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龍神転生奇譚:大神樹ユグドラシルのそよぎと銀河の調和  作者: 如月妙美


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第二抄:駄牛となった戦神と天君の扇

水龍天君は、不機嫌そうに鼻を鳴らした。彼は、ある時はエンキ、ある時はエルシャダイ、またある時は東方の伏羲として、人類の遺伝子の螺旋を編み続けてきた超越者である。その瞳は、深淵のような知恵と、どこか世俗を冷めた目で見つめる皮肉屋の光を湛えている。 「アダパーよ。エンキドゥをここへ呼びなさい。すぐにだ……。あやつの牛真似も、いい加減に見飽きたよ。戦神が草を食んで満足しているなど、冗談にもならない」

 侍従長アダパーは、蘭奢樹の油を塗った清潔な両手を交差させ、恭しく拝礼した。蘭奢樹とは、ユグドラシルの古い基幹枝が時を経て化石化したもので、その香りは時空の歪みを整え、精神のノイズを消し去る効果を持つ。 「天君……お言葉ですが、エンキドゥ戦神は、今は……その、牛でございまして。それも、なかなかに見事な牛として、下界の泥にまみれておいでです。先日などは、あぜ道で昼寝をしている姿がホログラムに映し出されておりました」  アダパーの声は、主君の皮肉に同調しつつも、どこか困惑していた。

「牛だと? 水龍の矜持はどこへ捨てたのだ。角の形を少し変えただけで、あやつは種族の定義まで書き換えてしまったのか」  天君の問いに、アダパーはさらに深く頭を垂れた。 「はっ。ギルガメシュ天君孫様……今は中華漢朝の皇孫、劉光様に、文字通り牛馬の如くに仕えておられます。シュメール時代に『来世は、牛馬の如くに、あるいは犬馬の如くにお仕えする』と約束されたそうで。劉光様が、皇孫ながら馬も買えず挙兵もままならぬという窮状を聞くやいなや、脱兎のごとくに、いや、脱送牛の如くに出ていかれました。主君への忠誠心が、遺伝子レベルで少々……バグを起こしているようでございます」

 天君は深く溜息をつき、蘭奢樹の扇をぱちんと閉じた。その衝撃で、山荘の空気が微かに震え、飾られていた万年ガジュマルの葉が数枚、次元の彼方へと消えた。 「アダパーよ。いつも言うが、エンキドゥという呼び方は止めてくれんか。あやつの真名はドゥだ。お前の言葉には懃懃無礼な棘を感じる。美しい神棘樹の棘なら甘受もできるが、お前のは無理だ。それではどこかの国の宦官や、面子ばかりを気にする事勿れ主義の高級官僚のようではないか。ドゥは私の遺伝子を引く正統な水龍なのだ。それを牛などと……」

 天君は、山荘の窓から見える下界のビジョンを見つめ、嘆息を続けた。 「少し立派な角が良いかと、親心で水天牛の角を与えたのが間違いだった。恩を角で返すとはこのことだ。あやつはそれ以来、自分は、元々は牛だと思うようになってしまった。アイデンティティの欠如も甚だしい。下界で黄金の牛の像が奉られた時は大喜びしていたな。『俺の真実の姿がようやく理解された』とでも言わんばかりに。もっとも、その後に私の手の者が、偶像崇拝は不適切として粉々に粉砕した時は、この世の終わりかというほどガッカリしていたが……。あやつ、しばらくの間、反省して干し草を食べるのさえ忘れていたらしいぞ」

「天君、恐れながら」  アダパーは、交差した手を元に戻しながら、下界を遠く見つめて言った。 「ギルガメシュ劉光様は、ただいま馬も買えぬ困窮の中で奮戦中でありまして、ドゥ様――牛光丸様を今召喚されると、戦線が崩壊しかねません。今まさに獅子粉塵ならぬ猛牛粉塵の状態でありまして……。あの方の鼻息一つで、敵の歩兵が十人は吹き飛ぶ勢いにございます。あれを止めるのは、いささか忍びないかと」

 天君はすこし不機嫌そうに、扇で左手の掌をポンポンと叩きながら返す。 「アダパーよ。構わないから召喚しなさい。そもそも、今の劉光は、自分が龍神の分神だということを認識していない。駿馬を手配してやれば、大喜びで駄牛など手放すだろう。次元ホログラムで確認したが、あやつが撒き散らす埃のせいで、後続の兵馬が全く前に進めていないではないか。あれは先陣を切っているのではなく、単なる物理的な妨害だ。一言でいえば、足手まとい……いや、ランクがさらに下の足足まといだ」

「足足まとい、でございますか」  アダパーが、遠慮がちに次元ホログラムの画面を指さすと、天君はさらに語気を強めた。 「そうだ。自分の忠誠心に酔いしれて、周囲の戦略を台無しにする……神族として最も恥ずべき姿だな。自意識過剰な牛など、百害あって一利なしだ。画面の通り、劉光様とドゥ様には、誰も追いつけていない。まさに風神疾風のように先陣を走っているが、埃さえなければ完璧な進軍なのだ。敵軍も、あの砂煙を見て『巨大な魔獣が来た』と恐れおののいているが、味方も同様に死に物狂いなのだぞ」

 天君は、イナンナが蓬莱から持ち帰った扇をゆっくりと広げ、話題を変えるように言った。その扇面には、無限の宇宙が描かれている。 「扇というものはいいものだね。イナンナが、やんちゃな孫娘にしては、ひとつだけいい仕事をした。かぐやに行かせたのは我ながら正解だったな。まあ、元々は、この宮殿の竹家具調度の修業に行かせたのだがな。持って帰って来たのは、単衣と扇だけだった。修業の成果としては甚だ疑わしいが、工芸品としてのセンスだけは認めよう」

「天君、『扇』はイナンナ様が持統女帝として修練に降りた時の土産だったのでは、と記録にはありますが……。その際は、扇だけでなく和歌の技法も持ち帰られたとか」  アダパーの指摘に、天君は鼻で笑った。 「記録ではね……。イナンナが蓬莱の日本書記を自分勝手に改作したのと同じように、お前たちが見る記録にも改作はある。イナンナには修練で月天麗姫と持統女帝の二役を演じさせた。もっとも、下界には時間の感覚があるから、同時に演じた意識は本人にはなく、帰天後に高天原記録を自分で都合よく書き換えたのだ。彼女はかぐや姫の方が好きだったようでな。私に会いに来る時も、いつも十二単を着てくる。アダパー、お前も裾持ちは大変だろう。ミトらのように、わざと踏んづけてやるといい。裾が破れれば、少しは反省するやもしれん」

 天君は、窓から差し込む天光の色を見やりながら、扇を閉じたり開いたりして、ドゥの召喚を改めて命じた。 「前のように、毎回コブラを連れて来るクレオパトラよりはマシだがな。あのコブラはお前にいつもシャーをしていたし、私をも威嚇しておった。下界の小蛇ごときが不遜な……。私が神龍に変化した時のあやつの慌てようといったら。壺の中に退散して二度と出て来なかったな。あれに比べれば、牛を自称するドゥの方が、まだ愛嬌があるといえるかもしれん」

 天君は、扇を力強く一振りした。 「話を戻そう。ドゥを引かせた代わりに、劉光には、天狐神族の神狐大将軍と、その妻を。さらに天馬族のペガサスの系譜もつけて遣わそう。劉光は大喜びで、駄馬未満のドゥから駿馬に乗り換えるだろう。神狐の子孫は独狐族として残し、『独狐を得るものは天下を得る』と予言させよ。召喚されたドゥとて、自分の足足まといぶりをこのホログラムで見せつければ、反論はできまい」


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