第11話 決断の日 前夜
コメント求ム! です、、、
『VR部』を見学したあの日から、早くも3日が経った。
今日は4月18日。 木曜日。 つまり、決断の期限は明日ということになる。 しかし優柔不断極まる僕は、実質的には今日のうちに答えを出しておかなければならない。
『VR部』に入るのか、否か。
僕は未だにその答えを出せずにいた。
部長の肩書きを持つ紫宮先輩には部室をいつでも気兼ねなく訪れてもいいと言われていたが、この3日間、僕は一度もあの空間に足を踏み入れずにいた。
また、先輩は廊下ですれ違ったとしても軽い会釈をしてくる程度で、グイグイと迫ってくることもあからさまに避けることもしなかった。 あの一日の彼女の動向を思えば、すれ違うたびに僕の両手を握りしめて「どうかなっ!?」と勢い込んで聞いてくるぐらいのことはしそうなものだが、どうやら僕のことをしっかりと気遣ってくれているらしい。 この辺りに彼女の “大人” な一面がしかと伺える。
しかし、僕は結局今日もあの部室に足を向けることができないまま、家に帰ってきてしまった。
だからといって入部を断ることに決めたわけではない。 僕は最後にもう一度、あの世界をちゃんと見ておこうと決心してはいた。 ただ、あの部屋にはなんらの決意もなしに入ってはいけないと、そんな気がしたのだ。
「ふぅーー……」
僕は、深く息を吐き出し、自宅のリビングへと入った。
リビングに入るのにこんなに緊張するのは、小学生の頃に物置の窓を割ってしまったことを謝ろうとした時以来だろうか。 しかし今回は、何らの恐怖の対象も存在しえない。 強いて言うなら過去の自分のトラウマ、それだけだ。
入って右奥にある大ぶりのベージュのソファに、目的の人物を見つける。 我が母たる壬狩 鈴葉は、そこにピンと背を伸ばして腰かけ 、ノートパソコンに向かってしきりに指を動かしてはなにやら考え込むという動作を何度も繰り返していた。
僕はそっと後ろに回り込み、もう一度小さく呼吸をした。 タンタンッとエンターキーを叩く小気味いい音を5、6回ほど耳にした後で、いよいよ心を据えて口を開く。
「母さん」
呼びかけると、衰えぬ美貌が自慢だと言う彼女はーー実際にそうであると僕も密かに思っているがーー電流が走ったかのようにビクッと肩を震わせた後、開いていたウインドウをなにやら慌てたように閉じてこちらに顔を向けた。
「あ、コウちゃん! どしたの?」
基本的に自分からは話しかけてこない息子に対してすぐさま満面の笑みを浮かべた母は、茶色い短めの髪をさらりと傾けた。
何をしていたのか聞くのはさておき、僕は一瞬言い淀んでから「あのさ」と切り出す。
「母さん、もう【セカンドドライバー】使ってなかったよね。 僕、ちょっと使いたいんだけど……」
「【セカンドドライバー】っていうと……ああ、確かVRMMOのハードだったっけ。 ……ええと、でもーーーー」
顎に手をあてがいながら数秒の思考で僕の要求物を認識したらしい彼女は、しかし曖昧に語尾を濁した。
答案を思いつきかねているわけではないのだろう。 僕に遺伝しているらしい少しおっとりとした感のある鷲色の瞳には、訝しみ……というより不思議いっぱいと言いたげな色が浮かんでいる。
彼女が疑問を抱く理由はなんとなく分かる。
僕は中学生活のあの日を境に、部活動に関わるものだけではなく、同時に所持していたゲームの類もまとめて処分してしまったのだ。 今となってこそ惜しいことをしたと思うが、当時の僕は自分の関わっていたものをどうしても切り捨てたかったらしい。
母さんもそのことは知っている。 しかし、あの時はそっと慰めてくれるだけで執拗に干渉してくることもなく見守ってくれた。 僕が自分で立ち直ることを信じて疑わなかったのである。
そしてそれは今回も変わらず、母さんはすぐさま疑念の表情を引っ込めて真剣な表情で唇に人差し指を当てた。
「んっとね〜〜……。 和室の奥の右から3つ目のタンスの上から7番目の棚のーーーー」
「……ちょっとわかりにくいかな」
「ああ、じゃあお父さんのスペシャルへそくりが入ってる引き出しの上!」
「はい、わかりました」
ーーーーそこは分かるなよ!と、内心自分にツッコミを入れたくなる。
我が一家は母さんもなかなかに隠し事が下手だが、父さんのそれは悲しくなるほどに壊滅的だ。 おそらく彼が握った秘密は3日と経たない内に3人家族の内部に知れ渡る。 しかし同時にそんな二人の間に生まれた僕もまた嘘をつけないタチなので、最終的に一家は勢力均衡状態に収まっているというわけだ。 もしかすると、めったに喧嘩のない一家団欒の秘訣はここにあるのやもしれない。
「エッチな本とかには手を出しちゃダメだぞ。 コウちゃんの純情は、お母さんの目の黒いうちはゼッタイに護るんだから」
「ハイハイ……」
僕をピンと指差し、的外れなことを言ってくる母さんに両手を軽く振って否定の意を示す。 この分だと、近頃恐ろしいほどの美女2人とお知り合いになったことを言ったらどんなリアクションをするのかなぁというそこはかとない疑問が浮かんだが、ぐいと飲み込んでリビングを後にしようと背を向ける。
その時。 僕のそんな雑念を知ってか知らずか、茶化すかのように、しかし慈しむように母さんがそっと発した呟きが僕の背を撫でた。
「相変わらず、優柔不断なのねぇ……」
その言葉に僕はピタリと足を止めて母を見返す。 恐らくは僕の一番の理解者であろう彼女は、それ以上追求せずに優しく微笑んでくれた。
僕はそんな母に向かって、聞こえるか聞こえないかの声量でポツリと呟き、リビングを後にした。
「誰からの遺伝なんだか……」
ーーーー彼女が急いで隠したものの正体を、僕は実は知っている。
いつか父さんが酔っ払いながら話してくれたのだが、母は昔、小説家になりたかったらしい。 しかし、家庭を持ち、ちゃっかり見事な母性本能に目覚めてしまったため、夢半ばに諦めたのだとか。
ところが、その頃の熱い想いが10年以上の時を経て蘇ったのか、最近では時折パソコンのワードソフトを立ち上げては執筆に文字通り没頭しているのである。 本人は隠れてやっているつもりのようなのだが、一度集中すると背後に人が近づいても全く気付かない天性の鈍感さをもつ彼女は、相当に前から父子両方にそれを悟られていることを知らない。
実際、僕も父も阿吽の呼吸で知らぬふりをしている。 いつ何時も、辛い時に母さんに助けられていることは紛れもない事実であるし……あの、母さんが隠し事がバレた際の照れ隠しに見せる神速の張り手
《乙女の恥じらい》ーー父子命名ーーだけは、人類が二度と繰り返してはならないカタストロフなのである。
『人の夢は人の夢。 身内となれば一層応援しようじゃないか……こっそりと』
これ、父の教訓なり。
まあ、そんなこんなで壬狩家の平穏は保たれている。
母さんにとって “優柔不断” は “諦めが悪い” と同義らしい。 そしてそれは間違いなく彼女のポテンシャルの一つだ。
ならばその血を引く僕はどうなのだろうか。 “優柔不断” な自分を確かな未来に導くことができるのだろうか。
わからない。 だけど、きっと答えはすぐ近くにある。
「……よし」
いつのまにやら、自分の中で紫宮先輩の、そして『VR部』の存在が大きくなっていることにも気づかず、僕は小さなかけ声と共に歩き始めた。
今日は4月18日。 星がよく見えるいい夜だ。 なにかが始まる。 そんな予感がした。
ーーーーちなみに、母さんの夢を影から応援することに決めた僕ではあるが、実は一つだけいちゃもんをつけたい。
タイトルが『私の息子がこんなに可愛いわけがない』じゃあ、絶対売れないよ……と。