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黒板の謎  作者: 夏野ゲン
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後編




 僕の通っていた学校には、七不思議というやつがあった。例えば、『12時になると階段が12段から13段になる』とか、『音楽室のベートーベンの絵が動く』とかそういうやつだ。僕の学校で一番有名だった七不思議は、『6-4の教室の黒板には誰かが住んでいる』というわけの分からないものだった。昔から怪談物の本や、ホラー映画が好きだった僕は、こういった話を聞くと本当にわくわくした。それと同時にそんなことはありえないと思っているような、ひねくれものではあったが。だから、あの日6-4の教室から悲鳴が聞こえてきたときは、過去まれに見るぐらいの速さで、6-4へ走っていった。

 6-4で悲鳴をあげたのは、ミノルとノブだと分かった。あんなやつらを見たせいで楽しい気持ちが10%ぐらい減った気がしたが、当面の興味は6-4の教室の中にあったので気にしないことにした。中に駆け込み、噂の黒板を見ると、あの二人の汚い字で、一面に落書きが書いてあった。中には『×××』とかお前ら小学校高学年にもなって恥ずかしくないのか!というものまで書いてあった。あまりに見苦しかったので黒板けしで消していると、一箇所、妙なところを見つけた。そこには、女の子の書いたような丸っこいかわいい文字で

「だれかいるの?ここはどこ?」

と書いてあったのだ。最初は誰かのいたずらだろうと思った。でも、そうだとするとなぜあの二人があんなに驚いたのか説明できなかった。そこで僕は、確かめる方法を思いついたのだった。その方法はいたって簡単黒板にこう書いただけだった。

「だれかいるのですか?」と。

このとき僕は、返事がかえってくることが分かっていた。なんとなくそう思っただけだが、これは確信だった。

 すぐに、見えないチョークで書いているように、音も無く、そして滑らかに黒板に次のような文字が書き出された。

「ここにいます!ここはどこなの?ここから出して!」

不思議なことに、怖くは無かった。僕はこの町の名前と、僕には彼女(たぶん女の子だろう)を出すことはできないことを黒板に書いた。彼女はお礼を言い、それっきり何も答えなかった。

 家に帰り、僕は寝る前にいろいろなことを考えていた。黒板の裏にいる少女たぶんの正体や、彼女がなぜそこにいるかということだ。


 次の日の放課後、僕はまた6-4の教室に来ていた。このことを誰かに教えてやろうなどとは微塵も思わなかった。このことは僕の一番の『秘密』なのだ。誰にも明かすことはできない。ちなみにミノルとノビのあほコンビは、先生にこのことを話して、病院に連れて行かれたらしい。ざまあみろと思った。

 さて、その日の僕の第一声(第一筆か?)は単刀直入にこうだった。

「あなたはだれ?」

すぐには返事が返ってこなかった。僕は相手が正体を隠そうとしているのだと思った。でもそれは間違いだとすぐに分かった。彼女の答えはこうだった。

「名前が分からないの・・・」

今にも消えてしまいそうな字だった。悪いことをしてしまったと思った。そして口からでまかせに(腕からでまかせに?)こう書いた。

「名前が無いなら、僕が君の名前をつけていいかな」

彼女は、喜んでくれたようだった。しかし、自分でこんな提案をしたのに、名前を思いつかなかった。散々考えたあげく僕はこう書いた。

「僕は春が好きだからハルにしよう」

こういった。われながらなんてセンスが無いんだろうと思った。


 この日から、僕とハルは友達になった。彼女は、本当にいろいろなことを聞きたがるので、いっぱい字を書かなければならなくて、帰るころには、手が疲れて動かせなくなっていた。

そして、僕はハルに、僕以外の声が聞こえても絶対に答えてはいけないといった。僕は彼女のことを知られたくないと思っていたから、これはどうしても必要なことだった。その一方で、僕は、『6-4の黒板の七不思議』について調べていった。そのほとんどは、『自分の名前を教えると魂を取られる』とか、『外に出してといわれたときに出してあげると答えると、取り殺されてしまう』とか、胡散臭いものばかりだった。


 あるときハルがこんなことを言った(書いた)。

「そういえば、ノブ君という人が、伊藤さんという人好きだと言ってたよ」

これには本当に驚いた。ノブは、ミノルの子分で、アホでいつも鼻くそをほじっている様なやつだった。

それに対する伊藤というのは隣のクラスの委員長さんで頭もよく容姿端麗という人間らしくないような人だった。どうにもこの二人が付き合っているような姿は、想像できなかった。なんとなくにやけてきた。

「そうか、そうか」

とだけ答えて、(かいて)これをネタに、ノブのやつをからかってやろうと思った。今思えば、僕も結構子供でいやなやつだったかもしれないと反省した。


 僕は、当時6年生だったので、『修学旅行』というやつに行くことになっていた。このことをハルに告げると、

「行ってらっしゃい」

とか言われて少し照れた。なんか新婚さんみたいだなとか思った。やっぱり僕も子供だったのだろう。


 修学旅行は、一言で言うと、すごく楽しかった。でも何もしていないときに、ハルが寂しがっているんじゃないかと思って少し後ろめたかった。


 二泊三日の旅行はあっという間に終わり、またあの黒板の前に帰ってきた。旅行中にあったことを話した。彼女は、心地よいタイミングで合いの手を入れてくれるので、なんとなく調子に乗って、あること無いこといろいろ書いた。










 その夜、僕は顔も知らない少女と一緒に手をつないで歩いている夢を見た。顔も知らないのに、その柔らかい手のぬくもりと、やさしい声、そしてまとう雰囲気は…間違いなくハルのものだった。


確信した。




 僕はハルが好きになっていた。




 普通じゃないことは分かっていた。黒板の向こうにいる何者かも分からない誰かを好きになるということは。でも関係なかった。それでも僕がハルを好きだ。


 その日から僕は、ハルと話しているとき、意味も無く気恥ずかしくなってしまったり、言葉(文字?)につまってしまったりした。

 あるとき彼女にこう聞かれた。

「どうかしたの?」

それだけの言葉に本当にドキッとした。きづかれたと思った。僕の字は、本当に震えて読めたものではなかった。


 そうして、時は過ぎていった。僕は、あることを告げなければならないと思っていた。そのことは、僕にもそして彼女にも悲しい結末をもたらすことは分かっていた。でも、僕は彼女にそのことを告げなくてはいけない。それは、彼女を好きになった僕の責任だと思った。


「もうここにはこれない・・・」

僕の最初の言葉は、唐突なものだったろう。すぐに答えが返ってきた。

「どうして?」

字はひどく震えていた。僕は、中学校に進学することを理由としてあげた。でもこれは、本当の理由ではなかった。本当の理由は、もっと辛いこと・・・。彼女は、次々と書き出した。「行かないで!ここから出して!行かないで!あなたしかいないの!出してよ!私と一緒にいて!こっちへきて!一人にしないで・・・」

これまでに見たことが無いような激しい筆跡だった。そして、その字は、徐々に鮮血のように赤くなっていく。

彼女の叫びは次第に姿を変えていった。

「行くな、こちらへこい。私をおいていくのか、逃げるのか、殺してやるぞ、永遠に呪ってやる」

字は彼女のものではなくなっていた。これが、黒板の七不思議の正体だった。黒板からは、鮮血のような色の呪詛と無数の腕が現れ、地震でもないのに黒板が揺れている。おそらく彼女は、自分が僕を殺そうとしていることにきづいていないのだろう。自覚は無くても、彼女はこれまで何人もの人間を取り込み殺してきたのだ。いろいろ調べてそれが分かった。  

僕は、異形となった彼女に恐怖を感じることは無かった。僕はこれ以上彼女に罪を重ねてほしくないとそれだけを思った。彼女をここから解放することが僕の仕事だった。僕は終わらせるための言葉を描く。

「ダメなんだ。君を出すことはできない。もういいんだ。もうお帰り・・・」

返事は無かった。そこには、鮮血のような色の字も腕を伸ばした黒板もなく、元に戻った夕焼け色教室で、僕は泣き続けた。






 その日から、6-4の黒板は、ひとりでに文字を描かなくなった。黒板からハルはいなくなった。僕にはわかる。この胸の中に残る喪失感で。




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