第9話 ビュッ バッ ズカッ そしてキラッ *
音楽を聴きながらできることが “読書” か “絵書き” か “黙想” か “数学” だけだったのですが、数学をやる必要がなくなったため、必然的にイラストに手が伸びる。 もう4、5個のストックがある現状です。
「本文書けよ!」と、自分でも思います。
要するに、スピード上がらなくてすいません。 それだけ言いたかった……。
これは後々知った話なのだが、【エクステンド ワールド】という世界は、初期地点であると同時に中心都市でもある《ラルーシア》を取り巻くように広がっているらしい。
僕が先刻、システムのバグか神託かによって強制的に投げ出された《アクティウム》というフィールドは、その南端に位置する。 ちなみにレベル30〜45くらいの仕様に設定されているらしい。 まあ、レベル1たる僕にとって死地であることに変わりはないのだが。
で、実を言うと、件の《アクティウム》のように都市から少し離れたところにある大きめの拠点の出入り口地点には、それぞれ一瞬でーーしかも無料でーー《ラルーシア》に転移することのできるワープポイントがあるのだそうだ。
だったらそれを使って《ラルーシア》まで飛べばいいと思えるが、現実はそううまいこといかない。 残念ながら、一度自力で行ったフィールドへの転移もしくはその逆しかできないらしい。 そこらへんは従来のゲーム通りとも言える。
僕の場合はあまりにもイレギュラー過ぎてどう扱われるかさっぱり分からなかったのだが、僕を救ってくれた謎の美人女剣士さん……改めお師匠様は歩いて自力で《ラルーシア》まで帰還することを選択した。
彼女が僕の現状を理解してくれていたのか、それともワープポイントを使わない主義のヒトなのかは不明だが、おそらくは英断だっただろう。 もし僕がワープポイントを使おうとしてさらなるバグに飲み込まれたら、次こそは無事で済まないような、そんな予感がした。
とはいえ、歩いて帰るにしても相当なリスクを伴う。
なにせ本来ならばレベルが30を超えてようやく来ることができるようになるフィールドにいたわけなので、つまりそこから徒歩で帰るということは、レベル30でないにしろ今の僕の適性を遥かに上回る敵と道中を渡り合わなければならないのだ。
もはや気合でどうこうなる問題ではないーーーー
しかし僕は《アクティウム》を出発して数分と経たない内に、その心配が杞憂であったことを知る。
「ふっ……」
短い気勢と共に小さい溜めから放たれた斬り上げ。 視認不可能な速さで手首を45度回しての前斬り。 そしてそこからさらに繋げられた一歩踏み込んでの直突きが、白銀の軌跡を描いて吸い込まれるように敵の急所らしき喉を穿つ。
「プギャッゴォォ……!!!」
菖蒲色の毛皮をもち、大ぶりの体躯を誇る固有名 《イーガ・キトラス》なる二足歩行の豚が、けたたましい叫びを上げて崩れ落ちた。 先と同様、バシャーンという音と共に醜い肢体が蒼い欠片となって弾けた。
戦闘開始からかかった時間は5秒。 まさかの5秒である。 エンカウントしてすぐに、ビュッといってバッとやってズカッである。 分かってもらえるだろうか、この興奮を。
「今のが、片手剣3連続技、《スペクトル・スターズ》」
華麗な細身の直剣と共に眩い茶髪をなびかせ、謎のフーデッドケープのプレイヤーは相変わらずの平坦トーンでスキルの解説をしてくれた。 しかし僕があまりにも心の底から感嘆の声をあげるものだから、無表情に見える剣士様もいくぶんか得意げである。 今にも「キラッ」という効果音が聞こえてきそうだ。
「それにしても……凄すぎやしないかなぁ」
そう。 奇妙な成り行きによる《ラルーシア》までの即席帰還パーティーが結成され、《アクティウム》を出てからこの方、僕は一度たりともダメージを負うこともなく、挙げ句の果てには一度たりとも戦闘に参加することもなくいた。 だって、近づくそばから前にいらっしゃるチート女剣士様がズババッと斬り刻んで下さるんだもん。 もはや加勢の余地も応援の余地すらもない。
都市が近づくにつれて比例的に敵も弱くなっていくので、今現在では出てくるモンスターは片っ端から彼女のスキル講座の格好の的になってしまっている次第だ。
重い単発技から目にも留まらぬ連続技まで、彼女は惜しげも無くありとあらゆるスキルを披露してくれた。 武器のカテゴリも同じであるため、僕としては嬉しい限りである。 ……のだが。
眼前で繰り広げられる、3Dさえも超越した大迫力の戦闘シーンに心酔し切ってしまっていた僕は、ここで奇跡的にも、恐ろしく重大なことを思い出した。
ーーーーあ……そういえば紫宮先輩のことを忘れてた。
ぶわっと全身から冷や汗が噴き出す感覚。 といってもVRの世界であるため本当にその現象が起こったわけではなく、悪寒にも似た身震いと共にメニューウインドウを呼び出して確認すると、現在時刻は5:10。 ログインから実に20分以上経ってしまっている。
ーーーーまずいまずいまずいまずい。
待ちわびた新入部員の行方不明。 その事実に直面した紫宮先輩の異常行動可能性が恐ろしく高いであろうことはとうの昔に推定済みだ。 結果、僕のこの貧弱なアバターの未来がクライシス極まりいものになるのでは、という予感に達したのではないか。
ゆえに僕は、その旨をこの剣士様に理解してもらうべく口を開いた。
「あ、あのさ。 ちょっと急いでもらえると……」
「ん」
言い終えるよりも早く、ごく短い返事が戻ってきた。 そして彼女はくるんくるんと手中の直剣を回転させて右腰の鞘に収めたかと思ったら、あいた右手でギュッと僕の左手を握りしめてきた。 ぷにん、という、仮想の手を包む絶妙な感触を前に僕の思考は凍りつく。
「え」
口を横に開いた状態で停止する僕に、錯覚であろうか、わずかに頬を紅く染めた剣士様は、声をそっと潜めて早口で囁いた。
「わたしは、アジリティ高め。 だから、こっちの方が速い」
「え」
言葉の意味を理解するより早く、僕の身体を途轍もない加速度が襲った。 彼女が僕の手を引いて猛然と駆け出したのだ、と気づいたのは、疾駆のスピードが最高時速ーー恐らくログイン時の音速落下と同レベルーーに達して後のことだった。
「うわああああっ……!!?」
「……このくらいの、フィールドのモンスターなら、追いつかれない」
半ばひきずられるような形に、あるいは地面スレスレを滑空するような形になりながら、僕はたまらず悲鳴を上げる。 しかし、鬼パラメータの女剣士は、どこ吹く風という調子でオリンピックの陸上選手顔負けの走りを続ける。
「いぃやっ。 そういう問題じゃないってぇぇ……」
ひと気のない寂しげな、しかしどこか現実離れした雰囲気を内包した荒れ野に、僕の情けない絶叫がどこまでも響き渡っていく。
「……ふ、ふ」
空気を切り裂く疾走感の中、僕は彼女のひっそりとした笑い声を聞いた……気がした。