第14話 『VR部』の平和かつ非凡な日常 *
「もうダメ……。 この1週間で3年分歳をとったような気分だよ」
『にゃはは。 まあ、慣れちゃえばこっちのもんじゃない?』
僕が『VR部』に入部してから1週間が経ち、今日は2度目の金曜日となる。 ここのところ終業するやいなやこうして部室に駆け込んでいるため、まだ空は淡く晴れ渡っており、外からは運動部の賑やかな声が聞こえてくる。
明日から休日だ、と考えると幾分心が明るくなり、疲れも吹き飛ぼうものだが、しかし、期待のルーキーたる僕、壬狩 晃也は、部室の常設となった接客用四足テーブルに突っ伏し、珍妙な呻き声を漏らしているのであった。 今の僕は、週の末どころか人生の末の如き顔をしているに違いない。
理由は……まあ、【エクステンドワールド】での悲劇がさらに巨大になって再臨したとでも言えば分かってもらえるだろう。
「あの人は……善意の爆弾を完全にフルオート発動してるって……」
『んーー。 でもさ、カノもすっごい嬉しいんだと思うよ。 ああ見えて』
「どっからどう見てもそうだよ」
そう。 紫宮先輩だ。 僕の悩みの種は、またしても紫宮先輩なのだ。
僕が、『VR部』に入部することにした旨を先輩に報告したのが先週の金曜日の放課後。 その時点での彼女の喜びようは、それはもう凄まじいものだった。
話の結末を聞いて0.5秒で、その美顔にビッグバンをも凌ぐ輝きを炸裂させ、並と大の中間に当たるであろう胸部に僕の顔を抱き込み、「やはり私の見込んだ少年に誤りはなかった。 とにかくようこそ『VR部』へ! 君は部員ナンバー019だ! さてさて、さっそくセラも交えて歓迎会をしよう!」と、最初から用意していたのではないかと疑わせるほどのセリフ量を恐るべき早さでまくし立てると、そこから稲妻の如き俊敏さで豪華なパーティー会場をーーバーチャル空間にではあるがーー創り上げた。
3人の部員のみで行われたちっぽけな宴会ではあったが、その内容は、僕を置き去りにしながらも大いに盛り上がったのであった。
しかし、これはまだ序章。 この時点で僕が目撃し、苦悶させられた紫宮先輩の脅威は、むしろ可愛いものだったのである。
問題は、週明けの月曜日。
いつも通りの平和かつ平凡な登校を終えた僕は、昇降口でさっそく紫宮先輩と遭遇した。
まず、彼女のパァッと輝くような笑顔が「ああ、今日からまた学校だ……」的周囲の生徒のどんよりとした空気をピンク色に変えた。 そして、後頭部で結わえた艶やかな黒髪を揺らし、長い両手を僕に振りながら、「おはよう、コウヤ君!」という、模範のような元気のよろしい挨拶。 彼女が僕のことを “名前” で読んだことに注意してほしい。
それだけで十分だった。 辺りにいた生徒の視線全部が、紫宮先輩から僕に移行し、彼らの唖然とした表情が一息に鬼の形相に変貌した。
恐らく、僕が校内のかなりの生徒及び教員からいわれもない恨みを買った瞬間だった。
いや、もうこれは仕方ないと言えよう。 少なからず覚悟していたことだった。 1日の内に、一度や二度くらいなら僕にもまだ耐えられるーーーーはずだった。
しかし、なぜだかわからないが、『VR部』入部猶予期間中は一日の内に最大でも3回程度だった先輩とのエンカウント数が、一日平均5回以上にまで跳ね上がったのだ。 ゲームで例えるなら、今まで全く手に入れられなかったレア武器が、ある日を境に余るほど採掘できるようになった感じだ。
いや、多分、紫宮先輩が無意識のうちの故意にそうしてしまっているのだろう。 表現としては矛盾しているが、それ以外に言い表しようがない。
会話の内容としては、「今朝は何を食べた」とか「なになにというゲームが面白そうだ」とかといった3、4言の些細なものなのだが、それだけでも十二分に他生徒の嫉妬をかってしまう。
紫宮先輩と話をしたいと思う人なら、この学校には1ヶ月分の予約をとってあまりあるほどに溢れかえっているだろうから、実質話し相手には困らないはずだ。 なのに、その人たちをほっぽらかしてーーあるいは知らず知らずの内に後ろに引き連れてーー彼女は僕のところまでやってくるのだ。
もう、僕を取り囲む殺気は【エクステンドワールド】でのそれを超えていた。
影では《紫宮 歌乃 ファンクラブ》という組織が、【プロジェクト E】なる作戦を開始したらしい。 ちなみに会員数は、男女問わずこの学校の3分の1は下らないという。
「ほんとに、僕の余命はあと何日だろう……?」
『ファイトだよ、コウヤ。 ケセラセラで頑張ってこーー!』
「はあ……」
さてさて、もはや僕の力ではどうしようもない破滅への運命を嘆くのもここまでにして、話を転換しよう。
さっきから僕の愚痴に明るく相槌を打ってくれている人物。 それは、言わずもがなもう一人の部員たる幼女風の少女、セラである。
しかし、目の前に彼女自身がいるというわけではない。 僕とセラは現在、英単語帳ほどのサイズのタブレット端末越しに会話をしていた。 彼女は液晶の向こう側である。 というのも、セラ……本名明日野 世麗には、どうしても学校に来ることができない “ワケ” があるらしいのだ。 授業や部活にもちゃんと出ているわけだが、こうしてタブレット端末の液晶を経由している。 そこに映る彼女の髪はバーチャル世界同様、光り輝く白銀ではあるが、服装は黎明高校の制服そのものだ。
なぜ、どういった理由で学校に来ることができないのか。
一人の友人として、同じ部員のメンバーとして気になるところではあったが、僕は特に理由を聞かないことにした。
紫宮先輩もその理由を知っているのだろうが、その二人が言わないということは、事態がそれだけ重要かつ深刻だということなのではないか。 あるいは僕の思い過ごしで、ほんの些細な問題にすぎないかもしれない。
しかしどちらにせよ、無遠慮に聞こうとせず、彼女たちが話してくれるのを待つべきだろう。 彼女たちなら、きっとその時がくれば話してくれる、と、僕はなぜか確信に近いものをもっていた。
それに、なにより、
『ふふーん。 ねぇねぇコウヤ。 セラはこの前《パンタグリュエルの深層》で、ものすごーく怪しげな部屋を見つけてねーーーー』
僕には、セラ本人の笑顔が偽りの……あるいは取り繕いのものにはどうしても見えない。
本心から笑うことは、人が思っている以上に難しく、そして重要だ。
幸福よりも困難の方が圧倒的に多い社会を生きる僕らは、往々にして自らの不幸とその失敗を必死に埋め合わせ、なすりつけながら、笑顔の仮面の貼り付ける。 相手の機嫌を取るために。 己の罪から逃れるために。 時々漏れる素直な笑いにも、罪悪感がついてまわることさえある。
だからこそ、自分に正直に、なんらの後ろめたさもなしに笑顔を見せることは限りなく難しい。 だからこそ、本心からの笑顔には秤にかけられないだけの価値があり、力がある。
それが不断に成されているセラならば、それを周囲に分け与える程の力を持つセラならば、どんな困難にだって負けないはずだ。 もし耐えきれなくなったとしても、周囲の人たちが自然に彼女に手を差し伸べてくれるだろう。
そしてその時は、僕も彼女のために力を尽くそう。 僕もセラに救ってもらった者の一人なのだから。
『んんーー? どうしたの、コウヤ。 有名なRPGの冒頭ナレーターみたいな顔して』
「……ん、いや、なんでもないよ。 っていうか、それってどんな顔だよ」
『ええーー。 それはもう思いっきり彫りが深くて、眉が太くて、口が “へ” の字に曲がってる感じだよ』
軽口を叩きながらも、僕はそっとタブレット端末の液晶に映る小柄な少女の横顔を見つめる。
サファイアの瞳を爛々と輝かせ、純白のセミロングの髪を揺らしながら、いかにも元気のよろしい雰囲気を爆発させている彼女ではあるが、その裏にはどこか、今にも消え行ってしまいそうな儚さが感じられた。
つい昨日、古文の授業で習ったことが、生々しい意味合いをもって不意に僕の頭に浮かび上がる。 昔の日本人は、短い “命” を “露” に例えたのだ、と。 数刻の後に消え去るごくわずかの生命をものの見事に形象した、古人の素晴らしい感性のひとつだ、と。
しかし、それだけであろうか。 僕たちの命は、あるいはこの少女の命は、ただ無為にこぼれ落ち、一片にも満たない草木を湿らせるだけで終わるわけではなく………己の小さな舞台上でその “生” の結晶を輝かせることで、なにかしらの “意志” を誰かの元へと届けることができるのではないだろうか。 そう、“露” がまさに古人を魅了したように。
『あれあれ、どうしたの、コウヤ? 今度は有名詩人みたいな顔してセラのこと見つめて。 セラの顔をどんな花に例えてナンパしようとしてるのかなーー?』
「んなっ……! べ、べつになんでもないよ。 っていうか、どこからそんな言い回し覚えてくるんだよ !?」
『んにゃ……。 コウヤがツンデレさんすると本格的に可愛く見えてきちゃうかもって、セラはセラはちょっとドキドキしながら恥ずかしげにつぶやいてみたり』
「うん。 セラ、そのネタはあんまり使うべきじゃないと思うよ、僕は。 うん」
片っ端から自分の覚悟の腰を折られるなぁ、と僕は内心苦笑するが、深く考え過ぎてもいけないのも事実。 こうしてセラが明るい笑みを投げかけてくれるのだから、僕もプラスな思考でいた方がいいに決まっている。 ……あるいは、そうなるように彼女に仕向けられているのかもしれない。
「あれあれ、今度はどこぞの名探偵みたいな顔して何を考えているのって、セラはセラはイタズラ心満載のスマイルで首をひねってみたり」
「……っのやろう。 これ以上グレーゾーンに踏み込むんじゃないっ!」
そんな出所不明のネタと意味不明のツッコミを繰り返しながら、二人の盛り上がりが最高潮に達した時だった。 『VR部』唯一の出入り口である東側のドアが勢い良く開き、
「たのもーー!!!」
という、ドスを聞かせようと必死になりながらも、結局慣れない女性声優が男役を演じたかのようなどことなく可愛らしい声が響いた。 扉の前には超然とした雰囲気を纏う人影。
普通のスポーツ系や恋愛系の小説を読み慣れている人ならば、新入部員かもしくは色んな意味でのライバルの登場シーンではないかと疑うところだろう。 だが、残念ながらそうではない。
僕たちの目の前に堂々たる威容で立ち構えるその人物の顔は、馬だった。
いや、正確に言うと、馬の被り物を頭部に装備したーーーー
『あれ? どうしたの、カノ。 新手のボケ?』
「どうしたんですか」
「…………」
そう。 我らがラブリーチャーミーなまとめ役、紫宮 歌乃だ。
どうやら、「わー」とか「きゃー」といったリアクションを期待していたらしい迷馬は、数秒の硬直の末にその見事な造形の被り物を未練がましくとった。
長い黒髪をなびかせながら、誰からも認められる魅力と知性を併せ持った相貌が露わになる。
「むーー……。 私的には結構イイ感じのボケだったと思うのだが……」
『にゃはは。 カノは一体どこを目指してるんだか』
「いや、よくよく考えて見たら『VR部』には、真のボケ役がいないと思ってね。 試しに私がやってみようかと思ったのだが……やはり難しいね」
ーーーーいや、大丈夫ですよ先輩。 おそらく今のところ、この中では一番のボケ役ですから。 本格的に凛としていながらボケるタイプの新しい境地を開拓しちゃってますから。 せめて素のままでお願いします。 でないと何が起こるか分からない。 ロケットランチャーでドアをぶっ飛ばしたりとかしかねない。
内心そんなことを思いながら、『VR部』のツッコミ役たる僕、壬狩 晃也はきっちりと謎を追求する。
「っていうか、紫宮先輩、その馬頭どうしたんですか?」
しかし、返事は返ってこなかった。 見ると、当の先輩は本物と見紛うほどの出来栄えの生首を抱えたまま、つんとそっぽを向いている。 頬は飴玉をいれたかのようにぷっくりと膨れている。
いやいや今度はツンデレキャラかよ、とげんなりしかけた僕であったが、そこでようやっと “あるコト” を思い出し、文をほんのちょっと変えてもう一度問いかけた。
「あの……歌乃先輩、その馬頭はどうしたんですか?」
途端。 彼女はさっきまでのツンが嘘のような笑顔を湛えて言った。
「ああ、これは演劇部からの “預かり物” だよ。 なかなかにいい出来だから、ちょっと使用させてもらった」
「あーーそっすか」
また週明けの月曜日の話になるが、3人だけのパーティー会場にて、僕とセラが名前で呼び合っているのを見た先輩が、何を思ったか「わ、わわ、私も名前で呼んで欲しいのだがっ」と顔を赤らめながら仰ってきたのだ。 セラと同様に呼び捨てにすることを迫られた時は焦ったが、必死の説得でなんとか妥協してもらい、『歌乃先輩』で収まったというわけだ。
恐らく、ゲーム世界でのネームを “カノ” に設定しているから不用意に名字を呼ぶべきではないとかそういった理由もあるのだろうが、この呼び方がまた、周囲の生徒の怒りに油を注ぐことになってしまっている。 しかし、彼女は名前で呼ばないとこうしてたまに反応してくれないことがあるのでかなり厄介だ。 僕が尊敬する彼女の “こども” の方の一面が、異様に強化されてしまっているのだろう。
セラといる時に限定してその傾向が強くなることから、どうやらセラが周囲に分け与えるのは “笑顔” だけでなく “こどもっぽさ” でもあるようだ。 全く……この部での僕の役目は、この二人の暴れ馬のストッパーで安泰らしい。
「さてと、それじゃあさっそく『VR部』の活動を始めるかな。 大会までにコウヤ君を鍛え上げなくてはいけないしね」
『うんうん。 ケセラセラでエイエイオーだね! ……ヘイ! そこのコウヤ!』
「な、なに?」
次なるツッコミを発動するタイミングを伺っていた僕に、セラが謎のカウボーイ調で呼びかけてくる。 少し身構えつつ顔を向けると、2人の美少女が期待に瞳を輝かせながら右手に力を溜めていた。
殴りかかってくるのか!? と一瞬身を引きかけたが、少しのラグをおいて彼女たちの意図を悟る。 そうして、僕も苦笑混じりに右手を脇に構えた。
『よーし! それじゃあ、『VR部』、今日も 張り切って行くよーー。 ……ケセラセラでーーーー』
『「「エイエイオーー !!!」」』
こうして、今日も『VR部』の日常が始まる。 僕はまだ二人の少女に色んな意味でついて行くことができていないが、一つだけ分かることがある。
この先には絶対何かがある、と。 以前の僕が、手にする寸前で目を逸らしてしまったがために獲得することのできなかった何かが。
だから、今度こそ進もう。 歌乃先輩の夢のためにも。 セラの想いのためにも。 そして、自分自身のためにも。