第11話 春なのに
題名の春なのには柏原芳恵さんの曲です。
「あー、まいっちゃうわね……」
ここは都内にある会員制のレストランだ。オーナーは緒方寿明といい、長年高級レストランでシェフを務めたそうだ。10年前に店を開き、今に至るという。高級店だが目に優しい緑色の部屋に色取り取りの花が飾られている。部屋には甘く優しい香りが漂っており、室内灯も落ち着いたものになっている。季節は春だが、部屋のは中は別世界だ。
部屋には丸いテーブルが置かれてあり、4人の男女が囲んでいた。
一人は金髪の黒ギャル男の娘、玄姫やすむこと、岩佐歩だ。
左側に座っているのは、男性で30代ですらっとしており、オールバックで丸眼鏡にヤギひげを生やした、白いスーツを着こなしている。
緒方真世といい、キツネ御殿の元社員だ。営業を担当していた。この店は彼の父親が経営しているのだ。家族割引も利くが、それ以前に秘密の会合に使われている。
先ほど愚痴をこぼしているのは、22歳の女性で、烏丸りあだ。黒髪を腰まで伸ばしており、どこか険しい顔をしている。歩とは中学時代からの友人だが、ここ最近では彼女の周りに言い噂は聞かない。わがままばかりでめちゃくちゃなことばかりしているそうだ。
「そんなに思い通りにならないのが、気に食わないの?」
歩は蒸し牡蠣を食べていた。大粒の牡蛎でぷるぷるしており、潮の香りがする。食べるとじゅわりと潮の味が広がった。高級な逸品だが、人気がある。それをハイボールと一緒に飲み干した。
「思い通りに進んでいるから、まいっちゃうのよ! あんたのお兄さんは真面目過ぎるわ! あんなに働いては体が持たないわよ。それを台無しにする罪悪感がひどいわね……」
りあはため息をついた。一応りあは事務所のごり押しで宣伝をしており、人気絶頂と思われていた。だが裏ではスタッフや芸能人に嫌われており、事務所も強引にりあを出演させていたのだ。
秋本美咲はすでに退所している。彼女がいたころから、りあは美咲の仕事を横取りしては、それを勝手にキャンセルするなど傍若無人な行動が目に付いていた。それでも歩の兄、岩佐康は諦めずに彼女の面倒を見ていた。
「お兄ちゃんは一度決めたら絶対に投げ出さないからね。美咲さんも似たようなものだし……」
「歩ちゃんはお兄さんが大好きなのね。かわゆいわ」
歩の右側に座っている女性が答えた。30代の女性で、茶髪に黒いワンピースを着ていた。にこやかでふっくらした顔つきに、メロンのような大きい胸が特徴的である。カモシカのように太い脚はストッキングで包んでいた。
名前は日高雄二。名前の通り、男性であった。現在は手術で女性になっている。実は真世も女性から性転換したのだ。手術の前に2人ほど子供を産んでいる。
雄二もキツネ御殿でスタイリストとして働いていた。現在は美咲の個人事務所セイレーンに勤めている。
セイレーンは歌声で船乗りを惑わし、船を沈める伝説の魔物だ。芸能事務所としては避けるべきだが、美咲は気にしなかった。むしろ自分の歌で虜にしてやると息巻いていたそうだ。
「今、康さんは私のマネージャーの傍らで、他の子たちの引継ぎをしているわ。それが終わったらそちらに移るでしょうよ」
そちらとはセイレーンの事だ。歩はまだムジナックスに所属している。真世と雄二はキツネ御殿時代からかかわりがあった。
「それにしても社長さんてどうかしているよ。美咲さんを愛人にしようとするなんて」
「そう仕向けたのは私なんだけどね。もうあの人の目は常人の景色を見てないのよ」
りあは若鳥のから揚げを食べている。高級な鶏肉を使った新鮮なものだ。味付けも上品で脂っこくなくさっぱりと食べられる。
今のりあは老人を甘言で惑わした魔性の女だ。スタッフもわざとSNSで書き込みをして信ぴょう性を高めていた。知らぬは康も同じである。
「ふぅ、おいしいわ~。気の知れた友達と食べるご飯ほどおいしいものはないわね~」
「社長をうまく乗せて高級店に行っても、味はしないもんな」
りあが料理に舌鼓を打っていると、高級な芋焼酎を飲みながら真世が答えた。アスパラのてんぷらを食べている。
「それよ!! あのじいさん、フランス料理の店でぺちゃくちゃ音を立てて食べるし、突然ウェイターを呼びつけては接待が雑だと怒鳴りまくるし、散々よ!!」
りあはハイボールをぐびぐびと飲み干した。よほど社長にご立腹の様子である。
キツネ御殿の社長、木常崑崑は独裁者であった。昭和年代で自分の考えを一切変えない老害であった。息子の狸吉を無能扱いしているが、一番の無能は社長だ。
事務所設立から二人三脚で支えた横川尚美をしわくちゃ老婆と罵倒し、追い出したのである。そして彼女の曲を絶対に歌わせないと契約までしたのだ。あらゆるメディアに出せないよう手回ししたのである。
もっとも全部無駄で終わっていた。尚美は持ち前の曲は封じられても、それ以前にニコヤカ動画というネット配信サイトでボカロ曲を歌っていた。事務所を辞めた後、運営のドドリアはボカロ作曲家とコンタクトを取り、彼女に曲を提供したのである。
さらにワイチューブでは彼女の歌う姿や、弟子たちとの触れ合いを動画配信していた。尚美の弟子が経営する会社は彼女を積極的にスポンサーとなった。年配だけでなく、若者たちの人気を獲得したのである。それは美咲も同じであった。
「佐鰭多町の商店街で歌っているんだよね。なんでそんな田舎に引っ込んだんだろ?」
「その町は外祖母が住んでいるんだ。それに田舎といっても商店街はあるよ。ほとんどシャッターが下りているけどね」
歩の疑問を真世が答えた。霜降り肉のステーキを食べている。じゅわっと脂が染み出ており、香りもよい。それを食べながら芋焼酎を飲んでいた。
「実は5年前から企画していたのよ。あの町はまだ電車が通っているわ。毎週土曜日にライブのために来る客が電車を使ってくれるしね」
「よくわからないな。そんなことをして何になるの?」
雄二がワインを飲みながら、チーズ入りソーセージをかじっている。
歩は美咲の行動が理解できなかった。
「美咲曰く、地元への復讐らしいね」
「地元の復讐、ですか?」
「美咲のママはアメリカ人と結婚したのよ。でも周囲から白い目で見られて美咲自身もいじめられていたそうね。それで引越ししたそうよ」
美咲がいじめられていたことは、康経由で聞いていた。日本人離れした美貌を持っていても、周りと違えば疎外される。康を奪った美咲は嫌いだが、この点は同情していた。
「当時の同級生は田舎を嫌って東京へ逃げたわ。美咲は商店街を自分色に染めて、観光地にするつもりなのよ。地元住民ではなく観光客に金を落とすためにね」
雄二はワインを飲み干しながら答えた。
現在の商店街は美咲が作った美咲ちゃん人形を飾っているらしい。観光客はそれを写真に撮るために来るそうだ。さらに観光客向けの商品を開発し提供している。
商店街には美咲の同級生の親が多かった。彼らは美咲を敬遠しており、子供たちに関わらないように命令した。現在の若者たちは美咲のファンが多く、彼女の言うことをよく聞いた。
彼女の企画のおかげで地元には観光客が増え、若者たちは地元に残るようになった。だが逆に地元は騒がしくなり、静かに暮らしたい老人たちは反発していた。だが役場は税収がよくなったので彼らの言葉をのらりくらりと躱していた。
美咲のライブではCDではなく、地元商品の交換券を売っていた。精肉店は唐揚げやソーセージを、書店では文房具を衣料店ではシャツやパンツなどを交換できるのだ。
おかげで通常より売り上げが倍増しており、老人たちは黙るしかなかった。尚美の弟子が経営するホテル北村グループは空き家を買い取り、簡易ホテルにリフォームした。若者たちもセイレーンの助言を参考にして新商品を開発、さらに映画館を作りマイナーな映画を上映していた。そのためライブがなくても観光客が来るようになったのだ。
「それはSNSで知ったわ。現在の佐鰭多町商店街は若者たちが代表となって、観光客を大いに呼び込んでいると。地元住人は反発しているけど、元々安売りスーパー以外で買い物しないし、老人も家に出ないで宅配サービスを使っているから、問題ないって」
りあがハイボールを飲みながら言った。美咲は古い体質の町を変えたのだ。いくら老人たちが反対しても町としては死にゆく身体を治療してくれた医者に対して無礼を働くわけにはいかぬ。栄養ドリンクを一気飲みして活性化させるより、栄養を考えた食事をとることで健康を維持することが大事なのだ。
老人たちはかさぶたであり、傷が治ればはがしても問題はない。
現在の老人たちは元商店街会長の家に集まり、昼間から酒を飲み、日が暮れるまで愚痴をこぼしているという。都会から若者たちが地元の空き家を買い取り、観光客用の店を開く。外国人も美咲ファンが多く、商店街には外国語の看板が多くなった。もちろん店主は各国の言葉を習っている。真世が定期的に教えているのだ。
「正直美咲さんは嫌いだよ。お兄ちゃんを奪ったからね。でもその行動力は尊敬しているよ」
歩が言った。するとコンコンとドアがノックされた。入ってきたのはシェフでキッチンワゴンにはラーメンが4人前置かれていた。
この店では締めにラーメンが出るのだ。歩が頼んだのはワンタンメンだ。一杯3千円はかかるがそれほどの価値がある。
アルコールで塩分が欲しくなる時に食べるラーメンは格別だ。この店の売りでもある。シェフは頭を下げて部屋を出た。
「今のキツネ御殿は沈みかけた泥船よ。まあ全員それを理解してるのが救いだけどね。知らぬは社長ばかりなりよ」
「まともなタレントはほぼ逃がしているからね。倒産は秒読みだけど、大丈夫なの?」
「そこらへんは役員の人からやり方は聞いてる。破産した会社の畳み方はばっちりよ」
りあはワンタンメンを食べながら、サムスアップした。雄二もそれを聞いて安心したようだ。
「でもここのメニューはどれもおいしいですね。お酒もよくわからないけどおいしいのがわかります。さすがは緒方さんのお店です」
「俺の親父の店だけどな。親父は全国を津々浦々と旅していろんな料理や地酒を飲んできたんだ。だからこそ酒に合う料理を提供できるというわけだ」
歩が絶賛すると、真世はワンタンメンを食べながら言った。全国で伝染病が大流行の際は、レトルト食品のネット販売でしのいだ。元々地方の客向けに研究していたが、それが功を為したと言える。客の気持ちに寄り添った結経営のおかげだ。。もちろんクレーマーの言うことなど無視している。
「春なのに、まだ私の心は冬だよ」
「がんばれば春が来るよ」
りあの愚痴を歩が慰めた。木常崑崑は人の気持ちが一切理解できない。貧乏な生活から抜け出るために、他人を踏みつけ声を無視してきた結果がこれだ。




