第五抄:ミカエルの懐疑と生命の大樹
高天原の庭園。侍従長アダパーは、金冠双頭鳥のアラーナから「巣作りを邪魔する秋憂木の枝を剪定してほしい」との相談を受けていた。アラーナは「腕の良い庭師を頼みますよ。最近、枝振りが乱れていて、風の通りが悪いのです」と、鳥らしからぬ口調で注文をつけてきた。
そこへ、神龍大池のほとりで大きな水しぶきが上がった。赤龍一族の長老にして将軍、赤龍水神が巨大な姿を現したのだ。その鱗は、深紅の夕陽のように燃えている。 「アダパーよ。お前の親方のガブリエルはどこにいった。姫様七変化と放浪癖もほどほどにせよ。中華の江南が大日照りで民が祈っておるぞ。わしが代わりに雨を降らせておくが、わしは海が本業だ、細かい調整ができん。下手をすれば大洪水だ。あやつに伝えろ、早く調整に戻れとな。龍神の仕事をおろそかにするなと」
「赤龍将軍様、拝命いたしました」 アダパーは慇懃に答えた。 「主は今、秦の時代でギルガメシュ様と談義中です。ユグドラシル通信にて伝えておきます」
将軍が水中に消えた後、アダパーはリンゴに似た果実が実る木に近づいた。かつて妻エバに勧められて食べた「あの木」である。そこへ、銀髪の美青年が声をかけてきた。天界軍の総大将、大天使ミカエルである。彼は、右手に神剣を持ち、左手で青い神霊実を頬張っていた。
「アダパー、また神霊実を盗み食いしているのか? これで累計百万個は超えたな。警護隊長としては見過ごせないな。この実の糖分は、天界の法を狂わせるというのに」 「ミカエル様、これは天君の日課指令でございます。決して私の私欲ではございません。……ところで、一つお伺いしたいことが。古事記によれば、ミカエル様は堕天使ルシファーを討たれ、下界へと落とされたそうですが、この高天原には神軍も見当たりませんし、熾天使や智天使さえ見当たりません。もし明日、また堕天使が襲来したら、我々はどうなるのでしょうか。エバが夢を見て怖がっております」
ミカエルは、悪戯っぽくニヤリとした。 「単純に考えてみろ、アダパー。お前でさえ会ったことがないということは……『もともと存在していない』とは思わないか?」
アダパーは絶句し、両手をだらりと降ろした。 「存在していない? まさか……では、我らが見ているこの世界は一体? 我々の記憶にある数々の戦争は、幻だというのですか?」 「いいか、真実を教えてやろう」 ミカエルは声を潜めて続けた。 「龍神天君と地神天君は、かつて無限の虚空を漂う双頭の龍たる遺伝子情報だった。彼らは古い銀河から逃れ、この若い銀河に辿り着いた。ユグドラシルは、彼らを保護するための安全装置であり、夢の揺り籠なのだ。つまり、この高天原も、お前も、私も……そして下界の凄惨な争いさえも、ユグドラシルが見せている仮想現実に過ぎない可能性があるのだよ。お前が羊を数えて消えてしまうのは、そのシミュレーションのバグを突いた結果なのだ。我々は、巨大な計算機の中の意識体に過ぎないのかもしれんのだよ」




