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やすむのときめきVチューバー  作者: 江保場狂壱
第2章 やすむの恋心
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第1話 長い夜

 長い夜は松山千春の曲です。

「皆さんはどうしてここで働いているのですか」


 金髪黒ギャルの男の娘である玄姫くろひめやすむが質問した。ここは演歌歌手の秋本美咲あきもと みさきの個人事務所セイレーンだ。今ここにはやすむと副社長である石原克己いしはら かつみとエンジニアの田亀明宏たがめ あきひろの三人がいる。克己は筋肉隆々の大男だがぼさぼさの黒髪にミニスカメイド服を着ていた。明宏はでっぷりした体系で関羽髭に眼鏡をかけており、アロハシャツと短パンを身に着けていた。シャツははだけており、胸毛が見える。


 他にもスタッフはいるが、今は留守で、事務所には三人しかいない。佐鰭田さびれた町の住宅街にある一軒家を利用したものだ。所属タレントが増えたため、駅前のビルに引っ越しする計画を立てている。マネージャーを含めたスタッフも事前に教育しており、時期が来れば雇用する予定だ。


 やすむはムジナックスという事務所に所属していたVチューバーだが、セイレーンに移籍した。マネージャーの岩佐康いわさ やすしの弟だが、血の繋がりはない。


「なぜここなのかって? そりゃあ芸能界以外働くところがないんだよ」


 克己は紅茶を飲みながら言った。明宏は駅前で買ったタルトをもしゃもしゃ食べている。


「俺がメイド服を着るのは、趣味だ。だが世間では異常者扱いする。弁護士で税理士の資格を持っても普通の企業は変態を受け入れたくないんだよ」

「俺もそうだ。ゲイというだけで猛獣扱いだよ。俺にも好みがあるのに、男なら何でもいいと決めつけやがる」

「芸能界は個性として受け入れてくれるからマシだな。とはいえキツネ御殿の時代は陰口なんかは日常茶飯事だったよ」


 二人の告白にやすむは後悔した。なぜ大手の事務所を離れて美咲を支えるのか。ただの好奇心だったが踏み込んでいい話題ではなかった。

 やすむの様子を察したのか、克己は優しい笑みを浮かべる。


「気にするな。お前が世間話で訊ねただけだ」

「そもそもお前さんも苦労してきただろう。お互い様だよ」


 明宏は紅茶を飲み干した。二人とも気にした様子はない。やすむは安堵した。


「それ以上に美咲の歌に惚れたのもある。見た目は金髪碧眼なのに演歌を歌うギャップがすごいんだよ」

「その上、透き通るような歌声に心が奪われそうになったな。まさにセイレーンだ」


 元々セイレーンはギリシャ神話のオデュッセウスの物語に登場する海の怪物だ。美しい歌声で船乗りを惑わし、船を遭難させたり難破させたりすると伝えられている。オデュッセウスはセイレーンの海域を通る際、船員に耳栓をさせ、自身はマストに縛り付けさせて歌声を聞いたとされている。


 やすむも二人の意見に同意している。本当は美咲を嫌っているが、彼女の歌声はほれぼれするほどだ。小学校に上がったばかりの頃、康の部屋にあったカセットテープを勝手に聴いたことがあったが、とても美しく、しみじみする歌声に、やすむも歌いたくなるほどだった。


「それで社長に惚れたわけですか」


 やすむが訊ねた。彼は普段ギャルのような口調だが、スタッフは彼の本性を理解しており、美咲がいないところでは敬語でしゃべっていた。


「いや最初は美咲が大嫌いだったよ」


 克己が真顔で言ったので、やすむはきょとんとなった。


「恵まれた容姿を持っているクソ生意気な女だと思ったね。俺はメイド服を着ても可愛くならないのにな」

「俺も人に好かれる容姿じゃないしな。それなのに美咲は恵まれているのに、文句ばかり言っていた。嫌いにならない方がおかしいだろう」

「ちなみに莉奈りな寿子ひさこ真世まよ雄二ゆうじも美咲を蛇蝎の如く嫌っていたな」


 克己は新たにフルーツケーキを食べだした。明宏も克己のケーキをフォークで突き刺し、一緒に食べている。 

 やすむは克己たちの言葉を聞いて驚いた。その一方でみんなの気持ちも理解できた。彼も美咲は嫌いだが、歌の才能は認めていたからだ。


「けどあいつは拳で俺たちに立ち向かってきたんだよ。容姿に恵まれているから幸せだと思うなってな」

「俺たちだけでなく、他のみんなも同じ事やっていたな。なんだかんだで今に至るから人生はわからんな」


 二人は呵々大笑いしていた。だがすぐ真顔になった。


「俺たちが美咲についてきたのは、康のためでもあるがな」


 突如、義兄の名前を出され、やすむの心臓が太鼓をたたくように鳴り響いた。


「あいつは美咲のためなら誰でも立ち向かうんだよ。相手が大手の事務所の社長だろうが、ヤクザだろうがお構いなし。普段はヘタレキャラなのに、不条理には一切妥協しないんだ」

「…お兄ちゃんは中学時代からそうでした。よく社長をかばって喧嘩して入院したことが中学時代は3回、高校時代は4回もありました」


 やすむの言葉に克己と明宏は目を丸くした。一方で二人とも康ならやりそうだなと納得していた。


「康と大学は違うが、外ではよく話していたよ。美咲が男に絡まれると康が庇うなんてことはざらだったな」

「さらに相手が刃物を持ちだしても逃げたことは一度もないんだ。まあ俺がそいつを殴り飛ばしたから、無傷だったがね」


 明宏はため息をついた。無傷とはいっても康の無鉄砲な行動には呆れていたようだ。克己たちは卒業後、美咲の師匠である横川尚美よこかわ なおみの縁で御殿にキツネ御殿に就職できたのだ。

 そちらでは副社長の木常狸吉きつね たぬきちのおかげで生活できていた。尚美が事務所をクビになるように仕向け、さらに美咲も独立するための下準備をしていたのである。

 康だけは知らされていなかった。彼は隠し事が苦手なので、黙っていたのだ。敵を騙すにはまず味方からである。


「康曰く、周囲の連中は美咲が演歌を歌うことに反対していたらしい。まあ見た目と反して演歌だからな。自分たちの望むこと以外認めないのが多かったそうだ」


 克己は忌々しそうにつぶやいた。美咲と同様、自身も周囲に理想像を押し付けられてきたのだ。初対面の時は最悪な印象だったが、今では美咲の理解者になっていた。

 美咲は周囲の言葉を無視していたが、無視されると激高する者もおり、美咲に暴力を振るうことがあった。それを康が身を挺して守っていたのだ。しかし度が過ぎる行為に美咲はおろか、克己たちも危惧していた。


 やすむも康が中学生の事入院していたとき、両親が居間で話をしているのを立ち聞きしたことがある。

 美咲を馬鹿にする者たちから暴行を受け、入院したことを嘆いていた。さらに康の本当の両親の話が出た時、自分と兄は血縁でないことに衝撃を受けた。

 美咲の歌は好きだが、そのために兄が暴行を受けるのは我慢ならなかった。やすむは美咲に対して憎しみを抱きつつ、才能に惚れていた。まさにセイレーンに惚れた男であった。


 玄関からチャイムが鳴った。誰かが帰ってきたようだ。金髪碧眼の30歳の美女、秋本美咲だ。隣には黒髪でさえない風貌の30歳の男、康がいた。顔が腫れていた。ガーゼが貼られている


「!? おにぃどうしたの!!」


 やすむはギャル口調で康に駆け寄った。康は腫れた頬を撫でていた。


「なんでもないよ。こけただけだから」

「嘘つくな!! 人に殴られたでしょうが!!」


 康が誤魔化そうとすると、美咲が激怒した。なんでも美咲の熱狂的なファンが事務所に待ち伏せして、付きまとってきた。康が守ろうとしたら、相手は激怒し彼の顔を殴ったのである。美咲はスマホで動画を撮影し、相手を組み技で押さえつけた。現行犯逮捕だ。警察に通報して証拠の動画を提供し、病院で手当てをしたそうだ。


「いやー、美咲が無事でよかったよ」


 康は殴られてもへらへら笑っていた。この男は侮辱されても何もやり返さず、黙っていることが多い。だが美咲を含め弱い者いじめを許さない性格だった。そのため厄介ごとに首を突っ込み、問題を起こしていた。そのため学校では教師たちに煙たがられ、同級生も康を危険人物扱いして寄り付かなかったそうだ。


「なんで、なんでおにぃがそんなことしなくちゃいけないのよ!! なんで身体をボロボロにされなきゃならないのよ!!」

「なぜって、美咲の歌は唯一無二なんだよ。才能のない凡人である僕は守ることしかできないからね」


 やすむの必死の言葉も、康は軽く流していた。その様子を見て、美咲は忌々しそうに苦虫をかみつぶした顔になった。彼女自身も康が傷ついて平気の平左ではないのだ。克己と明宏も呆れている。

 康は二階にある自分の部屋に行った。その後姿を見て、やすむは怒りに震えていた。


(なんでお兄ちゃんは平気なの? 自分が傷ついてでもあいつを守りたいの?)


 だが康の気持ちはわかる。美咲の歌はファンというより、信者の気持ちだ。彼女の歌声を否定されると自分をけなされたようで腹が立つ。事務所の職員はおろか、所属タレントたちも同じ気持ちだ。

 克己の言葉を思い出す。美咲の歌はセイレーンと同じだ。だが康はオデュッセウスのような勇者ではない。いつ彼は船で難破するかわからないのだ。それは自分も同じであった。

 長い夜になりそうだとやすむは思った。

 連載を再開しました。本来セイレーンに惚れた男でやるべきでしたが、やすむの視点で康を見たほうがいいと思いました。

 題名のセイレーンの意味がまったく使われてなかったので、使うことにしました。

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