第12話 月夜の出逢い *
やっとヒロイン登場!
先の二人に見劣りしないといいんですが……
(あ、お母さんも一応候補に入れておきますか)
現在時刻は6:30。
【エクステンドワールド】は現実世界と時間の流れが同期しているらしいので、すっかり夜の雰囲気に様変わりしたこの世界にログインするのはもちろん初めてだ。
空を見上げてみると、現代では都会はおろか並みの田舎でももはや遭遇しえなくなった満点の星空が、どこまでも神秘的なカーテンを広げている。 だが、どうやら星の並びまでは現実と同一ではないようだ。 赤青黄と、多種多様な色彩、大きさの星々が、神の手によって撒き散らされたかのようにあちらこちらで自由気まま輝いている。 この世界の設定と関わりがあるのだろうか。
黄昏性質など皆無ながら、見事な景観に心惹かれやすい僕は、恐らくなにもなければ後20分はぼんやりと空を眺めて過ごせことだろう。 ただ、そこで図らずも覚えてしまったひとつの違和感が、それを妨げた。
「……?」
ごく僅か。 本当にごく僅かなのだが、僕は見上げる天界に一種の “ズレ” のようなものを感じた。
ーーーー遠近感? なんだろう。
言い表しようもない、至極些細な感覚。 しかし、なにか大事なことを見落としてしまっているような、そんな焦燥感を煽ってくる。
その曖昧なカタチはどんなに目を凝らしても一向にまとまりを見せない。 むしろこちらに、目を背けたいという衝動をひっきりなしに押し付けてくる。
いずれにせよ、折角のビジュアルの完成度をどこか決定的に削るなにかがあるような気がしてならない。 しかし、残念ながら星座に詳しくない僕には例のごとくその違和感の正体など知りようもなかった。
「……まあ、行こっか」
結局のところ、『面倒な事は置いておく』がモットーの僕は、理解しえないその疑問を端に追いやることにした。 なにも今の僕の目的は【エクステンドワールド】の星座に隠された秘密を解き明かすことでもなければ無為に時間を浪費することでもないのだ。 自分が『VR部』に入るに値するかどうかを見極めることだけでいい。
……とはいえ、ナニをするというアテもないことも事実。
僕は仕方なく、そのまま【エクステンドワールド】の世界の散策を開始した。 今のところ戦闘はままならないため、とりあえず安全な『圏内』をふらつくだけだ。 しかし、恐らくは大型ショッピングモールなど軽く凌駕する広さがある【ラルーシア】にはやはり、数歩歩くだけで新たな発見があった。
僕が今いる【バスルアベニュー】という道幅15メートルの大街道は、この世界屈指の商業エリアらしいのだが、売っているものが武器防具類だけかと思ったらそうではない。 食べ物やら縫製セットやら不気味な金属片やら、無数のジャンルを扱う露天がゴロゴロしている。 さすが “剣” と “銃” が共生する世界を創り出しただけのことはあるか。 それに比べれば、多少のエンターテイメントの追加などへでもないのだろう。
普段なら母さんのあまりの買い物の長さに嫌気が差そうものだが、ここだったら僕にでもそれに負けないぐらいの長丁場を費やせる自信がある。 これで試食でもさせてくれれば、文句の一つも湧いてこないのだがーーーー
そんな邪心を抱きながら、僕は正体不明の焼鳥らしきものを売る商店に吸い寄せられるように近づいて行く。 醤油を絶妙に焦がしたようななんとも言えない香ばしい匂いは、帰宅して夕食を受け入れる体勢に入りつつある男子高校生の胃には大いなる暴力だ。
ああ、食べてみたい。 しかし、今この現状で無闇に資金を使うのは躊躇われる。 どうしよう。
と、次の瞬間。 僕のそんな内なる葛藤を見抜くかのように、頭上から声が降ってきた。
「おう、ボウズ! なんだ食いてぇのか?」
映画の大御所俳優のような図太い声にビクリとし、顔をあげると、焦げ茶色の肌をした40代後半と思しき店主の大仰な笑顔がこちらに向けられていた。 頭には商店の主たるイメージを完璧に決定づける白い手ぬぐいを巻いている。
「オススメは、《ガルガーダ肉のキィリン風味》780ペラだ! ちなみにキィリンっつーのは醤油みたいなもんだ。 まあ、ハズレはないことは保証するぜ」
僕一人に語りかけるにはかなりの大音量で得意げに熱弁するオジサンに気圧されつつも、僕はある点に思い当たっていた。
それはつまり、この活気溢れる男性はシステムによって動かされるNPCではなく、僕と同じプレイヤーであるという事実だ。 でなければ、ここで醤油の話を持ち出す理由がない。 せっかくの異世界RPGの雰囲気崩しもいいところだ。
そういえば【EXTEND WORLD ONLINE】の概略には『この世界では、プレイヤーの皆様は様々な役割をプレイして頂くことが出来ます』的な説明があったような気がする。 つまり、この商店街……ではなく商店通りに並ぶ鍛冶屋や衣服屋などの中にも、プレイヤーが経営している店があるというわけか。
わざわざこれほど完成度の高いアクションゲームをプレイしてまで現実の再現のようなことをする気には僕はなれないが、そこにもまた別種の楽しみがあるに違いない。
このオジサンも、食材を確保するために狩りをするのだろう。 でなければ、Tシャツの下からでも分かるほどに隆起する立派な上腕二頭筋の説明が付かない。
「おう、どうしたボウズ? 買わねぇーのか?」
僕が脳内で悠長にそんな思考に浸っている間に、焼鳥屋の……強いて言うなら焼○屋の店主たるオジサンの3度目の言葉が投げかけられた。
しかし、今度のは今までよりずっとトーンが落ちている。 それもそうだ。 オジサンにとって僕は単なる商売相手であって、善意で店の品揃えを説明してくれているわけでわないのだ。 買ってくれれば金の出処。 買ってくれなければただの他人。 そういうものだ。
「買わねぇーっつぅんなら、ソコどいてくれねぇか。 こちとら商売の邪魔んなるんで」
オジサンの、さらにトーンの下がった声が降り注いでくる。
これはまずい。 このオジサンは 『帰れ』 と言いながら言外に 『何か買ってきやがれ、べらんめえ』 と言っているのだ。
しかし、僕の所持しているお金はあくまで仮想かつ仮のもの。 食欲的には充分買いたいのだが、理性的にはなんとか買わないで済ませたい。 なにか手を打たなければ。
「あの……えーと……お買い求めしたいのは山々なんですけど、なにぶん予算の方が……。 そ、それで、試食とかさせてもらったらなぁ、なんてーー」
「ああぁん?」
「あっ……い、いやいや! 《シーショック肉》ですよ! 《シーショック肉》のキィリン風味はないのかな〜〜と思っただけですよ。 知りませんか《シーショック肉》。 焼き海苔のような風味とサーモンのような生臭さと電気ショックをくらったかような辛さが特徴のーー」
「いや、しらねぇーな」
「デスよねーー……」
万策尽きた。 対紫宮先輩用に鍛え上げられた弁明力もあっさり砕け散ってしまった。 しかも、下手な言い訳をしたせいで、状況はさらに悪化してしまった。
「あんまふざけてっと、それなりの対応をせざるをえねぇなあ」
焼○屋のオジサンが、いよいよドデカイ両手をボキボキと鳴らす。
『圏内』である限りダメージは発生し得ないのだろうが、さっきまで温和な商業スマイルを浮かべていたはずのオジサンの猛禽の如く鋭い眼光はそれだけで敵を射ぬかんばかりの威圧感を秘めていた。
ーーーーヤバイ。 殺られる。
僕の思考は容易にそこまで至ったが、ある種のヤンキーに絡まれているかのような恐怖を前に、足を一歩も動かせなくなってしまっていた。
そうして、もう少し、ほんのもう少しでオジサンがレベル30の人型モンスターとなって襲いかかってくる、という緊迫のシーンでーーーー
「オジサン! セラに《ガルガーダ肉のキィリン風味》2本ちょうだい!」
と、場の空気を圧倒的に無視した、無邪気かつ綺麗に澄んだソプラノが響き渡った。
時間が止まったかのような刹那の静寂。
僕が、ギギギという機械の軋む音が出そうな調子で声が聞こえてきた右側にゆっくり目を向けると、そこには一人の少女が、輝くような満面の笑みを浮かべ、ピンとか細い右手を差し出した状態で立っていた。 その自然な高さを保った声と相違なく、身長はかなり小さい。 140センチ後半というところだろうか。
その少女……というか幼女は僕と店主さんが固まったまま動かないのを見ると、一瞬不思議そうな顔をし、次いで今度は差し出した右手の指をVサインのように2本立てて同じ注文を繰り返した。
「《ガルガーダ肉のキィリン風味》2本、ちょうだい!」
一番最初に動いたのは、焼○屋のオジサンだった。
「おうよ、毎度ありぃ! 嬢ちゃん」
彼はヤンキー顔負けのコワモテから得意の営業スマイルに即座にシフトチェンジすると、開いたウィンドウを素早く操作して少女の前に提示した。 顧客たる謎の幼女が立てたままだった2本の指でちょこんと薄紫色の円枠の中心をタップすると、それだけで清算が終わったのか、ガチャリンとお馴染みのサウンドが鳴る。 その音を聞き届ける間もなく、オジサンはすかさず慣れた動作で《ガルガーダ肉》らしき物体が刺してある2本の串を手に取り、それをたっぷりと茶褐色の液体に浸し、さらに軽く炙った後に、笑顔で少女に差し出した。
否。 その笑顔は決して営業用に繕ったものではなく、間違いなく素からきているものだった。
「ありがと、オジサン!」
「いやいや、嬢ちゃんもありがとさんな」
ーーーーすごい、何だこの幼女。 見てるだけで、自然と笑顔を誘われる雰囲気を振りまいているような……。
数秒前までのコワモテが嘘のようなオジサンの果てしないスマイルを目にし、僕は即座にこの混沌とした戦線の離脱を図った。
ーーーー今この状況ならば、逃げ切ることができるハズ。 頼む! 誰も気づかないでくれ!
そう念じながら全速力の100メートル走を開始しようとした僕の思惑は、あっさりと、しかも予想外のカタチで失敗する。
「あ、コウヤ! どこいくの、こっちこっち」
「はびゅっ!?」
僕の口からこれほどまでに奇怪な声が漏れた理由は、僕を呼び止めたのが当の幼女であり、さらに彼女が僕の名前を知っていたという意味不明な事態に対する驚愕ゆえである。
そもそもこの世界で僕の名前を知っているのは紫宮先輩だけではないのか。
「ねー。 早く行こうよ、コウヤ」
いや、間違いない。 眼前の幼女は間違いなく僕を指して、僕の名前を呼んでいる。 一体なぜーーーー
そう考えていると、臨戦体制に戻りつつある焼○屋のオジサンの顔が目に入ったため、僕は仕方なくなるべく平身低頭しながらその幼女の側へ歩み寄った。
彼女は僕が横まで来ると「はい」と言って《ガルガーダ肉のキィリン風味》を1本差し出してきた。 僕が無意識のうちにそれを受け取ってしまうと、ニコッと屈託のない笑みを向けて歩き出す。
「セラのお気に入りの場所に連れてってあげる。 こっちだよ、コウヤ」
セラという名前らしい可愛らしい少女の、先ほどからの理解に難のある言動に唖然としていた僕であったが、2、3度手中の高級焼き肉に目をやった後にようやく正常な思考を取り戻し、足早に彼女の小さな背を追う。
「あ、あの。 いきなりこんなモノをおごってもらっちゃ申し訳が立たないというか……そもそも、君だれ? 僕の名前を知ってるみたいだけど……」
僕がそう問いかけると、目の前をチョンチョンという擬音がピッタリな調子で歩いていた幼女は不意に立ち止まり、こちらを振り見た。 「あーそっか」と呟きながら唇に人差し指を当てるその仕草は、やはりどこか子供らしい可憐さがある。
先程は状況が状況だったため特に注視しなかったのだが、よくよく見てみると、彼女はかなりの美女……というか美少女だ。
幾千もの星を秘めているかのような煌めきを放つ瞳は透き通るような青。 髪は肩にかかる程度の長さだが、月明かりを反射して流麗に輝くそれはまさに白銀だ。 身に纏うチュニックは、スノーホワイトとエメラルドグリーンを基調とし、金色の刺繍で華麗に飾られている。 露出が多めではあるが、不思議と清楚さも感じさせるその衣服は、なるほど紫宮先輩のキリッとしたロングコートとはまた違ったレア感を感じさせる。
そうして少女の全体像を改めて見てみると、その小柄な体躯や透明感のある雰囲気とあいまり、可憐さが一層に際立つ。 月の妖精とでも形容したくなるほどだ。
僕は熟女好きでもなければロリコンでもないが、この幼女を見てしまうと、なんだかそういった性壁のある人達の気持ちがわからなくもなくもない気がしなくもない。
僕がそんな危うい思考の狭間を行ったり来たりしていると、当の幼女は、今度はいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「やっぱり、カノは話してなかったんだね」
おっと。 ここで紫宮先輩の名前が出てきた。 つまり、この “セラ” という幼女は現実の世界で先輩と面識があり、なんらかの経緯で僕のことを知ったということか。 しかし僕には、紫宮先輩が人の情報を無遠慮に他人に漏らすような人物には思えないのだが。
「えっとさ、つまり君と紫宮先輩との間柄っていうのは……?」
僕は念のためセラという名の少女の立ち位置を明確にすべく、その問いを口にした。 ーーーーのだが。
「ふふふ……。 セラとカノの関係はね、愛し愛される者同士という禁断のーー」
「なにをっ !!?」
幼女の小さな口から飛び出した言葉は、あまりにも予想外なものだった。 条件反射的に僕のツッコミとも言えないツッコミが、剛速で彼女の規制ワードを遮る。
いや、負の情報が古代エジプトのナイルの如く氾濫する現代社会においては、よりたくさんの人々がいらん俗物に侵されている。 ネットの普及でその年齢が急落しているのも事実だ。
僕は同性愛どうこうを批判するつもりはないが、せめて言い方は考えて欲しい。 先の言動は、中学生かどうかというくらいの少女が放つには、あまりにも激烈過ぎる。
そんなことを深刻な顔で考え出した僕に満足したのか、イタズラ好きな小エルフを思わせる笑顔をニッと湛えた彼女は、もみじと形容したくなるサイズの両手を合わせて明るく言う。
「まっさかぁ、ウソだよーー。 セラはカノの部下というかなんというか……。 そもそもコウヤと同じ関係だよ。 あ、でもでも、セラはコウヤの姉弟子ってことになるのかな」
「え……。 つまり君って……」
「そだよ。 あ、もしかして、セラのあまりの大人っぽさに、キャリアウーマンだと勘違いしてた?」
ーーーーいや。 申し訳ないけど、どんなに見間違ってもそれはない。
と、脳内でツッコミを入れつつも、僕は必然的にたどり着いた結論に愕然としていた。
つまり、この幼女……にしか見えない少女はーーーー
「黎明高校1年1組1番。 部員ナンバー017。 セラはちゃんとした『VR部』のメンバーなのです」
セラという名の、幼女にしか見えない女子高校生は、両腕を後ろ手に交差して「えへへ〜〜」と身体を揺らし、次いで白銀の頭をぴょこんと下げた。
「はじめまして! よろしくね、コウヤ」
ーーーーこれが、少年コウヤと、不思議な少女、明日野 世麗との出逢いだった。