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魔法使いの息子

作者: ginsui
掲載日:2026/08/22

 その魔法使いはほっそりとした長身で、黒い髪、物憂げな黒い瞳の持ち主だった。

 皺ひとつない美しい顔はだいぶ若く見えたが、老人のような落ち着きがあり、実際の年齢はわからない。

 両指を顎の下に組み合わせて考え事をするのが彼の癖だった。

 その左手の小指は、第一関節から欠けていた。

 

 物心ついた時から、リフは魔法使いと暮らしていた。村外れの小さな家で。

 魔法使いが父親なのだろうとリフは漠然と思っていたし、それはまわりの人々も同じだった。

 魔法使いとリフはよく似ていたのだ。

 リフが十歳になった時、魔法使いは言った。

「おまえも魔法使いになりたいかい」

「もちろん!」

 魔法使いは、その力でもって人々の生活を助けることを生業としている。病気を治したり、干魃の時には雨を降らせたり、おしみなく魔法を使う彼はリフの憧れだった。

 魔法使いは、魔法学校への推薦状を書いてくれた。

「ぼく、きっと魔法使いになって戻ってくるよ」

 魔法使いは、優しく微笑んだ。

「おまえ次第だ」

 

 魔法学校は、帝国の中央を流れる大河の中洲にあった。

 中洲で暮らす学生は、みな各地の魔法使いに推薦された精鋭たちだ。

 しかしそれでも訓練についていけず、悲嘆にくれて中洲を去る者は多かった。

 魔法の知識をすべて身につけた学生を待っているのは最終試験で、それは学校の〈塔〉で行われた。

 〈塔〉に入った者は、二度と出てくることはない。合格したものは魔法使いとしてそのまま中洲を去り、不合格の者は命を失うとささやかれていた。

 中洲に来て十年目に、リフは最終試験の呼び出しを受けた。

 螺旋階段を上り、〈塔〉の最上階にある試験室の黒く重い扉を開いた。

 ふいに冷たい風が頬に吹きつけた。

 そこは部屋の中ならぬ、荒野のただ中だった。空は灰色に陰り、地平遥かに尖った山々の稜線が見えた。

 目の前に、巨大な亀裂がはしっている。細い板が向こう側に掛け渡され、三人の教授たちがその先に立っていた。

「ここまで来なさい、リフ」

 離れているのに教授の声ははっきりと聞こえた。

「ただし、魔法は使わずに」

 これは目くらましの魔法なのだろうか、とリフは考えた。

 塔の中にこんな広い空間があるわけがない。

 いや、それとも教授たちがリフを別世界に連れ込んだのか。

 どちらにしても、試験はもう始まっている。

 リフは板に足をかけた。両足をそろえてやっと立っていられるだけの幅だった。リフの重みで橋がたわんだ。

 板の下は、底知れぬ深淵だ。

 魔法を使えば簡単なのに。

 空間移動や足を宙に浮かせて進むこともできる。だが、試験の課題は魔法を使わないことなのだ。今は恐怖と戦いながら慎重に歩を進めるしかなかった。

 ずっと足下ばかり見ていたので、板がさらにたわんだ時には驚いた。

 視線を上げると、怯えきった子供の顔が目の前にあった。

 まだ五才ほどの男の子だ。身動きもできず、数歩先の板の上に立ち尽くしている。

 これも試験なのか。

 教授たちのもとに行くには、子供をなんとかしなければならない。

 しかも、魔法を使わずに。

「大丈夫だ」

 リフは、子供に言った。

「一緒に渡ろう。動かないで」

 リフは、手を伸ばした。

 だが子供は首を振って後ずさりした。

 小さな足が、ずるりと板から滑り落ちた。

 子供の悲鳴は長く尾を引いた。

 リフはなすすべなく、奈落へと吸い込まれていく子供を見つめていた。

 その後、どうやって教授たちのところに行ったのか憶えていない。

 橋を渡り終え、がくりと膝をついたリフに教授の一人が言った。

「よろしい。合格だ、リフ。行きなさい」

 

 リフは、故郷の家に帰った。

 魔法使いは病気だった。

 リフは、寝台に横たわる自分と同じ顔の魔法使いを見つめた。

「あの子に会ったな」

「ええ。でも助けられなかった。魔法を使わなかったから」

「今でもあの子の顔が目に浮かぶ。魔法使いになる試験だというのに、馬鹿な話だ。私は、魔法を使ってはならぬという思いにとらわれていた。何もできなかった」

「ぼくたちは、魔法使いになるためにあの子を見殺しにした」

 リフは、言った。

「魔法使いはみな、一生負い目を持って生きなければならない。だからこそ、人々に尽くすんだ。その償いに」

「もし、魔法を使っていたら?」

 魔法使いはつぶやいた。

「私は、本当に合格したのか。ずっと自分に問うてきた。 魔法を使って、あの子を助けるのが正しかったのではないか。そうすれば私は、今とは違う真実の魔法使いになれたのではないだろうかと」

「だからあなたはぼくを造って、もう一度試したのですね」

「そうだ」

「あなたの小指から生まれたぼくは、あなたそのものだ。同じことでしたね」

「いや、あまえはあの子に手を差し伸べた。少しは成長したよ」

 魔法使いは目を閉じ、ゆっくりと最後の息を吐き出した。

 魔法使いは、彼の小指からリフを造り出したのだ。リフは魔法使いの分身だ。

 そして分身は、自分を造った時の魔法使いの歳を超えては生きられない。

 魔法使いが死を迎えない限りは。

 魔法使いは、後者を選んだのだ。

 

 リフもまた考える。

 もし、あの子を助けていたら?

  魔法使いとして、もっとすばらしい高みを目指せたのだろうか。

 リフは自分の小指をじっと見つめた。

 ナイフはすぐ近くにあった。

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