第16話 シクラメン *
大学の教科書配布時に (なぜか) ついてきた女性誌の表紙の女の人に、異常に惹かれるものがあったために、それをベースとして歌乃先輩化してしまいました。 いつもは書かないちょっと手の込んだイラストです。
今日も今日とて、平凡な日々だ。
社会では、有名企業が汚職疑惑で世間を賑わしたり、どこぞの財閥のご令嬢が行方不明になったりと色々な騒動が起こっているようだが、幸いなことに、歌乃先輩の暴走以外に僕を悩ませるものはない。
ちょっとハーレムチックなだけの、いつも通りの日常だ。 そう、いつも通りーーーー
『コウヤ……ダイスキぴよ』
「ん……んなぁ!!?」
ようやっと慣れてきた非凡な日常を回想していた僕は、そんなセラの爆弾発言に目を覚まされた。 ここは『VR部』の部室。 件の少女はタブレット端末の液晶の中だ。
「な、ななな、んなにを言ってるんだよ、セラ!? まだ、し、知り合って間もないのにそんなことーーーー」
僕は判断の追いついていない頭で必死に質問を並びたてようとする。 しかし、綺麗な白銀の髪をもつ彼女は、はずかしそうに頬を赤らめるでも一目散に画面の彼方に逃げ出すでもなく、猜疑心たっぷりの蒼い瞳で僕を見返した。
『コウヤの方こそ何言ってるの? ココの答え、“大スキピオ” だって言ってるじゃん』
「は…… “大スキピオ” ……?」
『そ。 古代ローマの将軍で、ポエニ戦争の時にカルタゴのハンニバルを破ったことで有名な人だよ。 もう一人 “小スキピオ” っていう人がいてね、区別のために後から “大” “小” ってつけられたんだって』
「は、はあ……」
そこまでを聞いて、僕はようやく今自分がセラに世界史の課題を手伝ってもらっていたことを思い出した。
実を言うと学業の方の成績に不安が山積み状態の僕は最近、部員が揃うまでの時間を勉強を教えてもらうことでちゃっかり有効活用していたりする。 歌乃先輩が教師の時もあるが、彼女は委員会の仕事などで基本的に遅れて来る側なので、こうしてセラにご教授願うことがほとんどだ。
こんなことを言うと失礼かもしれないーーというか100パーセント失礼極まりないのだが、僕はセラのことを幼女体型であっけらかんとしているだけの女の子だと思っていた。
しかし、とんでもない。
彼女は入学早々に行われた実力試験で、1年生総勢231人中7位に入りなすった秀才さんだった。 しかも、勉強完璧タイプの歌乃先輩と違ってセラはやたらと雑学に詳しい。 各種スポーツ、カルト史、エンタメ、アニメ……いくら話しをしてもネタが尽きることのない様は、一体いくつの引き出しを持っているのかと問いただしたくなるほどだ。
『あ、そうだ。 大スキピオの孫はね、あのグラックス兄弟なんだよ! 133年に護民官になって民の平等のために戦ったヒト。 ゴロ合わせは “133か引けぬ、グラックス” ね!』
「ほうほう」
恐らくカルト世界史に当たるであろう前半部分をスルーし、せっせとゴロ合わせをノートに書き込んでいく。
正直言って、セラの雑学すべてを記憶するデバイスは僕の脳内に備わっていないため、主要な部分以外は聞き流し程度なのだが、それでも堅苦しい学校の授業の数倍面白い。 歌乃先輩も歌乃先輩で容量を得た解説で、分かりやすさで言ったらそこらの教師より優れていると素直に思う。
とにかく、『VR部』に入ると勉強の方の成績も上がる、と。 身に余る特典付きである。
そんなこんなで世界史の『VR部』版補習を行っていると、10分ほどが経った頃に、部室の東側のドアが勢いよく開いて歌乃先輩が飛び込んできた。 健康味のある肌は、興奮ゆえか若干火照っている。
『どうしたの、カノ?』
「どうしたんですか」
ーーーーボケないってことは、なにかあったな。
恐らく僕とセラが同タイミングでそう思った直後。 彼女は手にしていたどこか見覚えのあるようなチラシの裏面を顔の前にかざし、夏を先取りしたような満面の笑みを浮かべた。
「2人ともっ、嬉しい知らせだよ。 今週末に練習試合だ!」
「れ、練習試合……?」
『おおぉぉ〜〜!』
いきなりのサプライズに僕とセラはそれぞれ違ったリアクションを見せたが、盛大な拍手を終えたセラがわずかに首を傾げたところをみると、彼女も同じ疑問の中にあるに違いない。 すなはち、
「練習試合って、なんですか?」
いや、練習試合の意味がわかっていないわけではない。 僕も中学時代はいくどとなく他校に赴いたり赴かれたりして、色んなタイプの相手との試合経験を積んだものだ。
しかし、VRMMOの練習試合と言われても、ピンとくるものはない。
対して、こちらは経験があるのか、歌乃先輩はあたり一面にワクワク感を撒き散らしながら説明してくれた。
「なに、別段変わったことはないよ。 お互いに予定を合わせて、特設のバーチャル空間で手合わせするだけだ。 【EXTEND WORLD ONLINE】には、ちょっとした手続きさえすれば一時的に独立したフィールドを創り出せるシステムがあるからね」
「へーー……」
なるほど、つまり会場は各々の普段の部室で、ネットワーク上にて練習試合を行うというわけだ。 監督の狭いバンに男子ギュウギュウ詰めで移動していたあの頃を思うと、便利なもんだなあという感慨とちょっとした寂しさが浮かび上がってくる。
おっとイカンイカンと、僕は軽く頭を振って雑念を払いながら、次いで湧いた疑問を口にした。
「っていうか、VRMMOの大会って確か5人登録でしたよね? 相手は人数揃えてるかもしれませんけど、こっちは3人ですよ? 2人足りないです」
僕のこの言葉に、歌乃先輩は肩を思いっきりギクッと跳ね上げ、やや引きつった笑顔で返答した。
「ああ、まあ……実を言うと、君の前に1人、入部届けを出してくれた人がいたのだが……それから一度も姿を見せていないんだよ。 大会には出る、とは言われているのだがね」
「ええっ!!? 僕とセラの他にも新入部員いたんですか!?」
僕は思わず女のように裏返った声を発してしまった。
これは初耳だ。
いやだが、入部時に与えられた部員ナンバーなるものは、確かにセラが17で僕が19だった。 となると、先輩の言う通り僕より先に入部した人がいたということだ。
しかし、最初の時以外顔を見せていないというのはどういうことなのだろうか。
『でもでも、パッと見た感じだとものすごく強そうだったよね。 綺麗だったし』
これは相変わらず能天気なセラの発言だ。
「ああ、そうだね。 もしかするとツンデレという類なのかもしれない」
次いで、真面目に考えているようなのだが、やはり思考が斜め上に向かっている歌乃先輩の発言。
「綺麗……ツンデレ……」
僕は僕で、二人が漏らしたキーワードを元に、問題の謎の人物 X の人物像を思い描く。 髪は長めで切れ長の瞳。 仏頂面な感じがあり、スレンダーな体躯のーーーー
と、そこまで出来上がったところで、まるでこちらの頭の中を読んだかのように、セラのジトッと湿った声が投げかけられた。
『ねえねえコウヤ。 一応言っとくけど、男だからね。 その人』
「……え、な、なに? 別に僕は」
『いいもん。 どーせセラはぺちゃんこでピッチピチでロリロリですよー』
意味不明なことをのたまいながら、ぷいとそっぽを向いて拗ねるセラ。 どうやら妙なスイッチを押してしまったらしい。
ーーーーそれにしても男か。 早く仲良くなれるといいな。
僕は一抹の安堵感と別種の寂寥を感じながら、ほっと息をつく。 そして、タブレット画面の端っこの方に消えてしまったセラに小さく謝ってから、歌乃先輩に真剣な口調で問いかけた。
「で、人数不足の問題は未解決のままですが……?」
当の先輩は、苦笑しながら怪しげなこと言う。
「あはは……まあ、そこはアレだよ。 アレをナニしてこうしたんだよ……」
「………」
「あの、ア、アレという名のソレを、うまく使ってだね……」
「………」
両手を頭上でクイクイと動かしながらひたすらに語尾を濁していた彼女だったが、僕がやんわりと睨むと「降参ですぅ」と言わんばかりにがっくりと肩を落とし、口を割った。
「まあ、ちょっと強引な交渉をしかけたがね………いやいや、誤解はしないでくれ! 決して悪どい手を使ったわけではないから」
うひゃー遂にやっちまったかこの人、的視線を送る僕に向かって慌てて両手を振りながら、黒髪の破天荒美女は必死に弁明する。
「こ、コウヤ君は知らないと思うが、【エクステンドワールド】のプレイヤーはね、大会などで勝利することによって蓄積するポイントでランキングされるんだ。 さらに非公式ながら “高校生ランキング” というものがあってだね……」
そこで一旦間を取ると、彼女はタブレット端末の液晶の端からてくてく戻ってきたセラに目をやって続けた。
「私は4位。 セラは10位なんだよ。 自分でいうのもなんだが、10位以上のプレイヤーというのは一般でもかなりの大物に当たってね、それを人数不足の交渉材料に使わせてもらったというわけだ」
ははーなるほど。 道理でこの二人が【エクステンドワールド】で異様なまでに注目されるわけだ。 まさかそんなにお強い方々だったとは。 加えてこの容姿だ。 文句無しに目立つ。
だが、と僕は考える。
確かに、レベルの高いプレイヤーは必然的に外部からの需要を負うことになるため、その2人のセットというのはかなりの交渉の材料となる。
しかし、僕はなぜだが、歌乃先輩の曖昧な微笑みにさらなる “裏” を感じずにはいられなかった。 他にはないだろうか。 この人がカードに切りそうな “ネタ” がーーーー
果たして、答えはちゃんと歌乃先輩が用意していた。
「そ、それとね……新しく入った最強のルーキーも初披露しよう、とも言っておいた」
「はい、アウトぉー!!!」
やっぱり大ボラを吹いてたよ、この人は! これはアレだよね。 絶対に僕が公開処刑されちゃうパターンだよね!?
まさか歌乃先輩やセラ、あるいは一般的な高校生プレイヤーよりも圧倒的にレベルが低く経験も浅い人物を最強の新人と呼ぶお方がどこにいるだろうか。 相手校の人たちはきっと、高校生ランキングで3位以上に入っているツワモノをイメージするに違いないのだ。 なんてったって、4位が “最強” と言っているのだから。
「あ、それと、一応の補強材料として《ステータス・スタンダーダイズ》を提案しておいたから……」
「なっ、次はどんなトラップ要素を!?」
「い、いや! これはステータスの均一化オプションでね、対象のプレイヤーのステータスを一時的に同レベルの数値に換算できるんだ。 武器防具の補正はそのまま反映されるが、基礎的な数値は変わらない状態での勝負ができるということだよ。 少なくともコウヤ君にはプラスに働くと思うのだが……」
肩を寄せ、恐らく無意識的にセクシーポーズのようなものを決めながら、黒曜石の瞳が「ダメ……かなぁ?」的視線を叩きつけてくる。
「うっっく……!?」
ーーーー騙されるな、壬狩 晃也! これは完全にアレだっ。 獲物を油断させてかっ喰らおうとしてるライオンパターンだ! 絶対に痛い目を見る。
多大な精神ダメージを受けながらもなんとか踏みとどまった僕は、歌乃先輩を精一杯キッと睨んで言った。
「ま、まあ、試合ができるのは嬉しいですけど、僕が最強うんぬんの話はうまく訂正しといてくださいよ」
対する歌乃先輩は、やはりどこか曖昧な笑顔で視線を泳がせる。
「うん、そうだね……その辺は」
絶対訂正する気ないでしょ。 と、僕はもはや数瞬の希望さえも圧倒的な諦念の底に埋れさせ、いかに相手を出し抜くかの策略の選考を始めた。 こうなったら手段を考えてる場合ではない。
いっそのこと、いつかの美人謎剣銃士サマに代役を頼もうか。 推測にすぎないが、あの人も歌乃先輩やセラに勝るとも劣らないツワモノに違いない。 しかし、残念ながら僕は彼女とのコンタクトの取り方を知らない。 それこそいっそのこと、僕が試合中にどうしようもないピンチに陥った時に、以前と同様颯爽と駆けつけてくれたら文句無しなのだが、それはけったいな妄信だろう。
『まあまあ、その辺はケセラセラでなんとかなるよー』
普段ののんびりボイスに若干の棘を忍ばせながらも僕を励ましてくれたらしいセラは、『それに、』と言葉を続ける。
『コウヤには一応あの “隠し球” があるんだし、サプライズ的な意味では間違ってないんじゃない? 【エクステンドワールド】にはなかなかいないタイプだからねーー』
「そうかな……? 僕はまだあんまり自信ないけど」
「いや……たとえ成功率が未知数だとしても、コウヤ君でなければできないことだ。 間違いなく、相手の度肝を抜くことができるさ」
「……そうですかね?」
“隠し球” と言えば聞こえはいいかもしれないが、そこにはロジックもなにもない。 ただ単に、他人がしようとも思わないことを (半ば歌乃先輩の熱心な強要によって) 実践しようと努力してみただけのこと。 だがしかし、確かに今の僕の手にある唯一の切り札と言っても過言ではないだろう。
ーーーー賭けてみる価値は、一応ある……かな?
僕の顔に自信の色が少なからず戻ったのを見てとったか、セラがいつもの調子で右拳をグッと構えて言う。
『よーぅっし! コウヤもヤル気出たみたいだし、セラも張り切りまくってケセラセラでいっくよ! それじゃあ早く、特訓特訓!』
英単語帳大のタブレットの中から可愛らしいという表現がピッタリな様子で囃し立ててくる白髪の少女に慈しむような目を向け、そして全く同種の光を湛える黒曜石の瞳で僕を見た歌乃先輩は、普段よりも一段と嬉しそうな満開の笑みを浮かべ、凛として言った。
「ああ、私も待ちきれないよ……!」
次回はいよいよ戦闘シーン!