の精神力は強くなかった。
彼女は僕が頷くのを確認すると、遠くから聴こえる巣に帰る小鳥の声を背景に、爪弾くような美しい声で「それでは」と切り出す。
「ここはね……『VR部』だよ」
「V……R部……」
当たり前だが全く聞き慣れないその単語を口の中で転がしてみる。
紫宮先輩は紅茶を飲み干すまでの思考時間を僕に与え、それからにこりと微笑んで一つの問いを投げかけてきた。
「君は、“VR” といったら即座に “VRゲーム” を思い浮かべるのではないかな?」
僕は無言でコクリと頷いた。
ーーーー “VRゲーム” 。 6年前に公表され、業界に全く新しいゲームの型を指し示した、世紀の大発明とさえ言われる代物だ。
多少値の張るハードとソフト、そこそこの環境さえあれば、自宅に寝転んだまま、ネットワーク上に構築された異世界で自由に身体を動かすことができる。 そのまさしく夢物語の実現に湧いた世間の人々は、発売直後から猛獣の如く店頭に殺到した。
その人気の絶大さが生んだ当時の生々しい事態を表明する現象は多々あった。 貯金に余裕のなかった学生一同が突如として一斉にマザコン化し、泣いて母親に談判をしたということ。 また、購買のための資金欲しさ故のコンビニ強盗が全国で数十とあったというエピソードも記憶に新しい。
しかし、結局のところ顧客が羨望していたようなド派手アクションを有した作品は生まれることなく、やれパズルゲームやれ推理ゲームといった身体をあまり動かす必要もないタイトルの山を前に売り上げは急速に落ちていったとか。
僕が知っているのはここまでだ。
確か数年前に、年齢の割には探究心の飽くない母さんが買ってきたハードで一度だけパズルゲームをプレイしたこともあったが、ちょうどその頃から本気で熱中できるものを見つけた僕の趣向が傾くには至らなかったのだ。
僕がそこまで説明し終えると、紫宮先輩はふむふむと2、3度頷き、突然立ち上がった。 何をするのかと思えば先刻のようにーー速度は3分の1にまで抑えられていたがーーカーテン越しへと消え去り、右手にヘルメットのような黒光りするものを抱えて数秒と経たずに戻ってきた。
彼女は、若干古ぼけた感のある部屋の中では異質な光を放つメタリックのギアを卓上に下ろすと、黒曜石の瞳で愛おしげにそれを眺めながらポツリと言った。
「この機体の名称は “セカンド・ドライバー” 。 私たちが今存在するこの現実とVRワールドを繋ぐ。 ……確かに前時代のソフトはこの特性を全くと言っていいほど活かせていなかった。 だが、君は残念ながら、この子の真価を見ずして駄作と決めつけてしまったようだね」
「真価……」
いつの間にやら彼女の話に吸い込まれてしまっていた僕は、ゴクリと唾を飲んだ。 しかし当の彼女はもったいぶるようにはにかみ、核心を遠ざけた。
「まあ、そのなんたるかを話すよりも先に、この部の説明をしておこう。 そうした方が君の興味もより一層増すことだろう」
「はぁ……」
もう十分に興味がそそられてるんですけど、なんて言ってしまうとすぐさま僕の入部届けを提出しに行きそうなのでやめておく。
そんな僕の内心もいざ知らず、彼女はカッコよくウインクを決め、高らかに言った。
「この部活の活動内容はね……… “VRゲームを楽しむ!” それだけなんだよ」
ビシッと見事なキメポーズで静止する彼女。 ポカンと口を大きく開けて停止する僕。
「……それだけですか?」
「それだけだよ」
「いやっ……ほんとに?」
「それだけだ」
ごくごく単純なやり取りが繰り返される。
ーーーーうん。 いやまさか、たとえ活動内容がそうであったとしても、到底学校側が飲むとは思えないのだが。
「第一、電気代にしろ接続料にしろ馬鹿にならないですよね……? そんな部活をなんの条件もなしにっていうのは……」
「ふふふ……。 まあそう言うと思っていたよ」
ポツポツと不審点を挙げていく僕を、彼女は皆まで言うなと遮った。 そして、その雰囲気にまったく感じさせずに平然と驚くべきことを口にした。
「もちろん、ただ楽しむというわけではない。 毎年12月に開催される“VRMMO高校選手権大会”を勝ち抜くことが絶対条件として提示されているんだ。 先代の方々はこの3年間、厳しいラインをクリアしてきたんだよ」
ーーーーVRMMOの大会ぃ!?
僕は思わず腰を浮かせた。
まさか、ゲームがそこまで発展しているとは思いもしなかった。 そもそも、遊ぶという娯楽要素しかない分野が部活動に認可されること自体信じ難い。
果たしてそれをしかと心得ているらしい紫宮先輩は、白銀のティースプーンでくるくると宙をかき回しながら、さらに驚くべき事を口にした。
「それに君は知らないかもしれないが、全国にはVRMMOを主だった目的として掲げる部活、あるいは同好会が100以上あるんだ。 東京都になるとその3割を占めているが、我が茨城にも10校ほどはある。 そしてそのほとんど全てが共通してたった一つのソフトを対象としている。 学校参加の全国大会として唯一認可されたのもそれだ」
「そ、そんなに……。 一体どれほどの人気がある作品なんですか……?」
僕がそう問いかけると、彼女は待ってましたと言うかのように口の端をあげ、ずっとテーブルの下に隠していた左手をおもむろに引き出した。 そして、その手に握られた長方形のパッケージをカタリと置き、漆黒の髪を大きく揺らした。
「そう。 それこそが核心だよ。 年齢を問わず全ての人間に果てない幻想の形を見せつけ、虜にしたそのゲームこそがーーーー」
風の流れが変わる。 闇に重厚な色彩がつく。
見間違いなのだろうが、僕は目の前の紫宮先輩の姿に、似て非なる女性の姿を幻視した。 妖艶とさえ言える光芒を反射するアメジストの瞳、重力を無視するかのようにふわりと浮き上がり、そして流れるように垂れる同色のテール。
二人の美女は、果たして凛とした声で、その異世界の名前を口にした。
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